世界中を旅しながら艦娘にインタビューをする重巡・青葉。だが、その旅路は安全なものではなく、時に命を狙われ逃走の旅に様変わりすることもあった。
今回は軽巡・木曾のエピソードです。
「いやぁ、ほんと助かりました」
「なぁに気にするな。困ったときはお互い様だろ」
料理を手に店内をてきぱきと動き回る軽巡洋艦・木曾にそうお礼を言うと、彼女は他の客に料理を出してから私に向け手を振った。
「それにしても、流行っていますね」
「まぁな。おかげさまでね」
お昼時でもないのに席はそれなり埋まっている。大半は私や木曾と同じ艦娘で、特に駆逐艦の娘が多い。
「お仲間も多いですね」
それにしても多い気がする。こんな時間でこれだ。お昼時となればこのお店は艦娘でごった返すのではないかと思われる。こんなに艦娘が集っているお店なんて見たことがない。いや、ニューヨークの金剛がやっていた店は別だが。
私の疑問に木曾は「あれだ」と窓の外に向けて顎をしゃくってみせた。両手は空のグラスで埋まっている。
窓の外に目を向けると渇きつつある沼地の真ん中にいくつも鉄の櫓が建っているのが見えた。炎をあげるパイプも。あれは採油場か。
成る程と合点する。
彼女たちの多くはあそこで働いているのだろう。
石油…燃料は艦娘のエネルギーの源だし、軍支給の制服を脱ぎ捨て、代わりに着ている厚手のつなぎやシャツはオイルの黒い染みが付いていることからもわかる。
ここだけでなく採油場、製油場で働いている艦娘は世界中で見てきた。先に言ったとおり、燃料は艦娘達の食事だし、雇用主達も給与の一部を自分たちで採り精製したもので払えるとなればコスト削減になるからだろう。『艦娘に会いたければまずガソリンスタンドに行け』は私がこの紀行で得た格言の一つだ。
「それに、この近くには曲がりなりにも海が残っているからな」
「へぇ、そうなんですか」
後で見に行くとメモを取る。海を目にするのは久しぶりだからだ。
深海棲艦との戦いの爪痕は各地に未だに残っている。海の喪失はその中でも最も非道く、色濃く、そうして治癒不能なものだ。しかし、それでもすべてが喪われた訳ではない。西方、大西洋側にはまだ海と呼べるようなものが残っている。
「油田があって海があって、良いところにお店を構えられましたね」
燃料と水は艦娘にも必要なものだが、それは人間にとっても同じだ。地球上、どこもかしこも文明は後退しているというのに、この辺りがむしろ発展を続けているのはそれが理由か。
「まぁな。良いところっていうか、店を構えていたら良いところになったっていうのが実際だけれどな」
キッチンで食器類を洗いながら木曾は受け答えしてくれる。
「俺がここに来たのは、何年前だったかな、まぁ、最初は俺もこいつらお客サマと同じように採油りをしてたんだがな、毎日毎日砂混じりのオイルだけじゃ流石になぁ、身体は動くが味気ないと思って、たまになんか作って自分で食ってたんだ」
補給と兵站は重要、出来ればその質も、ってのは散々実体験で学んできたことだしな、と木曾。それには深く同意する。
実際、鎮守府には食堂施設があるところや非番の艦娘達が入れ替わり食事当番しているところもあった。艦娘もなんだかんだで年頃の女の子だ。重油とアイスが動力源なのは間違いない。
「で、それが他の仲間の知るところになって、私にも頂戴って言われるようになってな。仕方ないから多摩姉ェと一緒に、週に一回かそこら作って分けてやってたんだ。そうしたら、上から『給食係に任命する』なんて赤紙が届いてよ。その時はなまじ料理なんて出来るばっかりに妙な仕事を押しつけられた、って思ったね」
そこで木曾は顔を綻ばせる。
「まぁ、でも泥だらけ油まみれの駆逐たちが『いつもの!』なんて来たらこっちもアウンの呼吸で『オウ!』ってなもんで楽しくなってきてよ、ヘヘ」
話ながらも淀みなく皿やコップを洗う動作は如何にも手慣れているという感じだ。飛んできた泡が鼻の頭に付いてしまっているのがものすごく可愛らしい。
「で、そんな風にやってたらさ、別の採油場の奴らまでうちの食堂にやってくるようになって。そうなるともうてんややんわになるじゃないか。福利厚生でやってるはずなのに、部外者までタダ飯喰いにやってくるんだから。個人的には嬉しかったが、流石に組織だとな、そうもいかない。社員証とかそんなの作って一々確認する余裕もなかった訳だし、同じ顔のヤツが何人もいる訳だからな。確認なんて特高でもいないと無理な話だ」
皿洗いが終わった後は調理だ。野菜を刻み始める。
「採油場の経営者のじいさま達も困ってたわけだ。かと言って俺たちも折角食べに来てくれた奴らを追い返すってのもなんだか寝覚めが悪い。で、上に相談に行ったって訳よ。『辞めさせてくれ』って」
「ええ!?」
メモ帳から思わず顔を上げる私。一体、どこをどうしたら自主退職という流れになるのだ。
「いやいや、辞めて近所にレストランを開こうと考えてる、っていう意味。そういう相談を雇い主にしにいったっていう話だ。それに『この辺りの採油り達共用のレストランにしたいんで出資してくれませんか』って話も一緒にな」
まぁ、それは多摩姉ェのアイデアだったんだけど、と木曾。そっぽを向きながら切り終えた野菜の端をポリポリつまみ食いする。
「お陰でまずまずうまいことやらせてもらってるぜ。で、最初の話に戻るがこの辺りも発展してきたからな、もう採油場勤め連中専用の食堂って訳じゃないけど、それでも馴染みだからかな、飽きもせず毎日毎日来やがるんだ」
「それは木曾さんの料理が美味しいからじゃないんですか?」
ちがいない! と客から合唱があがる。その声を聞いて木曾はすこし驚いた顔をした後、俯き加減にトレードマークの眼帯に手を触れた。照れ隠しだろうか。なにわともあれ、こんなご時世だ。町が発展しているからやっていけている、というだけではないのだろう。
「いや、それだけじゃないわよ」
と、私の後ろの席にいた四人組の内、吹雪型の一人が声をかけてきた。
「ここのレストランにはねぇ、すごい名物があるのよ?」
「ほう、凄い名物ですか?」
聞き返すと吹雪型は笑みを形作ろうとする頬をむりやり引き締め、したり顔で人差し指をたてた。
「ええ、すごい名物。多分、世界中でここでしか食べられないわよ」
「世界中で! それはすごい。で、一体何なんですか?」
ペンとメモを手に、体の向きを変え答えを待つが吹雪型の五番艦は応えてくれない。腕を組んでニヤニヤと笑みを浮かべているだけだ。
助け船を求めるよう店員に視線を向ける。
「あー、喰ってのお楽しみ、ってことで」
だが、生憎と木曾はやはり常連客の味方らしい。うまいぐあいにはぐらかされてしまった。
「まぁ、もう少し待ってろ。今、多摩姉ぇが仕入れに行っているから」
「へぇ」
しかし、待てるだろうか。お腹に手を当て虫に聞いてみるが危険、という応えしか返ってこない。ああ、なにせつい二時間ほど前、燃料切れでぶっ倒れていたのだから。
「あの」
おずおずと木曾に申し出る。
「看板メニューも気になるのですが、取り敢ず、何か軽く摘ませて貰っても良いですかね」
「なんだ、さっき飲んだハイオクだけじゃ足らなかったか?」
「ええ、まぁ」
重巡も言うほど燃費は良くないのだ。
「そのサラダでいいのでいただけませんか?」
椅子から立ち上がって指さす。木曾はその指先と切ったばかりの野菜を見比べて首を小さくかしげた。
「いや、やめておいた方がいいぜ」
何故か木曾は私の注文にそう否定のアドバイスを返してくる。どうしてですか、と当然、聞き返す。
「そりゃ、まぁ、アレだ。『空腹は一番のスパイス』ってヤツだな」
「はぁ」
どうにもうまくはぐらかされてしまう。空腹で餓死寸前でないと食べられないほど不味いものなのだろうか。いや、そんなに不味いものが名物になるはずがない。だとすると、
「あ」
思案して嫌な答えに辿り着いてしまう。木曾も私のそんな顔を見て心中を悟ったのか、なんとも妙な表情を作る。
「えーっと、たぶん、これが正解ですよね。えーっと、その…」
答え合わせが嫌でつい口ごもってしまう。だが、私も記者の端くれだ。真実に辿り着かなくてはいけない。意を決して答えを口にする。
「ゲテモノ系、ですか?」
私の答えにすぐには合否を出さず、そっぽを向いて頭を掻き始める木曾。
「まぁ、最初、食べるにはちょっとばかし勇気がいるかな」
たっぷり十五秒は待ってから出てきたのはそんな言葉だった。はっきり言って良い訳にしか聞こえない。
「ううっ、もしかして、ヘビとか虫とかですか」
或いはネズミとかイソギンチャクとかかも知れない。ものすごい勢いで食欲ゲージが下がっていくのを実感する。肩からも力が抜け落ち、げんなりしてしまう。外野席は私のそんな態度をダシに件の『名物』について盛り上があがり始める。木曾は木曾でまぁ、お楽しみってことだな、とそんな事を言うだけ。疎外感を憶える。
「あー、まさか、深海棲艦とかじゃないですよね」
こうなれば自棄だ。記者としてせめて食材が来る前になんとかその正体を当ててやろうと思う。手始めにまったくあり得なさそうなことを言って敢えて情報を引き出す作戦に出る。
が、
「……」
私の思惑に反し、全員が、木曾も客達もしたり顔で私に名物の話を振ってきたツンデレも不意に口を閉じてきた。
「えっ、じょ、冗談ですよね」
一糸乱れぬ無言の反応に往年のバラエティ番組を思い出す。だが、一体何処の山師がそんな企画を持ち込んでくるっていうのだろうか。こっちはここまで計画も立てず、がむしゃらに逃げてきたのだ。そんな幼稚な遊びに巻き込まれる筈がない。だが、やはり、そうであって欲しい、冗談で済ませてくれはしないだろうか、と願う自分がいる。
「ただいまニャ」
はたして、扉を開けて入ってきたのは『ドッキリ成功!!』なんて人を馬鹿にしたプラカードなではなく、
「おっ、待ってたぜ多摩姉ェ」
紛れもなく深海棲艦だった。
金属を思わせる外殻と水死体のような青灰色の肉体。冷たい海から漂ってくるような生臭い潮の香。私たちとは違う技術で造られた艦装。人類と艦娘の大敵。歴史を再告発する忌まわしきもの。深海棲艦。
久方ぶりに見た敵の姿に私は体の震えを押さえることが出来なかった。
「案外驚かないんだな」
「そうでもないですよ」
そんな私の何を見て勘違いしたのだろう。木曾はそう声をかけてきたがすぐに私は否定の意を返した。
「いや、今でこそこんな風だけど、一番最初に仕入れてきたときなんかエライ騒ぎになったんだぜ」
こんな風、というのはまるでサーカス団のテントにそうする様にアレに群がっている駆逐の娘達のことだ。おっかなびっくり仲間の袖に隠れている娘もいるが大半は物珍しそうな視線を向けている。蛮勇を誇示したいのか、中にはテーブルの上に横たえられたグレーの肉塊をつついたりしている子もいる。彼女らに比べれば体を震わせている私など艦娘としては当然の反応だろう。
「…まぁ、実は生き残ってるっての聞いたことがあったんで」
「へぇ、そうなのか」
話に聞いただけで、まさか再びこの目で見るとは露にも思わなかったが。
「さっき話した近所の海で獲れるんだが、まぁ、ここでも珍しいな」
見たことないってヤツの方が多い、と木曾。確かに、駆逐艦の娘達の反応はそれだ。珍しい動物。ちょっとした珍獣を目の前にしているようだ。
「でもな、やっぱりこいつらもまだまだ私たちが憎いんだろうよ。たまにな、輸送船とか漁船が襲われたって話が来るんだよ」
戦時中、特に開戦直後はよく聞いた話だ。漁ができなくて商売あがったりだ、なんて内容の陳述書などが連日鎮守府には届いていた。
「ここいらは見ての通り、艦娘が多いからさほど問題にはなってない。お上も忙しいのか、軍隊呼んで一掃作戦なんてしないしな」
米政府がかつて制海権のすべてを奪った相手を問題視していない、という事はないだろうが、木曾の言うとおり、手が回らないのだろう。他の国に比べればまだまだマシだが、アンクルサムも戦争の疲弊から未だ立ち直れず、国内外の様々な問題に忙殺されているのだろう。
「ま、俺たちにとったらその方が有難い。今じゃこいつらは敵じゃなくて害獣、畑を荒らすイノシシや熊なんかと一緒さ。かつてに絶滅させられたら困る」
戦時中に聞けば卒倒しそうな台詞だ。戦時中でなくともあの辛酸をなめさせられた相手に使う言葉ではないと思うが。
「で、退治ついでに捕獲、ですか?」
「そう。その通り」
腕を組んで私の言葉に頷く木曾。
「今じゃ出たって噂が俺や多摩姉ェの出撃命令さ。単装砲と投網担いで、戦意揚々いざ征かんってな具合で」
木曾の言葉に呼応するように球磨型の二番艦がニャと使い込まれた14cm単装砲を掲げてみせる。確かにイ級やロ級ならあの装備でも十分だろう。
「成る程。この辺りじゃ未だにアレが出没してるっていうのは分かりました。特に脅威になってないってことも。で」
「で?」
この先を言うのはどうにも憚れる。生理的嫌悪が湧いてしまう。だが、私も一端の記者だ。記者は公平に客観的事実だけを書かなくてはならない。取材対象がレズのサディストだろうが吐き気催すような戦争犯罪人だろうがフラットな感情と理性と意思でインタヴュウしなくちゃならない。今回も。
「でーえっとですね、マジですか?」
「なにがだ?」
「ああ、だから、ええっとですね」
我ながら優柔不断だ。だが、もう腹は決まっている。私はテーブルに手を付いて勢いよく立ち上がると指をさしながら分かりきっていることを確かめた。
「食べるんですか、アレを」
答えは聞くまでもなくイエス、だった。
椅子やテーブルが端に寄せられ、店舗前面の窓すべてが開け放たれた店はオープンテラスの様を晒していた。ただし、店先に鎮座しているのは美味しそうなフルーツでも巨大なワイン樽でもなく深海棲艦の死体だ。
「危ないから離れるニャ」
店員がそう客たちに命令する。だが、そんな言葉よりも正確に危険だと知らしめる音が鳴り響く。チェーンソウだ。店員は黒い汚れがこびりついたチェーンソウを掲げると、威嚇するよう空ぶかしした。先程同様、深海棲艦に群がっていた駆逐艦達がわっとクモの子を散らすように離れていった。
「アレってメタセコイヤとか縄文杉とか切る用ですよね」
「ああ。特別なヤツだぜ」
木曾の説明を頭の片隅にメモする。たしかに明石の工房にあったメタルカッターもあんな感じの凶悪さを備えていたな、と鎮守府時代を思い出す。
「築地とか黒門市場でやってたマグロの解体ショーから発想をえたんだ」
「成る程」
確かに言われてみればそう見えなくもない。クロマグロが絶滅した今、現物と見比べることは不可能になってしまったが。
などと木曾と会話を交していると解体ショーが始った。唸り声を上げる裁断機がゆっくりと敵装甲に押し当てられる。外骨格に押し当てられた旋回する刃が火花を散らす。深海棲艦装甲には多量の金属が含まれいるという研究結果を読んだことがあるが、なんてことはない。こうして試してみれば一目瞭然だ。キチン質やタンパク質、カルシウムではああはなるまい。
それにしても不気味な光景だ。ぶ厚いビニールのエプロンを付けマスク、ゴーグル姿の人物がチェーンソウで長机に横たえられている敵性存在の体を切り刻んでいる。まるで戦技研の秘匿施設で行われている非人道的研究の様だ。吐き気を催すが、だからこそ確かにスクープ写真向きだ。私はカメラを構えるとその様子をファインダーに納めた。
青い血しぶきと飛び散る火花に駆逐艦たちが歓声と悲鳴が混じったものをあげる。その様子もカメラに納める。
扱いがうまいのか、それとも流石に手慣れているのか、ものの数秒で切り分けられるイ級の胴体。店員は切り分けた頭部を掲げてみせる。またも感歎の声。それを更に店員は見事な包丁捌きで装甲部分から生体部を引きはがしていく。生体部分は鍋に入れられ、固い装甲は後で捨てるのかポリバケツに無造作に投げ入れられていく。内蔵らしき器官も丁寧に切り分けられる。
「あれはどう料理するんですかね?」
お刺身でないことを特に祈りながら聞いてみる。
「そうだな。身の方はあのまま野菜とかと一緒に軽く煮込むかんじだな。オリーブオイルとかにんにく入れて。ハラワタは…」
「串焼きニャ」
珍味ニャ、と調理の手も止めず料理人。かっ捌いた顎部機構を物珍しそうに見ていた駆逐艦にプレゼントしている。
「しかし、よくもまぁ、アレを食べてみようなんて気になりましたね」
倒した敵の心臓を喰らう部族、なんて話も何処かで聞いたことがあるがそれだろうか。それとも艦娘の中にはあの店員の様に野性味溢れる娘もいるから動物的本能で刈った相手を食べてしまっただけなのだろうか。
そんなことを取り留めもなく考えていると木曾は「そうだな」と答えを躊躇うような素振りを見せてきた。
「これは話すと長くなるんだが…完成するまでもう少しかかりそうだし。いいぜ、店の中には入れよ。座りながら聞かせてやる」
「はぁ」
そう言葉と手振りで私に示す木曾。私は木曾に続いて店内へと戻っていった。
「さて、何処から話したものかな」
テーブルに腰掛けると木曾がグラス二つとボトル一つを持ってやってきた。ウイスキーだろうか。琥珀色の液体を二つ、自分と私の分を用意してから木曾も腰を下ろす。
「まぁ、良くある話さ。遠征中に敵に遭遇。更に運の悪いことに嵐にまで出会しちまって、部隊は壊滅、離散。気がついたら無人島に流れ着いていたって話」
「ふむ」
海上における私たち艦娘の敵は何も奴ら深海棲艦だけではない。横殴りの大雨、身の丈を越える高波、吹きすさぶ強風。天候もまた敵であった。台風にトラウマを持つ艦娘も少なからずいる。
「流れ着いた島は本当に絵に描いた様な無人島だった。それもリゾート向きじゃないやつ。一時間も歩けば一周できそうな小さな島で、当然人の気配は無い。腰ぐらいの高さの草が生い茂っていて、ところどころ痩せた木がまばらに立ってた。浜は砂浜じゃなくって角が取れて丸くなった黒い砂利が部屋の隅の埃みたいに溜まっているだけ。海鳥以外でこの島に上陸したのは俺たちが初めてなんじゃ、と思えるような辺鄙な場所だった」
辿り着いた島の情景を語る木曾の口調は何処か沈みがち。やはり、遭難の記憶などあまり呼び起こしたくないものなのだろう。良心が僅かに木曾の心を気遣う想いを呼び起こさせるが、それ以上に記者としての本領が先を聞きたがっており、私はそちらを優先した。
「そんな場所、早くおさらばしたかったんだがな。生憎と燃料はほぼ底をついていて、予備もなかった。それに加えて、あの時、流れ着いたのは三隻、俺と多摩姉ェと…球磨姉ェだったが、三人とも何処かしら壊れていて、とてもじゃないが独力で鎮守府まで帰れるような具合じゃなかった」
そこで一区切りつけるよう木曾はテーブルのウイスキーに口を付けた。私もそれに倣う。
「夜になって自分たちがおおよそ何処にいるのか分かった。台風一過のお陰で空気が澄んでいてな。俺の片方しかまともに使えない眼でも綺麗に星座が見えたよ」
星座の見え方でおおよその位置を掴むのは艦娘としては基本的な能力だ。ウワサでは通信衛星とリンクして自分の位置を経度緯度の分単位まで正確に測れる艤装があるらしいが、私はまだお目にかかったことがない。
「まぁ、位置が分かったところで無線も壊れてたからな、あまり意味がなかったが」
助けが呼べないので、という意味。戦闘中でも遭難中でも連絡手段というのは重要なウェイトを占めている。
「夜が明けた頃はまだ全員が希望を持ってた。島に流れ着かなかった仲間が、その内の誰かが鎮守府まで戻って助けを呼んできてくれる、って。そうでなくとも遠征部隊が予定の日時を過ぎても帰還しないんなら捜索隊ぐらいでるだろうって。一週間ぐらいはそういう希望を持ってた」
リアルな体験談は自分もその場にいたような錯覚を呼び起こさせるものだ。ましてや私はここに来る前、遭難した木曾と同じように燃料がすっからかんの状態に陥ってしまっていたのだから。私は軽く相づちを打つだけで木曾の言葉を一言一句聞き取り、それを丁寧にメモした。
「けれど、もう二週間となると全員に絶望感が満ちてきた。助けは来ないんじゃないか。捜索隊はこの辺鄙な島を見つけられないんじゃないか。提督は我々を見捨てたんじゃないか、って」
馬鹿なことを考えてたな、と木曾は頬を掻く。それは今こうして助かっているのだから言える言葉だな、と私は感想を抱く。
「三週間目となると絶望感が現実のものになった。いや、実際は違っていたんだが、まぁ、その時の俺たちにとっては本当に現実だったんだ」
三週間。ある記録に寄れば艦娘が無補給で活動できる限界期間はおおよそ十五日間だそうだ。艦種や個体差もあるがそれが限界値らしい。この木曾はそれを越えてなお生きていたという事になる。
「死ぬのは当然恐ろしかったし、仲間を信じられなくなってきたのも怖かった。そして何より陸で死ぬことが一番の恐怖だった」
もう一口、木曾は琥珀の液体で唇を湿らせる。
「だって俺たち軍艦だぜ。軍の艦だ。戦うための船だ。戦って死ぬ覚悟はいつだって出来てた。それが遭難して飢え死にだなんて格好悪いったらありゃしない。俺なんて、せめて海の藻屑になればって、入水自殺謀ったんだぜ」
あっけらかんとした口調で話し、かんらかんらと笑う。そして、グラスを持ったままテーブルに戻そうとはせず、代わりとでも言うように外で作業中の姉に眼を向ける。
「まぁ、姉貴二人に止められたんだがな」
今ではその辛い記憶も笑い話なのだろう。私のような初対面の相手に、こうも軽く話してくれているところをみると。
「まぁ、それでもアイツは近づいてくるもんさ。大破、轟沈、着床、破棄。死。いくら死にたくないって思ってもどうしようもない。生きているんだからな。死ぬもんさ」
残っていたウイスキーを木曾は一気に呑み干す。私は自分の分には口を付けず、メモをとり続ける。
「そして、四週間目。もう、駄目だって思ったその時にソイツはやってきた。ああ、抽象的な表現のしすぎか。ソイツってのはつまり、台風さ。その島がある辺りでの呼び方は知らないけれど、まぁ、大嵐だ」
酔いが回ってきたのか、身振り手振りの動作が大げさになってきた。それとも興が乗ってきたのだろうか。木曾は大きく手を広げる。
「丸ごと島が洗われちまいそうな大嵐だった。俺たち三人は兎に角、島に生えている木の中でもまだ幾分か太いヤツを見繕うと、それにお互いの体を縛り付けた。俺が多分一番念入りに縛ってたと思う。おかしいよな。先週、自殺しようとしていたヤツがだぜ」
机を叩き大声で笑う木曾。外にいる駆逐艦の娘が何人か反応したが、すぐに自分達には関係ないことだと知ると解体ショーへと興味を戻した。
「でも、お陰でその嵐じゃ死にやしなかった。いろんなものが流されちまったが、俺たちは流されなかった」
閑話休題とでも言うように木曾はそこで空になったグラスを置く。私はそこにお代わりを注いでやった。
「ああ、ありがとうな。で、話の続きだが…俺たちは流されなかったが、代わりにすごいものが流されてきた。敵さん、深海棲艦。それの補給艦クラスのヤツだ」
私に顔を寄せすごむ。ほう、と私は驚いてみせる。
「まぁ、実際、俺は見た訳じゃねぇ。俺と、俺より重傷だった球磨姉ェはもう一歩も動けない状態だった。嵐で殆どトドメを刺されたんだ。トドメの一歩手前を。だから、多摩姉ェが見付けてきんだ。『ちょっと偵察してくるニャ』って言った、その帰りにだ」
いや、ホント、あの時は心細かったぜ。置いていかれるんじゃないかと心底思ったんだ。木曾はそう語る。話が横に逸れそうだったので、私はペンで木曾を指し示しながらそれで、と続きを催促した。
「あ、ああ。戻ってきた多摩姉ェがそう言った時、俺は特に感想らしい感想は思い浮かばなかったね。死にかけてて頭が働かなかったって言うのもあるけど、それ以前に『そうか。そういうこともあるな』程度の事しか思わなかった。だって、俺たちだって嵐にあって流されてきたんだぜ。敵さんがそうならないはずないだろ」
木曾は私が注いだお代わりに口を付ける。
「実はこの辺りの記憶は結構曖昧なんだ。言ったとおり、死にかけてたからな。半死半生、意識は半分靖国に行ってたからな、こっちのことは良く憶えていない」
もう一口、ぐいっとウイスキーを流し込む木曾。今も意識の半分はここではない何処かに行ってそうだ。靖国ではなく桃源郷の類だろうが。
「無理矢理、靖国から帰国させられると目の前にお椀があった。深海棲艦の装甲で造ったお椀だ。その中には汁物が入ってた。墨汁を煮たみたいな真っ黒いスープが。中には何かよく分からない肉が浮いてた」
その時の再現だろうか。空っぽになったグラスをお椀に見立て私に付きだしてくる。私はそこに更にお代わりを注いでやった。
「サンキュー。で、まぁ、なんだか分からないが、少なくともその黒い汁は油の臭いがしてた。精製した石油に近い臭いだった。俺はそれが多摩姉ェになんなのか聞く前に椀に口を付けてたよ。いや、ホント、あの時のスープの味忘れられないな。空腹は最高の調味料って言うが、飢餓状態だと最高を通り越して極楽浄土だったな」
これも極楽浄土の味だと言うように木曾は酒を一気に呑む。
「ここまで言えばあらかた理解して貰えると思うが、その時、食べたのがアレさ」
空のグラスで木曾は外を示す。解体が終わり、生体部分の殆どを鍋に、装甲部分はゴミバケツに入れられたアレを。
「深海棲艦」
指し示した腕のまま私にじっと視線を向けてくる木曾。妙な沈黙が作られる。
「その…」
何か言うべき何だろうか。私の口は中途半端に開く。
「なかなかにサヴァイバルな体験談ですね」
「まぁな。他にも氷山の曳航とかもやったぜ」
その話も語りたいのか、木曾が片方の眼を輝かせる。だが、私はその話にはあまり興味が湧かなかった。いや、こういうべきか。『先程の深海棲艦を喰った話』の中のある点が気になって気になって仕方がないのだ。途惑いはその為だ。言うまいか、言うべきか。だが、結局、私は記者だった。被せられたペルソナに逆らうのはなかなかに難しい。
「その…その時、木曾さんが食べられたのって、本当に…、アレなんですか?」
私の言葉に何を感じ取ったのか、木曾の瞳から輝きが失せる。酔いも一気に醒めてしまったのか、素面の様をみせる。
「それってどういう意味だ?」
「どういうって…」
質問を質問で返され答えに窮する。
「ウミガメのスープの話って知ってますか?」
瞳をぱちくりと開閉させる木曾。知らないのだろうか。
「木曾さんと同じように海で遭難した男の話ですよ。島に流れ着いて助かったものの、小さな島に食料なんてものはなく、だんだんと衰弱していく。見かねた仲間が何処からかスープを持ってくる。男が何のスープだと尋ねると躊躇った後、『ウミガメのスープだ』と仲間は答える。数年後、その時食べたスープの味が忘れられず、男は方々を探し回ってウミガメのスープを出すレストランを見付ける。けれど、そこで飲んだスープの味は遭難した時にに飲んだスープの味とは似ても似つかないもので…」
オチまで言わず、私は木曾に尋ねる。
「三人、遭難したって言いましたよね。でも、この店にいるのは二人だけじゃないですか。木曾さんとお姉さんと。もう一人はどうなさったんですか。ご存命なんですか。それとも」
木曾の、その唇を指さす。まるで探偵のように。憤りも、理由も、正義もあるだろうに、ただ法と自分の感性だけで人ひとりを刑務所に送り込むあの役の様に。
「食べちゃったんですか」
憶測を告げる。
「……」
木曾はすぐには答えない。ただただ、私の方へ視線を、片方しかない視線をじっと向けてくる。私も眼を逸らさない。対峙するよう視線を交わらせる。言葉は交さない。まるで開戦前の朝の静けさのような緊張感に満ちた時間が流れる。
「ブン屋の重巡」
と、不意に木曾が口を開いた。
「ふたつ、良い事を教えてやる」
言って内緒話を聞かせるよう、木曾はテーブルから身を乗り出し、私に顔を寄せてくる。酒臭い息が耳元にかかる。
「ひとつ。球磨姉ェはきちんと生きてる。確かにあの遭難のせいで今でも車椅子生活だがきちんと生きてる。この近くの精油所で事務員をしてる。
ふたつ。ドヤ顔でその話を俺にするのはお前で五人目だ」
「……」
そう点で的外れな推理を披露してしまったスコットランドヤードにしたり顔で真相を語って聞かせる木曾。俯き加減に顔を下げたまま、お代わりを要求するようグラスをこちらに向けてくる。
「ニャーっ! 木曾っ、なにサボってるにゃ!!」
「うわっ、多摩姉ェ!?」
しかし、そこに勝利の美酒は注がれなかった。外で作業していた二番艦店員がそう怒鳴り声を上げてきたからだ。
そのまま刻んだ肉が入れられた鍋と一緒に厨房まで引きずられていく木曾。私はそれを見送ってからメモを閉じた。
「ごくり」
更にそこから三十分後、空腹で今にも倒れそうな私の前に一杯の煮物が出された。
いや、これを煮物と形容できたのは『できたぞ。イタリア風煮物だ』と木曾に説明されたからだ。その台詞を聞いていなければ陰惨なイジメの光景にしか見えなかっただろう。つまり、配給食に墨汁的なものを流し込まれたとか、そういう。
「ほら、食ってみろよ」
「え、ええ」
私も世界中を旅してきた身だ。とても人が食べていいものじゃないものを食べて飢えをしのいだこともある。錆び付いた缶詰をねじり開けて、倒木に巣くっていた虫をほじりだし、廃車に残っていたガソリンをストローで啜ったこともある。
だが、
「……」
これは流石にキツイ。
試しにフォークでニンジンをつついてみる。とぷり、と浮いていた緑黄色野菜は重油じみた漆黒のスープの中に沈み真っ黒になって再浮上してきた。
「……」
なにかの暗喩かと思わずにはいられない。
「どうした。ダマされたと思って食ってみろよ」
そう進めてくる命の恩人。善意ほどやっかいなものはないと今まさに私は痛感している。
しかし、私も一端の記者だ。見た目、聞いた話だけで真実は語れないことを知っている。例え本当にダマされたとしても、真実を知ることはすべてに優先されるのだ。
「い、いただきます」
私はスプーンを黒い液体の中に突っ込み、なんだかよくわからない黒いぐずぐずしたものをすくい上げた。駄目だ。正確に描写してはならない。正気が失われる。
「ええい、ままよ」
今度こそ本当に意を決し、私はスプーンに乗せたものを口に含んだ。
「んんっ!? こ、これは…!」
豚肉と鯨肉の合いの子の様な食感、オイリーさを感じるスープ、重油臭さを消すハーブ類の風味。
「まぁ、うん、おいしい…方ですね」
不味い訳ではない。かといっておいしいかと聞かれれば首をかしげざるをえない味。しかし、普通に美味しい、というか普通の味でもない。なんというか実に珍味であった。
「ははは、流石のブン屋稼業も描写に困るか」
「え、ええ」
どうやらこのレストランの従業員は分かっていてこんなゲテモノ料理を出していたらしい。他のテーブルからも「微妙」だの「おいしくない」だの「案外イけるの」だの、そんな声が上がっている。
「まぁ、正直なところ名物にしちゃ微妙な味さ」
臆面もなくそう自分の料理を評価する木曾。だが、卑下しているという訳でも自棄になっているという訳でもなさそうだ。片方しかないその眼は真摯な意思を表している。
「これでも大分と試行錯誤を繰り返してきたんだぜ。最初の試作品なんてとても食べられたものじゃなかった」
カウンターの向こう側で他の客の料理を用意しながら説明する木曾。喋りながら料理するのもお手の物か。
「なんとかあの島から生きて帰ってきて、最初に貰った休暇でしたことと言えば海の奴らをとっ捕まえて調理だ。やっぱり、あの時の味が忘れられなくてな。で、食ってみたんだが、うん。不味かったよ。いや、味は確かにあの時食べたスープそのものだったんだが、不味かった。言ったろ『空腹は最高の調味料だって』」
それを言っちゃアタシたちの商売が成り立たないニャ、ともう一人の店員。違いない、と木曾は笑う。
「まぁ、そうだ。だが、俺は他にもう一つ最高の調味料ってものがあると思う。いいや、コイツこそが真の最高の調味料さ」
「…それは何です?」
スプーンを置いてペンを取る。食欲よりもなによりも好奇心がすべてに優先される。
「想いだよ」
木曾はそう気恥ずかしさも見せず、かといって自慢げにでもなく、ただ事実を語るようそんな短い言葉を口にした。
「あの時、あんな不味いスープが最高にうまいと思えたのは死にかけていたからさ。お陰で俺はこのそれなりにしかうまくないスープが世界で一番うまいスープに思える」
そう、自分が作ったスープを味見する木曾。その言葉は真実だろう。味わい、頷き、何かを思い出すよう顔を綻ばせる。
「客も一緒さ。この味に想いを馳せているのさ」
厨房から出てきて木曾は出来た料理をテーブルへと持っていく。待ってましたとばかりに客達が笑顔を浮かべ、料理に注目する。まるでチョコレートを配られた戦災孤児のようにみんな眼を輝かせている。木曾の言う調味料に完全に魅了されているようだ。
だが、私にはこの客達が深海棲艦料理にどんな想いを馳せているのか分からない。問い掛けるように木曾に視線を向けると、きょとんとした顔をされた。
「なんだ。お前も戦争は終わってないって言うクチかい?」
木曾の言葉の意味が分からず、今度は私がきょとんとした顔をする番だった。
「いやいや、お前さ、これは戦時中は敵だったんだぜ」
「はい」
「それが今じゃなんだ?」
「大しておいしくないスープです」
「いらねえ前置きがあるが…まぁ、いい。そうだ。かつて俺たちを苦しめてた深海棲艦も今じゃ美味しい料理を出すレストランの看板メニューだ」
「えっと…」
木曾が結局何を言いたいのか未だに理解できない。困惑してしまう。
「だから、今まで戦ってきて恐ろしかった相手が今じゃただの食材に成り果てたんだぜ。裏を返せばそれだけ世界が平和になったってことじゃないか」
やっとの事で結論づける木曾。
「……俺たちがまだ船だったとき、アメリカ人とイギリス人は鬼畜米英なんて呼ぶような完全な敵だった。それが今じゃどうだ。深海の奴らが現われて海上封鎖されかかった帝国に真っ先に援助をしてくれたのはアメリカだった。それ以前でも米国は一番の同盟国だったって話じゃないか。それと一緒だ。まぁ、友人と食材とじゃ流石に比べるのは悪い気がするが、俺の言いたいことは伝わってるだろ」
「…ええ、まぁ」
「つまり、客どもは『平和』を味わいに来ているのさ」
ニヒルな笑みを浮かべる木曾。そういうことか、と私は黒いスープに視線を向ける。
「まぁ、確かに色々あったさ。俺たちは何とか助かったが、そうじゃなかったヤツもいる。海は殆どなくなっちまったし、世界はまだまだ混沌としてる。まぁ、それでも戦争は終わったんだ。敵に殺される心配はありゃしねぇ。なにせこうやって食べてるんだからな」
客に振る舞ったスープの残りだろうか。小さなカップにそそいだそれを木曾は飲み干す。うん、と平和の味を噛みしめているようだ。
「成る程」
メモも取らずそんなありきたりな言葉しか口に出来なかったのは素直に感心したからだ。
確かに今は戦時ではない。生命、国家、文化を脅かす強大な敵の姿はなく、明日の朝日は拝めぬだろう、隣の戦友と言葉を交すのはこれが最後か、と諦念することもない。特にこんな風に毎日真面目に働き、客の笑顔を目にし、発展していく町と共にあれば特に『平和』というものを感じるだろう。ああそうだ、と私は今更ながらに感心する。
「戦争は…終わったんですよね」
私の独白に木曾は片方しかない目をパチクリとさせた。私は誤解させてしまった、と思い慌てた様子で取り繕うとした。
「い、いえ、あのですね!」
と、瞬間、電探に感。背筋に氷柱を突っ込まれたような悪寒を憶え、私は発作でも起したかのように椅子から立ち上がった。
「ど、どうした?」
すぐには返事をせず、店内を見回す。あれは、と私の目が捉えたのは男子と女子と艦娘のデフォルメされた絵が描かれたドアだった。あそこに駆け込めば何とかやり過ごせるか。
「いや、無理か」
「何が無理なんだ?」
距離がある。移動している間に姿を見られる可能性がある。ましてやトイレなんてどう考えたって真っ先に探される場所だ。咄嗟に思いついた愚案はすぐに却下する。
「えっと、その、すいません。ちょっと厨房覗かせて貰いますね」
「お、おい!」
木曾の制止も聞かず私は厨房の中へ入り込む。
お前な、と怒りを滲ませる木曾。そのご立腹はもっともだが私の方は命がかかっているのだ。立てた人差し指を唇に当て、敵ソナーに備えるように静かにしろ、と目で訴える。
私がカウンターの影にしゃがみ込み、身を隠すのと彼女らが店に入ってきたのはほぼ同時だったと思う。脇腹あたりに直撃と回避、その線引きを確かに感じ取ったからだ。
物陰からこっそりと入り口の様子を伺うと白露型の二隻が入店するところだった。二人はすぐには店の奥には入ってこず、入り口前に立って店内を見回している。
「席を探してる…訳じゃなさそうですね、やっぱり」
鋭い目付きは索敵時のそれだ。とても、レストランに入った時にする目ではない。片方が何かを指し示すために左手を挙げた。私を見付けた訳じゃない。何か面白いものでも見付けたのだろう。それに対して相方が大仰にお手上げだと言わんばかりに肩をすくめて見せた。その手。左手。
「くそう、やっぱりシスターズですか」
五指ではなく四指。あるべき薬指がそこにはなかった。賠償責任の証ではなく決別、人類との絆の放棄を意味する決意の表れ。ニューヨークで散々見てきた左手だった。
と、二人がこちらに視線を向けてきた。
「ああっ、ヤバっ」
慌てて身を隠す。
「…」
木曾が片方だけの目で一瞬、視線を向けてくる。なんなんだ、という問い掛け。言葉を発することが出来ない私は縋る目付きを返すことしか出来なかった。
足音が近づいてくる。艦装を身につけているため艦娘のそれはすぐに分かる。
すぐ側、私が先程まで座っていた位置までやってきたのは一隻だけのようだ。もう一人はと視線だけを動かし探す。案の定、もう一隻は左右に目配せしながらトイレに向かって歩いていっているところだった。ノックもせず扉を開けると小さな悲鳴が上がった。先に入っている娘がいたようだ。白露型はぞんざいに謝ると、何事もなかったように扉を閉めた。
「テンチョーさん?」
「何だ? 何か用か?」
威圧的な声色の問い掛け。まだ、ハッキリと事情が理解できていないのか、木曾は作業する手を止めて来店者に対峙するよう身構えていた。
「実は船を探してるの」
「レア掘りかい。ご苦労だな」
来店者の言葉に冗談を返す木曾。だが、場は和まない。木曾は元よりそんなつもりはないだろうし、捜索隊の彼女もそんなつまらない冗談に構っている暇はないからだ。
「この人なんだけれど」
ごそごそといった衣擦れ音が聞こえてきた。視線を上げれば木曾が写真を受け取っている場面が見えた。ランプの光に裏側から写真が透けて見える。
「青葉型重巡のいっちばーん艦、青葉さん」
私だ。やはり彼女らは私を捕えるためにここまでやってきたのだ。はるばる、ニューヨークから。敵意と殺意を持って。
期待していた訳ではないが確定した事実に胃がきりりと痛む。
「……」
写真を受け取った木曾はすぐには返事をしなかった。写真を眺めつつ眉を顰めている。
緊張感が高まる。体が臨戦準備にはいる。場合によっては全兵装を解放し、木曾や他の客達を巻き込んでも逃げ出さなければいけなくなるからだ。
「さて、どうだったかな。ここは駆逐艦の娘ばかりくるから重巡は来たら憶えていると思うんだが…多摩姉ェ」
そう感想を口にしてから木曾は姉を呼ぶ。料理を手にしたまま球磨型二番艦は呼んだかニャ、と近づいてくる。
「こいつ、ウチに来たことあるか?」
写真を姉に見せる木曾。それに対し、二番艦は「知らないニャ」と即答する。
「そうか。じゃあ、来てたとしても三日以上前だな。多摩姉ェは戦争後遺症でここ三日間ぐらいのことしか憶えていられないからな」
そう説明し、木曾は写真を返す。むぅ、と不服そうな不満声が聞こえてきた。
「それより」
と、木曾が相手に何かを言い返される前に口を開いた。
「ここはレストランだぜ。食べるか飲むかするところだ。ご注文は?」
木曾の問い掛けに追跡者は応えない。自分の質問に応えろ、という憤りがカウンター越しでも伝わってくるのが分かる。
「そうよ。ここに来たんだからぁ、アンタねぇ、名物料理を食べないといけないわよ」
そこに第三者の声がかかる。呂律の回っていない、空気を読まない酔っ払いの絡み酒。この声酔っ払いはは私に常連顔で名物を勧めてきたあの特型か。
「そうそう。これ。当レストラン看板メニュー深海棲艦の洋風煮物だ」
鍋から切り身をすくい上げる木曾。生体パーツの形がハッキリと分かる大きな切り身だ。私たち艦娘なら一目見ただけでそれがかつて沈め沈められてきた相手、その一部だとわかるだろう。
案の定、追跡者は唐突に出されたゲテモノ料理に驚きおののくような気配をみせた。
「食うかい?」
躊躇いと言うよりは確実な拒絶の間。言葉を発するまでもなく、食わないと言っているのだ。それはなにも生理的嫌悪だけではないだろう。木曾の隠された敵愾心を感じ取り、排他的な態度を取らせているのだ。
「なにやってるの?」
そこにレストラン内を捜索していた相方が戻ってきた。
「別に。いたの?」
「トイレにも事務室にもいなかったわ」
一瞬、見つかったかと思っい身構えたがどうやらそうではないらしい。カウンターの向こうでそんなやりとりが交される。
「それ何?」
「深海棲艦のスープ」
うわぁ、という声が聞こえてきた。相方も同じような反応をする。
「…兎に角、ここにはいないみたい。来てたとしても三日より前だって」
木曾から聞いた話を伝える追跡者。ふぅんと納得したようなしていないような反応を相方は返す。
「取り敢ず、一回霧島サンに連絡取ろうよ。三日前にここに来たんだったら南の方に逃げたのかも」
「うーん、ヤパナあたりまで逃げられるとやっかいだしね」
木曾を無視し追跡者二人はそんな相談を交す。
「なんだい食べていかないのか?」
帰る相談をしている二人に木曾はそう声をかける。余計な事を、と木曾を睨み付けたが生憎と彼女は客の相手でてい一杯のようだ。
「冗談。そんなゲテモノ食べる訳ないじゃない」
きつく言い返す来店者。
「いやいや、ダマされたと思って食べてみろよ」
「ダマされても食べたくないわ。あんな…」
来店者は言葉尻を澱ませ消してしまう。口にしたくない。トラウマを想起したような反応だ。
「…テンチョー。鬼とか姫って知ってる?」
「?」
クエスチョンマークを頭に浮かべる木曾。なんだそれ、と聞き返す。
「知らないならいいわ。その方が幸せだもの。まぁ、艦娘の中には深海棲艦をただの敵だと思ってない娘もいるって事を憶えて置いて」
それを捨て台詞に二人は帰っていってしまった。
「た、たすかった…」
ほっと胸をなで下ろす。が、すぐには動けない。開戦の緊張から解放された反動かすぐに足腰がたってくれない。
「いや、いいから出ろよ」
邪魔だ、と木曾。足蹴にされそうだったのでそそくさとカウンターから出て行く。
「…で、あの左薬指がなかった連中はまさか」
「そうですよ。“ダイヤモンドシスターズ”ですよ」
マジか、と頭をかかえる木曾。
「マフィアじゃねーかクソ! しかも、ニューヨークの? あの金剛の? ああっもう」
そう木曾は悪態をつく。流石に成り行きとは言え匿ってもらった以上、妙なことは言えない。
「あははは。まぁ、もうすぐ出て行きますよ」
笑ってこれ以上、迷惑はかけないつもりだと説明する。
実際、ここが分水嶺だ。ここ以南は米領ではない。艦娘に国境など今や関係ない、と言いたいところだが流石に他国で大騒ぎを起すつもりはシスターズにもないだろう。チリか、追跡者が言っていたようにヤパナ・ノバあたりまで逃げ切ればもう追ってはこないだろう。
「……だと、いいけれど」
その希望観測はあの指輪が嵌められていた左薬指を自ら噛み千切った金剛の執念が私が想定する彼女の理性の閾値を越えていなければの話だが。
「まぁ、兎に角、屋根裏の休憩室を貸してやるから夜までジッとしておいてくれよ。できれば言うとおりすぐに出て行って欲しいところだが」
木曾の言葉に私はきょとんとしてしまう。
「追い出さないんですか?」
「さすがになぁ、助けておいた行倒れが厄介のタネだったからって追い出すようなマネはまぁ、できない」
そいつはぬるいバドワイザーぐらい後味が悪い、と木曾。やはり、彼女は根っからの善人のようだ。
「いえ、やっぱりさっさと出て行きますよ」
私はそそくさと荷物を纏める。
別働隊がもう一度、確認に来るかも知れないし、店の客がシスターズの構成員に告げ口するとも限らない。これ以上、木曾やそのお姉さんに迷惑はかけられない。
木曾は、そうか、と頷いただけだった。
「ところでさ」
「なんですか?」
私は手を止めずに返事する。
「さっきの奴らが言ってた『鬼』とか『姫』ってなんだ?」
「……」
私の手はそこで止る。答えを知らないからではない。知りすぎているからだ。
一般的には、この情報さえも激戦地を攻略していた第一線部隊でなければ知り得ない情報だが、鬼や姫とは上級の深海棲艦を示す秘匿呼称だ。人型の本体――と思わしき部位、と怪獣じみた凶悪な外観の艦装――これも思わしき、を備えた上位個体。そして彼女らの何よりの特徴は人語を話す事だ。
最も言葉を口にするからといってコンタクトが取れたという話は聞いたためしがない。そもそも彼女らとコミュニケーションなど取れるはずが…閑話休題。話が逸れる。つまり、あの白露型はこう言いたかったのだろう『貴女は豚が喋るとして、その豚を食べることが出来ますか』と。
或いは、
「姫…白露型…駆逐棲姫か」
口からは自分でも恐ろしく思えるほどの忌ま忌ましさが出てきた。
「なんだって?」
「いえ、なんでもないです」
結局、私は木曾に説明しないことにした。世の中には知らなくて良い事があるのだ。そして、知らなくて良い事を知らないからこそ平和でいられるのだ。たとえば深海棲艦が未だに生き残っているという事実、たとえば人類を排除し艦娘国家樹立の大望を抱くマフィアがいるという事実、たとえば1940年代の帝国の復活を目論む悪姫がいるという事実、そして、終戦の事実。どれもこれも知らなくていい事実だ。特にこの木曾のような善人は知らなくていい事実だ。
「それじゃあ、木曾さん。ありがとうございました」
「いや、待てよ。箸付けたんなら食べて行けよ」
立ち上がった私に対し、木曾はまだ深海棲艦の煮物ほぼそのまま残っている器を指さす。
「いただきます」
私は一瞬思案したものの空腹には勝てず私は煮物を一気にかきこんだ。
「……おいしくないですね、やっぱり」