殺せ! 殺せ! 殺せ!
血走った目を見開き、人々は拳を振り上げる。荒々しく理性など微塵も感じさせない有り様だ。だというのに、その喉から発せられる危険な言葉だけはまるで足並みを揃えたように合一。だが、やはり人間味は感じられない。もし、ここの言葉を知らない人が聞いたならこの合唱はどこか未開の地に棲む原住民の冒涜的な儀式の一場面と勘違いすることだろう。
いや、ある種の人間にとってはそれは勘違いではないかもしれない。同じ言葉を喋り、同じ社会基盤についていたとしても、ここで行われるイベントに一切の理解を示さないかもしれない。秘匿された儀式に対してそう思うように。
この地下室に集まっている人々の数はおおよそ百といったところか。大抵は男、現地住民のタイ人ばかりだが、貴賓席と思わしき最上段に儲けられた個室にはご婦人を伴った趣味の悪い金持ちの姿が見える。
観客の中で異質なのはむしろ私だろう。貴賓席にいる成金の愛人の一人というわけでも、知能指数の低そうな男に連れられてきたわけでもなく、一人で望遠のついたデジカメを構えている若い女性なんて。
カメラはイベントの主催に許可を得てあるので撮影しても問題ない。はずなのだが警備員らしき大男の視線がたまに刺さる。雇用主から許可しているといわれていても、やはり違和感が拭えないのだろう。
警備員の視線も気にばかりしていられない。彼は彼の仕事をしているのだ。私も自分のなすべき事をしよう。
カメラを構える。方向は男達の熱い視線の先と同じ。この広い地下室の中央。丈夫そうな金網に区切られた四角いリング。そう、ここは格闘技場なのだ。
雰囲気から察してもらえる通り、あまり堅気な会場ではない。この国の法律がどうなっているのか知らないが、お天道様から隠れて地の底でやっているのだ。社会的に認められているイベントではないのは間違いないだろう。
内容も当然、十八才未満お断りだ。
たった今、青コーナー側花道…選手入場口から対戦相手が現れた。凶悪な人相とがっしりとした体躯、まるで蛮族の武器を思わせる男が現れた。しかも、三人も。
けれど、三人の顔は少し緊張、及び恐怖がにじみ出ているように見える。対戦前にあのような様子では勝敗は戦う前から明らかだろう。しかし、それもそのはず。彼らは対戦者ではない。彼らは言うなればセコンドだ。彼らが移動させている大型のケージ、その中に対戦者はいた。
体長はおおよそ2メートル強、黒と茶のストライプの体毛。側を通る際、観客を震え上がらせている対戦者の正体は猛獣、トラだ。
「…絶滅してなかったんですね」
トラは戦前から絶滅が危惧されていたという話を聞いた覚えがある。そんな稀少な動物が生き残っていたなんて驚きだ。人類でさえ軽く絶滅しかかっているというのに。
主催者がそこまで考えているかどうか知らないが、ケージの中のトラはあまり大切に扱われていないらしい。絶えず低いうなり声を上げ、時折、苛立ちを露にし鉄柵に爪を振るっている。素人目にもかなり気が高ぶっているように感じられる。餌を与えられていないのだろうか。
少し考えそれがトラの狂暴性を増長させる為なのでは、と思った。成る程。リングにいれたのに、中でうたた寝でもされたらショーにはならない。道徳的には眉を潜める行いだが、理にはかなっている。
男たちに運ばれたケージはぴったりとリングを取り囲む鉄柵にくっつけられた。そして男のうち一人がトラのケージによじ登った。それを下からトラが吠えたて威嚇する。男はまるでつり橋でも渡っているように腰を引かせながら、天井から延びているフックをケージ前面に引っ掛けた。合図か、男が手を振るとフックが真上に向けて引っ張られた。つられ、ケージの前面が開かれる。リングとケージがこれで繋がった。
トラは少し警戒しているようだったが、流石に狭苦しいところに閉じ込められているのは嫌なのか、のっそりとした動作でケージの中から出てきた。
観客は先程の喧騒を忘れ去ったかのように静まり返っている。これから始まるショーを心待にしているのだ。さて、その餓えた狂暴なトラと戦う運命にある勇敢なる挑戦者はというと。
「……」
全く無言のままトラが入ってきたのと逆の鉄柵にもたれ掛かり腕を組んでいた。その余裕さは自信の現れだろうか。だが、一見して彼女を、そう彼女だ。彼女をトラを迎え撃つ対戦者とは誰も思わないだろう。
私より背丈は低く、体も細い。クラブ活動で運動部に所属していそうなイメージは受けるが、とてもトラと戦うような年格好ではない。どちらか、といえばトラから必死に逃げる場面しか思い浮かばない。
だが、リングは四方を頑丈な鉄柵で囲われている。ならばこれはただの虐殺ショーか。餓えたトラと少女を一緒の檻の中に閉じ込め、まさしく必死に逃げ戸惑い泣き叫ぶ少女の様を、トラになす術もなくむさぼり食われる様を、安全な観客席から眺める胸糞の悪くなる催し物なのだろうか。
いいや違う。
腕を組んでいた少女が一歩前に歩み出てファイティングポーズをとると静かだった会場は再び沸き上がった。殺せ!殺せ!殺せ!と蛮族じみたコールが繰り返され、観客たちは騒ぎ立てる。彼らが見たいのが血であることは間違いないが、それは一方的にただただ垂れ流されるものではなく、戦いの最中、波しぶきのように激しく散るそれを観たがっているだ。
はたして、対峙する二人。先に仕掛けたのはトラだった。咆哮を上げ、アクセルを命一杯に回し急発進したバイクの速度で娘に飛びかかる。くみ伏せられ、頭蓋を噛み砕かれる少女の図が浮かぶ。だが、そうはならない。少女は身を屈めるとそのまま飛びかかってきたトラの下をかいくぐった。見事な回避動作…いいや、それだけではない。続く動作で少女は横にステップアウト。空を切りマットに飛び降りたトラの脇腹に見事なローキックを放った。短い悲鳴を上げたじろぐトラ。初撃は少女がかっさらった。
けれど、トラも負けてはいなかった。更に追撃を加えようとする少女の脚を追い払うように凪ぎの一撃を繰り出す。攻撃をやめ、不自然な姿勢のまま飛び退く少女。その隙をトラは見逃さなかった。続けて左前足右前足と迫りながら 連続して繰り出す。飛びかかるのは愚作と知ったのか、あくまで両前足による攻撃だけにとどめている。少女はバックステップを刻み後ろに逃げるがトラの追撃は厳しい。右や左に飛びすさるが逃げられない。そうこうしている間にコーナーへと追い詰められてしまった。
だが、そこでトラはミスを繰り返すという愚を犯した。少女に飛びかかったのだ。好機、と少女はステップイン、そのまま飛びかかってきたトラの下を潜り抜ける。今度のは撤退のそれだ。カウンターは考えず距離を取ろうとする。勝負は一度仕切り直し、ということだろう。そう思っていたのは全員だった。観客と主催者側スタッフ、私、そして対戦者の少女。トラはそう思っていなかった。
金網が激しく揺れる。トラの飛びかかりの衝撃を受け鉄網が歪み、軋み声を上げる。それに呼応するよう短く吠えるトラ。少女にはそれが「かかったな」と己を嘲り笑う声に聞こえたに違いない。
金網に突っ込んだかに見えたトラはそこから更に跳躍。三角跳びの要領で逃げた少女に襲いかかった。くっ、と手痛い失策に歯噛みする少女の顔を私のカメラが捉える。少女ができたことといえば体を反転させ、防御のために咄嗟に腕を出したことけだ。そのままトラにくみ伏せられる少女。大きく口を開け、少女に迫るトラ。頭蓋を砕くつもりか。が、寸前につきだしていた腕がそれを防いだ。もっとも、そんなもの藁の盾だろう。トラの一噛みで肉は削げ骨は折れ腕は使い物にならなくなる。そんな危機的状況の真っ只中。驚愕に目を見開いたのはトラだった。
自らの腕を噛みつかせたままトラの頭を押し退けようとする少女。何処にそんな力が、いや、それ以前にあれほど鋭い牙に噛みつかれて腕なぞ動くはずがない。動かす腱そのものが断ち切られ、腕を腕たらしめる骨も折れるはずだ。そうならなかった理由は偏に少女の腕の硬さがトラの顎を上回っているからだ。
いや、腕だけではない。トラは両前足で少女を攻撃するが、獲物の肉を引き裂く鋭い爪によるダメージはさほど高くはない。皮が裂かれ血は流れているが、少女の行動を阻害するほどではない。トラの攻撃に構わず少女は顎を押し上げる。幾分、少女の体が自由を取り戻す。その隙に少女は両膝を胸の前までもってくると両方の足でトラのがら空きの顎を蹴りつけた。堪らず噛みついていた腕を離すトラ。少女の反撃はそれで終わらなかった。
反動で戻ってきたトラの首を両足で挟むと更に体を反転、トラの背後に回り込んだ。そのまま両足で首を絞めトラを窒息させるつもりだろうか。否。少女の攻撃は私の予想を上回った。首を押さえつけたまま少女は自分の体を仰け反らせた。更に腕を伸ばしトラの弛みのある腹を掴んだ。何をするつもりなのだと思案するより先に少女は答えを示した。仰け反らせていた体を今度は逆に丸め始めたのだ。無論、トラの首と腹を掴んだまま。必然、今度はトラの体が仰け反る形になる。それも無理な位置まで。身体の柔らかい猫科の動物であろうともそちらの方向にはあまり曲がらないだろう。トラは首を締め付けられているせいで吠えることもできず、口端からヨダレを滴ながら、なんとか少女を振りほどこうともがく。だが、己の背面までは自慢の爪も届かない。首を絞める太ももを引っ掻けるだけだ。そうして、その抵抗さえも徐々に弱まりついに…
――ゴキリ
耳に残る嫌な音が会場内に響いた。遅れてトラの喉から吹き出した鮮血がキャンパスを赤く染め上げた。あり得ない方向までひん曲げられたせいでトラの首が裂けたのだ。もっとも死因はそこではなく、直角に折り曲げられた頚椎だろう。
人間離れした怪力と鋼を思わせる防御力。素手で猛獣を仕留める強さ。今更ではあるが少女は人間ではない。
私と同じ、艦娘だ。
遅れてゴングが鳴り響き、艦娘の少女はトラから離れた。
「ええっと…どこでしょうか」
少女の後も何件か試合は残っていたが、対戦カードは普通の人間対人間ばかりだった。そちらには興味が湧かず、私と同じ考えの観客も多かったのか、席を立つ姿がちらほらと見受けられた。私も会場を後にする。ただし、行き先は帰りの客とは別方向。スタッフオンリーと書かれた通路だ。取材の許可は得ているので問題ない。もっとも格闘家艦娘に『直接』という許可は得ても申請もしていないので微妙なところだが。それでも取材の話は会場のスタッフたちに行き届いているらしく、堂々と歩いていれば特に呼び止められるようなことはなかった。
「むむ、ここですか?」
ネームプレートが取り付けられた扉が並ぶ一角を見つけたので、一つ一つ調べていった。多くは無人らしく人の気配はなかったが、一つだけ僅かに人の気配、それとオイルの臭いがする部屋を見つけた。
「…st.ELMO?」
ネームプレート、というか、扉に大きくそうデザイン気味に書かれている。他の部屋は取り外しのきくネームプレートなのにこの部屋だけそういう作りだ。
「さて、すいま…っと」
ノックしようとした寸前、扉が開いた。思わず飛び退いてしまう私。
「……」
開けたのは当然、部屋のなかにいた人物だ。私よりも頭ひとつ分下から機銃を思わせる鋭い視線が見上げてくる。
「ええっと、どもどもウンノといいます。ENNの記者です。えーっと、セントエルモさんですね。一言お願いします」
「不知火」
「え?」
マイクがなかったので愛用の鉄ペンを相手に向けそうインタビュー開始する私。ところが返答は少し、予期していない言葉だった。
「私は不知火。陽炎型二番艦です」
ご存知の筈ですよね、と続けて、まるで連撃でも繰り出すよう、セントエルモ――不知火は口を開く。
「青葉型ネームシップ、青葉」
「え、ええ。そうですね不知火さん」
なんだろう。妙な警戒心を持たれているような気がする。うちの部隊にいた不知火もクール系だったが、それでもこうも相手との隔たりを露にするような娘ではなかった。素体となった人間の差だろうか。子細に観察しなければ分からないが、同船でも艦娘には僅かに個体差がみられるのは事実だ。
「えっと、立ち話もなんなので入ってもよろしいですか」
そう持ちかける。相手のテリトリーに入るのは更なる警戒を招きそうだが、それでもこれ以上こんな場所で話を続けていれば、その内、ドアを閉められるのがオチだと判断。そもそも続けるのが難しい。中に入れればなんなりと会話のネタが掴めると思っての提案だ。
「……」
案の定、すぐに返答せず眉をひそめる不知火。む、と私の唇が尖る。
「どうぞ」
ややあってから、不知火は私を控え室の中に招き入れてくれた。
部屋の内装は実に味気ないものだった。ロッカーが三つ、長いテーブルが部屋の真ん中にあって、背もたれのない丸椅子が四つ並んでいるだけ。ポスターも訓示も壁に張られていない。目立つものといば天井からチェーンで吊り下げられているサンドバッグだけだ。
「ジツは今、私。戦後、艦娘がどういった生活を送っているのかを調べてまして……えっと、不知火さんにも色々聞いちゃってもいいですか?」
椅子に腰かける前にそう問いかける。
「別に構いません。トレーニングの邪魔をしなければ」
私から背を向けサンドバッグの前に立つ不知火。深呼吸ひとつすると軽く左右のフックを連続で繰り出し、サンドバッグを打ち始めた。
「st.ELMOってのはリングネームですか。アレ、でもセントルモの火って船のマストが静電気とかで発光する現象じゃなかったでしたっけ」
不知火も同じく海上で発生する怪奇現象だが、こちらは遠方の海にいくつものかがり火が現れる現象だ。セントルモの火とは違う。
「ええ、でもそれと『不知火』をオーナーが混同してしまったんです。語呂がいいのでそのままにしています」
ふむふむと頷きながら私はメモを取る。不知火は背を向けたままサンドバッグを殴り続けている。
「不知火さんはいつごろからこの地下格闘技場で戦ってらっしゃるんですか」
「三年ぐらい前からです」
「へぇ、どういった経緯で」
「……プノンペンのリンガーストリートで悪漢に絡まれて、叩きのめしたら、それがここのオーナーのお抱えのファイターでして、なんやかんやあってそれが理由でスカウトされたんです」
「成る程。格闘技は鎮守府で習ったものですか? 昔とった杵柄みたいな感じで」
「……」
スムーズ、とはいかないが一応、質疑応答の形は取れていたインタビューが不意に止まる。サンドバッグを殴る不知火の手も。
「不知火さん?」
「いいえ。我流半分、テキスト半分です。見よう見まねで」
「ふーん、そうですか」
私がいた鎮守府では出撃や海上演習のない艦娘には事務作業や座学の時間と一緒に対人格闘の訓練があった。万が一のためよ、とは筆頭秘書官がいっていたことを思い出す。
この不知火がいた鎮守府か泊地ではそういった訓練はなかったのだろうか。
「そういえば、軽傷みたいですけれど怪我していましたよね。今ご時世、お風呂場なんてなかなかないでしょうからかなり大変なんじゃ」
入渠用ドッグは現在、どのぐらい残っているのだろうか。世界中を旅してきたが私が見たのはたったの三つだけ。うち一ヶ所は破棄されて久しい泊地にあった。
「これぐらいなら傷薬があるから大丈夫です」
「傷薬?」
面白そうなワードが出てきたので途端に池の鯉みたいに食いつく私。
「そんなものがあるんですか?」
一瞬、人間用かと勘ぐったが、不知火はそういう冗談を言うような娘ではないと思いなおした。間違いなく艦娘用だろう。だが、そんなものあるのだろうか。
「ええ、以前、街にやってきた薬売りから買いました」
戦時中、艦娘のために様々なものが開発された。武装は勿論、高速修復材、チョコレート、家具。傷薬は聞いたことはなかったが、ダメコンの発展系だろうか。
「その薬売りはよくこの付近に来るのですか?」
「いえ、初めてだと言ってました。『センセイの指示で行商をしてると』と。私と同じ駆逐艦の娘でした」
「むむ」
大スクープの気配に否応がなしに気が高まる。艦娘用の傷薬を開発出来るような技術力があるのなら、工廠に類する設備があるのでは。
「あのっ、もっと詳しく教えて頂けますか!!」
不知火に詰め寄る私。なりふりを構う余裕はなかった。だが、そんな私の態度を観音様は見逃さなかったのだろう。非常に悪いタイミングで控え室の中のドアが開いた。
「遅くなってすまんね。エルモ'ズ ファイヤー。今日のファイトを称える言葉を考えていたら……ん、お取り込み中だったかね」
やって来たのは金のラメ入りスーツに紫のシャツ、縁にダイヤをあしらったミラーシェードという油100鉄80弾70ボーキ120胡散臭さ1200で建造したような男だった。鎮守府内で見かけたら確実に憲兵を呼んでしまうような不振人物だ。
そんな不振人物に私は立ち上がり、深々と頭を下げる。別に弱味を握られている訳でも多額の負債があるわけでもない。この方が、
「まぁいい。改めてご苦労。シーデストロイヤー。オーナーとして私も鼻が高いよ」
この地下格闘技の主催者なのだ。ここの取材の許可を得るため、先にアポイントメントを取ったのは彼なのだ。
「それにMs.アオバタイプも。いい写真は撮れたかね」
私は基本的に他人にはウンノという偽名を名乗り、ENNというありもしない新聞社の記者だと伝える。艦娘であることは明かさない。無用の争いを避けるためだ。けれど、この香具師にアポイントメントを取るには私が重巡・青葉と名乗る必要があった。偽の新聞社の記者ということをすぐに見破られ、警察の密偵ではと疑われてしまったのだ。結局、名前は偽名だが取材をとりたいのは本当だと、仲間の艦娘の話を聞きたいのだといわなければ、追い出されてしまうところだった。
「はい。お陰さまで。ベストショットが撮れました」
グゥゥッドと怪しげな発音で頷くオーナー。用心深くはあるが、一度信頼を得られればフレンドリーに接してくれるようだ。
「そうだ。だったら一枚くれないか。受け付けあたりに飾りたい」
「いいですけれど、印刷する設備があるのですか?」
鎮守府の設備もそうだが、社会インフラの多くも戦火によって失われた。それでも戦前の生活を取り戻そうと努力している人々もいる。Googleなんかは自社サーバーを未だに稼働させている。かく言う私も写真のデータはそこに保存させてもらっている。オーナーもそういった伝があるのだろう。
「いやないが、まぁ、データだけでも貰えればどうにかするよ」
「はぁ」
あてがあったわけではなかったのか。それでも、まぁ、この人物なら何処からかプリンタぐらいみつけてくるだろう。こういう人間を見ていると人類は滅びそうにないと思えてくる。
と、
「そうだ。写真よりもっといい事を思い付いたぞ」
ポンと手を叩くオーナー。子供のように目を輝かせている。
「Ms.アオバタイプ。どうかね。ウチのエルモとファイトしないかね?」
「!?」
驚愕の反応は私ではない。いや、私も驚いたことは驚いたが、街中で知人に声をかけられたような驚きだ。驚愕、という反応をしたのは私ではなく……
「オーナー」
不知火だ。驚愕と恐れ、動揺に満ちた目をオーナーに向けている。だが、オーナーはそんな不知火態度に気が付いていないのか話を進め始める。
「うん。我ながらグッドなアイデーアだ。vs豪傑、vs猛獣とやってきたが流石にマンネリ化が否めん。だが、これならどうだ!! vs艦娘。美少女同士の対決。勝つのはどっちだ! プライドと美を賭けたマリーンズ・キャット・ファイト!!」
今の俺はiPadを思い付いたときのジョブズだ、と言わんばかりに瞳を輝かせるオーナー。
「チケットは……いつもの倍でも行けるだろう。V.I.P席は、うん、お得意様は別として、マクスエル氏に取り敢えず数枚だけ渡しておこう。あの自慢しなら方々に言って回るはずだ。そのあとで『運よくキャンセルがでた』とかいって高値で解放すれば……計算に電卓がいるなコレは」
ショーのアイデアがオーナーの口から語られる。声色は熱っぽく、矢継ぎ早。時々、思考が先を行くのか説明が飛んでいる。だが、聞いていると不思議と大成功してきそうな気がしてくる。私も気がつくとオーナーの言葉をメモにとっていた。
「どうかねMs.アオバタイプ。素晴らしいアイデアだと思わないかね」
「ええ、そうですね。その際は是非に取材を……っていえいえ」
危ない危ない。オーナーの熱弁に唆されて危うくショーの参加者にされるところだった。オーナーと言えばまるで私が格闘ショーに参加するのは確定事項で『はてこの女はどうして魚が空を飛ぶのは不自然だなんてことを言っているんだ』という顔をしている。
「いやー、見て写真を撮って取材するのはいいですけれど、当事者になるのはちょと。あくまで私は記者ですし、第三者でいなければいけないので」
「そうかね。体験してこそ理解できる事もあるだろう」
まさか君はスプラッシュマウンテンに乗らずディズニーランドの記事を書くつもりかね、とオーナー。それとこれは違うと思う。
「ああ、もしかして、あの虎のように自分も殺されるのでは、と思っているのか」
不知火の手でえびぞりに脛椎を折られた虎の姿が思い浮かぶ。その写真と私の現在の姿が……かさならない。むしろ、そうなるのは、
「いやいや、安心してくれ。動物ならいざ知らず君たち艦娘を消耗品のように扱うつもりは毛頭ないよ。ブッダとアッラーとジーザスに誓ってそうだ。相手を殺すまでファイトしろなんていわないよ」
そうオーナーは私を説得しようとする。だが、その言葉では私の考えを改めるには至らない。いや、何を言われようとも莫大なファイトマネーが支払われようとも私は首を縦に降るつもりはなかった。
「うん。エルモにも手加減させるように言おう。それなら安心だろう」
「いいえ。やはりお断りさせていただきます。私には不知火さんの様に戦うことはできないですし」
「謙遜し過ぎじゃないのか。君だって戦争中はフナムシどもと戦ってたんだろ」
「軍艦の戦い方と格闘ショーは違いますよ」
「演習とかしていたと聞いていたが?」
「それは海の上でですよ。丘の上は門外漢」
食い下がろうとも食い下がろうとも私の参戦を勧めてくるオーナー。流石の私も根負けしてしまいそう。いや、まぁ、ファイトマネーがでるならまぁいいかと私の考えが傾き始めたその時、
「あの、オーナー」
不知火がおずおずと間に入ってきた。
「おお、エルモ。お前もMs.アオバタイプを説得してくれ」
お前の戦歴をさらに輝かしいものにするために、と対戦相手(予定)の前でそう不知火をけしかけようとするオーナー。けれど、不知火はあのいつもの涼しい顔を横にふる。
「いえ、オーナー」
「うん?」
いや、いつものではない。つぶさに観察すれば分かるだろう。或いは彼女を指揮していた提督なら。不知火の顔に緊張がにじみ出ている事に。
「勝負に、その、なりません」
「なに?」
眉をへの字にし聞き返すオーナー。不知火の言葉がオーナーの琴線に触れたからではない。純粋に不知火の言葉が歯切れが悪く聞こえなかっただけだ。
「私では……青葉さんと」
「ですから、オーナー」
今度は私がオーナーと不知火の間に割って入る。
「勝負にならないんですよ、ホント。私と不知火さんじゃゴジラとトカゲぐらい開きがありますよ。練度だって多摩青少年ベースボールチームとヤンキースぐらい差があります。手加減しても一緒です。どんなド素人でも一目で八百長だってばれてしまいますよ。もしそうなったら……ブーイングとバーバーバーの空き瓶が飛び交うことになちゃうかも、です」
「ぬぅ」
さしものオーナーもショーの失敗を突き付けられれば渋い顔をする。
「そうか。解った」
たっぷり五分ほど悩んだ末にオーナーはなんとか納得してくれた。選手(予定含む)二人から失敗すると言われて、それでも決行しようと考えるほどオーナーが頑固者でなくて良かった。
「いいアイデアだと思ったんだがな。そうだ、Ms.アオバタイプ。キミじゃなくてもいい。誰かエルモとのファイトに乗り気そうな艦娘がいたら紹介してくれないか」
オーナーの言葉に再び不知火がびくりと身を震わせた。
私は少しだけ思案し、そうですね、と応えた。
「よろしく頼むよ。このアイデーア、ゴミ箱に捨てるのはあまりに惜しい」
ふんふんと頷くオーナー。だが、私はできる限りであるがそのイベントが開催されないようサボタージュを行うつもりだ。艦娘を紹介するという約束も反故にする。
得意気なオーナーに悟られぬよう不知火に目配せする。不安げに眉をしかめていた不知火だったが私の真意を理解してくれた様で申し訳なさそうに目を伏せた。
そう私自身も含め私は誰ともこの娘と戦わせるつもりは毛頭ない。陸軍のもぐらでもつれてこない限り誰とも勝負にならないのだ、彼女とは。
おそらくこの不知火の練度は1。駆逐艦としてなんの鍛練も積んでいないと思われる。当然、近代化改修も行われていないだろう。どうしてそうなったのか。終戦直前に彼女は『不知火』になったのか、戦後生まれか、それともなんらかかの理由で彼女の提督がレベル1の状態で置いていたのか、すべては憶測の域をでない。
だが現実として、それは問題ではない。問題なのは艦娘としての彼女の弱さが露見しないようしなければならいないということだ。不器用そうで、社交的でもないこの娘が生きていくにはこういった特殊な職場が必要だろう。それなのに彼女が生まれたての小鹿のように弱々しい駆逐艦だとばれてしまったら? ろくでもない想像しかできない。
私に不知火の生活を守る理由も道理もないが、敢えて彼女の平穏な生活を壊す外道な趣味も持ち合わせていない。
「ありがとうございます」
ぽつりと私だけに聞こえるよう漏らした礼は口惜しさと恥辱に満ちているように感じた。
END