― A W ―   作:sako@AWとか

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オーストラリア南部で農家を営んでいる艦娘がいると聞き、早速インタビューに向かう青葉。けれど、到着した矢先、いきなり農婦―熊野に泥棒と間違われ拳銃を突きつけられてしまい…


熊野『アンビバレント・ワーキングプァ』

 

 

 聞いていた場所より二十キロも歩いてやっと目的の場所にたどり着いた時はもう正午を回っていた。枯れ木の林を抜けた先、僅かに窪地になっている場所にザクっザクっと規則的な音が響いていた。

 あちらかとカメラを向けると麦わら帽にオーバーオール姿の農婦が見えた。

 鍬を二度三度と振り下ろしては一歩進み、二度三度振り下ろしては一歩進みを繰り返している。固い音が聞こえ鍬を振り下ろす動作が止まった。農婦は鍬を脇に置くとしゃがみ込み、腰につるしていた片手持ちのシャベルで地面を掘りはじめた。握り拳大の石がでてくる。それを放り投げる。見れば同じように掘り返した石やレンガ塊が小さな山を作っていた。

 そうしてまた鍬を手にザクザクと地面を耕し始める。長い間、雨を吸っていないここの地面はレンガのように固かったが、農婦は思いの外、力強い動作で耕していく。

 けれど、それが終わるまでは相当の時間がかかることだろう。見たところ農婦が畑にしようとしている場所は四百メータートラックの運動場ぐらいの広さがあった。長方形になるよう四本の杭が地面に打ち込まれ、それぞれがロープで結ばれていた。農婦の耕すスピードをみるに終わるのは日が暮れる直前だろう。そこまでは待てない。

「あのう」

 ゆっくりと近づき、そう声をかける。変わらず鍬を振り下ろし続けていた農婦の動きが止まる。

「すいません、私、ENNのきしゃ…」

「ウシ泥棒ですわね!」

 鍬の柄が農婦の腕から離れ、地面に落ちる。持ち替えられた次の道具はスコップなどではなく、古風なパーカッションリボルバーだった。

「いや、あの!」

 身の危険を感じ両手を挙げる。農婦は腰だめに拳銃を構え、銃口をピッタリと私に向けてくる。

「ええっと、私、ENNの記者をやっておりますウンノと申します」

「ENNの記者の…ウンノ、さん?」

 不信感を隠そうともせず、農婦は虫食いの芋を見るような眼で私をねめつけてくる。銃も下ろされることはない。

「記者がワタクシになんのご用ですの?」

「ええっとですね」

 私と農婦の距離は三十メートルは離れている。とても会話する距離ではない。友好的態度を見せるため近づこうとする。すると農婦はそれを拒むように撃鉄を上げてみせた。近づくな。妙な真似をしたら撃つぞ。そういう合図。物理的な距離は三十メートルほどだが、精神的な距離は水平線の彼方まで離れてしまっているようだ。

「あのここに艦娘が住んでいると聞きまして。私、艦娘にインタビューをしてまして、ええっとその、『戦後の艦娘』という記事を書いている途中でして…」

「艦娘?」

 農婦の動きがピタリと止まる。

「ええ、そうです。貴女がそうでしょう」

 私は友好的態度を見せるために両手を広げながら近づいた。変わらず、怪訝な顔をしていたが農婦――重巡洋艦・熊野は私に向かって鉄砲を撃ったりはしなかった。

 

 

 その後、私はもう一度、自分がENN、エンパイア・ニュース・ネットワークの記者であることを伝え、熊野にインタビューさせて貰えるよう頼み込んだ。断られるかと思った。

 熊野はこんなへんぴな場所で一人で住み畑を耕している。まるで偏屈者がすることだ。初対面の態度からもその排他的精神が窺えた。このような相手に、メリットのないインタビューを持ちかけても無下に断られてしまうことを私は経験則として知っている。いや、場合によっては相手に得るものがあっても何かが気に食わなくて断られることもあった。

 だが、そんな私の考えに反して熊野の返答は「よろしくてよ」だった。

 ただ、

「作業が終わるまでお待ちくださるかしら」

 ともいわれたが。

 それから二時間、熊野は延々と畑作業を続けている。鍬を振り下ろし、石やブロック塊を取り除き、大きな切り株を掘り起こし、畑を耕し続けている。

 先にいった通り、流石に待ってはいられないと私は手伝いを申し出た。けれど、それは無下に断られた。「結構ですわ」言葉こそ柔和だったが、そこにはやはり、排他的な感情が感じられた。

 手持ち無沙汰になった私は隣の畑に植えてある作物が何なのか、今年の野菜のでき具合はどうだか、と熊野に話しかけた。だが、返答はなく無視されただけだった。仕方なしに、カメラを構え農作業をしている熊野を写真に納めようとすると、彼女は接敵したかのようにカメラのレンズを睨みつけてきた。あわててカメラを下げて、笑みをつくる。

 つまり彼女はこういっているのだ。「インタビューには応じてあげますが、一切合切余計なことはなさらぬこと。よろしくて」

 仕方なしに私はそにへんに転がっていた丸太に腰掛け、たたただボーッとするしかなかった。メモを広げてみるものの特別書くことはない。出来ることといえば、農作業する熊野を眺めることだけだ。

 しかし、と私は思う。戦争の時、一緒に戦った重巡・熊野とあの農婦・熊野は本当に同一艦なのだろうか、と。

 熊野といえば神戸生まれのお洒落な重巡を自称するお嬢さまキャラクターだ。すべての最上型重巡熊野はその人格を与えられている。確かに、艦娘になってからの経験によりその後の人格には個体差が発生する。だが、それにしても、どうにも私が知っている熊野とイメージが違いすぎる。

 私が所属していた鎮守府の熊野はお嬢さまキャラではあったが取っつきにくさはなかった。愛想よく礼儀正しく、無為に敵対的な態度をとる娘ではなかった。

 そんなイメージと農作業を続けている彼女とはどうにも結び付かない。

 農婦・熊野が着ているものはお洒落とは対極に位置しているようなものだ。鍔が解れつつある麦わら帽。膝の部分に大きな補修のあとがあるオーバーオール。汗染みがとれなくなった木綿地のワイシャツ、穴の空いた軍手。わずかに覗く手首や顔は日焼けし、鼻の頭の皮膚がめくれあがっている。

 もとより艦娘は日焼けしにくい。その上でやれ美容エステやオーガニックな日焼け止めだと私の知る熊野はよくいっていた。

 汗水垂らすのも私の知る熊野は好きではなかった。自主練などしているところは見たことがないし、演習や出撃のあとはすぐにシャワーを浴びにいっていた。あの熊野も農作業が終わればすぐに身体を清めにいくのだろうか。とてもそうは思えない。

 一通り畑を耕し終えた熊野は一輪車に山盛りの土のようなものをのせてきた。見れば土にはハエがたかっている。おそらくあれは肥料だろう。工場生産の市販品ではなく、家畜かなにかの糞を利用したもののようだ。それを熊野は気にする風でもなく、スコップで掬っては耕したばかりの畑に撒いている。飛沫が服についてもお構い無しだ。額から流れ落ちてきた汗を軍手の甲で拭いたりもしている。

 黙々と熊野はその作業を続けている。動作は最小限のもので、慣れを感じさせている。だが、心なしか、今の動作ではテキパキという感想は得ない。時々、動きを止めているからだ。今も肥料の山にスコップを突き刺したところで、何かを考え込むよう動作を止めている。ややあってから熊野はその一掬いを畑に蒔くと、スコップを一輪車に立てかけ、何処かへ歩きはじめた。耕している畑の端っこに置かれた荷物の元へ。小休止を取るつもりだろうか。荷物から水筒を取り出し、外した蓋に中身を注ぐ動作をする。ところが、中身はあまり残っていないのか熊野は水筒を振ったり、勢いを付けて注ぎ込もうとした。それでも殆ど水かお茶は出てこなかったのだろう。最終的に熊野ははしたないことに、水筒に直接口をつけて、それを逆さまにした。けれど…

「……」

 中身は結局空っぽだったようだ。熊野はぞんざいに蓋を閉めると、水筒を荷物に向けて放り投げ、また畑へと戻ろうとした。その足取りはふらついており、非常に危なっかしい。

 アッっと思うがもう遅い。熊野は一輪車の前にたどり着くことなく倒れてしまった。

 

 

 ベッドに寝かしつけた熊野の目がパチリとひらく。それでもまだ焦点が合っていないのか、左右を見て上下を見て、遅いまばたきを繰り返す。

「ここは…?」

「熊野さんのお家ですよ」

 やっとのことで私に目を向ける熊野。まだ、半覚醒状態のようでいまいち事態を飲み込めていないようだ。「私の家…」とそれが事実かどうか部屋の中を見回し、確かめている。

「そ、そうですわ!! ど、どうして私、こんなところに」

 やっと意識がはっきりしたのか、熊野は電気ショックでも受けたような勢いで身体を起こした。ありえませんわ、と声をあげる。

「あら…あらら…」

 とたん、熊野の顔が真っ青になる。あわてて手を回し、ゆっくりとベッドに寝かしつける。

「外で倒れられたんですよ。それでスイマセン。勝手ながらお家にあがらせていただきました」

「まぁ、そうでしたの…」

 頷く熊野。顔色は悪いままだ。呼吸は早く浅い。あまりいい状況ではなさそうだ。

「取りあえず、これ飲んでください」

 自分の荷物からペットボトルを取り出す。

「……」

 ところが熊野は私が差し出した水を受け取ろうとはしなかった。

「ああ、未開封ですよ」

 いって封を切る。他人が口点けたものを飲みたくない、ということもあるだろう。ところがそれでも熊野は水を受け取らなかった。喉はカラカラに渇いているはずだ。水筒の水を飲みにいって飲めず、そうして倒れたのだから。脱水症状にかかっているかもしれない。

「あの、こちらのお水は…」

 なんだろう。熊野の質問の意図がわからない。取り敢えず、近くの町で買ったものだと説明する。

「そう、ですの」

 それを聞いて熊野は安心したようにため息をもらした。どうぞ、と促す。

 ありがとうございます、と礼をいってから熊野は水を受け取った。一口、二口と飲み始め、そうして後はゴクゴクと喉を鳴らしすべて飲み干してしまった。やはり、相当喉が渇いていたようだ。

「申し訳ありませんわ。介抱していただいた上にお水までいただきまして」

 心なしか顔色がよくなってきた熊野。私はいえいえと手を振るう。

「あ、これもどうぞ。取材した方から頂いた艦娘用携帯燃料です」

 いってアルミケースから黒い色をしたブロックを取り出す。それを受け取った熊野は半分だけをかじった。見た目同様堅さはキャラメル程度だ。

「……結構なお味ですわね」

 えもいえぬ顔をする熊野。私も食べているが同じ感想だ。いや、記者らしく歪曲な表現を使わないなら不味い、という。

「まぁ、でもきちんと燃料補給にはなりますから」

 そういうと熊野は残り半分も口の中に入れた。右眉だけをしかめ、一気に咀嚼してしまった。

「申し訳ございませんわ。何から何まで」

 しおらしく謝る熊野。

「いえいえ。困ったときは神頼みかお互い様ですよ。しかし、どうしたんですか。農作業に精を込めすぎたんですか?」

 そう質問する。熊野の体調不良は栄養失調と過労によるものだと思ったからだ。おそらく外れではないだろう。医者を名乗れるほどではないが私の中には医療の知識もある。長旅で培った健康に対する知識もあった。

「実はここ数日、まともにお食事を摂っていなかったものでして」

「ははぁ」

 案の定だ。熊野は躊躇いがちにではあるがそう応えた。

 この反応で、私の知る戦時中に重巡洋艦・航空巡洋艦として活躍していた熊野とオーストラリア南部の片田舎で農婦をしているこの熊野のイメージの違いがより明確なものとなった。

 倒れた熊野を担ぎ上げ、ポケットの中から鍵を見つけ、それで家の扉を開けたとき、まっさきに思ったのはなんとみすぼらしい家だろう、という事だった。

 家自体は大きなものだ。ニューヨークやロンドン、今はなき東京ではとても見られない大きさをしていた。だが、豪邸とはとてもいえない。日に焼け、風化し、色あせた屋根や壁。砂塵で傷が付き、曇りきってしまった窓ガラス。それもすべてがはめ込まれているわけではなかった。数カ所、新聞紙で封がしてある場所があった。応急処置だろう。だが、新聞紙の色あせ具合からして、応急処置が処置されぬまま残されていることはハッキリと分かった。家の中も外観同様だった。家具は一通り揃っているようだったが、どれもこれも使い込まれ古びていた。木製のテーブルには大きな亀裂が入っていた。肘をつくのは躊躇われそうだ。二脚ある椅子も二種類とも違う種類のもので、一つは背もたれが折れてなくなっており、残り一つも素人がぞんざいに直したあとがハッキリと見て取れた。タンスは取っ手やつまみが何かしらの代用品に変わっていた。針金の束、ランプなどを吊すフック。カーテンもよくよく見れば大きな布を適当なサイズに切り取っただけのもので、穴を開け、どこからか拾ってきたような棒に通してあるだけだ。その下、なにも入っていない棚の上にハインツの空き缶が置いてあった。花が生けてあったが、それはよく見れば造花だった。

 野暮な服装、汗水垂らし土に汚れる農作業、粗末な家と満足に食事を摂れない現状。言葉を選ばないでいえば貧乏がこの熊野を表す言葉だ。戦時とは真逆のロール。唯一口調だけがかつての面影として残っている。それもゆくゆくはこの家の壁面のように風化していくのでは、そう暗い見通しを思わずにはいられない。

「…苦労していますね」

「ええ。まぁ」

 適切な言葉がみつからず、適当に慰めにもならないようなことしかいえなかった。

 ところが熊野の反応は私のいい加減な言葉に対し、同じようにテキトー…適切に当然ではなくいい加減という意味合いのもの、ではなかった。いや、台詞だけ切り取ればそうだが、私は疲れ切った熊野の表情になにか堅い意思のようなものを見つけたのだ。

「やっぱり、農業は難しいですか。よく知らないんですけれど、実入りはよくなさそうなイメージがありますもんね」

 私は自分が知っている実情と真逆のことを口にする。現在、農家や畜産家はかつての金融業やIT関係のような苦労に見合う給与が約束される、花形職業だ。

 世界各地で問題となっている水不足。それはそのまま食糧難にも繋がっている。特に環太平洋側は食べるものは雑草、昆虫の類いさえない地獄と化している。

 対し比較的水資源の残っている環太平洋以外の場所…大西洋、インド洋、そしてここ南極海側はまだマシだ。かつてほど大規模な農場などの経営は難しくなったと聞くが、それで現地住人が食べる分、近隣に輸出する分は賄えている。そして、国家の力が弱まり、紙幣経済が弱体化し、近代以前の原始的な取引方法、物々交換が復古しつつある今、かつては買いたたかれる側だった食糧の生産手は逆に売る相手を選ぶ立場にある。それはつまり、より高値で自分がつくった作物を売れるということだ。

 それが現在の世界の事情だ。にもかかわらず、この農婦・熊野は誰の目にも明らかなほど貧している。

 よほど農業に向いていないのだろうか。それもありえる。だが、そんなことは熊野自身も分かりきっているだろう。

 それに彼女は私と同じ艦娘だ。艦娘なら農場だけでなく採油場で働くという選択肢もある。オーストラリアにも多数ある。この近くにも大規模な油田があり、そこで働いている艦娘にインタビューしたこともある。皆、一定以上の生活水準をもっていた。熊野がそこで働いていないのはなにか大きな理由があるはずだ。

 カマをかける形で私は無知である振りをする。インタビューのテクニックのひとつ。

「そうですわね…ああ、いえ。この場所を購入する前に勉強がてらと働かせていただいていた方は…山雲さんなのですが、は上手にやっておられましたわ」

「へぇ、そうなんですか」

 メモをとる。次の取材相手の候補だ。けれど、今のところ私の興味はこの熊野に集中している。

「その…私の場合は、まぁ、私が至らないということもございますけれど、別に少々、負担がありまして…」

 どこか歯切れの悪い態度をみせる熊野。私はあえて続きを促すような言葉はかけなかった。ただ、身を乗り出して、じっと熊野を見つめることで態度としてそれを表す。

「ええっと、ウンノさんでよろしかったでしょうか。ウンノさんはお気に入りお店、というものはありまして?」

 唐突に熊野は私にそんな質問を投げかけてきた。私は、いいえ、と首を振った。

「あいにく、旅から旅への根無し草なものでして」

 メキシコ油田の深海棲艦スープやミュンヘンの二代目居酒鳳翔を思い出すが、どちらとももう一度行きたいとは思わなかった。

 そうですの、と熊野。

「あの頃…海の上で戦っている頃もありませんでしたか。私はひとつ、よくご利用させていただいていた洋食屋がありましたの」

 熊野は目を細めた。その目は中綿がつぶれて薄くなってしまった布団や色褪せた家具などは見ていなかった。過去を見ていた。

「私、ベトナムにいたんですの。サイゴンに。暖かい場所でして、ええ、戦争は普通に…護衛任務や泊地を襲撃したり、まぁ、普通に戦争してましたの。でも、気候や風土のせいでしょうか。仲間の艦娘も提督ものんびりした方が多くって。出撃がない日は皆さんでハンモックを吊ってシェスタをしたり、訓練や戦いがあった日も戻ってきてから練乳をたっぷりと入れたコーヒーをアイスで頂いたり、メコン川の流れを眺めながら一晩中騒いだり…」

 かつてを熊野は語る。楽しげに。そのような口ぶりを私は何度も目にしてきた。あの頃は、あの時は、当時は。戦争、すぐそばに戦傷と轟沈があったあの当時の方が良かった、と語る者も多い。

「それで、お暇を頂いた日にはよく友人たちとそのお店に行きましたの。サイゴン市内、市民劇場近くにあるお店でして。二階建てで、お天気の良い日はバルコニーが開けっ放しになってまして、大通りをゆく三輪車のタクシーやスーパーカブの流れが見えましたの。内装はヨーロッパ風でして、それが外の雑多なアジア感とすごく、ええ、すごく違っておりまして、店内の静かでゆったりとした雰囲気がなにかこう、私たちを別世界に誘うような、そんなお店でしたの」

 私、そこで提督とデートしたこともあるんですの、と熊野。

「でも、やはり私はみんなで一緒にご利用させてもらった時の方が記憶に残ってますわ。大きな作戦を無事終えた後の祝賀会、二段階目改装のお祝い。提督と鈴谷のケッコン式の時はお店を貸しきってパーティをしましたの」

 まるでその場にいるように熊野は楽しげに語る。身ぶり手振りが交じり、こちらまでそのパーティーに参加していたような気持ちになる。

「本当によく利用させていただきましたわ。料理もどれもたいへん美味しかったですのよ。店主はベトナム人でしたけれど、みごとな洋食の腕前を持っていましたの。なんでもお祖父様がフランス統治下の監督お抱えの料理人だったそうで、お祖父様にみっちりと仕込まれたと仰ってました。なかでもビフテキが本当に絶品でして。ええ。本当。摩耶さんはいつもそれを頼んでましたわ」

 と、そこまで語って熊野は不意に視線を落とした。

「最後の、ええ、あの最後の戦い。航行できる船はみんなして帝国本土を目指し出撃したあの最後の戦いの時も、『帰ってきたらあのお店で打ち上げをしよう』といってましたのよ」

 けれど、と熊野は言葉を区切る。ついで、ご存知でしょう、と上目使いに私を見てくる。

「あの最後の戦いは酷いものでした。降り注ぐ砲弾。飛び交う艦載機。海面を覆う油と血。燃え上がる炎。敵も味方もみんな暗い海の底に沈んでいって…ああ、そうですわ。私の一番のお友達だった秋月さんも、あの戦いで…私も、負傷して、他の怪我をした人たちと一緒に逃げるので精一杯でした」

 庇うよう、熊野は己の身体を抱く。過去の記憶に古傷が疼いたのだろうか。

「なんとかたどり着いたのが、ソビエト領内でして…それから鎮守府まで戻るのに半年。海がなくなってしまいましたから陸路で。ああ、いえ、戻ったというのは語弊がありますわ。だって、鎮守府はもう」

 続く言葉は発せられなかったが、私はそれを知っている。なくなった。あの最後の戦いの最中、大本営から鎮守府施設の破棄命令が発せられたからだ。もっともそれ以前に、敵が襲撃をかけてきて、壊滅した鎮守府もある。熊野の場合はどちらだろうか。どちらでも同じなのだが。

「途方に暮れる。そう。途方に暮れるというのはまさしくああいう状況で使う言葉なのでしょうね。やっとたどり着いた我が家が廃墟になっていたなんて。お恥ずかしい話ですけれど、私、その時は丸一日、鎮守府跡で呆けておりましたの」

 恥ずかしい話ではない。私にも覚えがある。もっとも私の場合は廃墟になっていたわけではなかったが。

「それからなんとか気を取り戻して、これからどうしようかと考えていたとき、ひとつ名案が思いつきましたの。『あのお店にいけば、あの第二の我が家であるあのお店に行けばまた皆に会えるかも知れない』」

 口端をあげて、熊野は笑みを形作る。けれど、それは自嘲的なものだ。話の続きはなかなか発せられることはなく、室内に沈黙が埃のように積もり始める。

「…お店もなくなってしまっていたんですか」

 耐えきれず、私は口を開いた。

「いいえ。ええ、まぁ、私がいったときは確かにやっておりませんでしたわ。一応、建物のも無事で、店主もいらっしゃいました。ただお話を聞くと、とてもレストランをやっていられる状況ではないと」

 枝毛でも探すよう、自分の髪の先で遊ぶ熊野。

「私、とても困りましたわ。鎮守府もなくなって、あのお店まで閉店してしまっていては、艦娘の仲間とどうやって落ち合えばよろしいのでしょう。それで私、ご店主さまにお願い致しましたの。もう一度、お店をやっていただけませんか、と」

 熊野はため息をつく。まるでできの悪い息子に対するように。わずかな不満と多くの諦念の混じったもの。もっともその感情は己自身に向けてだろうが。

「店主の返事はあまり快いものではなかったですわ。ご自身が食べるのにも精一杯な状況なのに他の方に料理を振る舞う余裕はないと。ええ、私ではとても口にできないような下品な言葉でそう説明をされましたの。とにもかくにも材料が手に入らないと。だから、ええ、ちょっとその時は店主と口論になりかけておりまして、ええ、だから、私いいましたの。『材料は私が用意いたしますから、お店を再開してくださいまし』と。売り言葉に買い言葉というんですの? その時はそんな、私も店主も意固地になってしまいまして」

 ふふっ、と熊野は笑った。今度は楽しげで、後ろ暗い感情に起因するものではなかった。

「いえ、そのあとは二人とも冷静になりまして。お店の再開はいつになるか分からないがきっとしましょう、と店主に確約していただきましたの。材料もご自分でなんとかすると」

「成る程。ええっと、しかし、材料も店主さんがご自分で用意するとおっしゃられたんですよね、だとすると」

 どうして熊野はこんなところで農家など営んでいるのだろう。疑問が生まれる。

「それが、方々を調べましたところ、お野菜や調味料なんかはどうにかなる工面がつきましたの。でも、ひとつ、一番大事な食材がどうしても手に入らないことが判明しまして」

「といいますと?」

「看板メニューのビフテキ。その材料の牛肉ですわ。和牛…兵庫で育てられた牛を使ってらしたの。ええ、帝国で」

「……」

 言葉を発することができない。だが、ああ、そうだ。確かに熊野の意見には同意できる。確かに無理だ。どうあっても私たちが新鮮なソレを口にすることはできない。おそらく二度と。あの場所で育てられた牛は、いいや、牛だけではない。他の肉も、魚も、果物も、なにもかも、もう二度と食べることはできないのだ。

「でも、私は諦める訳にはいきませんわ。あのお店が今や私たちの鎮守府。帰港する場所を知らせる灯台ですもの。だから、私、一念発起しましたの。ええ、先にいった『私が材料を用意する』それを実行していますの」

 ええ、と熊野は自分の手のひらに視線を向ける。

「牛を育てていますの、私」

 熊野は微笑みながら私に簡素に結論を説明した。唯一無二。それだけが自分の境遇を説明できる言葉だと。

「ええっと…」

 暫く言葉が思いつかなく、奇妙な沈黙を作ってしまった。

「牛さんですか。牛を飼っているんですか」

 ええ、と熊野は頷く。

「今は三頭飼っておりますの。血統は…ご存じでして。牛にも犬や猫のように血統がありますの。血統は残念ながら、神戸牛のような純血ではありませんの。このあたりでは戦前から育てられていた交雑種でして、その、あまり血統的には良い牛ではありませんの」

 育てている牛について説明を始める熊野。体調も持ち直してきたのか、声がハキハキとしてきた。

「その分、お食事…餌には気を遣ってますのよ。本当は放牧で育てた方がよいのですけれど、こういう状況でしょう。牧草も放っておいても生えてきませんから。代わりに私が育てたトウモロコシやジャガイモ、モロヘイヤなんかを与えていますの。それと麦酒。以前、麦酒を飲ませて育てるとお肉が柔らかくなるという話を聞きまして、それも試していますの。一日、一リットルは与えるようにしてますのよ」

「へぇ。それも先ほどいってました山雲さんから習ったんですか?」

 一瞬、愕いた顔をする熊野。ついで言葉を詰まらせる。

「独学ですの。このあたりでは昔から兎に角たくさん機械的、生産的に牛を育てるというのが主流でして。神戸牛のように一頭一頭を大切に育てる、というのはどなたもやり方を存じておりませんでしたの」

「ははぁ」

 国家の滅亡は物質的、あるいは政・財の様に現実社会への影響だけではないことを目の当たりにする。こうして目に見えない技術や文化が失われるのだ。

「それが、ええ、正直にいいますと、それが大きな負担なのですわ。いえ、不満をいってはいけません。欲しがりません、勝つまでは、ですわ」

 戦時中、深海棲艦とのではなく、太平洋戦争当時のスローガンを口にする熊野。決意を新たに、こぶしを握りしめていた。

「成る程。ええっと、せっかくなのでその牛さんを見せてもらってもいいですか」

 写真に撮りたいんです、と申し出る。

「あっ、そ、そうですわね」

 一瞬口ごもる熊野。

「その…いえ、ちょうど餌の時間ですし、ええ、構いませんわ」

 何故か熊野は躊躇いをみせる。はてな。しかし、私の疑問に応えてくれるようなことはしてくれず、熊野はいそいそとベッドから起き上がった。

 顔色は倒れた直後に比べ格段に良くなっていた。

 タンスに無造作に引っかけていたジャケットを取り、熊野はそれを羽織る。

 牛は隣の牛舎にいますの、と説明する熊野について外に出る。外はもう日が暮れており、暗かった。家の外周をまわり裏側へいく。

「こちらが牛舎ですの」

 かまぼこ型の大きな建物を私に紹介してくれる。取り敢えず、何枚か外観を写真に納める。その間に熊野は牛舎脇の何か設備を稼働させていた。発電機のようだ。

「こちらですわ」

 頑丈そうな、艦娘の力で持っても引きちぎれなさそうな鉄鎖とこれまた大きな南京錠で扉は封鎖されていた。懐から鍵束を取り出し、ガチャリと南京錠を開ける熊野。スライド式の大きな扉を押して開ける。私もそれを手伝う。

「うっ…」

 思わず息を詰まらせる。むせかえる様な酷い臭いに身体が呼吸するのを拒否したのだ。牛舎から漏れ出した空気だけでこれだけ臭いのだ。中に入れば呼吸困難に陥り、気を失ってしまうのでは。そう思う。

 そんな私の考えとは裏腹に何でもないように熊野は牛舎の中へと入っていく。仕方なしに私はその後に続いた。牛舎の中は確かに臭かったが、なんとか意識は失わずに済んだ。

 壁際にそって歩く。熊野が壁際に設置されていた大きなレバーを降ろした。ガコン。小さな甲虫が羽ばたく様な音を立てて牛舎内の電灯が一斉に灯った。ついでに換気装置も動き出したらしく、幾分室内の空気が清浄なものに変わった。

「わ、わぁ…」

 そうして、私の口から漏れた感嘆符はけれど、良い意味の驚きではなかった。

 牛舎の広さは内は小さな体育館ほどだった。真ん中に通路があり、左右に私の顎ぐらいの高さの鉄柵が備え付けられていた。鉄柵の内側には藁が敷き詰められており、その中に牛はいた。

 向かって右に二頭。左に一頭。三頭とも足を曲げて床に座り込んでいる。ジッとしており、動く様子はなかった。私たちの来訪も、不意に付いた灯にも反応を示していないようだった。

 牛のことはよく分からない。けれど、素人目に牛は三頭とも老いて弱っている、あるいは病気か何かでそうなっているようにしか見えなかった。

「ほら、ごはんの時間ですわよ」

 熊野が牛たちに声をかけた。けれど、牛たちは首をもたげる事さえしようとしなかった。熊野が一輪車に雑穀や菜っ葉を積んで、牛たちの前まで運んできてもそうだった。一輪車からピッチフォークで餌を顔の前まで持ってきたところでやっと頭を上げるような始末だった。

「最初は十頭いましたの」

 餌を牛の前に運んでやりながら熊野は説明する。

「でも、四頭が病気で亡くなって、二頭が事故で死んで、一頭は外で運動をさせている時に盗まれてしまいましたの」

 熊野の顔が険しくなる。眉間に渓谷のような深い皺が刻まれ、眉がつり上がり、頬が強ばる。その時のことを思い出しているのだろう。

「……それで私を牛泥棒と勘違いしたんですか」

「ええ。そうですの。その節は、その節も申し訳ありませんでしたわ」

 頭を下げる熊野。その側で牛たちはもそりもそりと餌を食べ始めていた。けれど、食欲があまりないようで食べたのは少しだけだった。

「この子たちもあまり健康ではないみたいですの。大きく育って欲しいんですけれど…」

 ため息ながらに語る熊野。

 それはどうなのだろう。私には無理としか思えなかった。この牛たちは長くは生きられない。仮に生きたとしても美味しい牛肉にはならないのでは。そう思える。

 いや、そんなことは熊野にも分かっているのだろう。分かっていて、それでもそうするしかないのだと自分自身を納得させているのだ。それを納得する事で、ああそうだ、その小さな不都合に納得する事で、逆にもう一つ、彼女にとって大きな不都合を納得しないでいてるのだ。

 

 

――仲間にはもう会えない。

 

 

 レストランを再開したところで、誰も還ってはこない。あの最後の戦いで誰も彼も死んでしまい、海底へと沈んでいったのだ。

 この熊野はその事実に納得しないでいる。納得する事なくその不都合に目を背け、肌寒い程度の貧しさに震え、自分は頑張っている努力しているけれど貧していると己自身を卑下にすることで、病気の牛が潜り込む藁のような暖かさに身を浸しているのだ。

 ああ、と私は内心納得する。私が持っていた重巡・熊野とのイメージとの違いはそこから来ている。その卑屈さが私の知る熊野という令嬢のイメージからあまりにかけ離れてしまっているのだ。

 或いは、熊野がその事実に向き合い、納得し、飲み込み、過去と決別した暁には彼女はかつてのお嬢さま・熊野に戻るかも知れない。

 そのタイミングは彼女は見事な牛を育て上げたときではないか。私にはそう思えた。

 

 

END

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