それを管理していた八雲紫は非常に険しい表情で、長時間に渡って展開した臨時結界の概算に勤しむ。
一部が決壊した博麗大結界は、外から余計なものを受け入れ、必要なものをいくつか吐き出してしまった。
回収に成功はしたものの、この幻想郷を揺るがしかねない事象を、たかが20も生きぬ矮小で浅慮な人間の手で引き起こされた事に強い怒りを覚える。
「……」
オカルトボールについて、もう少しばかり警戒するべきだったか。そんな後悔は、起きた事象に意味を成さない。
博麗大結界の急速な復旧、見直しが必要である。
自らの式を呼ぶと、妖怪の賢者は仕事をこなすべく博麗神社へと向かった。
唯一回収し損ねた、幻想の存在に気付かずに。
開幕
―――それは、初めて見た光景だった。
ふらりと歩き、ふと目に入ってきた情報過多な光景に思わず我に返る。
「……え?私、あれぇ……?」
希薄な意識が、急激に心へ満ちた。
久方ぶりの感情に、頭が混乱する。
捨てたはずのそれに心が動く。
「―――ちょっと君、お話いいかな!?」
背後より掛けられた大声に、緩慢な動作で振り返れば青い服を着た大柄の男。
恐怖を感じて咄嗟に向けた手には、大振りのナイフと黒電話。
「―――オイ!待て!!落ち着けッ!!DD店前にて国籍不明の少女が刃物を所持する事案発生、至急応援求む……!」
何やら騒がしくなり始めた目の前の光景に、私の感情は困惑と恐怖を帯びる。
懐かしむべき喪ったそれが、急激に満ちた反動からか心を強く動かし、涙腺を刺激した。
「落ち着いてくれ。ナイフを捨てて、そのままゆっくり手を上げるんだ……」
とても怖い表情で指示を飛ばす人間に、とりあえず従う事にした。
ナイフを落し、ひょいっと手を上げる。
思うように口が動かないが、震えるこちらを見て、人間はどこか申し訳無さそうな色を表情に混じらせた。
「えーっと、ごめんなさい、これ、そこで拾っただけで」
「あー……日本語が話せるならありがたい。そうか、とりあえず交番まで来てもらう事になるけど、いいかい?」
「交番?」
「そうだよ。……少女を確保。交番に向かいます。あぁ、すぐ近くだ。念の為に言っておくけれど、逃げないように」
「はぁい」
気の抜けた返事をして男へと着いて行く。
―――どうにもここは、幻想郷ではないらしい。
現世、というやつだろうか。あまりにも緑は少なく、淀んだ空気が地底の奥の瘴気を思い出させる。
幻の内側へと包まれる前、遥か過去に見た風景はどこにも見えないが。
妖気の著しい制限が掛かっている上に、能力の一部は封じられた状態も、現世ならばと納得ができるというものだ。
現に、こうして意識して行動をしていることが、能力を扱えない何よりの証拠であった。
○○○
「さて、名前からいいかな」
「古明地こいし」
「こめいじ…ってどう書くんだい?」
「古く明るい土地」
「日本語?変わった苗字だな…じゃあ質問」
狭い空間。テーブルをはさんで椅子に座る男の顔は、優しさの裏に猜疑を含んでいる。探るような視線がどうにも心地悪くて。
どこか撫でるような声に苛立ちが募るものの、表情には出さない。
「君、何歳?こんな時間に一人で何をしていたのかな?」
「……」
どう答えようか迷う。
確か元服は……何歳だったか、思考そのものが久々昔過ぎて忘れてしまった。
少なくとも、子供であることはこの場ではマイナスな気がする。
「21歳。お腹空いたから歩いてた」
「……随分と童顔なんだね。身分証明書とかは?」
「持ってるのは拾った黒電話だけだよ」
「そりゃ困った」
疑うような視線だが、私の身分など知っても意味は無い。
面倒なのでどうにか能力を……
―――ふと背後から感じるは、妖の気配。
慣れた瘴気が頬を撫で、湿った暗鬱な空気が肌を蝕む。
気がつけば、とある扉の前にいた。
「……あっれ?」
記憶はない。
先程まで狭い部屋の中にいた筈なのに、今では外にいる。
それはまるで、能力が発動したかのような。
「あぁ、上がって上がって」
「!?」
腕を引っ張られたので顔をあげれば金髪が目に入る。
よく似た妖怪から胡散臭さを抜いたような、そんな顔がそこにはあり。
「……八雲紫?」
「誰それ。ほら、早く……」
「ん……」
バタン、とドアが閉まる音が背後で聞こえる。
深夜2時。人は妖魔と相見えた。
それが覚らぬ覚り妖怪の、数奇な時間の始まりとなる。