買い物袋からいくつかを冷蔵庫に仕舞い、リビングのソファーに寝転がる。
「だらしないよ」
「いいじゃない。自室ぐらい楽でいたいわ」
楽にできない自室など自室ではない。
正確にはここは自室ではなく、共有のスペースではあるのだが、こちらの主張にこいしはやや納得したように頷き、自身も床へ寝転がった。
「確かにそうだ。なので私も緩むことにする」
「それでいいのよ。部屋でくつろぐのは正しい事」
「うーん堕落」
「あはは、地獄に落ちちゃうわね」
「もう落ちるを通り越して住んでる」
「……それは素敵な言い方ね。今度真似させてもらうわ」
にへらと美しくわらうこいしを見ながら、そんなくだらない言葉を交わす。
賢い会話は嫌いではないが疲れるので、意味の無い薄い会話は疲れなくて大好きだ。
内容が薄い会話をダラダラと続け過ぎれば、流石に辟易としてしまうが。
「じゃあ境界の説明だったっけ」
「そうそう。境界って何?」
途端に思考がのんびりしたものから、真剣なものへと切り替わる。
境界とは。
一時期研究されていたことだが、情報は全て削除済み。ネットに接続されない端末で研究資料をまとめるなど、アナログながらに効果的な手法を取っていたらしい。
サイバー攻撃が数度あったらしいが、誘導の末に攻撃先を特定したとの噂もある。
そんな、国が秘匿するレベルの境界をどう説明するかと言えば簡単だ。
「目を閉じて」
「すでに閉じてるよ」
「開いてるじゃない。ほら早く。言葉じゃ説明しにくいのよ」
「……変なところ触らないでね?」
「はいはい」
後ろに回り、瞼にそっと触れると、こいしが体を震わせた。
「何が見える?」
「……ハーンの部屋……だけど、何かおかしい?」
「私の見ている景色だから、若干の位置ズレがあるわ」
人の視界を私自身は見る事が出来ないので、特有の酔いは分からないが、なんとなくVR系の気持ち悪さは理解できる。
「さて、じゃあ目の前の歪みは見えるかしら」
「あの小さな……なんて言うんだ……切れ目……歪み?」
「そう。それが境界」
「あ、ごめん吐きそう」
「三半規管弱いのね! せめてキッチンで!」
「…ウッ」
○○○
閑話休題
○○○
「で、あの境界がなんだっけ」
「まだ何も言ってないわ」
「ごめんもうどうでも良くなった」
「そうね。あれだけ片付けに時間かかったら、もうなんだっていいわね」
気が付けば夕暮れ。
窓より入ってくる光の色は赤。
燃えるようなその色は、何処か美しさと同時に怖気を感じさせる。
「まぁ掻い摘むと、この世の境界は“暴く”と何らかのアクションを起こすわ。怪奇現象然り、異常現象然り」
「……暴く?」
「うーん、閉じている境界を開く、と言うニュアンスが正しいかしらね。境界は境目。つまりその蓋を突き破って、向こう側を暴くの」
「へぇ……」
暫し考え込むこいし。
既に風呂へと入り、ジャージ寝巻きに着替えてはいるものの、何故かその姿が酷く恐ろしく見える。
何かを探し、何かを壊そうとしているような、誰も止める事の出来ない不安定さが垣間見え。
「……こいし?」
「うん、明日が楽しみだね」
ニッコリと口だけの笑顔に、思わず体が強張った。
そんな時、ポストからカタリ、と軽い音がする。
「……配達、いや手紙?」
こんな時代にわざわざ手紙を寄越す友人はいない。
配達物は身に覚えがなく、何かを送られる様な事も無い。
気になって玄関まで行って見てみれば、手紙ではなく封筒。
しかし宛名として書かれているのは、私ではなく。
『古明地こいし様』
短く書かれたその名前に、冷や汗が噴き出した。
誰だ。
彼女の名を知る者は、蓮子ぐらいしかいない。
彼女がここにいる事を知る人は少ない。
何故、ここに彼女宛の手紙が届くのか。
嫌な汗が背に滲む。
ポケットに入れた端末が軽快な通知音を鳴らしたのは、そんな恐怖に思考が蝕まれていた頃だった。
「……ッ!?」
跳び上がる程に驚いた。
それはあまりにも急で、心臓に悪い。
落ち着いて深呼吸。
端末の画面を見れば、ママからのメッセージが一件。
『今届いたみたいね。サイトで確認したわ。古明地こいしさんにプレゼントよ。貴方も仲良くね』
全てが抜け落ちるような気がした。
重い足取りでリビングへと戻り、こいしに封筒を渡す。
「こいしへ、私のママから」
「……!」
若干驚いた顔をして、恐る恐る封を切るこいし。
こちらに見えないよう中を覗き込み、暫く考えた後にトイレへと駆け込んだ。
「何が入っていたの?」
まさかとは思うが嫌がらせじゃないだろうな。
吐くほど嫌な物を送りつけたとしたならば、あまりにも悪趣味が過ぎている。
ママに限って、そんなことはないだろうが。
『こいしに何を送ったの?』
『彼女に必要な物よ。きっと彼女も喜ぶわ』
なんとも胡散臭い話である。
ちょっとして戻ってきたこいしは、空の封筒を持っていて。
「ちょっと出掛けてくる」
「うーん……私も着いて行くわ。心配だし」
「ダメ。ちょっと出掛けるだけだから、気にしないで。一応端末は借りて行くよ」
「え? あ、ちょっと!?」
反論などさせないとばかりに、フラリと外へ行ってしまったこいし。
慌ててドアを開けるも、もう見える場所にこいしはいない。
「……帰ってくるわよね?」
彼女の先程の様子を思い出し、不安が込み上げる。
───そして約1時間後。
普通にこいしは帰ってきた。
「ただいまー」
「遅かったじゃない!」
「ごめんごめん、住民票と大学の学生カードを少しね」
「……え?」
そう言ってこいしのポケットから出てきたのは、こいしの顔写真が貼られた、よく見る慣れたカードで。
「えっ」
何がなんなのか分からないが、どうやらこいしと同級生になったらしい。
封筒の中身
・こいしの国民カード(その時代での個人情報が全て記憶されたもの)
・学生カードと住民票の取り方説明書(特別推薦書付き)
ようやくタイトル回収です。