振動も音も感じない。
スクリーンに映る東海道が、網膜に煩く訴えかけてきた。
「…えっ。こいしウチに入ったの?」
「嫁入りした記憶はないのだけれど」
「個人的には婿より嫁がいいわ」
「えー私が婿ぉ?」
そう言う話ではない。
対面に座る蓮子と薄い会話をしながら目を細めた。
昨晩、鬼のような勢いで端末を触っていたハーンが横の座席で寝息を立てている。
「で、なんでウチに?」
「その方が楽だから、かなぁ」
そんなハーンを横目に、私は大学に何故入ったのかを、蓮子から柔らかく追求されていた。
「ふーん…それで、入れた理由がよく分からないのだけど」
「知り合いが推薦してくれて、それが通った。間違いはないよ」
「それが全てでも無い気がするんだけどね」
そう言いながら先程購入した紙パックのジュースを啜る蓮子の目は、猜疑よりも興味に傾いている。
未知を知ろうとするのは人間の良いところだが、どうにも行き過ぎた理解をしないと納得しないのも人間というもので。
「そいえば、蓮子は蕎麦がどれぐらい美味しいと思う?」
「最近お蕎麦食べてないからなぁ…久々だし超美味しく感じるかもね」
手持ちの端末で、こちらにも見えるように検索を始めたのを見ながら、昨晩の記憶を辿る。
届いた封筒の中身には、色々入っていた。
ハーンに見られるとマズイものもあると判断し、トイレで開けたのは正しかったのだろう。
“ママ”からのチャットには、『またお話を聞かせて頂戴』とだけ書き込まれており、目を通して5秒後にはそのメッセージも消されていた。
狙いも望みも分からないが、この現世で自分を証明できる書類を手に入れられた事は、非常にありがたかった。
「あ、多分これだ。【蕎麦処 鈴】。…へぇ!合成蕎麦じゃなくて手打ち蕎麦なんだ!!」
ほうほう、などと相槌を打ちながら、聞き慣れない『合成蕎麦』について調べてみる。
情報を漁れば、現代では蕎麦の食感と風味を再現する事に成功し、小麦と合成蕎麦の元を合わせて蕎麦を、通称『合成蕎麦』を安く作る事が可能、という事が判明。
ついでに合成蕎麦が登場して以来、蕎麦処を名乗って良いのは、合成蕎麦ではなく手打ち蕎麦を出す店だけ、という豆知識も出てきた。
と、ふと懐かしい気配がした。
ピクリ、と顔が引き攣るのを見てか、蓮子が感心したように頷く。
「ここは富士の樹海の真下辺りよ。昔に乗ったときも過敏なメリーが境界の裂け目があるって怖い顔をしていたわ」
「霊峰富士の近くかぁ…そりゃまぁこの気配も納得だ」
それから暫く。
体から違和が抜け、弛緩したと同時に蓮子が端末に何かを打ち込むのをやめて顔を上げた。
「んで、蕎麦の話題だったっけ」
「そうそう。合成蕎麦と手打ち蕎麦って味違うの?」
「うーん…難しいなぁ。でもやっぱりちょっと違うよ。厳密には手打ちの方が蕎麦って感じがする」
「気持ちの持ちようじゃんそれ…」
「あら、プラシーボ効果は病気すら直す程よ。気持ちの有無は結果に十分関与するんだから」
「それ合成蕎麦でも思い込めば手打ちと一緒って事を遠回しに肯定していない?」
「ノーコメントですわ」
クスクスと互いに笑い、外を見る。
気がつけばプロジェクションマッピングにはスタッフロールが流れ、もう53分が経とうとしているのかと端末を見た。
私が幻想郷で飛ぶより遥かに速いヒロシゲは、もう東京へと着こうとしているらしい。
「一旦実家寄るのも良いかもなぁ」
「お、挨拶しなきゃ」
「ちょっと恥ずかしいから勘弁して」
「残念」
前回メリーと寄った際は、外国の子と仲良くなってと偉く喜ばれたそうで。
延々と身の上話を親から友人へマシンガントークで話されるのを見る苦痛は、まぁ何となく分からないでもない。
…純妖怪に親などいないわけだが。
「さて、もうそろそろメリーを起こして」
「ほいほい。ハーン、ハーン…」
ムチムチと頬を突けば、ハーンが薄っすらと目を開けた。
しかしいつまで経っても覚醒しないハーンに痺れを切らし、体の各所を突く。
「ほら、起きないとキスするよ!」
「あ、何こいしってそっちのケがある感じ?」
「ないよー」
蓮子のヤジは放置。
少し慌てた様子で身を起こしたハーンは、端末で時間を確認する。
「…もうじき東京か」
「荷物纏めときなよ」
いつでも出られるよう荷物を纏め、端末から気になった富士の樹海の噂について書かれたページを開いた。
「…役立つの無さそ」
よく分からない噂話が羅列する画面を見て、人間は未知を恐れるくせに、未知が好きなのだと改めて実感した。
ヒロシゲの車内アナウンスが流れる。
卯東京駅まであと僅か。
時間が流れるのは早いものである。