女子大生こいし【完結】   作:指ホチキス

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樹海の髪【前編】です。
途中文字化けが入りますが、解読しても無意味です。


19

富士の樹海は、昔から変わっていないとされている。

人の手を入れるには、そこはあまりにも神聖過ぎた。

富士の樹海は拓かれず、昔の日本の姿を保っていた。

 

逆に言えば、拓く必要が今更無かったともされているが───

どちらにしろ、歴史ある自然物とは得てして何かを見出されるもので、樹海もその例に外れることはない。

 

 

比較的整備された砂利道を歩きながら、ハーンがにこやかに笑う。

夕暮れ前の樹海は涼しく爽やかな風が吹き、美しい木漏れ日が道を照らしていた。

 

アスファルトで舗装はされていないが、樹海にもある程度観光できるような道はある。

木々を切り開くような砂利道は、しかし徐々に根や蔦に染まりかけていて。

 

東京のアスファルトが補修されていないように、こういった道もまた手が入りにくいのは事実。

どうしても富士山への道に比べると需要の落ちるこの道は、廃れた街と同じようにいずれは緑に閉ざされる事だろう。

 

 

「いやー、ここは空気がいいわね」

「そう?その割には顔が引き攣ってるよ」

「至る所に境界が見えるからね……害があるのも大きいのも無いから、まだいいんだけれど」

 

 

そう言いながら、指で宙を弾くハーン。

私には何も見えないが、見える人間には見える光景があるのだろう。

 

───ふとそれを起因として嫌な記憶が脳裏を過ぎり、頭を振った。

過去の話だ。

その話はもう終わり、別の存在とも言える。

思い返すだけ野暮だろう。

 

 

「蓮子は……それ、何をしているの?」

「いやーお土産に石でも持ち帰ろうかなって」

「自然公園法や文化財保護法に引っ掛かるわよ」

「うーん、土産屋で石を買うのは当たり外れがありそうでなぁ」

「自然物にアタリとハズレはないでしょう。ご利益の話をするなら盗人に当たるのは罰だけよ。それに、できる限り法律は守らないと」

「それをメリーが言う!?」

 

 

いつものように二人で言い合いを始めたのをよそに、自然な動作で管を撫でた。

 

ここもまた、“懐かしい”。

最後に富士山を訪れたのはもう随分と前だが、以前と殆ど変わっていなかった。

 

荘厳さに隠れる魔の顔も。

美しさの裏にある濃密な死の気配も。

強い信仰を集めていた昔程ではないにしろ、懐かしさを感じる程度にはその気配がある。

 

 

「んーお姉ちゃんに見せてあげたいな」

「あ、じゃあ端末で写真撮ったら?撮るだけタダよ」

「成程」

 

 

ハーンから操作説明を聞いていると、ふと蓮子が片目を眇めた。

視線の先は道脇の樹海。

その奥を注視するように、歩みを止める。

 

 

「ん? 今、奥で何か動いた?」

「ヤダ、そういう話はやめてよね。こいし、ここで撮るのはやめておきましょ」

「ん」

 

 

恐らく、蓮子が見たのは風で揺れただけの葉や蔦である。

それを口に出すことは簡単だったが、“それが”面白くないのでやめた。

 

───幽霊の正体見たり、枯尾花。

 

未知を既知へと落し込み、未知を陥れるその方法は、幻の在り方を歪ませる。

居るかもしれない、という認識が大きく変われば、幻もまた現に影響を受けてしまう。

 

 

「しかし樹海の髪って誰が言い始めたの?」

「さてね。今のネットに発信者を言えって聞いてみれば?」

「生みの親が分からない世界は嫌ねぇ」

 

 

噂や情報が集まるものの、それが嘘かどうかは分からず、誰が言ったのかもわからない。

それがネットロアだ。

 

情報の集積を纏い形を成す電子の幻は、信じられていないからこそ独特の形を成して今もなお存在していた。

ただし、科学があまりにも進みすぎたが故に“伝説”を逸し、もはや誰しもが娯楽として楽しむ創作物と成り果てており───

 

その在り方には、若干の同情を覚えるものだ。

あるかもしれない、という楽しみ方はもうされず。

自由ある創作物は時として現実にそれを幻視させるが。

 

自由無きこの現代のそれらは、明確な否定を以て幻視であることすら許されず、空想と断定されてしまう。

 

 

「髪……髪ねぇ」

「ハーン、髪はすごいのよ?」

「こいしに言われなくても知ってるわよ。原初の信仰対象でもあるんだから」

 

 

流石に知っているか。

そう満足気に頷き、端末を弄る事を再開した。

しばらく歩き、数枚写真を撮っていたところ、突如バランスを崩したように蓮子が数歩後退する。

 

 

「あ痛。足捻っちゃった」

「砂利道だから気をつけてね。歩ける?」

「大丈夫そう。って蛇!?」

「―――ッ!!?」

 

 

蓮子の声に振り向き、“それ”が目に入った瞬間、赤い瞳を幻視した。

 

それは、束の髪の毛。

色は紫がかった白。

まるで麻縄のように編まれたせいで蛇にも見えるそれは、地を這うようにして蠢いていた。

咄嗟に蓮子とメリーを庇うようにして一歩を踏み出す。

 

―――筈だった。

 

 

「あ、ぉ膁諣膊」

 

 

口から出たのは二人の無事を確認する言葉ではない。

それは、無機質で抑揚の無い、人の口から出ていいような言葉ではなかった。

 

突如として酷く視界が回る。

全方向から覗かれているような恐怖。

有りもしない視線が身に刺さり、聞こえるはずの無い笑い声が頭に響く。

自他の認識は崩れ、世界が己と合一であるかのような、意識が宙に溶け出すような。

私は、古明こいし

        

臣膯古明こいし

わたシは、コ明地こ鏣膄

ワタしは、古めイ颎냣膓
       

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     ○○○

 

 

「こいし!」

「メリー何が起きてる!?」

「分からない……ただ、ここまでの境界と比べて危険度が桁違いッ!!」

 

 

微かに見ただけで、影響を受けて視界が歪んでいる。

こいしの背で見えないが、ほんの一瞬見えたそれは、怖気が走るほどの害意と狂気を振り撒いていた。

こいしの体で原因は見えないが、はみ出して目視できる横幅3メートル程の境界の割れ目。

 

瞳にも見えるそれが、こちらを覗き込むように開いていて。

その強すぎる害意に、咄嗟に目線を逸らしていた。

 

恐怖から硬直したように動きを止めたこいしの肩を掴んで揺するも、反応は無い。

 

 

「こいし? ……こいしッ!」

「メリー、落ち着いて。ゆっくり、一旦戻りましょう。ここは少し危ない」

 

 

経験上、境界そのものがこちらを襲うことはない。

迷い込むか、呑まれてしまえば別ではあるが、境界そのものがどれほど危険性を孕んでいようが、触れなければ大丈夫なはず。

 

冷静さの中に、強い恐怖と焦りを隠せない蓮子の声に、喉が詰まるような息を漏らしながら必死に頷く。

思考は徐々に冷え、突如出現した境界から目を逸らしたまま、今すべき事を考えて。

 

一瞬見えた蛇のようなものが原因だとすれば、ここから早々に離れなければいけない。

 

 

「……こいしを引き摺って行くわ。目を伏せて、蓮子も決して前は見ないでおいて……」

「分かった」

 

 

端的な指示を飛ばせば、硬い口調での返答の後、蓮子もこいしの肩を掴んだ。

驚くほど軽いこいしの肩を二人で持ち、ズルズルと後退。

枯れた葉が割れ、ブーツに石が当たる音と、土を削る音が夕暮れの樹海に響く。

目を伏せ、必死の思いでこいしを引き摺って後退を続ける。

 

 

「痛っ」

「……蓮子?」

 

 

ふと動きが止まったのは、蓮子が動きを止めたからだった。

 

 

「あ、竹……?」

「え?」

 

 

咄嗟に振り向けば、周囲を竹で囲まれていた。

薄く霧が掛かり、微かな風が遥か上に見える笹の葉を揺らしている。

 

聞こえる全ては自然音であり、人工的な音は聞こえない。

しかしそれらには、嗤い声が混ざっているかのように聞こえていて。

 

 

「……嘘、どうして」

 

 

私には、見覚えがあった。

ここは以前、夢の中で走った竹林に間違いない。

ただし、あの頃に比べると随分と静かで、そして、どこか拒絶したくなるような臭いが漂っている。

 

竹の青さ、湿った土の匂いに加え、薄っすらと漂うのは腐敗臭。

動物の死骸など現代において見ることはほぼ無いが、それでも一発で分かるほど強烈な、嗅覚を貫くその臭い。

 

 

───境界に呑まれた。

 

 

何故、境界から離れたにも関わらず、その意図に反し呑まれてしまったのか。

何故、恐ろしき境界の先が過去に迷い込んだ場所なのか。

浮かび上がる、いくつもの疑問に応える者はなく。

 

 

「……とりあえず、誰かいないか探しましょ。多分、さっきの蛇はいないわ。ただし、声は出さないように」

「ひょっとして、ここ、境界の中?」

「これは幻と現の間。下手をすれば鳥船遺跡の時より酷い事になるわよ」

「気をつけろって事は良く分かったわ」

 

 

僅かに顔色を悪くした蓮子が神妙な面持ちで頷く。

 

ちょっと前、境界の向こう側で遊んでいた際に、私は怪物に襲われて怪我をした。

その場所が鳥船遺跡であり、その際にちょっとした“予想外”も起きてしまった。

それ以来、その話を出すときは“要注意”のサインとなったのである。

 

 

「こいし……」

 

 

恐らく、私たちを庇ったのであろう。

彼女の突き出たように動いた一歩目は、蛇を見せないように私たちの視界を遮った。

彼女が何を見たのかは分からない。

 

ただ少なくとも、それを知りたいとは、ここに来る前ほど思わなくなっていた。

 

―――竹林の微かな斜面で、平衡感覚が狂う。

 

風には冷たさが混ざり始めた。

空には紅が差し始め、日没が近い事が窺える。

端末は当然のように使えない。

 

頬には冷や汗が伝い、私は唇を噛み締めた。

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