獣瞳を晒さないように、糸目を意識するのも疲れてきた。
「……暑いな」
夕暮れの京都を、女が一人歩く。
肩ほどの長さの金髪を後ろで一つに纏め、凹凸を強調する白の縦セーターに紺色のストール、細く長い足を際立たせる黒のスキニーパンツという服装が、スタイルの良さと同時に、その並外れた容姿を更に押し上げていた。
「さて、と。何処へ行こうか」
瞼に隠れた細い瞳孔が、若干開くのを自覚する。
この感情は、不愉快か、はたまた興奮か。
「…」
少なくとも苛立ちが含まれていることには間違いない。
コツリコツリと黒いハイヒールが荒い音を立てて舗装された石畳を叩く。
疲れから電光標識に手を付けば、錆びだらけの、マヨヒガの庭に映えた無数の標識を思い出し。
「…そろそろ片付けに来てくださいよ」
細い声を紡ぎ、女は前髪を指で弄んだ。
情報の少なすぎる調査に戻るため、女は再度京都の町に消えていく。
―――女が数秒前に通り過ぎたマンションに、目的の人物がいるとも知らずに。
「…やっぱりこいし、お酒に強くない?」
「そりゃまぁ、呑んできた年季が違うからねぇ」
鍋の締めに投入した白飯とチーズでリゾットを作りながら、だらりと寝ころんだハーンを見る。
酒が入ったせいか、微かに紅くなった肌が過剰なほどの色気を持っていた。
…ただ顔が顔なせいで、色気を感じた所で勝手に罠を警戒するスイッチが頭の中で入ってしまうのは悪い癖である。
「やく…じゃなくてハーン、現代の人はみんなお酒が弱いの?」
「さぁね?でも旧型を呑む人は少ないし、旧型に耐性が無いのは確かなんじゃないかなぁ」
「ふぅん」
学生の本分は飲酒では無く勉学なので、別に強くない事については構わない。
ただ、そこで酔いつぶれて寝転がっている蓮子ほど弱いのは流石に如何なものだろうか。
ふと時計を見れば時刻は10時を回り、深夜に差し掛かりつつある。
こんな時間にこのようなものを食べるのは体に悪そうだと思いながら鍋リゾットを散蓮華で掬うと、程よく熱で溶けたチーズの伸びること伸びること。
「ぐ…圧倒的…ッ圧倒的美味さ…ッ!」
「なぁんで最近腹回りを気にしてる私の方をちらちら見ながら食うかな」
「美味い…美味すぎる…」
「十万石幔頭?…いやそれ関東のローカルネタよ?知ってるけど」
「ボケを拾ってくれるととても嬉しい」
「はいはい。あ、私にも頂戴」
「お!この時間にそれを食べるとは度胸あるね!!」
「うるさいわよ!?」
鍋リゾットの入った深皿を渡せば、辺りを見回すハーン。
どうやら近くに自らの箸は無いかと探しているようだが、そこに箸は無い。
蓮子の方を指で示せば、ハーンは蓮子の下敷きになった自らの箸に気がついた模様。
すい、と目を細めると、沈黙を挟んで息を吐く。
「…こいしの貸して」
「お、美少女との間接キッスは高いよ?」
「唾液の交換ぐらい別にいいじゃない。いまなら酔いに任せて濃厚なキッスでもしてあげましょうか?」
「私に対して妙に大胆になるの何なの…」
顔に熱が昇るのを自覚しながら、ティッシュで散蓮華を拭いた。
流石にその辺は気恥ずかしさが勝ったのである。
立ち上がって散蓮華を渡せば、その手首を引かれた。
咄嗟の事で硬直した体は重力に引かれ、妖力の制限された現世では浮く事も叶わずハーンを押し倒したような姿勢になる。
下着姿に、酒気で微かに朱を含んだ肌色がひどく艶やかに思えた。
するりと首に腕を回され、ハーンの肌の白さの中で際立つ桃色のぷっくりとした唇が微かに動く。
「…私、美人は好きよ?」
「悪酔いしすぎじゃないですかね!?」
あざとくも剥き出しの色気に、思わず叫んだ。
そしてその声に身を動かした人間が一名。
「頭いった…何…?」
ゆっくりと蓮子が身を起こし、ぼんやりとした顔でこちらを見る。
ハーンに押し倒された状態のまま、そんな蓮子と目が合った。
「…おやすみ」
「おやすまないで!?」
「あーあー…私何も知らない蓮子ちゃん。ぴゅあっぴゅあの21歳」
耳を塞いで再度寝転がる蓮子に助けを求めるも反応は無い。
覚悟を決め、そういうのはちょっと慣れていないのでせめて優しくして欲しいと懇願しようとして。
「ま、冗談なんだけどね」
「流石に怖いわ!」
「蓮子ーリゾット出来てるわよー」
「無視!?」
のそのそと起き上がってきた蓮子に鍋リゾットの入った深皿を渡して、自らは散蓮華でリゾットを口へ運ぶハーン。
暫く呆然としていたが、完全に遊ばれたのだと思うと少し機嫌が斜めに。
「あーこいし、スプーンとか無い?」
「手で食べれば?」
「手食文化の無い日本でそれをすると猿人扱いかしら」
「そんな蓮子に日本文化を授けよう」
「箸」
日本の二本の文化で西洋料理に挑戦し始めた蓮子をよそに、ハーンに向き直る。
「さて、秘封倶楽部の次の活動、どうする?」
「あーほへなんはへほ、ひょっほひにはるはなしが」
「口を空にしなさい」
「はぁいママ」
「ママではない」
そもそも私が孕んだら何が生まれるのだろうか。
妖怪同士で子を成すことはほぼ無い。
人の恐れや畏れから生じた概念が受肉するか、はたまた生物の変異が“存在する妖怪”の発生である。
それを踏まえると、妖怪の胎は良く分からない。
ガラクタ屋の店主のように人妖なんてハーフがいるのだから、孕むことは出来るのだろうが。
なんて思考に耽れば、口内を空にしたハーンが改めて口を開く。
「今度はポルターガイスト、よ」
「ほう」
秘封倶楽部の今回の活動は、騒霊の調査らしい。