何故そんなに泣いているのだろう。
私によく似た顔が、涙と鼻水と汗と…それらが混じってぐちゃぐちゃになっていた。
「どうして…ッ」
嗚咽に混じって吐くように絞り出された言葉に、私は首を傾げる。
何かおかしなところでも?
…むしろ正常とは何だろう?
私たちは妖怪だ。
その存在は既に不安定で安定している。
どうしてなどと疑問を抱くのもおかしなことだ。
―――気がつけば、お姉ちゃんのサードアイに大振りのサバイバルナイフが刺さっていた。
痛みに泣き叫ぶことも無い。
ただただ、お姉ちゃんはいつの間にか涙の代わりに瞳から血を流して。
「…そう、これで一緒ね」
ゆっくりと、氷のように冷たい腕が腰に回される。
気がつけば、目の前にある顔は私で。
「私は誰?貴方は本当に私?」
その言葉を最後に、意識は急速に引き上げられた。
それはそれは、酷い目覚めだった。
酔いが醒めた頭は目の前の光景を鮮明に認識する。
窓の外に見えた景色は曇天。
厚い雲が空を覆い、鈍く押し潰されるような気配を感じさせる天井があった。
「…ん」
これだったら地霊殿から見た空模様の方が重く、それでいて圧迫感がある。
懐かしい岩天井を思い出し、最近地上ばかりにいたものだとふと思った。
無意識に振り回される心と感情。
表裏一体ではなく、癒着し絡み合う無意識と有意識。
どれ程無意識が私の心に表面化していたのだろう。
地霊殿に帰らなくなって。
お姉ちゃんの顔を見ずに過ごしてどれだけが経ったのだろう。
……もう、それすらも憶えてはいない。
夢見が悪かったせいか、どうにも心が沈んでいるようだ。
「……いや何してんの」
暗く陰っていた心は、何故か全裸で寝転がるハーンと、そのハーンの乳を鷲掴む蓮子を見てどうでもよくなった。
「ほら、起きて」
「う゛ぅん…」
「いや揉めじゃなくて」
寝転がったまま指だけを動かす蓮子。
深い眠りについたままのハーンは若干の鼾を立てて動かず、彼女の二日酔いが予測された。
目を細めて自らを見返せば、今更ながら胸のサラシが無くなっていた事に気がつく。
「…うわ!?ハーンの脱ぎ癖がうつった!」
人に服を着ろとばかり言ってられない現状に、思わず天を仰いだ。
○○○
「あったま痛い…」
「なんで次の日講義があるのに旧型を呑んだかね…」
「ぅ…昨日の私に聞いて…」
「自分に責任転嫁は愚者のやる事だよ?」
「この時代に旧型を呑むのはみーんな馬鹿よ」
「そうかい」
講義ホールの後方で前に座る学生に隠れてグッタリとするハーン。
蓮子は別の講義を受けているので引き摺るようにして連れてきた訳だが、かろうじて出席すれど学べるわけもなく。
さてさてどうしたものかと電子ノートを起動した。
短い期間とは言え、情報を引き出す媒体には困らなかったわけで、現世にも相当慣れたものである。
今の大学では紙媒体での記録は衰退し、全て電子ノートをクラウド保存するようになっていた。
個人の保有する端末で大学のページからログインすれば取ったノートを日付から検索もでき、保管にも困らない。
私の知る學校からは、かけ離れた授業風景だった。
暫く講義を受け、大画面先の教授の終了の言葉と共に席を立ち始めた学生たちに混じり、また一つ面白い事を知れたと心躍らせる私に対して、突っ伏したままのハーンは寝息を立てていた。
「…えぇ」
酒に呑まれて学生の本分を疎かにするとは…
「―――いっだァ!!?」
乳ビンタの刑に処した。
痛そうに自らの胸をガードするハーンを放置し、端末を触る。
蓮子から合流できるかという連絡が来ていたので、できると送ればすぐに返信が来た。
資料保管室で待つ、という短いメッセージに、ハーンを見下ろす。
「…蓮子が資料保管室に来いって」
「ぅう…むりぃ。コンビニでくすりかう…」
「はいはい。じゃあまた後でね」
そう言って荷物を纏めると、ハーンを置いてホールを後にした。
○○○
「で、また資料保管室っと」
「まぁ、ネットよりこっちの方が色々あって面白いからね。で、メリーは?」
「コンビニに頭痛薬買いに行った」
「何してんだか」
そう言って端末で色々調べる蓮子は、どこか慣れた関係を匂わせる表情をしていた。
多用途ソファーに座って蓮子と色々調べていると、ふと遠くより視線を感じる。
目を向ければ、メガネを掛けた暗そうな女性が一人。
相対性精神学を専攻していて、ハーンを通して数度会話した事のある女性だった。
気になるので軽く手を振ると、少し笑みを浮かべて近寄ってくる。
艶のある黒髪を後ろで一つに結んでいるのが、特徴的だった。
「やほー古明地こいしだよ」
「こんにちは。
「……鬼って信じる?」
「えっ」
「いやごめん、なんでもない」
八雲紫によく似たハーンの近くには、伊吹萃香によく似た名前の少女がいるときた。
偶然にしては、よく出来過ぎている気がしないでもない。
…後で“ママ”にでも聞いてみようか迷う。
謎多き人物ではあるが、彼女は幻想郷を良く知っているようなので、何かわかるかもしれない。
「んでえっと…さっきからこっち見てた気がするけど…」
「あ、ごめんなさい。気を悪くした?」
「そんな事は無いよ。ただ気になっただけ。どうかした?」
「うーん…訊いてもいいのかな」
若干悩んだ表情をして、女性は口を開く。
「…こいしさんって、ハーンさんの恋人?」
隣で資料を漁っていた蓮子が、思い切り噴き出した。