端末による資料探しに熱中している“風の”蓮子からオラ行って来いという圧を籠めた肘での攻撃が、目の前の彼女からは見えないように脇腹を刺激する。
渋々とソファーから立ち上がり、目の前の彼女を手招きした。
「ここで話すのも何だから、場所移そ。えーっと、伊吹さん」
「…え、その反応ってつまり…」
ゆっくりと資料室のドアを開け、蓮子に一言断って部屋の外へ出た。
どこか嬉しそうな表情の伊吹さんを連れて、大学の廊下を歩く。
隣に並んでみれば、意外にも背は低い。
「―――伊吹さんの専攻って、相対性精神学だよね?」
「あっ…まだ面と向かって話した事は無かったっけ」
「もう話してるよ。…伊吹さんはハーンとは仲良いの?」
「え、あ、いや、ぼちぼち…ぼちぼち?普通よりちょっと良いぐらい…かな」
「自信なさげだね…」
伊吹萃香の関係者かと思えば、この性格はどうにも正反対である。
前髪が隠す彼女の瞳は、不羈奔放、何ものにも拘束されず、思いどおりに振る舞う伊吹萃香には全くと言っていいほど似ていない。
名前ばかりが似ているだけの、別人な可能性が高い気もする。
当たり障りのない会話をしながらしばらく歩き、大学構内の喫茶店へと入店した。
「うぉお…私ここ入ったこと無いんだよね…」
「え、場所変える?」
「いや、大丈夫。一人で入るのが怖かったってだけだから…」
「あー…一人で入ろうとする機会無くてそのへんはちょっと分からないな」
「ヒィ…美人と私の住む世界の違いを叩き付けられた…!」
とりあえず開いている席に座ると、メニュー端末を開く。
おどおどと座る伊吹さんに目を向ければ、思い切り目が合った。
「……そんなに見つめられると照れちゃうな」
「ご、ごめんなさい!そんなつもりじゃ…ッ」
「いや、揶揄っただけだよ、ごめんごめん。私は頼むの決まってるし、どうぞ」
メニューを手渡せば、そそくさと注文を確定する伊吹さん。
暫く沈黙が流れ、とりあえず縮こまる彼女に話しかける事にした。
「んで、どしてさっきの質問を?」
「え、あー…いや、実はハーンさんと少し前に恋愛の話になったことがあってね」
「ほうほう…」
○○○
「…ふーん、ハーンがそんなこと言ってたんだ」
コーヒーを啜りながら、伊吹さんの発言を反芻する。
惚れた人、という対象が私で、しかしハーン本人は恋人や想い人だと一言も発言していない。
「そうだなぁ、一部違うけど、ハーンに拾われたのは事実だよ」
「え」
「事情で家が無くなっちゃってね…それで今は住まわせて貰ってる身」
「じゃあ…同棲してるって事?」
「そうだね」
その発言に、伊吹さんは顔を赤らめた。
「えっとその…本当にハーンさんの恋人…なの?」
「あ、それは違う」
「…ん?」
「ほら、ただ拾われただけだし。恋人ではないよ」
「でも惚れたって…」
「人間性の話だね。要するに、言葉遊びで揶揄われたんだよ」
伊吹さんはどこか呆けたような表情になり、そして困ったように笑う。
手元のケーキを口に運び、視線はこちらの瞳へ。
「はーあぁ。また遊ばれた」
「伊吹さんってそんなに揶揄われるの?」
「あ、伊吹さんじゃなくて伊吹でいいよ。多分同い年でしょ?」
「…そうだねー」
彼女が並の人間ならば、どう考えても年齢差は3ケタである。
「…あれ、ハーンさんから同い年って聞いたんだけど、もしかして違った?」
「いや、あってるよ」
年齢差は、3ケタである。
「ま、伊吹でいいよ。私も古明地って呼んでいい?」
「苗字より名前で呼んで。そっちの方が分かり易くて」
「分かったわ。あ、これ連絡先。専攻一緒だし何かあったらここによろしくね」
「助かるぅ」
その後は何事も無く、喫茶店内で談笑した。
暫く続いた会話も、伊吹のケーキが無くなったところで打ち切りに。
喫茶店を出て伊吹と別れ、資料室へと戻る最中に、彼女の事を考える。
―――私から見た伊吹の評価は、地味で自信をあまり持たないが、芯は強く心も強い。
とても美味しそうの部類だった。
それは、洗い物と選択を終え、暫し休憩にとネットで美味しい料理を探していたところだった。
『伊吹萃香を知っている?』
無意識の少女から送られてきたメッセージにより、端末が軽快な音を立てて振動する。
アプリを開いて見れば、なんとも興味深いメッセージである。
…というより、質問から考えて彼女は未だ私の正体に気がついていないのだろうか。
昔ほど腹芸をする機会も無くなり、のんびりした思考から漏れ出る素の会話から、正体がバレてもおかしく無いのだが…
まぁいい。バレていないのならバレていないで特に何が変わるわけでもない。
『勿論、知っているわ』
返すメッセージは肯定。
まぁ幻想郷で知らぬ者などいなかった程に有名だった鬼だ。昔を知る者なら、誰であろうが知っていておかしくはない。
暫くの沈黙。
『伊吹萃香に子孫っている?』
「は?」
どういう意味だ。
伊吹萃香に、というよりある程度の妖怪には正確な性別が無い。一応孕む事も孕ませる事も可能だが、アレが子を残すなどあり得るのか…?
鬼の子孫は実際にいる。ただ、伊吹萃香程の鬼の子孫ともなれば、必ず耳に入る筈なのだが…
最近では幻想郷でも大人しいと聞く。
揺り籠椅子から立ち上がり、化粧品の並ぶ鏡台の前に座った。
「…隠岐奈、聞きたい事があるの」
宙に呟けば、鏡台に置かれた扉を模した置物が開く。
15センチ四方の両開きで奥行きは3センチ程の置物だが、勝手に開いた扉の奥は漆黒に染まり、奥が無いように見えていた。
「久し振り。あんまり繋げると現スキマ妖怪にバレるから端的にお願い」
「伊吹萃香の現在を手紙に書いて後で渡して」
「はいよ。報酬は扉の前に置いてくれると助かる」
「…毎回言うけどいい加減、端末持ちなさいよ。連絡が面倒なんだけど」
「私も毎回言っているだろう!あのような機械、誰が好き好んで使うものか!」
「でたよ頑なに新しい物を認めない老害」
「大体お前もそうやって人との関わりを増やすことで…!!」
「うわうるさ」
声が聞こえていた奥を塞ぐように無理矢理扉を閉めれば、未だ奥から声が聞こえていたが、3秒ほど経過するとピタリと止んだ。
―――さて、鬼の事だが、どういう意図なのだろうか。
よく分からないが、気になるといえば気になるものだ。
端末に文字を打ち込む。
『よく分からないけど、調べておくわ』
『そう』
メッセージを確認すると、端末を置いて、急須に茶葉と湯を入れた。
湯呑に注げば、良い香りが部屋に広がる。
日本風の家屋では無いのに緑茶の匂いが充満する空間が、どうにもおかしくて。
「…ふふ、快適」
茶菓子として微笑のまま取り出したバームクーヘンを口に運んだ。
―――対して、短い返答の先で、無意識の少女はその返答が煙に巻いたものなのか、本当に知らないのかという疑心暗鬼に囚われるのだった。