「ただーいまー!」
「あぁ、おかえりなさい」
ドアを開ければ、美味しそうな香りが漂っている。
短い通路を抜けてリビングに入れば、ハーンがキッチンで何かを炒めていた。
二日酔いで先に帰ると言っていたハーンも、回復したようで何よりである。
「調子は?」
「ゲロったら治った」
「…雑な作りしてるんだね。頭が」
「失礼な。あ、今日の晩御飯はボロネーゼソースのニョッキよ」
「手が込んでるなぁ…」
「そうだ、机片付けといて」
「はいよー」
言われるがままに机を片付ければ、目に入ったのは小さな段ボール箱。
想像より少し重く、重さからして金属の部品か何かだろうか?
重心から鑑みて、大きさは拳ほどな気もする。
「ハーン?この段ボールどうすればいい?」
「えー…?あ!それその辺に置いておいて!」
意外にも大きな声で返答が返って来てビックリした。
大切なものなのだろうか?良く分からないが、とりあえず指定された場所に置いておく。
「片付け終わったよー」
「OK、もう少しでできるから待ってて」
「じゃあ部屋でも片付けとく」
「助かるわ!」
その声を背に、隣のハーンの部屋へと足を踏み入れた。
扉を開ければ、ハーンの甘い香りがする。
それは、少女ではなく、年頃の“女”の匂いだ。
ハーンの体臭の染み付いた布団に顔を埋めれば、ほんの微かに“私”の匂いもした。
「……私の匂いって、こんな匂いだったっけ?」
服も、シャンプーも、石鹸も。
全てハーンの匂いに変わってしまった。
自分の匂いが分からなくなっている。
出不精なお姉ちゃんの、柔らかくそれでいて埃っぽく汗臭い匂いが懐かしい。
旧地獄は気温が高く、汗を掻きやすいのだ。
なんてことを思いながら、粘着ローラーで床を掃除する。
「おっしまいっと」
「出来たわよー」
「あーい」
リビングに戻れば、蕃茄の良い香り。
テーブルの上には二枚の皿。
「冷めないうちにね」
「ほいさ、んじゃあ…」
ハーンの対面に座って手を合わせる。
「「いただきます」」
フォークでニョッキを拾えば、ボロネーゼが絡んでクリーム色の体が赤く染まっていた。
その団子状のパスタを食めば、柔いながらに弾力は強く、よく炒められた挽肉と玉ねぎ、そして時折刻んだマッシュルームの食感が混じる事で、歯でも楽しめる。
麺とはまた違う美味しさに、顔が綻ぶのを感じた。
「美味ひ!」
「そりゃ良かった」
蕃茄の味は酸味がマイルドに抑えられ、仄かに香る蒜が空腹を刺激する。
噛めば旨味が染み出すようで、歯で楽しみ舌で楽しんだ。
「あ、そういえば今日伊吹と仲良くなった」
「…何か言われた?」
「ハーンの恋人?って訊かれたかな」
途端にハーンの顔が渋くなる。
紅茶風味の加工水を口に含み、ハーンはゆっくりと頷いた。
「まさか本人確認しに行くとはね」
「あ、同居してるって言っちゃった」
「…もしかして肯定した?」
「いや恋人じゃないよってハッキリ言った」
「なら良かったわぁ」
安堵したように加工水を啜るハーン。
対して再度ニョッキを口に含み、目を細める。
「…因みに面白い話聞いたよ」
「どんな?」
「蓮子とビアン疑惑」
「もー勘弁してよ…」
「でも、ビアンかどうかは知らないけど、私と蓮子に対する距離感は近いよねー」
「まぁほら、眼の事もあって人間関係が築き難かったから、寂しがりの依存し易い精神になってるとは思うよ」
「自分で言うんだ!?」
「精神について学ぶ上で、自己分析は基本よ」
「へぇ…」
同じベッドで寝ている時に、寝惚けながら足を絡めて首に手を回す、まるで誘うような姿勢は果たして寂しがりで片付けられるのかは兎も角として、自己分析は基本、か。
私の本質は無意識か有意識なのか。
無意識の時には考えられなかった事を自己分析してみるのも面白いかもしれない。
「ご馳走さま。先お風呂入ってるわね」
「じゃあ乱入しまーす」
「…貴女の方がビアンの可能性高くないかしら?」
「まっさかー」
「まぁ襲わないならいいけどね」
「ぐへへ…信用してよ…話変わるけど綺麗な肌だね…」
「信用性皆無になったわ!今!!」
皿を食器洗浄機に置いて風呂場へと向かうハーンを尻目に、ポケットの中で震えた端末をちらりと見る。
伊吹かと思えば、送り主の名前はママだった。
妙に緊張しながら、アプリを開く。
『伊吹萃香の件だけど、本人が所在不明で分からなかったわ』
…?どう言う事だ?
オカルトボールの奪い合いの際、無意識故に記憶は曖昧だが、伊吹萃香を博麗神社で見かけた気がする。
嘘をつく意味も分からない。
だが、突如地底から地上へと飛び出していった彼女の行動を把握する事も困難な話である。
所在不明ならば、それを信じるしかない。
胸に靄を抱えながら、食べ終えた食器を洗浄機に置いて洗浄開始すると、衣擦れの音が微かに聞こえる脱衣所へ歩み寄って勢いよくドアを開けた。
「邪魔するよおおお!!」
「きゃああああ!!?」
ドアを開けた先。
まさか本当に乱入するとは思っていなかったのか、ブラジャーを外し終えたばかりのハーンが、胸を隠すように衣服を掻き抱くのが見えた。