「…んぐぅ!?」
無防備な体に衝撃が走る。
周囲を寝惚けたままに見回せば、ベッドから落ちた事に気がついた。
暗闇の中で、ハーンの寝息が聞こえる。
…徐々に目が慣れて、部屋全体が見えてきた。
無造作に立ち上がって厠に行こうとすれば、リビングに置きっ放しだったマナーモードの端末が小さく震える。
厠のある廊下へ行くにはリビングを通らねばならず、その様子を目にしてしてしまったので取り敢えず手に取った。
「何…蓮子…?」
暗闇に慣れた目には眩しい画面。
目を細めて見れば、メッセージの送り主は“ママ”だった。
途端に目が醒める。
丁度起きた瞬間にメッセージを送ってきたと言う事は、暗に監視しているとでも言いたいのか?
よく分からないが、取り敢えずメッセージを見てみる。
『ごめんなさい、バックアップに失敗して追加してたメリーのアカウントが消えちゃったから、その右上の友達紹介っていうアイコンを押してアカウントを教えてくれないかしら』
『何時だと思ってるの…』
『あ、ごめんなさい。日本は夜だったわね』
…何?日本は夜だった?
察するに“ママ”は外国にいるという事か。
「……え?」
おかしい。
何故、幻想郷から遠く離れた海外で伊吹萃香が所在不明だと分かったのだ?
日本ならまだしも、八雲紫が徹底的に管理する幻想郷の情報を外国から仕入れる事など出来るのか…?
ここで一つの仮説が組み上がる。
“八雲紫”から許可されているとすれば、どうだ。
その場合、考えられる理由は二つ。
八雲紫にメリットがあるか、又は拒否できない、のどちらかだろう。
前者は、多分無い。
幻想郷の情報を外へ出す事を許す奴では無い。
となると、拒否できないという可能性が大きいということだ。
それはつまり、八雲紫が能力を持ってして制御できない存在という事である。
八雲紫と同等かそれ以上の強い力を持ち、人間の世界で平然と暮らせる。
そんな存在、“妖怪の賢者”ぐらいのものだろう。
頬が引き攣った。
そうだ、改めて考えてみれば、おかしな点がいくつもあった。
ハーンから貸してもらった端末に突如現れた覚えのない“ママ”というアカウント。
誰から聞いたわけでもない筈なのに、無意識の少女と初めから知っていて接触してきた事。
不審な点は多い。
……そして、妖怪の賢者繋がりでハーンの容姿についても気になる事がある。
何故あれ程までに、八雲紫に似ているのか。
これはあくまで仮説だ。仮説でしかないが…
“もしかしてハーンは、八雲紫の娘ではないか?”
そして“ママ”は、八雲紫から娘の監視を請け負った妖怪…
そう考えてみれば、ある程度腑に落ちる。
思わず、メッセージのチャットに文字を打ち込んだ。
『ねぇ、嘘を言わずに答えて』
『何かしら?』
『貴方は人間?』
『正真正銘の人間だけどどうかした?』
『ハーンって人間?』
『あの子も正真正銘の人間だけど…』
「いや違うんかーい」
勢いで聞いたはいいが、改めて考えればハーンは間違いなく人間だ。
妖気なんて欠片も無いのだ。
それにハーンのチャットアカウントを持っていたという事は、間違いなく彼女の母という事になる。
恥ずかしい考察をしてしまった。
『あー…最後に一ついい?』
『何?』
『八雲紫と親しかった?』
暫しの沈黙。
『長い付き合いだったわ』
…なるほど、友人だったか。
あの胡散臭さの塊が人間の友人を作るなどどういうつもりかは知らないが、まぁいい。納得は出来た。
友人だからこそ、幻想郷の内部を知る事が出来たというわけか。
過去形なのは気になるが、追求する事でもあるまい。
『[まえはん]』
『これであってる?』
『確かにあの子のアカウントね。ありがとう』
端末をリビングのテーブルの上に戻し、厠へ向かう。
この夜中のやりとりで、こいしは少しだけママへの不信感を和らげたのだった。
お礼のメッセージを送ったのを確認すると、端末の画面を落として眉根を寄せた。
「…どういう事…?」
先程の質問。
こちらの正体を八雲紫に近しい人物だと思っていながらに、その正体までは分かっていない様に思えた。
とっくに察せられてるのかと思えば、そうでも無いらしい。
取り敢えず嘘は言っていないが…
「変に突っ込むとこっちが足を掬われるし…もどかしいわねぇ」
彼女から色々な事を聞いたが、どうにも信用ならない。
話す情報を間違えれば、今の幻想郷から追われる可能性だってあるのだ。
それに、
「……探してる、ねぇ」
隠岐奈の置いていった手紙には伊吹萃香に関する情報の他に、スキマ妖怪がお前を探していると書いてあった。
「…古きを忘れて、新しい事に目を向けて欲しいものだけれど。頑固だからなぁ…」
ゆっくりと身を起こすと、目を細める。
その顔は、人間味の薄い笑みを浮かべていた。