トリフネの会話は鳥船遺跡と伊弉諾物質に拠るものです。
朝は晴れていた空はいつのまにか雲に覆われ、涼しい気温に上着を一枚羽織った。
蓮子、ハーンと共に街を歩く。
人が歩かなくなった道には塵が積もり、足跡をよく残すものだ。
昨晩の付喪神で“足跡の残った方”は、街の中心へ向かっている。
街中へ消えた靴は蓮子の見た方であり、ハーンは首を傾げた。
好奇心とは、燻るものである。
そしていつしか、勢いよく燃え上がるのだ。
私達は足跡を追い、更なる街中へと迷い込むのだった。
○○○
「改めて見ると、人が居ないだけでえらく不気味なものね。そう思わない?」
「人工物はどう頑張っても自然じゃないのよ。人工物を意味するArtifactは
コンクリート一つ取っても、水に解ければpH12〜13と非常に高いアルカリ性を示す。
自然に戻るには、相当な時間が必要だ。
まして、こんな鉄筋コンクリート仕立ての人工物だらけの街ならば。
「このご時世に無実の地があれば良いけどね」
「今時無いわよそんな場所。無罪を装った有罪だらけ」
あ、でも。とメリーが空を指差した。
「あるわね、罪から逃れた場所が」
「トリフネ、か」
人の手を逃れた無秩序な楽園を、二人は知っていた。
怪物の住まう、宇宙のとある閉鎖空間。
ヴァーチャルの世界ではいくら見ることが出来ても、あれ程網膜に焼きつく自然の姿は今の時代では殆ど無いだろう。
前を歩くこいしに付いて歩きながら、あの密林に想いを馳せた。
「蓮子ぉ、前見ないと危ないよ」
「へ?うわっ!」
こいしの声に我に帰るも、時既に遅く。
回避行動虚しく、錆だらけの標識に体をぶつけた。
「くぅー!痛い!」
「馬鹿ね蓮子。前を見て歩かないと」
「あ、ハーン危ない」
「え?きゃっ!」
得意げな表情で歩いていたメリーが、石畳が捲れ上がってできた段差に躓いた。
受け身は取れているものの、その顔は赤い。
「あれ?どこを見て歩けばいいんでしたっけ?」
「うるさいわね…」
パンパンと埃を払うメリーを煽りつつ、錆だらけの標識に触れる。
「…なんだか、この辺の荒れ模様はすごいわ」
「そうね。今時そんな標識が残っているんだもの。発展が遅かった地区かしら?」
耐食性の低い金属製の標識なんて、今時滅多に見ることがない。
この寂れた街でも、この辺以外は電子標識だった。
風化しきって塵になっていない辺り、この前時代的標識もそこまで古くは無さそうだが。
「んぁ?」
「どうかした?」
こいしが立ち止まったので近寄ってみると、こいしの目の前で足跡が消えていた。
どこかに飛び跳ねたわけでもなく、急にそこで消えたかのような跡だ。
「ハーン、この辺の境界は?」
「あら?そういえばここは小さな境界があちこちに見えるわ」
「そっか」
こいしはぴょん、と跳ねると、道路脇にある一軒の家を指差した。
足跡の途切れた、すぐ横の家である。
「わかった。これが付喪神を生み出した存在だ」
「へ?この家が?」
劣化か、天災によるものか。
半分ほど姿を崩したその家は立方体に近い形をしており、どちらかと言えば近代的構造をしている。
「勝手に入るのは良くないから、その辺に座ってお話ししよっか」
「え、えぇ…」
折り畳み椅子を道のど真ん中に組み立てると、三人で輪を作った。
文字通りの鼎談である。
私の目の前で、こいしはにっこりと笑った。
○○○
「さ、じゃあどうしてこの家が付喪神を生み出したのか。まずは付喪神って、どうやって生まれるでしょう?」
「永い年月を経たり、強い信仰を受けたり、理由はどうあれ霊性、仏性や神性を得ると生まれる。と、言われているわね」
私の問いかけには、蓮子が答えてくれた。
目の前の家を見る。確かに長い年月は経っているだろう。
「正解。流石蓮子。頭いい」
「ふふ、もっと褒めてもいいのよ?」
「こいし、蓮子には構わなくていいのよ」
「ま、それはそれとして。あの靴はどうして付喪神になったと思う?」
三人で家の方を見る。
「あの靴を長年使っていた人が住んでいた」
「ハーンの考えは正しいよ。でもちょっと足りない」
「その口振りだと、もうこいしの手には完璧な答えがあるみたいね」
「勿論。だからドヤ顔でこんな事話してる訳だし」
「ドヤ顔の自覚あったのね」
当然だ。表情ぐらい意識している。
無意識に表情が作られる事は今のところ無い。
「永い年月は経過して当然。つまり、その靴に霊性か何かを吹き込んだものは何か、って事でしょ?」
「蓮子は話が早いね」
「メリーと違って頭脳派だから」
「馬鹿って言いたいのかしら?」
「いや、メリーは“感覚派”でしょう?私はメリーと違って考える事しか出来ないんだから」
二人で目を合わせ、 くすっと笑うが、置いてきぼりにされた私の事を考えて欲しいものである。
しかし蓮子がそこまでわかっているのなら答えはすぐそこだ。
「もうほぼ答えだよ」
「うーん…メリー、境界で答えを暴けない?」
「生憎だけど、この辺の境界は意味の無いものばかりよ。と言うより、なんだか暴きたく無いものばかり」
「あ、この辺の境界は弄らない方がいいよ。いい事無いから」
私のその言葉に、蓮子はパッと顔を上げる。
「怨霊…!なんらかの怨恨でこの家に住んでいた人間が怨霊と化し、そしてその影響で物に霊性が吹き込まれた!違う?」
「近いけど根本で違う」
「うーん違ったか…悪い境界なんて、怨霊ぐらいしか思い当たらないんだけどな」
「怨霊だったら私近寄らないよ。死んじゃうもん」
「まぁ、確かにそうね」
蓮子は怨霊を知らないからふわっと死を思い浮かべる程度だろうが、妖怪にとって怨霊は本当に危険なのだ。
「んー…?そもそもこの幻想の消えた現代で霊性を吹き込める存在って何がいるの?神様とか仏様とか?」
「あ、正解」
「へ?」
正解だと思わなかったのだろう。
はたまた、この時代に神や仏などいないと思っていたか。
怪訝な顔をする蓮子に、私はにっこり微笑んだ。