酉京都駅。
停止したヒロシゲの中で、柔らかな椅子に尻を沈める。
「…伊吹、少しは落ち着いたら?」
「いやぁ、誰かと遠出するのは久し振りで」
隣で嬉しそうに口角を上げる伊吹に、ちょっと微笑ましい気分になる。
と、同時に、交通料金の安さを鑑みるに誰かと出掛けること自体少なかったのかもしれないと考えが至った。
何も言わずにクッキーを一枚あげた。
「え?」
「あげる」
「あ、うん…ありがとう」
釈然としない顔でクッキーを受け取った伊吹は、一口で口に入れると動きを止めた。
やがて錆びたネジが緩むような速度で、こちらを向く。
「なにこれ」
「クッキー」
「食感以外完全にほうれん草なんだけど…」
何も答えず、ふいと目を逸らした。
「クッキーダヨ」
「クッキーはこんなんじゃない!」
「私もそう思うけどそれはクッキーなんだよね…」
納得は出来ないが事実なので諦めるしか無いのである。
出発のアナウンスが流れ、音も無くヒロシゲは動き出した。
地下を進むため、地上の雑多とした音は一切聞こえない。
一切の揺れもなく、加速は続く。
最高速度を出せば53分もかからないにも関わらず、あえて53分に拘った速度の中で、眉尻を下げた。
「…揺れが無いと違和感がすごいな」
「え?電車って揺れないのが普通だと思うんだけど」
「長野の電車はそりゃあもうガタンゴトン揺れてたよ」
「あー…」
苦笑。
今どき揺れる電車など、廃線間近の場所ぐらいしか通っていない。
あの人のいない街も、やがて遠くから歩かなければ入ることの叶わぬ場所となるだろう。
手の届く範囲を豊潤に。
人は昔からそうやって力を伸ばしてきた。
隣人を、集団を、集落を、村を、街を、国を。
次第に手の届く範囲は広がり、やがて誰かの手と当たる。
その手を取るか叩くかは、その人次第である。
「人口減少のせいで、税金が集中化してるのは問題になってるよ」
「うーん…都市部以外に住んでる人はどうなるんだか」
「そうなんだけど、都市部以外に住んでる人は国からの干渉を求めてない人も多いみたいで、問題提起してるのは外部の人間」
「…傲慢?」
「そうかもしれないね」
上下を除いた全てが窓の半パノラマビューのお陰で、映し出されたカレイドスクリーンの景色が流れていく。
荘厳な富士山の姿。
周囲に構造物の無い、実際より美しく見えるそれも、私にとっては退屈なものだった。
美しく美しくと求められた富士に神秘や神々しさを感じる事はなく、ただの印刷物のような薄っぺらさしかない。
綺麗だと感じていても、心打たれる景色では無かった。
楽しんでいる伊吹には悪いので口には出さず、薄ぼんやりと外を眺めていることにした。
ふわり、と風も無いのに髪が揺れる。
「…」
頸がピリピリと痛んだ。
大きく伸びをすると、端末を取り出した。
「折角だから二人で写真でも撮ろうよ」
「えっ?あぁ、うん。そうだね」
「伊吹は撮るの上手い?」
「…全然。自撮りなんてするように見える?」
「いや全く」
「ちょっとは歯に絹を着せてよぉ」
パシャリ
鳴らす必要が無くても、人間はシャッター音を消さなかった。
写真と言えばこの音、という認識が大きくなってしまったのだ。
人は古い文化を意外なところで継承していたりする。
無意識のうちに、印象が固定されているものも多いのだ。
53分間に及ぶ東海道の旅は、もうじき終わる。
卯東京まで、あと少し。