パンケーキを食べながら、私は店内を見渡した。
今時煉瓦造りなど中々見ないので、貴重な体験だ。
どちらかと言えばアンティーク寄りの内装は、スイーツを高級な物に魅せてくれる。
各所に置かれた年代を感じる品々も、良い雰囲気だ。
こう言った場所が酒場になると考えると、それもまた映える。
パンケーキをのんびりと頬張っているこいしが、私のグラスへと手を伸ばした。
「ちょっと頂戴」
「いいけど、レモネードまだ残ってるよ?」
「今はこっちの気分なの」
「あぁ…どうぞ…」
気まぐれというか何を考えているか分からないというか。
少なくとも無料でパンケーキを食べることができたのはこいしのお蔭なので、断るつもりもない。
ほんの少しだけ口に含み、グラスを戻すこいし。
「…美味しいね、それ」
「お嬢ちゃんもいるかい?」
「レモネード飲み終わったらそっちがいいな」
「畏まりました」
さて、と前置き。
店主はカウンターから出てくると、内装に同化していた椅子に座り、背凭れに身を預けた。
「まずは、暇人の会話相手になってくれてありがとう」
「美味しいから会話ぐらい幾らでも相手になるよ」
「そう言ってくれるならありがたい」
古い五円玉の穴からこちらを覗き、店主は薄い笑みを浮かべる。
「冥銭。三途の河の渡賃である六文銭を指す言葉だ」
先程こいしが反応した古銭を懐から出し、掌の上で広げた。
「この六文は現代の値段にして約二百円。当時の価値で言うなら三百円程度だったみたいだけど、これは時代によって渡賃が変動していると言える」
店主の言葉を聞きながら、私はパンケーキを飲み込んだ。
こいしは話を聞いているようだが、私には難しい話がよく分からない。
「六文銭という価値が基準ならば、それに応じた冥銭を渡せばいい。しかし、価値はそれこそ秒単位で変動するものだ。いざ足りないなんて思いはしたくない」
「確かにそうだね」
「いつしか人は死に、死後の世界があるのかないのか僕にはわからない。ただ、僕は不自由無く渡れたのならそれが一番いい」
店主は寂しそうに鼻息を一つ。
「だから僕は、間違いのない六文銭を棺に入れた」
店主の言葉は、誰かに向けて放たれた言葉だろう。
どこか遠くを眺めるような店主は、静かに立ち上がった。
「さ、お嬢さんはオレンジジュースを御所望かな?」
「えぇ、ありがとう」
空っぽになったグラスの中。
氷が音を立て、静かになった店内に響く。
「また食べにおいで、お嬢さん達。僕はいつでも待っているよ」
店主の話す気が失せたらしい。
お開きを匂わせる発言に、こいしが淡く笑みを作る。
「…次は友達と一緒にお酒を飲みに来る」
「それは待ち遠しい」
店主は六文銭を懐にしまい、柔らかく微笑んだ。
オレンジジュースを飲み終えたこいしの支払いはワンタッチ。
支払いに間違いは無く、一銭たりとも払い損じはあり得ない。
「またのご来店を」
電子決済ならば、価値が変動しても渡賃を払う事が出来るだろう。
ただし、三途の河にキャッシュレスが通じるかは、死んでみないと分からないのである。
○
「今日はありがとう」
「面白い店だったね」
「確かに」
京都の大学構内。
帰ってきた実感は薄く、目を閉じればまだあの不思議な雰囲気を思い出せる。
「次はハーンさんと行くの?」
「まぁね。ハーン達はお酒好きだし」
「そっかぁ」
「…伊吹も行く?」
「私はお酒苦手だからいい。旧式でしょ?」
店の奥に並んでいたのは旧式の瓶だった。
旧式に不慣れで悪酔いしてしまう人はかなり多いのだ。
「今度またお菓子食べに行こうよ」
「そうだね」
「…じゃあ、また?」
「うん、またね」
別れの言葉は素っ気無く。
しかし伊吹は顔を綻ばせた。
京都の空は既に黒く、夜は暗さを増していく。
人の明るさが夜空を白けさせるが、それもやがて消えていくのだろう。
「───ただいま」
どこかの玄関で、少女の声が響いた。
その声は消えるが、どこかにはそれを拾う者もいる。
「おかえり!って蓮子!!それは私のよ!!」
「おかえりー…いいや!メリーが間違ってる!それは私のだね!」
明るさは、夜空の下だけとは限らない。
「楽しそうだね、二人とも」
「「楽しそうだって!?」」
それは、天井の下だったりするものだ。