バー・オールドアダムと旧型酒取扱店の見た目については旧約酒場のテキストに拠るものです。
計画通りに予定を空けた週末。
ヒロシゲに乗り、三人は東京に訪れた。
「…いや黒いな…」
「夜闇と同化しているわ…」
黒い四角。
小さな窓から、橙色の光が漏れている。
扉に掛かっているのは電光看板では無く、木彫りの看板。
喫茶店【黒煉瓦】改め、バー【BLACK BRICK】
蓮子とハーンが思い思いの感想を述べる中、扉を開ける。
店主がベルの音に振り向き、驚いた顔を作った。
以前と違う、細身に黒いYシャツ姿がよく映えている。
「いらっしゃ…い。随分早かったね」
「友達が待ち切れないってさ」
「それはありがたいなぁ。さ、入って入って」
私の後を追い、蓮子とハーンが中に入ってきた。
店内はよく見る白い光では無く、電灯ランプの橙色の光が薄暗い店内を照らしていた。
昼の静謐なアンティーク調が夜には一転し、まるで海賊が利用する酒場のような荒々しさを秘めている。
不思議なことに、私は店内にどことなく懐かしさを感じていた。
そしてその内装を見た蓮子が、目を見開いて固まった。
「き、汚く無い!?」
「うわっ蓮子がいきなり失礼ブチかました」
「あっ、いや、旧型酒を取り扱う店って基本的に汚いから」
「蓮子…すみません。とても綺麗な内装ですね」
「いいよいいよ、そう言う店が多いのは僕もわかっているからね」
カウンター席に案内され、三人並んで座る。
客は私たちしかいない。
「えーっと、とりあえず準備が必要だから聞くけど、おつまみとしては肉か魚、どっちがいいかな?」
「お肉」
「肉がいいわ」
「肉でお願いします」
私、蓮子、ハーンの順で好みを言えば、店主はニッコリと頷いた。
まずは新型酒のカクテル。
シェイカーを経て、細長いカクテルグラスに注がれた、赤と橙のグラデーションが美しいカクテルが三人に渡される。
「これはサービスの
「うわぁ…これはお洒落だ…」
「いつもの感じと違いすぎて落ち着かない…」
ソワソワと店内を見渡す二人に、思わずため息を吐いた。
落ち着かない仕草が伊吹にそっくりである。
「ショートの飲み方は一気に煽っても美味しいけど、新型だからジュース感覚でおつまみのクラッカーとかと一緒にチビチビ呑むのも美味しいよ。マナーに関係なく好きに飲んでくれると嬉しい」
生ハムとクリームチーズの乗ったクラッカー数枚が置かれる皿をそれぞれに渡すと、店主が自分のカクテルグラスを掲げる。
「さ、乾杯」
「「「乾杯」」」
ちび、と口に含む。
酒の感じはあるが薄く、奥にある柑橘系の清涼さが鼻を抜ける。
続いてクラッカーを齧ると、舌に残った水分を吸い、濃い味付けとブラックペッパーの香りがカクテルを促した。
「これからおつまみを作るけれど、まずはカクテルの種類を聞こうかな。ウチではお酒をいくつか選んでそのお酒を使ったカクテルを出すんだ。テキーラ、ウォッカ、ウイスキー、リキュール、ブランデーとかね。無いお酒もあるから、とりあえずは好きなお酒を選んでくれるかい?」
「えーっと、メリー」
「えーっと、こいし」
「私?店主のオススメはどれ?」
二人ともあまり分からないのだろう。まぁ、私もだが。
回ってきたので店主に聞けば、しばらく悩んだ後に、特に好みがないのなら料金安めでこちらの好きに作るよ?との回答を頂いた。
「二人ともそれでいい?」
「いいよー」
「私もいいよ。面白そうだし」
「じゃあお任せで」
「畏まりました」
調理場で作業を始めた店主。
その手際をボーッと見ていれば、ハーンが私の太腿を指で突いた。
「ちょっとこんなところで」
「…ここじゃなければいいの?」
「そう意味じゃ、無いけど」
「ふぅん…ならどうして顔を赤くしてるの?」
「あんたら何してんの…?」
蓮子がこちらを怪訝そうな目で見ていたので即座に両手を上げる。
ギョッと硬直した蓮子へ、間髪入れずに無罪を主張した。
「私は何もしてない」
「
「ハーンが私の常識を
「そりゃ私が
手をひらひらと振り、ハーンの方へと振り返る。
「では被告人、弁解をどうぞ」
「すでに訴えられてる扱いじゃない。被疑者にしてよ」
「それはそれでどうなのさ」
「いや、悪ふざけしたけど、こいしの言ってた面白いものを訊きたかっただけなの」
二人に疑わしき目を向けられ、流石のハーンも真面目な顔を作っていた。
店主の方を一度見て、相変わらず首に掛かった硬貨を見て、溜め息。
「お酒が入ったらね」
「ならいいけれど」
「んぁ、カクテルを先に呑むかい?」
肉を焼く音が店内に響く。
焼き加減を見ていた店主が顔を上げたが、三人揃って首を振る。
「「「空きっ腹に旧型酒はキッツいので」」」
「…経験済みかい」
「「「そりゃあもう」」」
新型酒は健康に悪影響を与えない。
当然酔いも心地良い程度だ。
所詮、錯覚と言える程度でしかない。
が、旧型酒は違う。
中枢神経系を抑制する効果が急性で現れるのだ。
要するに、旧時代で言われていた酔いが発生する。
空きっ腹に酒を入れれば胃から小腸へと一気に流れ込み、あっという間に酔いが回って泥酔状態となってしまう。
旧型の急激な酔いは吐き気、昏睡などを引き起こし、場合によっては呼吸困難を引き起こし死に至る。
蓮子とハーンはバー・オールドアダムで一度。
こいしは無意識とはいえ旧地獄で“数百度”。
空きっ腹に酒はやめた方がいいと知っていた。
「はい、おつまみ完成」
調理を終えた店主がそれぞれに皿を渡す。
正直ボリュームを見ると、おつまみどころか立派な料理と言っても過言では無い量であった。
「ミディアムレアで焼き上げた質の良い牛肉とマッシュポテト。飾りっ気はあまり無いけれど味は保証するよ」
そのまま店主は続けてカクテルを作り始めた。
幾つかのボトルを開けてシェイカーへと注ぎ、シェーク。
カクテルグラスに注がれたものは、半透明な黄色のカクテル。
「
僕も頂こう、と自分の手元にもカクテルを置く店主。
「…飲んでいいの?」
「いやぁ、お客も君達ぐらいしか来ないし大丈夫。それより料理と酒の味を楽しんで欲しいな。あ、フォークもナイフも箸もそこにあるから使ってね。
上機嫌に笑う店主が促すままに、フォークで肉を口に運ぶ。
少しの山葵と醤油を付けて口に含めば、驚く程柔らかい。
「ん!?…んー…うま」
僅かな血の香りが残り、バランスの良い赤身と甘い脂がとても美味い。
ハーンと蓮子も肉を頬張りながら、目を細めて味を楽しんでいる。
バハマを口に含めば、僅かに感じる果実の甘みにレモンの酸味。
サッパリとしたその味が、舌に残る肉の脂を落としてくれる。
「さーて、折角お客さんもいるし僕も楽しい話題を提供するかな」
分かりやすくテンションを上げた店主が、シェイカーを弄りながらこちらを見た。
「非科学的な事は好きかい?」
「…丁度オカルト好きばかりが集まっていますよ」
口角を上げていたハーンが途端に真面目な顔で身を乗り出す。
既に目は興味津々といった光を宿していた。
「いやね、話半分で聞いてくれれば嬉しいんだけどね。とある条件を満たすと同じ夢を見ることが出来るんだ。それも、現実と変わらないほど明確な夢を」
「ほうほう。どんな夢を?」
「もう会えないはずの大事な人に会う夢なんだ。さらに不思議な事に、手元に持っていた物が少しずつ無くなっていくんだよ」
「…メリー、覚えがある話だと思わない?」
蓮子が薄く笑みを浮かべている。
ハーンの境界を見る瞳が今ほど強い力を持っていない頃。
夢として入り込んだ世界から、物を持ち帰ったという話を思い出す。
「無くなったものは、夢の中で落としたり紛失したり、誰かに渡したりしましたか?」
「すごいな君は!そう、夢の中で渡すと実際に無くなっているんだ!面白いだろう!」
その言葉に、ハーンが考え込むように目を伏せた。
夢の世界へと物を置いてきたという点で、ハーンの瞳の力に類似した能力を持っている可能性がある事に気が付いたのだろう。
店主が興奮した様子でよく冷えたミキシンググラスに酒を数種類入れて軽く掻き混ぜる。
その動作で、いつの間にか三人のカクテルグラスが空になっている事に気が付いた。
「話に夢中になっちゃいけないね。次のカクテルは
新たなカクテルグラスの中で、透明な赤から下にかけて橙へとグラデーションのかかるカクテル。
添えて出されたレモンピールも、新鮮そうな黄の色が美しい。
「本来はレモンピールを絞る作り方だけど、味の変わりを楽しんで欲しいからそこはセルフって事で。次のおつまみも頑張って作るから、肉とカクテルの味を楽しんでね」
「…そういえば何も頼んで無いけれど…」
高そうな肉を頬張って今更だが、蓮子が不安そうに店主を見る。
しかし当の店主は気持ちの良いぐらい笑っていた。
「気にしなくて大丈夫!一応注文とかもできるけど、元よりおつまみはカクテルに合わせて提供するスタンスなんだ。それに…」
店主がこちらを見て楽しそうに目を細める。
「僕の直感が君達にはサービスしろと囁くんだ。安くしておくよ」
「いいんですか?」
「いいも何も、店を経営するのは僕だからね。僕の匙加減が全てだよ」
店主は奥の調理場で再度作業を始めた。
その様子を見て、蓮子は目を輝かせる。
「どうしよう、このお店が好きになったかもしれない」
「おっ嬉しいね。さて、さっきの話の続きでもしようか」
肉を焼く音が店内に響き、今度は香りまでもが伝わってくる。
カクテルを口に含めば、まろやかだが喉に感じる酒の辛みが強かった。
レモンピールだけを齧ると、甘みの奥にある苦味と酸味が、カクテルとよく合って美味い。
「夢が醒めて無くなった物は副葬品。大切な人の棺桶に入れた物が無くなる代わりに、僕は夢の中でその人と出会うんだ」
「…副葬品?」
「あぁ、“六文銭”なんだけどね。既に五つは無くなり、最後の一つを残すだけ」
肉が焼け、油の跳ねる音が妙に大きく聞こえ。
「君達は、死後の世界が本当にあると思うかい?」
ハーンはカクテルを煽り、蓮子は面白そうに口角を上げた。
hold upには強奪、強盗などの意味もあります。