肉を齧り食感と香りを楽しみ、カクテルの辛みを喉で味わう。
「死後の世界…ねぇ」
私は明確な死後の世界を知っている。
人が死ねば魂となり、地獄での裁判を経て輪廻転生へと戻る事を知っている。
が、それは幻が現と反転する幻想郷での話だ。
幻想郷で現と化した死後の世界は、現世では幻という事ではないか。
幻が現で表が裏で表裏一体がぐむむむ…
「なんかこいしが口から煙出しそうな顔作ってる…」
「うわすごい顔。写真撮っておこうかしら」
それはさておき。
「…寛永通宝、無くなったの?」
「あぁ、寝る前にはあった物が綺麗サッパリ無くなっていたんだ。不思議だろう?」
「それはどこかに転がって失せた、とかじゃなくて?」
「枕元に置いても同じ。気になって録画してみたけど、深夜にノイズで画面が映らなくなったと思えばパッと消えてしまうのさ」
店主は面白そうに笑っているが、この時代で非科学を前に笑っていられる店主の豪胆さには目を見張る。
人は認めたくないものを否定していく方向で舵を取った。
その結末として現世は幻を喪失したわけだが、それはつまり人の心は幻との決別を意味している。
ハーンや蓮子などの境界暴きをして幻を追う者を別として、普通の精神ならば幻を受け入れられない筈なのだ、が。
「…マスターは怖くないんですか?」
「ははは、ブロンドのお嬢様。僕はね、この不思議な事をとっても嬉しいと思っているよ」
一品目の肉を食べ終わったこちらを確認すると、店主は調理の速度を上げた。
あっという間に調理が終わり、飾り付けされた皿がこちらに差し出される。
「次のおつまみはハンバーガー。バンズは香ばしく、レタスは柔らかく、オニオンは瑞々しく、チーズは濃厚で牛肉100%パティはジューシー。僕の得意料理だ」
上からピンが刺さり、零れ落ちないように整えられたハンバーガーが三人へ渡される。
小腹を満たすためのものではなく、料理として完成したハンバーガーだ。
かなり大きく、口をいっぱいまで開けて漸く齧ることが出来そうなサイズである。
「さっきのカクテルの辛みとそのハンバーガーはよく合うよ。半分ぐらいまで食べたら次のカクテルを作ろうか」
「大きい…」
「ナイフとフォークで上品に食べるのもいいけど、僕は丸噛りを勧めるよ。こう…ちょっと圧縮する感じで。潰しすぎたら良くないけどね」
言われた通りに、軽く潰してみる。
少し熱く感じる柔らかなバンズがふんわりと指の形に沈み、その部分を大口を開けて歯を立てた。
バンズの甘味と香ばしさを抜ければ、オニオンの匂いとシャキッとした食感を越え、レタスの青い香りとふにふにとした面白い食感が来る
そして、チーズの香りが鼻に抜け、胡椒を奥に感じるガツンとした肉の味が舌に乗った。
美味い。
それぞれの全く違う香り、味がともかく美味い。
「……」
「美味しそうだね。表情を見ればよく分かる」
三人揃ってブンブンと首を縦に振る。
喉を通せば旨味が腹へと落ちていくのを感じた。
深呼吸してカクテルを少し。
口内の旨味がまろやかさに流され、先程の肉とはまた違う美味しさが滲みる。
「ふぅ…おいし…」
顔が酔いで僅かに火照っているのを感じる。
唇に付いた脂をペロリと舐めれば、こちらを見て息を呑んだ蓮子と目が合った。
「…なに?」
「いやエッロ…」
「やめてよ外で」
耳が熱くなるので勘弁して欲しい。
「カクテルも楽しんで頂けたようで良かった」
「えぇ、とても」
「メリーは…いつもより酔ってないのね」
「カクテルが体に合っているのかしらね。酔ってはいるけれど、あくまで上機嫌程度よ。蓮子は逆にいつもよりキツそうね」
「うーん…どうだろう。でも料理が美味しいからまだ眠れないなー!」
蓮子が明かに酔っている。
常時揺れながらニコニコ笑っているのも珍しいので、端末で動画を撮ることにした。
「蓮子蓮子、ピース」
「え?撮ってんの?いえーい!」
超笑顔でピース作った蓮子を動画に収めたので、後でハーンと共有しよう。
「……」
「店主?」
「どうかしたかい?」
「なんか遠い目をしていたから気になって」
ほんの数秒。
遠くを見つめて寂しそうな笑みを浮かべていた店主が妙に気になった。
「…嫁を思い出したんだ。彼女も酔うと明るい人でね」
「もしかして大切な人って…」
「そう、亡くなった僕の嫁だよ」
手元のカクテルを煽り、店主は調理場の椅子に座る。
その顔は優しく、しかし疲れていた。
「病気や怪我は簡単に治せても、逃れられない死はある」
医療技術が幾ら発達しても、どうしようもない事だってあるのだ。
大怪我をして処置が遅れれば死ぬ事もあるし、蘇生処置が間に合わない事だってある。
どれだけ死を遠ざけても、不幸は起こり得るものだ。
「…どうして彼女は夢の中で会いに来るのだろう」
「聞いてみたい?」
「そりゃあ、聞きたいさ。けど夢の中の彼女は言葉を聞かせてくれない」
「成程。よーし、じゃあ覗いてみようか。ハーン」
「…そういう事ね。今回の秘封倶楽部の活動は人のために、か」
「店主、残った寛永通宝を貸して。必ず返すから」
「ふむ…んはは、いいよ。君に従った方が面白そうだ」
カクテルを一口。
楽しそうに笑う店主が店の奥へと入っていく。
その背を見送れば、ハンバーガーに悪戦苦闘するハーンが何かを考え込むように額に皺を作っていて。
「…私達以外に境界の中に入った人がいる…?」
「ハーン、それはちょっとだけ違うよ」
「どういう事?」
「店主は入ったんじゃなくて、引き摺られただけ」
「自分からじゃない点で、私達とは違うって事かしら」
「そうだね」
店主は恐らく、なんの力も持たない人間だ。
ただ巻き込まれた…と言うのも違うか。
幸運で不幸な、ただの人間である。
「持ってきたよ。これこれ、最後の一つ」
「ハーン」
「…見えるわ。暴く事も出来る」
「じゃあお願い。蓮子、ほら掛け声」
「よーし!夢の世界へレッツゴー!!」
ベロンベロンの蓮子の掛け声で、私達は暴かれた境界を潜り抜けた。
●
金の装飾、銀の模様に宝石埋まる朱漆塗りの豪華絢爛な橋の上。
行くも戻るも、霧がかかっていて橋の端は見えない。
明らかに人の世では無い空気に、根幹が満たされる。
「…ここは」
「店主の夢の中…みたいなものだよ」
「綺麗ね」
「うはー!すっごい!!」
店主を含めた四人が、周囲を見渡した。
約一名、泥酔者が橋の手摺りを観察してはしゃいでいるが、楽しそうなので良しとする。
「…ちょっと予想と違うな」
「こいし?」
「いや、私の予想だとこう、“死者の国”とかそう言うものに繋がっていると思ったんだけど…」
現世では無いが、明確な幽世でも無さそうだ。
むしろこの橋がなんの橋なのかもよく分からない。
「店主はここがどこか分かる?」
「…夢の中ではよく見る。けど、ここがどこかはわからない」
曰く、この橋の前で夢が始まる。
手には六文銭があり、誰かに一文払うと橋に乗る事が許され、途中まで渡れば嫁と会う事が出来るらしい。
一切会話する事はできないが、触れることだけが出来る。
「…成程ね。なんとなく分かってきた」
「メリー!下の川がすっごく綺麗よ!!」
「ハーン、蓮子が奇行に走らないうちに服の端でも掴んでおいて」
「幼児扱いなのね…」
しかし言った通りに服を掴むハーン。
流石に境界暴きの経験が多いおかげか、警戒心があるようだ。
寧ろ蓮子の能天気さが心配でならない。
「…向こうから誰か来るわ」
「店主」
「いつも通りだ。けど、僕には何も見えないよ…?」
あぁ、成程。
彼女の姿を見て、漸くここが何処か理解できた。
「ここは三途の河だ」
「…え?」
「そうだ、あそこでは距離で決まっていたけど元来は仕分けによるものだった…!」
幻想郷の三途の河は、死神の能力によって死者の魂を扱っている。
死神に渡す金銭によって河幅の距離を決め、死神が船を漕ぐのだ。
その金銭は本人の物ではなく、生前に親しくしてきた者が本人のために使った金銭を換算するのだが、それは幻想郷のシステムであり、元は違う。
本来の三途の河では善人、罪の軽い者、罪の重い者で渡る場所が違うのだ。
そして善人は、“ 金銀七宝で作られた橋”を渡る。
「全てが分かった。あまり長居はできないね」
遠く遠く。
背後から視線を感じ、目を細めた。
●
こいしが橋の奥を見て動きを止めたのをよそに、現れた人影を見る。
橋の奥から現れたのは、白装束の綺麗な女性だった。
マスターの前で立ち止まったその女性は、耳元で何かを囁いている。
「…そうか、そう言う意味だったんだね」
何も聞こえないが、マスターには何か聞こえているらしい。
くい、と服の裾を引っ張られた。
「…メリー、メリー、何か見えてる?」
「蓮子には何も見えない?」
「うーん…ダメ。何も見えない」
「じゃあ目を貸してあげる」
蓮子の瞼に触れる。
私が見えているものを共有した。
「…あれがマスターの奥さん?」
「多分そうだと思う」
「綺麗ねー」
未練、だったのだろうか。
死してなお、マスターが会いに行き、奥さんが会いに来る。
不思議な光景だ。
愛という具現化する事の無い感情が、二人を動かしたとでもいうのだろうか。
「…酒のせいでどうにもロマンチストになっていけないわね」
「いいじゃない。素敵だと思わない?」
「そうね」
マスターには女性の姿が見えていないのかちょっとズレたところを見ているが、声だけはしっかりと聞こえているらしく、愛の言葉が聞こえて来る。
「これ以上見るのは野暮ってやつね」
「あら、メリーにデリカシーがあるなんて」
「酔っ払いに言われたくないわ」
そんな会話をしていれば、妙に霧が深くなった気がした。
どれ程の時間が経ったのだろうか。
なんだか感覚が麻痺してきた気もする。
妙だ、私は一体何を…
「ハーン、帰るよ」
「あら、どこに帰るの?」
「東京の酒場でハンバーガーとカクテルを楽しんでいたマエリベリー・ハーン。境界暴きはお終いにしましょ」
あぁ、そうだった。
何を考えていたのかしら。
「マスターは?」
「ここにいるよ」
「あらいつの間に」
すぐ横にいたマスターに驚いた。
「帰るよハーン」
「そうね」
これ以上いても良い事は無いらしい。
皆に触れると、マスターが手に握っていた寛永通宝の境界を再度開く。
グイと背を引かれるように境界から───
「あ」
こいしの存在が、私の手から落ちたのを感じた。
咄嗟に手を伸ばす。
届かない。
もう一度入り直して間に合うか───
「ありがと」
「え?」
「あぁ、気にしないで」
いつの間にか、手の中にこいしがいた。
●
肉の匂いがする。
思い返せばちゃんとハーンの力で境界の向こうへ行った事は初めてだったが、まぁ不思議な力だこと。
「ハンバーガーが冷めてなくてよかったねぇ」
「食い意地すごいわね…」
「これだけ美味しければそりゃ食い意地だって張るよ」
美味い飯は沢山味わいたいし、いっぱい食べたい。
「おっと気がつけば、もうハンバーガーを半分も食べてたか!次のカクテルは…っと」
店主がサッパリとした顔で氷の入ったロックグラスに酒と割り下を注ぎ、スライスライムを添えて三人に渡す。
「
「ありがとー!」
絶賛酔っ払いの蓮子。
上機嫌で受け取ったグラスの半分まで一気に飲んだ。
「…お嬢ちゃん達、この子大丈夫?」
「……まぁ明日予定が無いので…」
「そっか…」
貰ったカクテルを口に含めば、ロックらしい冷たさを唇で感じ、サッパリとしたライムの酸味が舌に乗る。
酒の辛みが喉を通り、鼻を抜ける清涼とした香り。
ハンバーガーの強い脂感が流されて、スッキリとした口内に僅かな酒感が残っている。
「最後のおつまみをすぐに準備するから、それまで味を楽しんでいて欲しいな」
再度店の奥へと消えた店主を見送ると、ハーンがこちらを見た。
結構呑んでいるはずだが、酔っているようには見えない。
「…マスター、境界の中に入っても驚いて無かったわ」
「六文銭の三文払ったあたりで驚くって事を諦めたんじゃない?」
「そうかもね…でも」
カクテルを飲み、余ったレモンピールを噛みながらハーンは続ける。
「どうしてお金を払ったら亡くなった奥さんに会えたのかしら」
「…優しさ…なのかな。どうしてだろう」
「優しさ?」
「三途の河で六文銭を渡す相手は誰か知ってる?」
「えーっと誰かしら。閻魔大王?」
「奪衣婆、だね。奪衣婆は死者の衣服を枝に掛けて、その枝のしなり具合で死者が三途の河のどこを渡るか決めるんだよ」
ハンバーガーを一口。
チーズの香りがさっきよりも強く感じる。
「六文銭は要するに賄賂なんだ。渡せば、罪に関係なく船に乗って三途の河を渡る事が出来る。そのための六文銭だよ」
「じゃあマスターが払ったのはどういう意味?」
「…通行料、とか?」
「はい?」
「渡賃は六文。けど、渡り切らずに観光するだけなら一文だけだったとかかなって」
何かを見逃している気がする。
が、それが何かも全く分からず。
「とりあえず死後の世界に足を踏み入れただけ活動としては良しじゃない?」
「十分すぎよ」
「只今戻りましたっと。もうハンバーガーもカクテルも無くなっている時間かな?最後のおつまみ兼デザートだよ」
出てきたのは真っ黒のバームクーヘン。
以前食べた物と同じだ。
「黒煉瓦。店名を冠するウチの名物さ。後はデザート用のカクテルを…っと」
シェイカーを経て、カクテルグラスに注がれたものは乳白色の綺麗なカクテル。
上にちょこんとチェリーを乗せ、手渡された。
「
「へぇ…綺麗ね」
絹のストッキング。
そう思わせる白さが美しい。
「さて、今日は三品と各種カクテルを楽しんで頂けたかな?」
「十分過ぎるほど。ねぇ、蓮子」
「うん…うーん」
「寝ないで蓮子」
「…んぇ?私酔ってないわよメリー…」
「それもうダメなやつじゃない」
カウンターに突っ伏した蓮子を他所に、私とメリーはバームクーヘンをナイフとフォークで食べ進めていく。
濃い甘味を引き立てる僅かな苦味。
カクテルのサッパリとした甘さと混ざり、くどさを感じない。
「僕は今日の体験を忘れない。ありがとう、お嬢ちゃん達」
「お礼言われたよ、ハーン」
「…うん、そうだね」
にへら、と笑ったハーンも、いつの間にか眠そうな目をしている。
「早めに帰るかぁ」
「じゃあ蓮子の分食べちゃう?」
「食べちゃお食べちゃお」
二人で分け、甘味を味わう優雅な夜。
カクテルの美味しさが素晴らしい。いい味だ…
●
「またのご来店をお待ちしております」
日はいつの間にか変わり少女達は店を後にした。
それぞれが千鳥足で酔いに浸り、今日の出来事を思い返す。
愛は世界をも越えるのかもしれないし、越えないのかもしれない。
でも、そう考えるのがロマンチックだとマエリベリー・ハーンはそう思う。
死して尚、体無くして消える事のない感情とは何なのだろうか。
「蓮子、手繋いでもいい?」
「…んー、いいよぉ」
人は生きている事を実感する事など殆ど無い。
ただ、暖かい掌を感じ、東京の街で生を実感した少女が一人いた。
何処かの橋の上で、一人の老婆が立っている。
河に流れる水の小さな音だけが聞こえていた。
手の上に乗った五枚の寛永通宝を握ると、大きく溜め息を吐く。
澄み切った穢れ無き空気が、肌を撫でた。
老婆はゆっくりと歩き出す。
自分の仕事に、戻るため。