目が覚めた。
意識は覚めず、ただ瞼を上げて天井を見る。
遠くから、何かの音が聞こえていた。
「………」
体を起こし、そのまま暫く。
「は?」
───何故、己は寝ていたのか、という疑問が湧き上がった。
感覚的にはついさっきの昼頃から今起きたまでの記憶が一切無い。
酒の香りはしない。
何か体に異常があるわけでも無い。
昼食を食べ終えてハーンと蓮子と何かの話をして、そして、そして。
そこで遮断されたように、スッパリと記憶が無いのだ。
忘れたのか、消えてしまったのか。
「…ハーン?」
横に人の暖かみは無い。
ただ、“静寂”という音が耳に入ってくる。
端末を見る。
日付は記憶にある日の翌日。
要するに、半日以上の記憶が無いことになる。
異常だ。明らかに普通では無い。
「えーっと…まず蓮子…」
焦っている。
焦ってはいるが、冷静になろうとしている事も自覚できる。
ともかくこの状況を共有できる蓮子に連絡を取ろうと通話を試みた。
───リビングの方から、着信音が聞こえる。
「蓮子?」
音のするリビングに行くと、まるでそこで蓮子の体だけが消えてしまったかのように、衣服とポーチだけが落ちていた。
とりあえず服を漁る。
「……可愛い下着履いてるな…」
ヒラヒラしている感じの下着を摘み上げたところで、脱衣所の方から勢いよく扉の開く音が聞こえた。
ビクッとして脱衣所に繋がる廊下を見ると、勢い良く蓮子が飛び込んできて。
びしょ濡れの全裸だった。
「こいし!私昨日何してたっけ!?…あー!?私の下着ィ───!!?」
「蓮子、落ち着いて落ち着いて。まずはバスタオルで体拭こうね」
「……一理あるわね」
スン、と真顔になってUターン。
全裸が廊下の奥へと消えていった。
そして2秒後、廊下に何かが落ちたような音がして。
「あ゛!ッだぁ───い!!?」
「蓮子…?」
廊下を見れば、蓮子が尻を押さえて転がっていた。
濡れたフローリングはよく滑る。
私はまた一つ賢くなった。
●
着衣済の蓮子が、紅茶を啜りながら顳顬を揉む。
「気がついたらお風呂にいた。昨日の夕方から記憶が飛んじゃってて…旧型を飲んだ記憶も無いからすごく気持ち悪いのよね」
「私も起きた場所以外は蓮子と殆ど一緒。ただ、私はお昼から記憶が無いんだよね」
その言葉に蓮子が目を閉じた。
「メロンソーダの時かしら」
「そうだね」
「じゃあ“日本酒”の話は覚えていないのね?」
「……ダメ、思い出せない」
「そう。メリーはどこ?」
「ハーンの事も分からない」
沈黙。
蓮子が大きく溜め息を吐き、腕を組んだ。
「まずは昼から夕方迄何があったかを説明しないとね。メリーの事はそれから考えよう。私の予想通りなら、私だけじゃ手が出せない」
「わかった」
紅茶をぐいと飲み干し、蓮子が立ち上がる。
そしてもう一度座り直し、カップをこちらに差し出した。
「……もう一杯頂戴」
「美味しかった?」
「とても。いい茶葉を使っているからかしら」
「いいや私の技術の賜物だね」
「じゃあ両方という事にしましょう」
紅茶を啜る。
良い香りに目を細めた。
こうも喉を潤せば、目だって冴えると言うものだ。
「───秘封倶楽部の活動は“既に始まっている”、でしょ?蓮子」
「そうね。多分そう。……いいえ違うわね」
新たな紅茶に角砂糖を一つ。
「そうでしか無いのよ」
紅茶を一気に煽り、蓮子は喉を鳴らした。
「行きましょうか、メリーを探しに。昨日の説明は歩きながら話すわね」
「そうだね」
───私には見えていた。
おそらく無意識か、酷く焦りの色を孕んだ蓮子の瞳が。
ただ、それを指摘するつもりはない。
私も焦っていた。
ただ、この感情が正しいものかわからない。
考えが纏まらない。
何かがおかしい。
「こいし?」
「うん、よし行こう」
考えが纏まらないなら考えなければいい。
ある意味、得意な事である。
扉を開け、外の空気を吸った。
感覚的には“薄い”空気が肺に満ちる。
今日は、随分と暖かい日であった。
懐かしい臭いだ。
この時代の、それもこの場所で絶対に嗅ぐはずの無い臭い。
否、今ではもう、嗅ぐはずの“無かった”臭い、か。
困惑と驚きと、そして嫌悪が隠せない。
隣の部屋からよく聞いた音が聞こえた。
それは時に笑い、時に呆れ、時に悩んだ音だった。
しかしそれを見る事も出来ないまま、大きく溜め息を吐く。
あぁ、嫌だ嫌だ。
全くもって本当に嫌になる。
───なぜなら、人の脆さを知っているから。
知っているけど、知りたくなかったから。