女子大生こいし【完結】   作:指ホチキス

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虫に喰われたように欠落した記憶のせいで、強い違和感が纏わり付く。

何をしたのか、何をしたのかと意味も無く思い返しては答えは出ない。

 

先週読んだ本のプロローグを暗唱する事すら容易だと言うのに、何故昨日の昼のことだけが思い出せないのか。

酒は入っていない。

覚えていなければおかしいような事を、何一つとして思い出せないのが気持ち悪い。

隣に座っておにぎりを口に含むこいしをチラリと見て、水を煽る。

 

「…こいし、気になることって何?」

「私は最初、認識がおかしくなったのかと思ってた」

「なんだって?」

「蓮子男の子が思い出せないって言ってたでしょ?だから、認識がおかしくなったのかなって」

 

こいしの言葉を脳内で咀嚼し、なんとか形にした。

 

「脳の異常?」

「ちょっと違う。内的なものじゃ無くて、外的な概念だよ」

「…幻想の存在?」

「そうだね。私はそう言ったものだと思っていた」

「けど違うってわけね?」

「分からないじゃなくて、私達はそれを知らない可能性」

「…未知ではなく未体験、と言うことかしら」

 

にぱ、とこいしが笑う。

頭を揺らし、瞳をぐるぐると回した。

 

「記憶が喰われた」

「はい?」

「獏って知ってる?」

「哺乳綱奇蹄目有角亜目バク科の事なら知ってる」

「なんだそれは…」

 

なんだと言われても、乳綱奇蹄目有角亜目バク科の事である。

困惑した顔のまま、こいしはこちらの手を取り掌に指で文字を書き始めた。

 

「んふ、ちょっとくすぐったい」

「この漢字が獏ね。悪夢を食う生き物」

「…生き物?妖怪じゃないの?」

「妖怪だよ。でも扱いは伝説の生き物って感じ」

「あぁ、日本は幻想の存在全てを妖怪で纏めるからそうなるのね」

「そういう事」

 

その辺、日本の枠組みは実に大雑把である。

神など明確な存在を除き、モンスターやフェアリー、デビルなどと呼ばれている存在を基本的には全て妖怪と呼称できるのだ。

 

とりあえず獏がどんな生き物なのか想像してみるが、頭に浮かぶのは乳綱奇蹄目有角亜目バク科のイメージばかり浮かぶ。

しかしなんだろう、頭が、クラクラしてきた。

 

 

「で、その獏が私達の記憶でも食べたって?」

「…可能性の話ね。蓮子は時系列を辿って、どこまで覚えてる?」

「昨日の朝、夕方、今日の朝、と…今日の夜?」

「…は?」

「待って、私、今日の夜の記憶がある…!!」

 

混乱したように頭を押さえ、暫くしてこちらを見た蓮子はさも不思議そうな顔で口を開いた。

 

「…?なんの話をしていたんだっけ」

「!?蓮子っ」

「螟懈?縺代∪縺ァ蠕後o縺壹°」

「ハーン、酒の境界って小さいの?」

「そうねぇ、活動には丁度いいんじゃないかしら」

「危険じゃなければ嬉しいなぁ」

 

掃除を終えた疲れから、ハーンの横で寝転がった。

いつものマンションの一室で、料理を作り終えたハーンが三人のグラスに日本酒【結目】を注いでいく。

テーブルを囲み、合成肉の唐揚げを摘んだ蓮子が酒瓶を見た。

 

「結目って名前で境界があるの、面白いわね」

「むすびめ、だからね。破れたものを結んで閉じているって考えれば暴くのも楽しいじゃない」

「おっメリーは脱がすの好きか〜?」

「もう飲んでる?」

「いえーい!!いや素面」

「テンションの落差怖い…」

 

すん…と笑顔から真顔になった蓮子。

若干引いた顔をしたハーンが、トーストにバターを塗りながらグラスを見る。

 

「でも、歴史や逸話が介入しない物に境界が現れるの不思議なのよね」

「お酒に逸話はたくさんあるでしょ」

「あー、結目は新しいお酒だからって意味だったけど、酒っていう大枠で捉えると確かに逸話は沢山あるわね。大体がお酒に拠る失敗の逸話だけど」

「熊曾建とかね」

「私が知ってるのはイーカリオスの話かしら」

「んー?私それ知らない」

「じゃあお酒を飲みながら話そうかしら。じゃあ…」

 

三人揃って手を合わせる。

 

「「「いただきます」」」

 

その言葉を皮切りに、夕食が始まった。

バターを塗ったトーストに唐揚げを挟んでソースまで掛けて食べ始めたハーンに、お腹周りの心配をしつつ、白米と一緒に肉を噛む。

 

「ギリシャ神話の話なんだけどね、デュオニューソスってお酒の神様がいるのよ」

「へぇ、やっぱりどこにでもお酒の神様っているのねぇ」

「そりゃあ文化と密接に関わってきたものだからね。んでその神様がとある村でイーカリオスって農夫にもてなしを受けたことがあってね。お礼にワインの製法を伝授したの」

「人に知識を与えたんだ。よほど善性に溢れていたんだろうね…」

「けどそのイーカリオスが同村の人にお酒を振る舞ったら、酒を知らないわけだから酔いを理解できていなくて、毒だと誤解されてしまったの。イーカリオスは殺されて、その娘も自殺。それを聞いて神様が超怒ったってお話」

 

あー…と喉から息が漏れた。

日本神話の酒の失敗に比べると、人に“優しい”。

日本の酒の逸話なんて八岐大蛇を殺したとか熊曾建を殺したとかそんな話ばかりである。

 

「じゃあその村が滅んでおしまいだ」

「いや、誤解が解けてイーカリオスと娘が供養されて、その場所は葡萄の名産地になったらしいわよ」

「へぇ」

 

くぴ、と日本酒を飲む。

 

「…あ、これ熱燗が美味しいかも」

「熱燗…熱するんだっけ。お酒を沸騰させる?」

「そんな事したら酒精飛んじゃう…」

 

蓮子もハーンも基本的に酒は冷やして飲むため、幻想郷を出てからは一度も熱燗を作ったことがない。

というよりも、新型はサワーが多くてお酒は冷やすもの、ぐらいのイメージが強いせいもある。

マグカップに日本酒を入れ、少し深めの適当な器に水を入れる。

 

「軽くラップしてレンジにこのお酒突っ込んで。時々見て温度確かめるから」

「え?温度設定できるけど」

「何その便利機能すごい。えーっと熱い風呂ぐらい…45度とかできる?」

「出来るよ。あっためるね」

 

暫く待機。

 

「熱燗って美味しいの?」

「蓮子は飲んだことない?」

「うーん、そもそも旧型の日本酒を飲む機会があんまり無いからね…」

「私も飲んだことないわ」

「ハーンもかぁ。新型の日本酒はどうなの?」

「旧型に較べるとどうしても美味しくない。シンプルに」

「あー…」

 

レンジが音を鳴らす。

 

「できたよ、はい」

「ありがと。えっとマグカップをそこの水に入れて」

「冷ますの?」

「まぁそんな感じ。えーっと前にカクテルで使ったバースプーンあったよね?それで軽く混ぜて完成。さっき調べた」

 

少しばかり冷やし、マグカップのままちょいと味わう。

冷酒と違い、酒精を喉で感じる熱さが口内に広がったような感覚。

喉を通せば熱がゆっくりと落ちていくのが解る。

 

「ふぅ…」

「こいし、ちょっと頂戴」

「いいよぉ」

 

蓮子に渡せば、新感覚に目を見開くのが見えた。

何も言わずに自分の分の日本酒をマグカップに入れてレンジを起動したのを目で追い、少し笑う。

 

「ハーンもいる?」

「ちょっと欲しいわ」

「じゃああげる」

 

───ハーンが何も言わずに自分の分の日本酒をマグカップに入れて蓮子の後ろに並ぶ。

少しどころか、だいぶ笑った。

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