ハーンがこちらの端末を覗き込む。
「彼氏?」
「伊吹」
「彼女かあ…」
「はいはい」
応答のアイコンをスライドし、テーブルに置いた。
「もっしもーし。今日のご飯はキノコシチュー」
『えっ』
「こちらは、おにぎりのサイダー味が好評でご機嫌の古明地こいしです。ご用件の方は、ピーと音が鳴った後にご用件をお話しください」
『えっ』
「…」
『…』
「……」
『……』
「………」
『………』
キノコシチューを無言で食べる。
底に近い方は味が濃く、沈殿した具が多い。
味に舌が慣れてしまったところに感じる濃い味は、シチューをより味わうことができる。
水を一口。
口内の“味”を洗い流せば、次の一口は驚く程濃く感じるもので。
キノコも、マカロニも、新しい味のように感じる。
食事と水は切り離せない。口内を無味で洗い流す行為は麻痺した味覚を元に戻す。味覚の公正液とも言えるだろう。
小さな麦パンなどと組み合わせれば奥歯などに残る味を吸わせた後に水で流せるため、更に口内の公正が確かなものとなる。
パン…パンが欲しくなってきたな。
「ハーン、パンある?」
「伊吹との通話は?」
「あっごめん」
『えぇ…』
美味しすぎるキノコシチューがいけない。
「伊吹もそう思うよね!」
『えーっと、えーっと…?』
「今テンション高くて頭おかしいから気にしなくて良いのよ」
「頭おかしいとはなんじゃあ!」
『ハーンさんも近くにいるの?ご飯中だった?』
「美味しく三人でキノコシチュー食べてた。なんかあった?」
『いや、えっと…おかしな話があってね。待って三人?』
「宇佐見蓮子もいるよ。今…今何してんのそれ」
「シチューの上澄みを掬うベテラン職人の真似」
「そんな職人はいない」
そんな下らない会話をしていれば、端末から息を吸う音が聞こえた。
緊張を僅かに孕んだ事すらわかってしまうほど明瞭な音質。
その雰囲気に、三人揃って手を止めた。
『その、作り話…って思って貰って構わないんだけどさ』
「うん」
『瞬間移動とかタイムスリップって信じる?』
「えーっと、蓮子」
「瞬間移動はまだ無理。質量保存の法則の話になってくるんだけど瞬間移動について最近はまた原子交換論が上がってて…うん、この話は長くなるからやめとこうか。で、時間移動に関しては…」
鬼の事を思い出したのだろう。
暫く上を向いて額に皺を作った蓮子は、ハッとした顔で頷いた。
「時間移動は!できてない!」
「そんな元気に言わなくても分かるから」
「伊吹はなんでそんな事を急に?」
『…酒蔵の娘っていうのはこいしには話したよね。ハーンさんと宇佐見さんには、初めて言うけれど』
ハーンは知っていたのでそれほど反応はしないものの、蓮子は目を見開いた。
私と端末を交互に見るので、人差し指を唇に当てる。
「はいはい。で、酒蔵がどうかした?」
『暫く前にニュースになったと思うんだけど、うちからお酒が五本盗まれたの。商品じゃなくて、奉納のための御神酒だったんだけど…』
「蓮子と話したわね。セキュリティを抜けて証拠すら残さないなんて本当に人間かしらって言った覚えがあるわ」
「メロンソーダの時のやつね。覚えてる覚えてる。覚えてるよね蓮子」
「ごめんって」
「でも伊吹のところのだったんだねえ。もしかして本当に人間じゃなかったとか?」
冗談半分の言葉に、真剣な声音が返ってきた。
『カメラの映像を確認したら、消えたの。パッとね』
「…はい?」
『まるで最初からそこに無かったみたいに、パッと消えたのよ。酒瓶ごと』
ハーンと顔を見合わせた。
「カメラの故障とかじゃなくて?」
『映像が掠れてて復元に時間が掛かったんだけど、いざ復元してみたら本当に、突然消えてたの』
「…どうして私と通話を?」
『こういう時、こいしぐらいにしか相談できるような人がいなくて…』
「私?うーん…ハーンはどう思う?」
「それ私達より警察とかに渡したほうが良くないかしら?」
『商品用の監視カメラじゃなかったから、安い映像カメラでね。再生時間を弄られてる可能性があるって警察の人が判断したたんだけど、私は何かおかしいなって思って』
「…なるほど」
キノコシチューはいつの間にか無くなっており、鍋を洗浄装置に入れたハーンが紅茶を淹れ始める。
私がチョコ菓子を準備すれば、蓮子は腹を撫でながら寝転がった。
「寝てすぐ寝ると牛になるわよ」
「反芻しちゃいそう」
「絵面最悪だからやめてよね…」
ゆるりとした食後の時間。
端末に向き直り、チョコ菓子を摘む。
「デザートは栄養補給という意味もあるらしいけれど、私達に足りない栄養が補給できるかしら」
「伊吹、話を詳しく聞かせてよ」
胃が満たされても、まだ足りず。
これから“お腹いっぱい”になるかは、まだわからない。