女子大生こいし【完結】   作:指ホチキス

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証明無き血統【前編】です。
トリフネに関する話は鳥船遺跡を、
善光寺に関する話は伊奘諾物質を参照ください。


73

部屋着から外行きの服へと着替えたこいしが、室内で靴を履いて酒瓶片手に仁王立ち。

 

「よし」

「よしじゃないが」

 

絵面が最悪なものとなっているが、当の本人は気にした様子もない。

蓮子は食器を戸棚に戻しながら、酒瓶を見ていた。

 

「誰かを酒瓶で殴りに行くの?」

「日本の伝統芸能じゃん」

「そんな伝統は無い」

 

酒瓶の中身が揺れるたびに、境界の奥の境界も一緒に歪む。

見ているだけで酔ってしまいそうだ。

アルコール的な意味では無く、三半規管的な意味で。

 

「じゃあ境界、暴くわよ。何かあったらすぐに戻ってくるから落とし物なんてしないでね」

「おっとポケットから私お気に入りのゲテおにぎりが」

「万が一トリフネみたいなところに繋がってそれを落として拾えなかったら、後世で大騒ぎになるからね。まさかここにこれを常食としている味覚と頭のおかしい奴が訪れていた…?って」

「言い過ぎでしょ」

 

私と蓮子はこいしから目を逸らした。

多分それを好んで毎度買うのはこいしぐらいしかいないのではないのだろうか。

コンビニ店員兼設備メンテナンスの人も、最初は罰ゲームかと思ったのか微笑ましい目をしていたものが段々とまた買うのか…?という目に変わっていき、最近では笑顔に戻った。真相は謎。

 

「ポケットにいらないものを詰めない事。ボールペンとか役立ちそうなものぐらいにしておきなさいって」

「じゃあ十億徳ナイフ持って行くね」

「それは…何?万能超えて億能なナイフ、多分概念的なものが含まれているわね?」

「これを持っているだけで魂が救われます」

「その機能を期待してそのナイフを買っちゃう人がいたら、多分買い物のセンスが無いと思うのよね」

 

馬鹿を言えば、緊張感も薄れるものだ。

境界の奥。歪む境界をこじ開けた。

鼻に吸い込んだのは、湿った土の匂い。

 

「おう、待ってたよ」

「…えぇ、普通にいる…」

「伊吹萃香の境界へようこそ」

 

森の中なのか、木々に囲まれ薄暗い。

切り株に腰掛けた青年が、ゆっくりと立ち上がった。

鬼の面で顔が隠され、表情は窺い知れない。

 

しかし、声に覚えがある。

鬼の声だ。

以前見た頭横の角は無く、緩く着崩した着物は赤の色。

 

「ここは…」

「どこかの山さあ。どうだ、煩いだろう」

 

遠くから、太鼓の音が聞こえている。

人の声と時折混じる笛の音。

明らかに現世では無い。

 

「…遥か昔に失われた風景さ。どうだい」

「なんというか、澄んでいる…?」

「この風もこの土も、もうどこにも無いものだ。澄んでいると思ったのなら、そういうものなんだろ」

 

鬼…否、青年はゆっくりと酒瓶を取り出した。

硝子製の瓶が、周囲の古い景色から浮いて見える。

お猪口に注がれた酒が、三人に差し出されて。

 

「名は“口吸”。一口ずつ飲みな」

「怪しいから帰っていい?」

「もう遅いよ」

「う、ん…蓮子、こいし、落ち着いて聞いてね。鬼に閉じ込められたみたい」

「人聞き悪い事を言うんじゃあ無い。酒を飲んで欲しいだけだ」

「…怪しすぎる…」

「交渉は苦手だが嘘はつかない。危害なんか加えないさ。ほれ」

 

渋々三人ともお猪口を受け取る。

口内に含めば、香りは甘かった。

味は独特。喉に来る辛みはさほどでも無い。

 

妙に、目が熱くなった。

蓮子は普通に味わっているが、こいしは顔を歪めて宙を掴んでいる。

 

「何、を」

「まずは、一本」

 

浮遊感。

 

足元を見れば、三人を飲み込むように境界が開いている。

私の力ではない。

 

「まだ、一本」

「ぐぅうううう…!」

 

こいしの呻き声を横に、石畳の硬さを踏んだ。

周囲を見渡せば何処かの寺の前。

木材は朽ちておらず、綺麗に掃除が行き届いている。

つまり“確実に”現代ではない。鬼の心情風景だろうか。

 

「…う、うぅ…目が熱い」

「メリー、こいしも大丈夫?」

「私は大丈夫。こいしは…」

「今は大丈夫。さっきだけこう奥がぐわっとぐわわわみたいな」

「とにかく無事なのね?」

 

こいしが不思議そうに首を傾げる。

───しゃりしゃりと、石畳を擦る音がした。

 

「やあ」

「また出た」

 

恐らくは、男児。

中性的な顔立ちなので不明だが、資料で見るような古い日本の着物を身に着けている。

声は全く違うが、今度の姿には角があった。

 

「さっきのは何」

「お酒だよ。日本酒は嫌いかい?」

「…」

 

完全に警戒の眼差しになったこちらを気にせず、鬼はまた懐から酒瓶を取り出した。

 

「ここは、どう見える?」

「お寺…こんなに綺麗なのは初めて見たわ」

「綺麗と言うか、ここのお寺は新しいのよね。メリーと以前見にいった善光寺と違って木材の色が違う」

「そりゃあ、違うだろうさ」

 

どこか懐かしそうに寺を眺め、鬼が鼻を鳴らす。

鬼にとってこの寺がどのようなものかは分からないが、無関係という訳でも無さそうで。

ひょいと差し出された升には、なみなみと酒が入っていた。

 

「名は“鬼切”。なんだってこんな名前なんだろうねえ」

「自虐?」

「───ひょっとして怨恨かもなあ」

「誰からの?」

「町娘」

 

言葉は短く、鬼は口を噤む。

升を受け取ると、鬼は私の目を覗き込んだ。

酔いが回ってきているのか、頬が熱い。

受け取った升の中で、透明な液体が揺れている。

 

「ほれ、ぐいっと」

「…じゃあ、いただきます」

 

喉に来るのは辛み。

香りも強く、鼻に抜ける慣れない香りに目が潤む。

 

目が、疼く。

奥が蠢くような、妙な感覚が生じていた。

 

「そして、二本」

「…!」

 

足下に開いた境界に落ちる。

踏んだのは、木材の硬さ。

どこかの街並みの、食事処の中だろうか。

───それにしては誰もいない。木組みの建築と段差の上に敷かれた茣蓙から察するに、店自体はかなり古いものだろう。いつの時代なのかすらわからない。

樹海でお世話になった【蕎麦処 鈴】のような雰囲気だった。

 

屋外からは、雑多とした生活音が耳に入ってくる。

 

「…ねえメリー、これ途中で帰れないの?」

「うーん、無理というか、私が開けない境界に迷い込んじゃったみたい」

「なんじゃそりゃ」

 

周囲の景色が珍しいのか写真を撮ろうとするこいしから端末を取り上げながら、蓮子にどう説明しようか考える。

 

「境界の中の空間から、別の境界の空間に移動しているような状態なの。要するに私の力じゃ出口が開かない空間にいるのよ」

「はいはい理解。道筋を戻るのは?」

「…できるかわからないかな」

「まあ安心してくれや。危害なんて加えねえからよ」

 

店へ、長身の女が入ってきた。

性別は違うが、少しばかり大人びた鬼の顔と声だ。

着崩した青の着物は、艶やかだが下品では無い。

かと言って上品さもなく、豪快と表現するのがピッタリだろう。

 

引き戸だったため、女が顔横に伸びる角を引っ掛け、戸が破壊される。

豪快な音を立てるも、店の外から誰かが入ってくる様子も無く、店の奥から人が顔を覗かせる事も無い。

 

「んあ、やっちまった」

「ちょ、えぇ…」

 

気にした様子は無く、鬼は茣蓙へと上がり込んで座った。

ちょいちょいと手招きされたので、三人揃って靴を脱ぎ茣蓙へと上がる。

蓮子もこいしも、酒気が回っているのか顔が赤い。

私も、目の先がぐらぐらと感じていた。

 

「女にもなれるの?」

「ん、稗田の資料が焼けたからな。姿が不定になっちまった」

「…?」

「あぁ、男にも女にもなれるさ。妖怪に性別なんざ無いんだよ」

 

居心地の悪そうに頬杖に頭を預け、溜息を吐く。

そんな鬼の姿に、少しばかり見惚れてしまった。

 

「…で、何をさせるつもり?」

「酒を飲んでもらいたいだけだ。それ以外は望まん」

「わからないけど、信じるわ」

「鬼に横道は無い。安心して飲んでくれや」

 

酒の入った木の器がテーブルの上に置かれた。

誰が置いたのかはわからない。気がついたら“置かれていた”のだ。

升より浅くお猪口よりは深い。

よくわからないコップのようなものに、鬼は酒を注ぐ。

 

「名は“神便鬼毒酒”。確実に恨まれてんなあこれ」

「私はよく知らないけど、毒の酒なの?」

「毒なんか入ってりゃしないさ。飲むやつ次第だがな」

「そのお酒が毒になる人もいるってことかしら」

「…神便鬼毒酒は、鬼にとっては嫌な酒なのさ。人にとっては、ちょっと美味しすぎるかもしれんがな」

「あはは、ハーン、飲んでもいいんじゃない?」

「…こいし?」

 

振り向いて、目を疑った。

“境界が見える”。

こいしの頭部に、ほんの小さな小さな境界が在った。

 

それは、その境界は。出会ったばかりの頃に見えた、あの境界だった。

気がつけば一緒にいるうちにいつの間にか閉じてしまっていて、それを思い出せず、“忘れていた”ような境界。

 

「…飲んだ、お酒のせい…?何、これは…」

「気にせず、飲んでみればいい」

 

鬼は、ただ笑っていた。

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