女子大生こいし【完結】   作:指ホチキス

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証明無き血統【後編】です。
作品内に登場するお酒を、実在するお酒並びにメーカーと結び付けて感想で出すのはお控えください。よろしくお願い致します。


74

こいしの頭部に、境界が見える。

境界の奥は空っぽで、何も無い黒の色。

 

「…このお酒、何かおかしい」

「どこがおかしいんだい?」

 

少しばかり困った顔で、鬼は言う。

酔った頭では上手く言葉にできないが、おかしいものはおかしいのだ。

蓮子も、コップに伸ばしていた手を止める。

 

「あなたは、嘘をつかないんでしょう?」

「そうさ、鬼は、私は、伊吹萃香は…嘘を嫌う。ちょっとは、言うかもしれないがな」

「じゃあ質問するわ。私達の事を、騙そうとしてる?」

「いいや、騙す気はない」

 

即答だった。

ただ、答え方が少し気になった。

 

「私達が騙される可能性はあるのね」

「そうだな。私は騙す気なんてないが、勝手に騙される事もある」

「…私に隠し事をしている?」

「ああ、しているとも」

 

鬼の瞳は、どこまでも真っ直ぐである。

あまりにも強い視線に、思わず目を逸らした。

この境界を見る瞳が、鬼の瞳の奥に何かを見て、畏れたのだ。

 

「ただ、危害を加えない事に変わりはない。それだけは変わらない」

「質問は、まだしていい?」

「そのお酒を飲んだらね」

「…蓮子、こいし」

「はーいよ」

 

ぐい、と酒を煽る。

 

「いいねえ、3本目だ」

 

目を閉じれば、倒壊しそうな鳥居が目の前にあった。

鳥居の片側は朽ちており、奥に見える寂れた神社に人気は無い。

神社周りに鬱蒼と生い茂った木々が、酷く不気味に見えて。

 

「蓮子、太陽を見て何かわかる?」

「…方角がわからないから何とも言い難い。でも天頂に近いし昼頃なのは確か。星が見えないから場所までは無理」

「せめて夜だったら良かったわね…」

 

境内は雑草が茂っており、人が立ち入った形跡すら見当たらず。

もはやここが、現実なのか境界の中なのかすら区別がつかない。

酔いが進み、どうにも頭が回らない。

 

───ガランガランと、下駄の音。

 

「おう、質問いいぞ!」

 

豪快な声で登場したのは、童女の姿をした鬼。

和服を着ているものの、何故だかあまり似合わない。

真横に伸びた角は、先程見た大人の姿よりも若干短かった。

 

「ここはどこ」

「わからん」

 

これもまた、即答であった。

 

「多分私が関係する神社だろ。又はこの酒に関係するところかな」

「…今度のお酒は何?」

「名は八塩折之酒。八岐大蛇を倒すために作られた酒と同じ名前さ」

 

酒瓶が、目の前に差し出される。

手に取れば、ラベルに“八塩酒蔵”の文字が見え。

酔った勢いで、ふとした疑問がそのまま口から出る。

 

「ひょっとしてこのお酒、御神酒?」

 

鬼は、笑顔のまま固まった。

 

「…そうだよ。これは、神に捧げられた酒だ」

 

ああ、では、当たっていたのだ。

やはり酒を盗ったのは、人では無かった。

 

「どうやって盗んだの」

「失礼な事を言うんじゃない。これは私の…いや違うか。勝手に私に押し付けられた酒だよ」

「どういうこと?」

 

鬼は神社の方にドカドカと歩き出し、賽銭箱に座り込んだ

 

「こっちおいで、酔って立ち話も嫌だろう」

「わーい」

 

こいしは酔っているのか、妙にテンションが高い。

頭の境界が先程よりも大きく見えるが、視界がぼんやりしているのでよくわからなかった。

 

賽銭箱の前で一礼し、神社の(きざはし)に腰掛ける。

鬼は瓢箪を咥え、居心地が悪そうに座り直した。

 

「その酒を作った酒蔵はなあ、何を間違えたのか私を神として祀っちまいやがった」

「───七首大明神の話かしら」

「やめろやめろ、そんな神なんざ“どこにもいない”」

 

鬼はどこからか取り出した木製の杯に八塩折之酒を入れると、三人に手渡した。

 

「話を聞くのに酒の一つも無いんじゃつまらんだろう。飲みながら聞けばいいさ」

 

礼を言い、酒を受け取ろうとすれば、ひょいと杯が隠された。

 

「礼を言わないでくれ。酒を味わうのはいいが、礼を言われちゃ困る」

「…そういうものなの?」

「あぁ、そういうものなのさ」

 

今度は無言で受け取る。

満足そうに頷いた鬼は、自分の瓢箪から酒を煽り遠くを見た。

 

「…七首大明神は、嘘の塊だ。そんな神はいないし、首を絶たれて七つの首が生えた鬼なんかもいない」

「鬼…?神の血を引く者としか聞いてないけど、そう言われている鬼と、知り合いだったの?」

「気付いているだろう、お嬢ちゃん。その首を斬られた鬼が私なのさ」

 

どことなく、気付いてはいた。

先程の自らが祀られたという話から、殆ど確信に変わっていた。

 

鬼は、ゆっくりと首を撫でる。

 

「首を斬られた私は、死んだ。人に騙され、鬼として死んだんだ」

「今、目の前にいる貴方は何者かしら」

「ここに居るのは伊吹萃香さ。あの頃呼ばれていた名の鬼は死んだが、妖怪は一度死んでも“無くなる”訳じゃない」

 

どこか懐かしむ鬼の顔には、寂しさと、微かな怒り。

その目には、どのような情景が映っているのだろうか。

 

「…話を戻そうか。ある日、私は境界の中から顕界に出てきた」

「私が境界を暴いた時の事かしら」

「そうだね。あの時は境界の中から開ける者を探していた。そこでお嬢ちゃんが引っかかった訳だが、顕界に出てきた時、私の体に異変が起きたんだよ」

 

鬼は腕を組み、大きく息を吐く。

 

「気色悪い神力が纏わりついたのさ」

「神力…?」

「要するにこんな時代のこんな宗教衰退一直線の世の中で、何をどう間違ったのか私を信仰する奴がいたのさ。それも、“嘘”を信仰していやがった」

 

少しばかりの間。

杯が揺れ、酒を持っている事をふと思い出した。

啜ってみれば、意外にも果実の香りが鼻を抜ける。

 

「恐らくは私に流れる伊吹の血…八岐大蛇の話を織り交ぜて嘘を吐いた奴がいて、誰もその嘘を嘘だと見抜けなかった」

「…嘘を嘘だと見抜けないなんて事、あるのかしら?」

「それがあるのさ。例えば、“真実が空白になった時”とかにね」

 

ため息混じりの鬼の言葉に、目を見開いた。

データ欠落のタイミングで嘘が織り交ぜられた話は時折聞く。

大概は元データのサルベージによって真偽が見破られるものだが───

 

「失われた真実の穴は仮想と想定で埋まっていく。その埋まった場所を違うと言えるのは、“真実を知る”者だけなのさ」

「誰かの嘘が、嘘だとわからなかった…」

「ま、嘘とは断じられないが、間違いが真実と成ってしまったのは事実。お陰で訳の分からない神力が私に回ってきちまってね」

 

瓢箪を煽って喉を鳴らし。

鬼はゆっくりと立ち上がった。

 

「だから私は、信仰を突っぱねる事にした」

 

階に、境界の線が伸びる。

 

「さあさあ4本目。次で、最後だ」

 

暗転。

最後に降り立ったのは、見慣れた一室だった。

マンションの、初めて鬼と出会った一室。

 

そこに、鬼はいた。

最初に出会った時と同じ、少年の姿。

服装は、着物ではなく現代風だ。

 

「最後は、ここになったか」

「ここは…現実…」

「いいや、まだ境界の中さ」

 

酔いがかなり回っているせいか、鬼の声が少し遠い。

 

「最後の酒は、もう分かっているだろう?」

「う、ん。結目ね」

「そうとも。名は結目。これが最後だ」

 

ガラス製のグラスに、結目が注がれる。

こいしも蓮子も、酔いのせいか口数が減っていた。

 

「質問は、まだいい?」

「あぁ、いいとも。答えよう」

「どうして、境界の中に私達を呼び込んだの」

「…答えは、現実じゃ“権能が使えない”からさ」

 

意味がわからない。

意味がわかるほど、思考が働いていない。

ただ、目の前の酒を飲んだ。

そうすればいい事だけは分かっていたから。

 

───目が熱い。

ぶわりと、鬼の体に幾本もの線が走った。

更に、空間にも線が飛び出していく。

 

「う、あぁ、ぐ…ぅううう…」

 

こいしの呻き声を横に、拳を強く握った。

恐ろしいほど多く、大きな境界が見える。

ともすれば飲み込まれてしまいそうな光景に、喉が鳴る。

 

「おっと、お嬢ちゃん目を閉じてくれるかい」

「ぅ」

「こいしちゃんも、こっちにおいで」

 

瞼を落とせば、鬼が頭に触れてきた。

すぐ隣に、こいしの荒い息遣いが聞こえる。

 

「祓おうぞ、祓おうぞ」

 

凛とした声が聞こえた。

鬼の声だが、さっきよりずっと澄んでいて、違う声にも聞こえる。

 

「我が名は“首塚大明神”。首から上の障りを祓おうぞ」

 

目の熱さが引いていく。

鬼の手が頭から離れた頃には、もう何も感じなかった。

恐る恐る瞼を上げれば、先程の境界など何一つとして見えない。

 

「これがお嬢ちゃん達を引き込んだ理由。現実で忘れられた神は、境界の中じゃないと権能を振るうことすらままならない」

「神じゃ、無かったんじゃないの?」

「七首大明神なんて神じゃあ無いだけさ。長年生きてりゃ、神だった事もある」

 

酔いは醒めず、眠気がこみ上げる。

まだ昼頃の筈なのに、頭が醒めない。

 

「あぁそうだ、こいしちゃんをよろしく頼んだよ」

「待って…」

 

瞼が重い。

もう、動く気すら起きなかった。

やがて、何も聞こえなくなり。

 

 

 

───静かになった部屋の中で、鬼は自らの首を撫でる。

 

「…ああ、これでいいだろう、紫」

 

独り言に応える者などいない。

 

「まったく、お前がどうにかしろよな」

 

ポロリと落ちた鬼の頭が、床に転がった。

首の断面から血は流れない。

無造作に自らの頭を掴んで脇に抱えると、鬼は目を瞑る。

 

「はあ、あ。人も神も妖も、在り方ってのは難儀なもんだ」

 

遥か昔を思い返す鬼の言葉は、深いため息と共に宙に溶けた。

 

 

妖も神も、非実在と括られて互いが曖昧となって久しい。

時代が進み進み、進み続けた先。

その地点だからこそ見えるものもあれば、置き去りにしすぎて見えないものも、また“在る”ものだ。

 

一度失ったものを元に戻そうとしても全く同じにならないように、情報もまた、一度完全に失伝してしまえば再現する事は困難である。

 

そうならないためにも、粘土板に、木板に、紙に、電子に、人は情報を残していく。

 

しかし、それでも何らかの状態によって情報が失伝してしまった時。

そして限りなく正解に近い予想と仮定で埋められ、玉石混合となった情報の空白を、それは違うと指摘できる者がいなくなった時。

 

───その瞬間が、情報の死ぬ時なのである。

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