ゆらりゆらり、葉が揺れる。
妖怪の山の姿だけは、今も昔もさして変わらない。
「ねえ」
「…なんだい」
落ち葉に寝転がっていた鬼が、目を開けた。
知った声だったから、無視も出来ず。
面倒だったので、鬼は起き上がりもしなかった。
「アンタ、外に出たわね?理由は何?」
「なんだっていいだろ」
「───八雲紫に、会ったわね?」
鬼の目には、宙から生えた指が見えていた。
額に触れようとするその指に対し、大きく溜息を吐く。
「“暴くな”。喰うぞ」
「…で、質問の答えは?」
「何をそんなに焦っているんだ?」
「答えは?」
苛立ちを隠せないその声に、上半身を起こした。
「八雲紫なんて妖怪はもうどこにもいない」
「……」
それっきり、気配は消える。
───風が吹いた。
「お久しぶりですね」
「…天狗かい。なんだこんなところまで」
鬼の記憶と違い、その天狗は赤の着物を身に付けていた。
山伏のような姿はどこにも無く、まるで動く事を考えていないかのような出立で。
その事に、鬼は少しだけ目を細めた。
「“久々に”貴方の姿を見かけたので、挨拶に来たんです」
「大昔みたいに下手に出て追い出そうとはしないんだねえ」
「天狗社会も意識改革が進んでいるんです。排他的な上も変わって、ある程度は融和に進み始めていますから」
「しかし、天魔が直々に顔を出さないとはどうなってるんだ」
「───天魔様は…いえ、私ももう相応の地位に着いているんです。私より上を出すとなると足腰に問題があるのしか出てきませんよ?」
「おっと、烏丸も鳶も崇郎もみんな老いぼれになっちまったか。じゃあ、文でいい。今日は立場なんぞ気にせず、少し酌をしてくれないかい?」
「酒も肴も持ち合わせて無いですが…」
「面白い話と酒は持ってきた。それでいいだろ」
酒瓶と升を天狗に差し出した鬼は、いつもより優しげな顔をしていて。
思わず天狗は動きを止めた。
「なんだ?」
「…いえ」
訊きはしない。
天狗は酒瓶を受け取り、昔を思い出しながら升に酒を注ぐ。
「…ちょっくら外の世界まで出てきてなあ」
「外の世界ですか。何か、新しいものはありましたか?」
「あったあった。文、あんた子供作った事あるか?」
「え?いや、えーっと…当たった事が無いので無いですねえ」
「当てた事は?」
「さあ…見たこと無いので無いと思います」
「だよなあ!」
はっはっは、なんて勢い良く鬼が笑う。
升をグイと煽り、喉を鳴らし。
「当てた!」
「…えぇ!?いたんですか!?いつの子ですか!?」
「多分…大江山の時代かあ…?いや、源の野郎にやられた後に幻想郷に来たから全然知らなくてな。今回ヒョイっと出てみたら遭遇した」
「びっくりですよ。なんですかその話」
「私も驚いちまってな。それも私を神と祀ってると来て笑っちまったよ」
「…禍根とか無いんですね」
「や、ありゃガッツリ恨まれてんな。神の話は私と気付いて無かった。子孫が酒造してたんだが、酒の名前が鬼切に八塩折之酒に神便鬼毒酒とくらあ」
「うわあ…」
大江山の時代より数世紀。
何世代と経て尚もその言葉が出てくる辺り、余程恨まれていたのだろう。
「しかも私の情報なんて殆ど無いんだぞ?それなのによくもまあ神便鬼毒酒なんて言葉を探し当てたもんだよ」
「偶然かもしれませんよ?」
「いいや、“必然”だね。人の恨みは時に妖怪を超える。恐ろしいもんだ」
そう言う鬼の顔は、笑っていた。
升をグイと煽り、喉を鳴らす。
「はああ、全く味も何もかも酷いもんだ。でもまあ、懐かしむには丁度いい」
「…その体、まさかこの酒…」
酒瓶には、ラベルが無い。
それでも天狗には、この酒の名が分かってしまった。
鬼の指先が崩れ、皮膚は爛れ、綺麗だった首は斬られたように血が流れ出している。
「試しに一本買ってみたが、怖いもんだなあ。逸話ってのは」
「神便鬼毒酒…!」
「鬼の子を孕んだ娘の恨みは引き継がれてるらしい。いやあ、これだから人の恨みってのは恐ろしい」
神便鬼毒酒を飲み、動けなくなった酒呑童子は首を刎ねられて死んだ。
故に、酒呑童子は神便鬼毒酒を飲めば魂魄に異常が発生する。
何故なら、神便鬼毒酒は酒呑童子を“殺した”酒であり。
何故なら、酒呑童子は神便鬼毒酒に“殺された”鬼だから。
それでも鬼は、升を空にした。
「鬼に横道は無い。が、こんな毒なら飲んでもいいかもしれんなあ」
「…やはり貴方は、気位が高すぎる」
「なんだなんだ、ゲホ、褒めてるのかい?」
「えぇ、今では貴方のような妖怪を地上で見る事も減りましたから…」
そう溢した天狗の指には、ペンダコも無くなっていて。
ただ、鬼と同じ昔を思い返す目をしていた。
「あの天狗が昔を懐かしむかい」
「懐かしみますよ、時には」
「そうかいそうかい。もう一杯、注いでおくれ」
───随分と昔に守矢神社へと引かれた索道は朽ち果て、河童の手によって撤去が進む。
妖怪が人を襲えば、人は神に祈る。
神は信仰心を手に入れ、妖怪は恐れを喰らう。
双方は人によって成り立つが、双方とも人の上に居る者だ。
神は賢い。
徐々に幻想郷の実態を掴んだ神は、思考する。
結果として、より“効率的な道”を選んだ。
そして幻想郷の妖怪もまた、神の選んだ道に便乗する。
昔を知る、烏天狗の目には。
今を知る、烏天狗の目には。
変わらない鬼の妖怪としての姿が、非常に尊いものに見えていた。
これで証明無き血統編はおしまいです。
次の秘封倶楽部の活動は一体なんでしょう?