駅近くの複合店に入り、通路から見える各店舗の陳列を流し見ながら歩いていく。
今や“置き”の店は少なく、態々買い物のために外へ出る事自体が少数になりつつある時勢。
店舗を建てようと場所へ金を払う利点は少なく、その分広告に金を出す企業が大半だ。
「あ、このチーク良くない?」
「いいじゃん。後でページ見せてよ」
すれ違った女性が端末で広告を撮っているのを見て、やはり店へ置くにはそれなりの理由や訳が無ければネットワークへと移動するだろうなと常々思う。
だからこそ人は徐々に土地へ無頓着になっていったと言えるのだが。
「メリー、最新のVRゴーグルあるけどどう?これなら着けられるんじゃないかしら」
「多分ダメよ。結局はその在り方が相性悪いもの」
「ダイブショッピングとか一緒にしたいんだけど、そうよねえ」
ネットサーフィン。
遥か昔に電子の海から来た情報の波を移っていく様をそう呼称し始めたのは、一体誰だったのか。
サーフィンから転じて、VRゴーグル等を用いて五感を電子の海へと沈めていくさまをネットダイビングと言い始めたのも、今では誰かわからない。
安価で自分の操作するアバターを仮想空間に立体作成し、非実在の街で買い物を行うダイブショッピングは、言葉と共に世界に馴染んで久しく。
未だ通貨の統一は為されていないものの、海外の品ですら実物に近いモデルを実際に目で見て手に取って購入できるというのは、ネット通販によって“置き”の店が減っていく流れを更に加速させていった。
「ハーン、ダイブショッピングって何?」
「電子で出来た仮想現実の世界で買い物をするの。実際にサイズ感や細かい部分が家から一歩も出ずに手に取って見ることが出来るわ。元々実体の無い電子書籍とかゲームの売買から派生した文化よ」
商品を見せるための並べる場所を必要とせず、立体情報へ変換するための業務用スキャナーを用いるだけで電子の世界でほぼ実物に近い存在を客に見せることができる。
それは“探す”という無駄の削減に繋がった。
「えぇ、じゃあ電子の世界に入れるって事?」
「そこまではまだ無理よ。五感を限り無く仮想現実と連動させることはできるけどね。結構安く買えるわよ」
ヴァーチャルの感覚は、現実より強く過度に刺激を与えてくる。
仮想が現実へ密接に近づいた今では、最早互いを区別できないとまで言われている。
───そんな常識も、私にとっては違うのだが。
「ハーンは持ってるの?」
「“水遊び用”のはね」
仮想現実とこの瞳は相性が悪い。
仮想現実というものはある意味でどこまで現実に近づこうと明確な、実在と非実在の境界が薄っすらとだが存在しているもので、境界を隔てて“確かに”分断されている。
故にこの瞳は、開かずとも存在している大きな境界の膜を通してで無ければヴァーチャルの光景を楽しめず、視覚をゴーグルによって覆われて見える全方位境界の光景には“酔って”しまう。
夢と現が区別できず、人間と胡蝶も区別できない世の中だが───
“仮想現実”と“現実”は、この瞳にとっては似て非なるものなのだ。
だからこそディスプレイに仮想現実を映し、触覚と聴覚を連動させるダイビングとは言えない“ちょっとした水遊び”用の物ぐらいしか持っていないのだが。
「む、ちょっと気になるかも」
「だったら今度私のを持って行こうか?」
「ふーん、蓮子は持ってるんだ」
「まあね。とは言えメリーのお下がりだけど」
「私にはどれだけ良い物だって使えないんですもの。だったら使える人に使ってもらった方がいいじゃない」
持ってるというより元は貰い物だが、使わずに埃を被るのも可哀想で、VRゴーグルとVRグローブ等は蓮子へと渡していた。
結構高いものだったのか、それぞれの反応性は良いものだった記憶がある。
「ふと思ったんだけど、メリーは仮想の境界を暴こうとは思わないの?」
「嫌よ。ヴァーチャルの境界は簡単に言えば新しすぎる人工の神秘。変に開いて指を突っ込んだら超薄型基板に触って感電なんて笑えないわ」
「確かに、そりゃ笑えない」
ヒロシゲのカレイドスクリーンに映し出される壮大な風景のように。
人の五感を刺激するのは、“そう作られた”ヴァーチャルの方がリアルより遥かに強い。
ヴァーチャルよりリアルの方が、なんて前時代的な事を言えば失笑される世の中で、私は買い物のために家を出た。
───人は、古さを捨てる為に何を捨てねばならないのか。
ニコラ・テスラの偉大な発明より遥かな時代を経た現在、“未だ”電気によってヴァーチャルが形成される世の中に生きる私にとってその問いは、少しばかり難しい。
「お、なんか知らないけどスイーツの新作発売だって」
「あら、行ってみようかしらね」
「じゃあ蓮子の奢りね。たくさん食べようっと」
「こらこら」
ただ、新きを知る事は、さして難しい事ではない。
それは、蓮子ほど頭の良くない私でも解る事だった。