買い物袋の中身を冷蔵庫に詰め終え、漸く一息。
ソファの上で限りなくだらけた姿のハーンをよそに、ふと自分が何者であるかと自問する。
己は、人である。
人の筈であり、何らかの事情でここにいる筈だ。
ただ、あの鬼の言葉が引っかかっている。
「さとり…ね」
呟いたところで何かを思い出すわけでもない。
さとりという人物の元に、私が居たかのような話をぼんやりと覚えていた。
他に何かを聞いたような気がするが、どうも思い出せない。
「ハーン、私の家族の話したことあるっけ?」
「んえ?うーん、旅してたって話は覚えてるよ。あとなんだっけ、お兄ちゃんだかお姉ちゃんがいるってのも聞いたような気がするけれど」
「そうだっけか。ありがと」
「もしかして…忘れてる?」
気遣うような表情のハーンの言葉に、ゆっくりと頷いた。
「思い出せない。多分、境界のせいなのかもしれない」
「いつから?」
「それも思い出せない。記憶が虫食いみたいになってるのかもしれないし、ある点だけごっそり抜けてる可能性もある」
「インターネットサルベージみたいな話ね…どこが消えたかわからないから復元のしようがないってやつ」
のそりと起き上がったハーンが目を閉じて、瞼を上げる。
どこか瞳の金色に紫が混ざるように見えるも、その色は光の加減だったのかすぐに消え。
ゆるりとこちらの額に触れようと手を伸ばすハーンの目が、どこか虚なものとなった。
「……」
「ハーン」
「ん」
ハーンが、瞬きを一つ。
降りた瞼を上げた時、金の瞳と目が合った。
「何してんの?」
「何って…何…を…」
こちらの額に伸ばしていた手を見つめ、不思議そうに首を傾げる。
「…変ね」
「うーん、とりあえず私の境界を見ないようにできる?」
「難しいわ。私の瞳は境界を見ようとして見ている訳じゃあないからね」
「むむむ…はぁ、お腹すいた」
「今日は何の気分?」
「めんま」
「どんな気分なのそれ」
そんな会話をしながらハーンが端末を弄り、暫く。
ふらっとハーンが部屋から出て行き、玄関のドアを開錠、そして施錠した音が聞こえた。
「ハーン?」
先程何かおかしな様子だった事から、不安を感じる。
何か嫌な予感がして、ハーンを追おうとすれば。
───醤油ラーメンメンマ大盛り&メンママヨ丼が見える。
「…えぇ」
「いや、だからメンマ」
「本当に…?」
お盆のようなものにラーメンと丼を乗せたハーンが帰ってきた。
訳がわからないものの、とりあえずソファーに座って箸を準備する。
テーブルに置かれた拉麺を啜れば、しっかりとした醤油味の中に魚介系の香りが鼻を抜ける。
麺は伸びておらず、スープの熱さも丁度いい。
「…?どこで拾ってきたの…?」
「ん、さっき頼んで空送で届いたの」
「くうそう…?」
「無人航空機配達…通称の
「あー、なんかいるなあとは思ってたけどこれかあ」
「大昔に事故があったせいで京都とかの一部地域でしか見られなくなっちゃったけどね。昔はもっといっぱい飛んでたらしいよ」
失敗は、時に技術を停滞させるものだ。
失敗は成功の母という言葉があるが、責任と賠償、信用や評価などを内包して生じる失敗もある。
「まあいいや、美味しければなんでも」
「技術の結晶を味わう贅沢はいかが?」
「最高…ずるる」
好きなものが手軽に食べられるというのは、本当に良いものだ。
「でもハーンの手料理も好きだなあ」
「…手作りでメンマ作る?」
「そこまでは流石に」
「そうよね。まず作り方よく知らないし…」
そう言いながら端末を触るハーンを他所に、ラーメンと丼を味わう。
合成食なのだが、米や麺の味は本物と相違無い。
違うものから殆ど同じものを作る技術力は、本物と模造の区別を曖昧にしていく。
「あ、食べられるメンマって商品売ってる」
「逆に食べられないメンマって何?」
「さあ…竹のまんまとか?」
「それもうメンマって言わない。マンマ」
どこかに突出した個性を付け足すのは、そういった曖昧さから逃れようと足掻いているのかもしれない。
独自性を見つけるにも、殆どは既出ばかり。
人は未知を既知に変え続け、いつしか未知を“探す”ようになっていった。
知識欲とは、理性的な概念に反して本質は本能的で獰猛なものである。