人間はいずれ死ぬ。
それに逆らおうとしたのは誰で、それを潰したのは一体誰だったか。
───この電子書籍も、ハズレ。
スライドで画面外に文字群を追いやり、端末をティーカップの横に置く。
「はぁ」
メリーもこいしもいない静かな喫茶店内では、カリカリとメモに文字を綴る万年筆の音が妙に大きく聞こえていた。
レポートの作成中、気分転換にふと開いてみた新しい電子書籍はなんというか好みではなく、それ故に気分が落ちてしまい。
ノートパソコンを閉じてバッグにしまうと、ハーブティーを啜った。
「…おぉ、ちょっと片付けないとな」
ノートパソコンだけではなく、テーブルにまで貼り付いた付箋を剥がしてそれぞれの情報をメモにまとめながら書き写す。
熱中していたせいか、意外にも多いメモを頭を捻りながらわかりやすいようにまとめ、書き漏らしがないようにメモを仕分け。
「やっほ、あ、ケーキ貰うよ」
「うん」
「やったあ、蓮子大好き」
「うん」
「じゃあね〜ケーキありがと」
書き終えたので、一息。
顔を上げ、楽しみにしていたガトーショコラを食べようとすれば、そこには空っぽの皿があった。
「…え?」
集中している間に食べたのかと思って口周りに触れるが、そんな場所にガトーショコラなどくっついているはずもなく。
舌で口内を探るが、欠片どころか味すら感じない。
下に落ちたかとテーブルの下を見て、皿の上を見て、周囲を見て。
「き、消えた…!?」
静かな店内に、悲痛な声が響いた。
●
『これって秘封倶楽部の案件では?』
「天文学的な確率でテーブルと地表を前触れなくガトーショコラの原子が全て通り抜けた可能性があるわよ」
『運動量0でガトーショコラを構成する原子が全て通り抜ける確率なんて天文学的を超えてるけどね』
蓮子からの通話要求に応えれば、訳の分からない事を言い始めたのでどうしようかと迷う。
『今何してる?』
「こいしと料理してる」
『何作ってるの?』
「ワンタンスープよ。来るなら少し多めに作るけど」
『行く行く。で、無くなったのよ。ケーキが』
「私に言われても困るわ。食いしん坊な蓮子ちゃんが知らぬ間にぺろっと食べちゃったんじゃないの?こいし、蓮子来るからワンタンもうちょっと作って頂戴」
「はーい。あ、丁度コーンスープの粉末と紅茶の茶葉とお醤油が無くなってたし、ついでにおつかい頼んだら?」
「いいわねそれ。聞こえてた?」
『ケーキが消えた上にパシられる蓮子ちゃん可哀想』
「ハイハイ、可哀想可哀想。じゃあ待ってるわね」
『買い物含めて2時間後ぐらいに着くと思うからよろしくね』
通話が切れたので、ワンタンの製作に戻る。
皮に胡椒を少しばかり混ぜた挽肉を包むだけだが、慣れれば楽しいものだ。
一人でやる気は起きないものの、誰かがいるならなんとなく作るのもありだと思って始めたワンタンの製作も、気がつけば効率的に綺麗に包めるようになっていて。
「何、蓮子の食いしん坊が発動した?」
「よくは知らないけど、ケーキが勝手に消えちゃったって。境界の中に奪われた…なんて仮定は無理があるわね。街中で勝手に開くものではないし」
境界は未知との境目とも言えるが、しかしそれを開くには相応の能力が必要だし、何より無くなるような事が起きれば流石の蓮子でも気がつくだろう。
……メリー、私講義室にバッグ丸ごと忘れた。
……メリー、ひょっとして私まだ何も注文してない?
……メリー、読書して気がついたらヒロシゲが帰ってたの。
───やっぱり気が付かないかもしれない。
それでも、何かが起きれば相応の事象は発生する筈だ。
「無意識に食べちゃったのかしらね」
喋りながら、もはや意識的に作業を行わなくてもワンタンを包めるようになっているのを自覚しながら、そんな事を呟いた。
こいしがむに…と皮の隙間から挽肉を溢れさせる様子を見て、お湯を沸かすために立ち上がる。
慣れた動作は、最終的に無意識に飲み込まれるものだ。
立ち、歩くという行為は、その極地と言えるのかもしれない。
幼児は皆、自らの未知を既知へと変えていく偉大な学者なのだ。