女子大生こいし【完結】   作:指ホチキス

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暗闇の中、“私の声”が聞こえる。

 

───どうしたの。

 

どうしたのって、何が?

 

───わからないの。

 

わからないのって、何が?

 

───忘れたの。

 

何を言っているのかわからない。

何も分からず、ただ宙を浮かぶ眼球がゆっくりと歪んでいく。

 

───そうだね。

 

そんな言葉と同時に、眼球は潰れた。

粘性な音が聞こえ、広がった赤の色は嫌に目に残る。

 

───どうして。

 

ぼんやりと歪み始めた意識の中。

目の醒める寸前に聞こえた最後の声は、私の声ではなかった。

 

 

頭が重い。

胎の奥が痛く、体は軋んでいる。

凄まじい倦怠感に、立つ事も億劫だった。

昨日蓮子と共に歩いたから風邪でも引いたのだろうか。

珍しく先にベッドから抜け出したハーンが紅茶を淹れるのを遠目に、唇を開く。

 

「ハーン…なんか、だるいというか調子が悪い」

「ん、熱測ろうか」

 

ベッドに寝転がったまま、どうにも動く気力が無い。

額に何かが近づき、離れていくのを薄目で見る。

 

細長い棒のようなものをこちらに向けながら、ハーンがその側面を見ていた。

 

「熱どころかちょっと低いね。……いつもより重い?」

「違う。単純に調子が悪いだけ」
「……ぅ?」
                     

「そっか。ちょっと待ってね、紅茶淹れるから」

「レモンティーがいいな。さっぱりしたい」
少女は、ふと“目を覚ました”。
                     

「はーい」
突然すぎたが故に、現状が分からず。
                     

 

足音が遠ざかり、ゴソゴソと何かを探す音が聞こえる。

重い手をベッドに付き、上半身を起こした。
「…私?」
                     

夢見が悪かったせいだろうか。

冷たくなった手指を淡く握りしめる。
目の前には、古明地こいし。己と同じ姿。
                     

夢の内容など覚えていないものの、嫌な夢だったのは何となく覚えていた。

 

「う、んしょっと」
「え、なん…いや、うん?」
                     

「んー大丈夫?」

「キツイけど、ぬ、ううう…う」
何故か、無くした筈の記憶が有る。
                     

「…ちょっと、本当に大丈夫?」
己の存在と、幻想郷という知識。
                     

突如として戻った記憶に頭を抱える。
                     

リビングから心配そうに覗くハーンを気にする余裕も無く。

力勢いに任せてぐい、と体を起こせば、緩く着た黒いショートパンツの隙間より太腿を伝う赤の色。

 

「───え?」
「…んぇ?」
                     

「うわわ!タオル持ってくる!!」

もう一人の己の経血に首を傾げる。
                     

二人いる点も分からないと言うのに、
                     

それを見て、脱衣所へと走り出したハーン。
妖怪の己に生理などある筈も無く。
                     

 

「えっもう一人の私なに?えぇ怖ぁ…」
                     

終ぞ足を伝い床へと落ちる赤の色。

それは、子宮より剥がれた内膜の色。
しかし、もう一人の己は偽物ではない。
                     

子を宿すために胎が備える活動の色。
理由は判らないが、確信していた。
                     

 

人の胎で起こる生命の奇跡。
「…ハーンには私が見えてなさそうだな」
                     

恐怖に在る妖には存在しえぬ、増えようとする生物の理。

なれば、何故この胎に。
反応を見て、現状を分析。
                     

この胎は、“活きていない”のに。
幽体離脱に近い状態なのだろうか。
                     

 

───?

 

どうして、今私は己が人ではないと考えたのだろう。

人以外に生きた事など、無いというのに。

 

無い。

無い筈なのに。

頭が割れるように痛い。

立っていることも辛く、その場に倒れ込む。
「…えっなんかもう一人の私ヤバそう」
                     

意識は、そこで途切れた。

 

 

重みのある音がした。

乱雑にタオルを掴み、ベッドの方へと走る。

 

「こいし、大丈夫?」

 

流石に無断で服を脱がすのは気が引けるもので、ショートパンツの紐を緩めてタオルで足に垂れた血を拭い、シーツが汚れる事も厭わずにベッドへと横たえる。

冷えた手指に簡素な電熱カイロを握らせると、部屋の暖房の温度を上げて加湿器を起動した。

マエリベリーの手際に、少女が拍手する。
                     

小棚より鎮痛剤を取り出し、レモンティー用に加熱中だった給湯器を保温に切り替えてゆっくりと息を吐いた。

「えっすごいな。超手早いじゃん」
                     

「もう、違くないじゃないの」

そして拍手の音に反応も無い点で、
                     

無理をして隠していたのか───
認識されていない事を確信した。
                     

はたまた、本当に違うと思っていたのか。

これが初めてなんて事は無いだろうし、流石に周期は把握している筈だが。

 

「うーん、色々試してみるかあ。
                     

「…ん」

誰にも聞こえぬ声で、少女は呟く。
                 

そういえば、と、この機会にふと思うは彼女の胎の事。

彼女の洗濯物をある程度知る身として、そこそこの期間一緒にいた訳だが、生理用の下着を履いていた事は無く、そういった痛みを訴える事も一度として無い。

ならばひょっとして、久々なのだろうか。
「あーこれ触っても気付かれないな」
                     

 

「これどうするのが正解かなあ」
マエリベリーの胸を揉みながら少女は頷いた。
                       

先程から色々試したが、全く意味を成さず。
                       

リビングに戻り、レモンティーを淹れる。
寧ろ加減なく当たってきたので、結構痛い。
                       

デリケートな話題で、触れていいものか迷う。
不意に近寄ってはいけない事を学んだ。
                       

とりあえず起きて薬さえ飲めば、ある程度は楽になるかもしれない。

 

手元のティーカップに視線を落とし、水面の境界を見る。

遠く遠く、どこまでも沈めそうな“深み”を奥に見ながらため息を吐いた。

視線を上げれば、ぐったりと寝転がったこいしがいて。

 

「───あれ?」

 

境界が無くなっている事に気がついたのは、その時だった。

 

 

「痛みはどう?」
少女はベッドから二人を見る。
                       

「だいぶ、良くなったかな」
段々、現在の状態が分かってきた。
                       

「そう?良かった」
恐らく妖怪としての本質が発露している。
                       

しかし、何故己を自覚できているか分からない。
                       

リビングにあるソファに座り、良い香りを吸い込んだ。

もこもこのパーカーに身を包み、マグカップを両手で掴む。

薬のお陰か多少痛みは薄れたものの、気力は未だ戻っていない。

本日二度目の目醒めを経て色々した訳だが、久々過ぎてこの痛みを忘れてしまっていた。

 

「違うって言葉が嘘になっちゃったね」
「…ふあ、眠ぅ」
                       

「自覚してなかったならしょうがない。今日はゆっくりしよう」

「やったあ」
少女は不意の眠気に目を閉じた。
                       

次いで開けた瞼の奥。その瞳に理性の光は無く。
                       

レモンティーを啜ると、胃に温かさが落ちていく。

「…………」
                       

「うぉお、指先に力が入らないぞ」

「無理しないでね。何かあったら助けるから」
少女がふらりと立ち上がる。
                       

「背中痒い」
部屋を出て、そのまま家を出て。
                       

「介護かな?」

誰にも気付かれず、その背を追う者はいない。
                       

そう言いつつも背中を掻いてくれるハーンにお礼を言い、一息。

どうにも違和感がすごいが、どこにそれを感じているのかもわからない。

 

「そういえばこいしの境界が無くなってるんだけど」

「えぇ、何急に」

「何かあった?」

「何かあったというか、現状何かあっちゃってるんだけど」

「…確かに。何か関係あるのかな」

「タイミングを考えると全く関係ないとは思えないけどね」

「それは確かに」

「じゃあ、次の活動対象は私かな?」

「それも面白そうだね。とりあえずこいしの事は蓮子にも伝えとくよ」

「はいはい」

 

下腹部をさすり、目を閉じる。

この痛みは、一体いつ以来に感じたものなのか。

 

思い返せど思い返せど、私にはどうしても思い出せなかった。

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