奥の無い境界。
境界の消え方。
最初に見えた一つの目。
───宇佐見蓮子は考える。
生理が来て境界が消えたのか。
境界が消えて生理が来たのか。
鬼の酒で境界がまた出てきたのか。
はたまた境界は最初から開いていたのか。
メリーが未だ境界がある時点で、過去の境界の事を忘れていた理由は。
既に記憶を奪われて思い出せなかったのか。
ひょっとして見えていても気づけないのか。
それともその境界を覚えていられないのか。
又聞きした私は、境界を覚えてはいた。
然し人に境界が憑いているならば、メリーは目を貸して“見せる”のでは無かろうか。
思い返せど、私に境界を“見た”記憶は無い。
メリーは私に見せなかった?
理由があるのか、はたまた私も忘れている可能性もある。
不自然な点が幾つもあり、何故それが生じているのか分からない。
答えがわからない気持ちの悪い問題が山積し、並列して思考する。
境界の特異性は、記憶の事と奥の光景の二点。
現象は生理の周期異常と記憶の欠如。
聞いた限り、こいしは大半の過去を忘れ、メリーはこいしの境界周りを忘れている。
奪った。奪った理由。境界に自我が在る?
覚えられたら困るから記憶を奪った?
否、奪うということに理由が無いこともありえ熱い。
「あっづ!」
「焼き立てって言ったでしょ」
思わずスプーンをグラタンの中に落とした。
ヒリヒリと痛む唇を舐め、霧散した思考をかき集める。
「考え事しながら食事すると溢すわよ」
「今いいところだから」
「しょうがないわね。はいあーん」
「んむ」
口内にグラタンが運ばれる。
ホワイトソースをベースに、マカロニとジャガイモとベーコンとチーズ。
それぞれ明確に異なる食感と味が口内に入ってきて熱い。
「味どう?」
「あっふ」
「ちょっとは冷めてるでしょ」
「ん、おいしいよ」
「良かったわ。こいしはどう?」
「ん〜薄味でうまうま」
「結構ベーコンの塩味効いてない?」
「そう?味の薄い部分だったのかも」
味は薄味というよりか濃い味な気もするが。
当然、合成食にも味ムラはある。
真に均一化された味というのは、不思議な事に人気が無い。
一説では均一な味は“飽き”が早い、なんてことも言われているが、合成食の歴史が浅いため、未だ解明されてはいなかった。
「んで、気になる部分が形になってきた?」
「挙げるとしたら…特に引っ掛かるのは境界が記憶を奪った理由と、境界を聞いた事はあれど私が見た記憶の無い点。メリーなら私にも目を“貸して”見せてくれると思ったんだけど、私にはその記憶が無い。メリーはどう思う?」
「……確かに、見せる気がする。という事は蓮子も記憶を奪われてる可能性があるって事…?」
「過去の事は分からないけどね。答え合わせも出来ないし。けど、もし私が境界を見せて貰って、そこだけを忘れているのだとしたら、また話は変わってくるの」
美味しそうなマカロニをスプーンで掬い、チーズと共に咀嚼する。
マカロニはモチモチの食感がしっかりと残っており、表面の焦げたチーズの香ばしさが鼻を通った。
「記憶を部分的に奪われたって説もあるけれど───例えば別説として、記憶を奪われたのでは無く、その境界を直接認識していた事実を思い出せない…なんてどう?」
「…私は瞳を通しての“認識”だから、思い出せていないって事?」
「まず記憶を失う前のこいしが、自身に憑いた境界の事を知っている、って前提が必要だけどね」
「なんらかの自覚を持っていた場合、私の“伝聞された”記憶だけが残っている理由を考えるとそうかなってだけなんだけど」
「それはおかしくない?私が境界の事を話して、蓮子から確認として尋ねられた話を私かこいしが聞いていたら、それは伝聞された記憶になるんじゃ無くて?」
「いいや、メリーやこいしの言葉は実際に認識した上での話でしょ?実感を伴っているのならば、それは明確な認識になっているのよ」
「でも蓮子も私の目を通して見た可能性があるんじゃないの?」
「そう、メリーの目を“通して”ね。ある意味で私はメリーの認識を“分けて貰った”だけなのよ。それを私の認識と捉えるかは難しいところだから、メリーがそれを覚えていないのなら同一記憶である私も一緒に忘れている可能性もあるって事」
「待って。話が飛躍しすぎていない?」
「まあ仮説よ仮説。流石に突飛すぎるけど、奪われたって認識から違う可能性もあるんじゃない?って事。なんか違和感あるのよね」
「蓮子の記憶っていう追加情報も出てきたし、どういう事なの…」
「ついこの前、メリーは最後に境界を認識したのは樹海の時って言ってたよね」
「そっか。鬼の時の様に時間云々の可能性…は、無いよね」
「でもあの時みたいに個人差はある。何が正しいのかなあ」
「考察どころか現状把握すら不確かだと仕方ないわ。あら蓮子、グラタンのおかわりいる?」
「…………えぇ?」
メリーの声に、そんな食いしん坊に見えるかと返そうとして、言葉が詰まった。
無い。
まだ残っていたはずのグラタンが無い。
「ねえこいし、私の食べた?」
「え?いや私自分のもまだ食べ切ってないよ?」
「メリー、私食べてた?」
「うん?気にして無かったし…」
「私、メリーの目の前でずっと喋ってたと思うんだけど」
「……」
呆けた表情を締め、メリーが周囲を見回す。
金の瞳が細かに動くが、顔を引き攣らせて瞼を閉じた。
「それらしき境界は無いわ」
「少し前もこんな事あったのよ。私がパシられた時の話なんだけど」
「ごめんって」
「不幸が起こった人間にコーンスープと紅茶と醤油を買ってこいって言った人がいた時の話なんだけどね」
「ごめんって」
「ワンタンスープのおかわりあるからね食いしん坊の蓮子ちゃんってクッソ弄られた時の話でもあってね」
「ほんとごめんね」
「まあ根に持ってないんだけどね。根に持ってないよ。うんうん。根に持ってないからね」
「ほんとごめんね!?」
「んで、今回の記憶の話に関わってると思う?」
「……無関係では無いと思う。これも一種の“覚えていない”という同様の現象と言えるもの」
メリーとこいしは何故か認識できないようで、私だけが気づく事のできるこの現象。
恐らくは二人の日常にも頻発しているのだろう。
ただ、気が付けていないだけで。
「…暫くはこの部屋に泊まっていく」
「そうしてくれると助かるわ。何かあった時に私達は“気が付けなくて”困るから」
境界の消失に、異様な現象。
身の回りで、何かが起こっている。
しかしそれが“何を意味するのか”は、何一つとしてわからない。
ただ、残る結果だけが目の前にあった。