女子大生こいし【完結】   作:指ホチキス

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こいしが息を飲む。
「そうだよ。私さ」
                      

心を落ち着けるように指を組み、頭を回す。

少女が寂しそうに笑う。

「メリー、境界は?」

「……あるの。あるけど、奥には何も無いわ」

「そう、“同じ”って事ね」

 

私は古明地こいし

 

そう記された紙を手に取ったメリーが目を眇めた。

メリーの伝えてきた情報は、無くなったこいしの境界と同じだという事。

 

一枚の紙。

表面で文字を象るインクが姿を変える訳もなく、隣の少女の名が確かに書かれていた。

 

「こいし、何か心当たりは?」

「……無い。から、怖い」

「───そうね」
「もう、随分と人間らしいね」
                      

 

怖いとは珍しいなどと言おうとしたが、表情の強張ったこいしを見て言葉に詰まった。

怪異に対してどこか余裕を持ち、いつでも楽観にも似た遊びを感じさせる彼女が明確に怖がっている姿に、茶化す気が失せる。

 

「ドッペルゲンガー、または名を騙る何かって認識でいいのかな」

「分身、成り代わりに関する怪異として警戒しましょう」

「接触はした。相手が何をしたいのかがわからない」

「私の目では見えない。蓮子は認識できていたけど姿は不明。こいしを騙っている理由は何?」

「ん?これ警戒されてるな?」

不明点多数。

異様な怪異は既に部屋の中にいる。
想定より反応が悪い。
                      

境界を超えて。
少女は言葉選びの失敗を悟った。
                      

幻想は現世へと出てきているのだ。

コミュニケーションは可能なものの、鬼と違い成り代わろうとしているのならば害意を持っている可能性すらある。

改めてそう思えば、途端に恐ろしくなった。

「ちょっと紙貸して」

息を浅く吐き、こいしの手を握る。

紙を取り、机で文字を書き始める。

入口となった境界は何処だ。
「ぁ、マズい瞳が閉じちゃう」
                      

少女は焦るように書く速度を早め。

「メリー、紙見せて」
「せめてこれだけは───」
                      

「…あれ?さっきまで持っていたんだけど」

「蓮子、また机の上に」

ふらりと少女が立ち上がる。

また時間が飛んだかのように、メリーが持っていたはずの紙が机の上に置かれていた。

端が僅かに皺になっていて。

覗き込めば、新たな文字が見える。

その瞳はガラス玉のようだった。

 

私は古明地こいし

認識できない

どっちも偽ものじゃない

もうじきわたしたちきえる

みつ

 

 

先程と比べ、途中から突然急いで走り書いた筆跡。

漢字を使う余裕も無かったのか、崩れた平仮名が紙の上に連なって。

最後の文章は、書ききれなかったのか途切れている。

まるで、何かに追われて逃げ出したかのような文字だった。

 

「……何?」

「名前以外に境界は無いわ。後半はかなり急いで書いたみたいね。内容は…偽物じゃない?」

「私達消える…消えるってどういう事?」

「わからないよ。でも、偽物じゃないなら何?私分身したの?」

 

内容を噛み砕こうと、読み返す。

認識が出来ない。恐らくこれは性質と状況を指している。

どちらも偽物ではないというのは向こうの主張であり、害意を持っている可能性があるならば信用してはいけない。

もうじき消える、と言うのは文字通りだろうが、私達…複数を仄めかす言葉には、なんらかの意味があるのだろう。

 

「私達、ってどういう意味だと思う?」

「状況的に考えるならば、怪異が複数いるか、または怪異自身と…こいしを言っているのかのどちらかじゃないかしら」

 

ぎゅ、と握り返された手は、力が入らないかのようにか弱く。

こいしが消える。

消える、とは?

 

「悪趣味だわ。ジョークのセンスが無いと見える」

「センスどころか姿も見えないけど」

「それはそう。んー最後が書き切れて無い理由は何かしら」

「……時間制限があった。けど、最初の文はしっかりした筆跡だったし、急に何かから逃げたみたいね」

「ねえ蓮子、ハーンの目を借りて周囲に呼びかけてみたら?」

 

こいしの提案に、手を繋いだまま目を閉じる。

 

「メリー、お願い」

「わかった」

 

瞼に触れられた感覚。

自らのものでは無い、ズレた視界が来る。

 

「……そこにいるならメリーの目を隠して」

 

──────30秒ほど待っただろうか。

 

反応は無い。

いつまでも視界は明るいまま、変わる事はなかった。

 

「どう?変わった?」

「ダメね。もうここにはいないみたい」

「書ききれなかったのは部屋から出て行ったから、か」

 

少なくとも怪異側にも事情はあるらしい。

部屋にいないならば、少しだけ恐怖も和らぐというもの。

メリーが手を離したので、また紙を見る。

 

「最後はみつ……けて、と続くのかな」

「認識できないことはわかってるけど見つけてって事?なんで?」

「さぁ……そこが大事なんだけどね。見つけたところで、言ってることが本当ならもう一人こいしが見つかるだけだと思うけど」

「偽物はいない。同一人物って言ってもクローンじゃあるまいし……」

 

一卵性の双子。限りなく同一に近いが、そういった話では無いだろう。

名が同じと言うなれば、そこに意味はある。

絶対に、二人とも同じ存在など有り得ない。

 

───本当に?

 

まだクローンの可能性を模索した方が現実的なのに。

異様な違和感から逃れられない。

何が違う。何処が違う。

私は何を見落としているのか。

 

覚えている記憶を漁れ。

仮説でいい。

この境界は、“見えてるだけ”では暴けない。

 

明確に古明地こいしを狙っているのなら、暴かなければならない。

その理由を。その意味を。

先入観が混じっているなら何処なのか。

 

名を騙る怪異は認識が出来ない。

境界が記憶を奪った。

境界はこいしから無くなった。

境界は、古明地こいしに憑いていた。

 

先程の双子の話を思い出す。

一卵性。受精卵が別れて生まれた双子。

一つが二つとなった存在。

 

怪異は一度として、同一とは言っていない。

その主張は、偽物では無いということ。

 

 

───あぁ、“先入観はあった”。

 

だがこれは。

 

「最初、から……」

「蓮子…?」

「───ねえ、憑かれていたというのが勘違いで」

 

もしも。

これはもしもの仮定だ。

初めから。前提から既に間違えていた可能性。

 

境界に憑かれていたのではなく。

境界に奪われてしまったのではなく。

“元より境界あってこそ”だったという、そんな仮説。

 

「こいしの境界もまた、こいしだったって事は無い?」

 

メリーがこの言葉を聞き、咎めるように眉根を寄せるのが見えた。


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