───魂と肉体。
それは個人総てを単体で見たとき、現と幻という概念をそれぞれが内包する。
精神は魂という概念に含まれ、肉体と繋がりそれを肉塊とせずに生き物たらしめる。
だが、古明地こいしは人ではない。
肉体はそもそも在らず、根源的恐怖から存在を起した、生物では無い妖怪の一つ。
故に。
故に古明地こいしは、全てが同じである。
魂も、後付けの肉体も、幻想郷縁起に縛られている存在概念も。
すべてが同一であり、別離していたとして、それらの本質は無意識の妖怪。
だから、古明地こいしはいなくなった。
蓮子とハーンの知る古明地こいしは、いると言えばいるが、いないと言えばもういない。
集合体無意識を、単体個別することなどできないのだから。
○
境界を暴いたハーンは、幻想が強く作用する瞳を持っているが故に、一時的に肉体と魂が……幻と現が分離した。
これは擬似的な臨死体験に近く、境界を超えたと認識して幻の世界に入り込んだのでは無く、意識せず……否、意識を出来ないまま真の幻想を暴いてしまったからこそ、魂が現を失う感覚を経て“死を錯覚した”のである。
そしてそれとは異なり、蓮子はある程度の無意識が作用し、気を失っていないながらも直立したまま思考を停止した。
───死の錯覚により、半ば自動的に肉体から魂がすり抜けて幽体離脱状態となったハーン。
本来であれば魂を失った肉体は、思考のできぬ生命維持のみを行う肉塊となるものであるが、魂の代わりに飽和する幻想が無意識を充満させ、さも擬似的な個人であるかのように振る舞った。
そして魂は、無意識に作用されて理性無く、肉体には起こせない思考通りに振る舞った。
つまり。
ハーンの肉体は無意識の内に外的願望を叶えようとし、
ハーンの魂は無意識のうちに内的願望を叶えようとした。
腕を伝い、垂れた水滴。
その色は赤く、紅く、朱く。
願いはかくして、歪な形で叶えられる。
無意識的に傷を負ったとき、人は反射を起こすものだ。
焼けた鉄に触れれば飛び上がったり、腕を咄嗟に引いたりするように。
それぞれが、痛みによって無意識から意識を引き戻される。
歪な願いの結末は。
ふらふらと、瞳を失った顔が揺れる。
痛みは鈍く、鈍く、五感が遠ざかるように響いていく。
ああ、かわいそう
か わ い そ う に
恐怖が、苦痛が、古明地こいしを満たす。
それが妖怪としての本懐。
「あぁ……あああ!!」
「挨拶を返す余裕もなし、ね」
叫びは悲痛の色を含む。
どれほど望んだとて、戻らない。
否、それを心から望んだのは───
「気丈に振る舞って、気がつかない振りをして、それでも尚無意識に潰してしまうほど───」
顔を押さえた掌が何かで濡れる。
しかしそれももう、“見えない”。
心の奥底に沈んだ、己の願望。
幻想の排除された世界において、幻想を観測できるというその個性は、幻想と同じように排除されるものだ。
排他と孤独、幼少期よりそれらに影響されたハーンの心は、肉体は、根底は、無意識の内に何を願ってしまうのか。
無意識は、理性的行動の上を行く。
自制の存在しない行動は、願望を如実に反映したもので。
なんだこれは。
どうして、こんな。
「あぁ、でも」
思い出したように、少女はパッと声を明るくした。
「これでその瞳を起点にしていた、無意識の暴きが強制的に中断されたね」
いつしか幻と現の混ざりあった空間は、互いの否定を行いながら別離し始める。
そしてそれは、少女達にも影響を及ぼし始めるものだ。
暴き暴かれ極限まで神秘の薄くなった現において、幻が否定されるように。
反転して神秘の濃くなった幻においては、現は拒否されるように。
杭となる瞳は失われ、二人の存在を幻は拒否していく。
引力が働くように、徐々に現へと押し出されていき。
「だから───」
だから。
古明地こいしが優しく撫でたのは、管で繋がる第三の目。
覚妖怪の名残りは、人妖まで格を落としていた時に、鬼の妖気によって強制的に萃められて瞼を上げていた。
ここまで読んでいたのか、はたまた誰の指図か知らないが。
「私にこれは、いらないから───」
辛うじて混ざり合う幻と現の間だからこそ、それらを補える。
見えないはずの光が、瞼の隙間から見えた。
あまりの眩しさに、目を開くことも出来ない。
「きっと、この無意識の中に沢山のことを置いてしまって、思い出せないと思うけれど……」
「待って!!」
辛うじて残る、現としての古明地こいしは溶けて消え。
霞んだ視界の先。
瞼を上げた先に、見えたのは。
「元気でね、大切な私のお友達」
綺麗な顔が、泣いていた。
○
───ふと顔を上げ、周囲を見る。
いつの間に寝てしまっていたのだろう。
床で寝るなど、酒の飲み過ぎだろうか。
旧型を飲み漁るなど、そんな贅沢をした記憶も無いのだが。
だらしない顔で床に寝ている蓮子を見て、何をしていたんだっけと思い返す。
「蓮子、起きて」
「うーん……メリー?」
眠そうに目を擦る蓮子の頭を軽く叩き、ため息を吐く。
「もう夜よ。泊まってくの?」
「……あれ?ここ、メリーの家?」
「他にどこに見えるのかしら」
「えーっと……何してたんだっけ」
「私も覚えてないわ」
寝ぼけ眼の蓮子と、ゆっくり目を合わせる。
“どこか緑色の入ったような黒い瞳”が、困ったように揺れた。
「私も何も覚えてない。なんでここにいるんだっけ」
「はぁ……まあ、どうせ寝不足でぶっ倒れでもしたのかしらね。とりあえず晩御飯作るかな」
寝転がる蓮子とは対称に、ゆっくりと立ち上がってキッチンへと向かう。
準備をして、のんびりと料理を作ろうかと気合を入れた。
「さぁ!作るかな!」
「待ってまーす」
───少女は気付かない。
無意識のうちに、三人分の皿を準備してしまったことに。
きっと間違えたのかしら、などと思い、なんの引っ掛かりも覚えずにそれを片付けてしまうのだろう。
そしていつしか、部屋で見つけた自分の着ないような服は、なんでこれ買ったのかしら…と思って捨ててしまうのだろう。
なんの違和感も覚えず、意識もできない。
そうして徐々に、誰かの形跡は消えていく。
全て、無意識のうちに。
何故蓮子の瞳に緑の色が入っているのか。
文章の主観では見えなかったものが、相当量の白文字で隠されています。メニューの閲覧設定で背景に色を付けるのが有効です。
無意識の境界編83話から、結構な隠し白文字が登場してますよ。