――じくじく。じくじく。
(ムカつく)
オーラは足下に転がったマンホールの蓋を力いっぱい踏みつけ、ヒールで執拗に抉った。そんなひ弱な行為で鉄の塊に傷がつくでもないのに。
――じくじく。じくじく……じゅくじゅく、じりじり。
(ムカつく、ムカつく、ムカつくッ!)
所感を言葉にすればチープでも、情念はもはや殺意の域にあった。
転がるマンホールを投げて、オーラの顔に一条の切り傷をつけた女を想い起すだけで、腸が煮えくり返る。
“お前は私の下僕に過ぎん。弁えろ”
“お前はただの使いっ走りだ”
(この世から消してやりたい! 殺してやりたいッ!)
今すぐ北島祐子からアナザーキバウォッチを摘出して、牢獄に逆戻りさせてやる。否。檻の中などあの女には生ぬるい。いっそオーラ自身の手で引導を渡してやる。
結論を出したオーラはすぐさま北島祐子を追った。
が、その途上で邪魔が入った。
「その顔の傷、どうしたの?」
……出た。
自分たちタイムジャッカーと同等の神出鬼没で、いつもおどけてふざけた、オーラの神経を逆撫でするスペシャリスト。大神官ビシュム、門矢小夜だった。
「アンタには関係ない」
「むぅ……いつもなら意地張ってかわいいんだから、で済ませるとこなんだけど」
オーラが訝しんだ直後、門矢小夜はオーラと密着する寸前まで距離を詰めていた。
とっさに身構えたオーラに小夜は手を伸ばし――
ぺしゃっ
左の頬に出来た傷に何かを貼りつけた。
「……何コレ」
「絆創膏。かさぶたになったら痒くなって引っ掻きたくなるでしょ? でもそれやったらマニュキュアの成分で変に膿んで痕になっちゃうじゃない?」
「恩着せがましい」
「剥がしたいならご自由に。わたしがやりたかっただけだから」
小夜がオーラから身を引いたところで、オーラは気づきたくもないのに気づいてしまった。
「アンタ、眼帯はどうしたのよ。アンタの力って眼帯の地の石頼りじゃなかった?」
言って、オーラはしくじった、と自分の額を叩きたくなった。これではまるでオーラが小夜の心配をしているようではないか。
「着けててもそろそろ意味が無くなってきたから」
「何ソレ」
「別にオーラちゃんの過去も未来も、覗く気はないから安心して。そ・れ・よ・り♪ 小夜、オーラちゃんにお願いがあって来たんだ~」
「聞くだけ聞いてあげる」
叶えてはあげないけど。オーラは胸中で小夜を嘲笑いながら答えた。
「仮面ライダーキバのライドウォッチを作りたいの。手伝って!」
訂正。叶えるわけにはいかない。
小夜がどんなデタラメな抜け道を考えているか知らないが、オリジナルのライドウォッチはアナザーライダーを唯一斃す力だ。敵である門矢小夜に渡す義理はない。
(ん? ライドウォッチを? まさかこの女、ウォッチの元になる仮面ライダーキバの力は入手済みだなんて言い出さないでしょうね!?)
門矢小夜なら、ありうる。今日までの彼女を見てきてのオーラの偽りない心証である。
タイムジャッカーとしてはとても対処に困る事態だ――が。
「いいわよ」
「ほんとっ!? やったー!」
擁立したオーラが言っては世話がないが、北島祐子は気に食わない。普段からオーラを何かと苛立たせる門矢小夜よりもっと気に食わない。
「具体的にはどうすんの?」
「うんっ。“キバの鎧”というか、ほぼ同じ力はこっちで調達済みなんだ。オーラちゃんにはそれを元にウォッチに生成してほしいの」
本当に入手済みだった。どこまで底知れない詐称16歳だ。
「キバーラ!」
―――――――何も、来ない。
「あれ?」
「小夜」
ギクゥ! と。日頃の彼女のイメージからは信じがたいほど、門矢小夜は大きく肩を跳ね上げた。
彼女は、ぎ、ぎ、ぎ、と後ろを顧みた。
「士お兄ちゃん……」
「げ」
「どこまで掻き回そうが黙認するつもりでいたが、キバーラを巻き込むなら話は別だ」
『ごっめーん、小夜ちゃ~ん。この通り士くんが激おこだったからぁ』
「キバーラの裏切り者~~!!」
わあっ、と小夜はわざとらしい号泣ポーズ。
小夜が宛て込んでいたキバの力とは、門矢士が捕まえている小さな白コウモリらしい。一見する限りではおそらく仮面ライダーキバの相棒・キバットバットⅢ世ゆかりの存在だろうが、キバからディケイドに“世代交代”した当時の情報は少ないため判断はつかない。
「キバーラの鎧を着ていいのは
「む」
「反省しろ」
「…………」
謝らない妹を見て、士は肩を竦めた。今の二人の光景だけを切り取れば、親代わりの兄がうら若い妹を叱っているホームドラマだ。とてもレジェンドライダーの一角と異能持ちの会話には見えまい。
『士く~ん。アタシもぉいいの~?』
「ああ。先に帰ってろ。俺も近い内に顔を出す、ってじーさんに伝えといてくれ」
『アラ珍しい風の吹き回し。栄ちゃん喜ぶわぁ。それじゃ、おっ先~』
白コウモリが飛び去った。
……今までの前振りは何だったの、と全力でツッコみたいオーラである。
「ところで小夜。お前、今、体の具合はどうだ?」
「い、いきなり何さ」
「とぼけるな。昨日ぶっ倒れたのは聞いた。しかも今は眼帯も外してる。キバーラを探し出すためとはいえ、両眼とも使い過ぎだ。もうそろそろ限界が来ておかしくないと思ったから、わざわざ迎えに来たんだろうが」
「平気だもんっ! 小夜だって着実にパワーアップしてるんだから。お兄ちゃんに心配されることなんて一つ、も……」
強がった口ぶりとは裏腹に、小夜は弱まる語尾に被せるように足を縺れさせた。明らかに意識を飛ばす前兆だ。
体を傾けた小夜。たまたま倒れた先にはオーラが立っていたため、オーラは小夜の体にぶつかって、諸共に地面に尻餅を突いた。何という損な役回りだ。
「やっぱりな。――悪いな。妹はこっちで引き取る。立てるか?」
「アンタに心配されるほど落ちぶれちゃいない」
士は掴み所のない笑みを刷いて、しゃがむと、倒れ伏した小夜を抱え起こした。
オーラの目からしても、小夜の顔色は青い。
「……もしかしてアンタが前に言ってた“計画”って、その妹を助けるとかだったりする?」
「そっちは別件だ。小夜がこの世界に来ること自体、俺には想定外だったんだ。しかも、もう一つの封印具を失くしてると来た」
士は小夜を横抱きにして立ち上がった。
「悪いが俺はしばらく戦線離脱だ。一度、大ショッカー基地に戻る。俺が帰るまでせいぜい上手く立ち回ってくれ」
「はあ? アンタいきなり何言、って……大ショッカー!?」
オーラでさえ知っている。仮面ライダーが正義の代名詞ならば、大ショッカーは悪と闇の総本山だ。オーマジオウとは異なる“魔”が跋扈する、地獄の釜だ。
そんな場所に、“仮面ライダー”を冠するこの男が「戻る」と言った。
「正気?」
「俺たち兄妹にとっては帰省感覚だ。何だ、心配してくれるのか?」
「ええ、心配ね。帰ってきたアンタたちが悪堕ちしてて、ワタシたちの障害にならないかって意味で」
「そいつはまた頼もしいことで」
士は小夜を抱えたまま、降りてきた灰色のオーロラを潜って消えた。
本当にどこまでも分からない兄妹だ。
そこでオーラは気づいた。気づきたくもないのに気づいてしまった。
小夜が絆創膏を貼った顔の切り傷が、全く痛くない。
オーラは絆創膏を剥がして切り傷――があった位置を指でなぞった。そこには切り傷など跡形もなかった。