70年目のサクラサク   作:あんだるしあ(活動終了)

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Syndrome105 教師的倫理での至上命題

 明光院君を殴った。

 平手打ち。自分の掌が痛くなるくらい、強く、激しく。

 教職人生4年半で最大の威力だと断言できる力だった。

 

 

 

 

 

 

 魔王ジオウの一人娘に、顔面を引っぱたかれた。

 

 フェイスマスクがあるから痛みそのものは無いに等しい。むしろ俺のフェイスパーツを素手で殴るなんて乱行をやらかして、凹凸のせいで殴った手からだらだら血を流す織部美都の手のほうがダメージそのものは大きいはずだ。

 

 手から血を流そうが。顔が汗だくだろうが。

 俺を捉える眼光の輝きににいささかの衰えはない。

 

「なぜ私がこうしたか、分かりますか? 当然ですが、教師が教育を騙って生徒に暴力を揮うのは許されない行為です。有罪です。実刑ものです。ですが! 正しい指導にどうしても必要不可欠でしたら、私はやります。私はそのためにいるんです。それが教師です。場所が銃弾の飛び交う戦場であっても、そこに生徒がいるなら何も変わりません。いいですか、明光院君? 若者や子供を教えることには、それほどに意義があります。間違いを犯す前の君を止めることには、それくらいに意味があります。()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 ――――ものすごいことを、言われた。

 

 

 相手が魔王の娘であることも、知らない女であることも、頭からふっ飛んだ。

 

 人ひとりの、存在の全肯定。

 

 こんなもの、言葉の暴力だ。それもプラス方向に針が振り切れたポジティブオーバーフローだ。

 

 俺を殴ったことで、反撃で俺に殺されていたとしても。

 ここに来るまでにレジスタンスの兵士に捕まって暴行されていたとしても。

 まずもって外に出て流れ弾に当たって運悪く死んだとしても。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 彼女は俺にそう言った。それを言うためだけに走ってきた。

 

 

 俺を覆っていたアーマーが消えた。変身が解除された。

 だって、無理だ。俺にはもう織部美都を傷つけるなんてできない。

 復讐心も戦う理由も完膚なきまでに叩き折られたのに、力が維持できるわけがなかった。

 

 彼女は踵を返して、今度はジオウのもとへ歩いていく。

 

「美都、せん、せ」

 

 俺と打ち合った時には決して上げなかった弱々しい声を、ジオウが発したと同時、彼女はジオウを思いきり抱き締めた。

 

「間に合ってよかった。君が死んでしまうようなことにならなくて、本当によかった」

「せんせぇ……!」

 

 そいつは織部美都の背中に力の限り縋って、泣いてしゃくり上げた。

 不安だった、怖かった、どうしていいか分からなかった、さびしかった。

 魔王であるはずの少年が、嗚咽で満足に言葉になっていない胸中を、涙と共に吐露している。

 

「明光院君を止めた時と同じです。ソウゴ君。君が窮地を脱することには、私が命を賭けるだけの重みがある。そう信じました。そこに疑問は一つだってありません。君にはそれほどの価値があります」

「う、ん…っ、せんせぇ…美都せんせー…!」

 

 ――ソウゴ、と呼んだ男が落ち着いてから、織部美都は服の袖でソウゴの涙の跡を拭った。

 

「ソウゴ君。今まで真剣に向き合わなかった私を、許してくれますか?」

「美都せんせーが俺を無視したなんて、俺、思ったことないよ!」

「ありがとう。でも、最後の一歩が足りていませんでした。常磐ソウゴ君のための“指導”が。――ソウゴ君。最高最善の魔王に()()()()()()()

 

 ソウゴは信じられないものを見る目で彼女に掴みかかった。

 

「……いいの? 美都せんせー、俺の、“俺だけの先生”に、なってくれるの?」

「なります。ソウゴ君の進路が当人の望みの通りならどういう結末でもいい、なんて投げたスタンスはおしまいです。――私はさっき、君の窮地に間に合いました。ソウゴ君は将来、王様になるんです。私の命程度で、世界のみんなを護る王様を正しく指導できるなら、たとえ死んだとしても、そこに悔いなんてありません」

「死んじゃだめだ!!」

 

 今度はソウゴが逆に彼女を抱きすくめた。

 

「美都せんせーは死なせない。俺が“最高最善の魔王”になる時には、美都せんせーがいなきゃ嫌だよ。見届けて。俺が俺の夢を叶えるのを。俺が未来を変えるのを。美都せんせーだけは、最後まで全部!」

「――ええ、私たちの“王様”。君が私を『先生』と呼んでくれる限り、いつまでも」

 

 織部美都は慈しみ深い笑みを刷いて、ソウゴを柔らかく抱きしめ返した。

 ――母親を取られた子どもじみた苛立ちが湧いて、俺は密かに拳を握り固めた。

 

「それでいい。これにて一時休戦だな」

 

 この場にいる誰のものでもない声で、俺は我に返って身構えた。

 

 レジスタンスの兵装をした男が悠々と歩み寄ってくる。少なくとも俺には見覚えがない男だ。どこかの分隊か支部のメンバーか?

 

「ゲイツ!」

「ツクヨミ?」

「妹が別件で留守なんでな。俺が連れてきてやった。そこにいる『二人目のジオウ』と『魔王の娘』の話を聞いてみたい、だとさ」

 

 駆けつけたツクヨミは、まず俺のそばにしゃがんで傷を診た。

 話が聞きたいと言うからには、まさかあいつらに無防備に駆け寄ったりしないだろうな、なんて危惧しただけ、安堵もした。

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