仲良くなりたいっていう気持ち、忘れちゃダメだよね 作:雨降り
「なんで……なんでそんなこと言うの?」
不意にその時は訪れた。
間宮さんのところへと急いでいた私を呼び止める声。
後方から聞こえたその声はひどく緊張しているようにも思えた。そして、振り返るとそこには私が食堂へ急ぐ理由を作った張本人が立っているではないか。
きっとその人物は走ってきたのだろう…肩で息をしながら、青白い顔で私の顔を見ている。だが、私がいざ目を見ようとすると、彼はハッとした顔になって、俯いてしまった。
私はこの事態を上手く飲み込めないでいた。
だが、それはそうだ。
先程まであれほど自信ありげに祭の開催に向けて指示を出していた人物がまるで人が変わったような面持ち、佇まいでそこにいるのだから。
明らかにおかしい。
「どうしたの?」
…そう声を掛けずにはいられなかった。
彼からの返答はない。
だが、拳を握り締め、体を震わせながら彼はようやく私の顔を見たかと思えば、何かを言おうと口を動かすが、上手く言葉に出来ないようで、結局口を告ぐんでしまった。
ぎこちない、嫌な空気が辺りを支配する。
私はそんな彼にもう一度呼び掛けようとした。
だが、結局私の口から飛び出したのは彼を案じる優しい言葉ではない。
発せられたのは、私より先に彼が私に向けて言った言葉…それに対する疑問だった。
「もう僕に構わなくていい」
怒っているのか、泣いているのか。
声を震わせ、絞り出すように切り出されたそれは私の耳から全身へ、まるで電気が走ったように駆け巡る。
なんで?
そんな疑問が生まれるのは当然だろう。
ついさっきまで私は彼の側にいたはずだった。
でも、今は違う。遠く離れた場所へと私は追いやられてしまった。
「…どうして?おにぎりを作ってくれって…」
震える声。頬を伝う何か。締め付けられるような胸の痛み。
心を覆い尽くす暗雲は悲しみ?怒り?憎しみ?
…きっと全部だろう。それらの感情が複雑に入り交じって、止めどなく溢れそうになる。
そんないっぱいいっぱいの私にとどめを刺すように彼の言葉が耳を通して私の中へ入ってくる。
「…今までありがとう」
気持ちが悪い。胃の中から込み上げてくるものを必死で堪える。
私の顔一面にじわじわと熱が広がる。対して、背中を凍てつくような寒さが這い回る。
…すっかり霞んでしまった瞳ではもう彼の顔を見ることも叶わない。
でも、必死で顔を上げる。
きっと俯いてしまえば、溢れ落ちてしまうだろう。
それにここで顔を伏せてしまったら、もう彼をしかと見ることは出来ないかもしれない。
そんな思いで、必死に顔を上げていた。
でも、残酷なもので。
彼はその言葉を最後に、踵を返して私の前から少しずつ離れていく。どんどん、どんどん距離が開き、遂には彼の姿が廊下の曲がり角に消えるかというところで私は大声で叫んだ。
「私は!私は貴方のことが……!」
届かぬ想い。言葉が続かない。
そうこうしている間に彼は私の前から消えて、とうとう見えなくなってしまった。
川内を呼び止める時、僕は初めて彼女に会った時のことを思い出していた。そして、溢れ出すように彼女との思い出が僕の中に込み上げてくる。
見る度に、聞く度に、話す度に力を貰っていた彼女の存在。それを今は見ることさえ憚られる。それはひとえに僕が心に抱くもののせいなのだろう。
「どうしたの?」
優しさに溢れた彼女の声。
ここへ来てからずっと僕を支え続けてくれたそれが今は胸へと深く突き刺さる。
意を決して、彼女の顔を見ると相変わらず可愛らしいその顔で僕を心配そうに見つめている。
決意が簡単に揺らいだのは言うまでもない。
それもそうだ。
今、僕が彼女を呼び止め、伝えようとしている言葉は今までの全てを水泡に帰すものなのだから。
だから躊躇した。戸惑った。言いたくなかった。
それでも。それでも僕は言わなければならなかった。
「もう僕に構わなくていい」
…なんとか口から出たのは、なんと身勝手で無責任な言葉だっただろうか。むしろ僕が様々なことに彼女を巻き込んでいったという事実があるのにも関わらず、僕が頭を振り絞って出した言葉はそれだった。
しかし、彼女との決別にはこれくらいの言葉の方が結果的にはよかったのかもしれない。
…そもそもなぜ僕は彼女と決別しようとしたのか。
それは僕が彼女を特別視するようになってしまったからだ。
いつからかは分からない。
だけれど、僕は気が付いたのだ。彼女を友人としてではなく、異性として意識するようになった自分に。それもつい先程、いつものように彼女を頼った時に気付くとは我ながら情けない。
ずっと、ずっと側にいた彼女という存在。
…思えば、彼女がここに来て初めて仲良くなった艦娘だったか。遠い記憶が甦る。
それから流れるような日々の中で、徐々に僕の中へ浸透していく彼女の存在は僕にはあまりに大きかった。
だから…だからこそ。
彼女に悲しい思いをさせてはいけないんだ。
思い出さなければならない、彼女と初めて話した時のことを。彼女にとって一番大切なもの。
それは当然僕ではないし、彼女自身でさえない。
彼女にとって一番大切なものは、彼女がその身を晒してでも守ろうとした存在…妹たちなのだ。
そこに僕が入る余地は絶対ない、ないはずだ。
話は遡るが、僕が祭を開催しようと放送を通じて知らせた時、彼女の妹たちから賛同は得られなかった。
そして、最初は彼女も「今回ばかりは…」と言っていたのだ。つまり、この時は彼女たちは同じ方向を向いていたのだ。
それなのに。それなのに…。
彼女は僕と共に歩むと言ってくれた、示してくれた。
あの時ほどの嬉しさは今までも、そしてこれからもないのだろう。
彼女と再び同じ方を向けることが幸せだった。
でも、それは同時に彼女と彼女の妹たちが別の方向を向くことを意味していた。
僕はようやく一つになれた彼女たちを再びバラバラにさせてしまったのだ。
…川内。
君が那珂や神通に抱き締められ、涙を溢したあの日。
ようやく。ようやく君たちは幸せになれたんだ。
だから、僕は…。
彼女に決別の意を示してから、僕は彼女を見ているようで見ていなかった。聞いているようで、聞いていなかった。話しているようで、話していなかった。
僕は彼女にどう思われたか、考えたくもなかった。
考えれば、発狂してしまうだろう。
だから、思考を止めた。
そして、僕は足早にその場を去った。
一秒でも早くその場を立ち去りたかったのだ。
彼女に向き合うことはもう出来ない。
「…そう言えば、長門さん」
「…なんだ?大淀」
執務室にて。
書類の整理をしていた艦娘…大淀が最後の資料をファイルに綴じると、何かを思い出したように、隣で海図を睨む艦娘…長門に尋ねた。
「…この鎮守府の指揮は長門さん、貴方が執っていたのですね。私たちが聞いた話では提督がいるとのことでしたが…」
「…あぁ。確かに私が艦隊の指揮を執ってはいるが…。提督もいるにはいるんだぞ?」
そんな長門の言葉に大淀は大層驚いた。
「えっ!?し、しかし提督はおろか人の姿でさえも…」
「…いるのさ。一人、大馬鹿者が」
そう言って長門は苦笑する。
「その人は一体…?」
「私でも分からないやつだ。…だが、決して悪いやつではない。私はそう思っている」
大淀はますます意味が分からないというような表情を浮かべているが、そんな彼女の表情もあってか長門は声を出して笑った。そして一頻り笑うと、彼女は穏やかな顔で大淀に言う。
「…ふぅ、鎮魂祭とはどんなものなのだろうな。…もし陸奥が生きていたら……文句を言いながらも彼を手伝ったかもしれないな」
「…長門さん」
大淀はどこか寂しそうな長門の顔を眺めていたが、突然執務室のドアがノックされ、ついついそちらに視線を向けた。次に長門の顔を見た時は、普段の凛とした鋭い顔付きだったので、先程の表情は幻かと大淀は考える。
「…赤城か。どうした?」
執務室に入ってきたのは、空母赤城だった。
長門と同様、鋭い顔付きをしているが、大淀の顔を見ると柔和な顔を見せる。
「フフ、何やら楽しそうな笑い声が聞こえましてね。つい部屋を覗きたくなってしまいました」
「…フッ。冗談はよせ」
互いに小さく笑う赤城と長門。
大淀一人だけは緊張した面持ちでいるが、そんな彼女の緊張を和らげようとでもいうのか、赤城が優しく大淀に声を掛けた。
「大淀さんは長門さんと何を話していたのですか?私も交ぜてください」
「…へ!?」
「…あまり大淀をからかうな。赤城もただそれだけの為にここへ来たわけではないのだろう?」
思わぬ言葉に大淀は困惑を隠せず、変な声が出てしまった。それを見て赤城は悪戯っぽく笑っている。
そして、長門も笑みを浮かべているが、そこはこの鎮守府の主だ。真剣な顔になると、赤城に訪ねてきた目的を聞いている。
「…フフ、大淀さん、ごめんなさいね?…さて、おふざけはこの辺にしましょうか。……長門さんの言う通り、気になることがあってここへ来たのです」
軽く謝罪をすると、赤城も真剣な顔をして語り出す。
「単刀直入に言います。長門さん、貴方に反旗を翻そうとしている動きが確認されています。しかも、かなりの数で」
「……そうか」
先程とは全く異なる空気の変わりように、大淀は再び困惑したが、事態の深刻さにさすがに気を取り戻して、問題の把握をしようと耳を済ましているようだ。それに対し、それを告げた赤城も告げられた長門もどこか余裕を感じさせるような表情を浮かべているのは、さすがというべきか。
「…気を付けてくださいね?何が起きるか分かりませんから」
「…あぁ。肝に命じておく」
「…それと真意は測りかねますが、無断で出撃している駆逐艦がいるみたいです。後で、出頭させますね?」
「…あぁ、お手柔らかにな」
…あっという間にそんなやり取りを終え、赤城は部屋を出ていった。
大淀だけがちんぷんかんぷんという表情で長門の顔を見つめているが、そんな彼女を長門は黙って、穏やかな顔で見つめ返していた。
「…さて、これはあの人たちの役に立つだろうか?」
呟くようにそう言ったのは長門。
大淀を執務室に残し、彼女は今、地下牢へ来ている。
そして幾太とある部屋の一角に沢山積み上げられたのは可愛らしい人形。
…聞くものが聞けば驚くだろう。
これを作ったのは長門なのだ。手縫いで作られた動物のぬいぐるみをいとおしそうに彼女は手に取ると、持ってきた袋の中へと丁寧にしまっている。
一つ一つ丁寧に。彼女はしっかりと人形を見定めながらそれらを袋へ詰めていく。
長門の顔を見れば、まるで年端のいかぬ少女のようだ。
だが、その顔は突如として厳しいものになる。
「…こんなところにいたのですね。長門さん」
不意に背後から話しかけられた長門は、一瞬驚きながらも、悠然と振り返る。
そしてそんな長門が目にしたのは、怪しげに笑いながら立っている戦艦榛名だった。
「…榛名か。なぜここに?」
「それはこちらの台詞ですよ、長門さん」
榛名の視線は長門ではなく、長門が手に持つ人形に注がれているようだ。だが、不思議だ。滅多に艦娘が訪れないであろう、この地下牢。
トラウマを呼び起こさないようあの人がリフォームしていたが…最近は自分以外誰も、改築の功労者である者達でさえも寄り付いていないようだった。
「フッ…どうだ?いるか?」
そんな疑問を覚えつつ、長門は笑みを浮かべ、手に持った人形を差し出す。
「いいえ、結構です」
榛名はそれを手で払うと、依然として不気味な笑みを浮かべている。
お互いに笑みを浮かべているのに、嫌な緊張感が張り詰めているこの状況。
長門は切り出した。
「榛名…お前は」
だが、その言葉が続くことはなかった。
可愛らしく並べられた色鮮やかな人形におびただしい赤色が付着する。
そして、一度消えたはずの血生臭さが再度この地下牢へと充満し始めた。
血飛沫を上げ、倒れる体。
その背後には刀を持った銀髪の艦娘が立っていた。
「野分さん、お見事です」
榛名が揚々とその銀髪に話しかける。
「…艤装を纏わぬ敵を斬っても、何も面白くはない」
対して野分と呼ばれたその艦娘は少し不服そうな顔をして榛名の呼び掛けに答えた。だが、相変わらず榛名は笑顔を絶やさない。
そして、血の溢れ出ている体をじっと見つめながら言い放った。
「…さぁ、舞台は整いました」