仲良くなりたいっていう気持ち、忘れちゃダメだよね 作:雨降り
次々に移り変わる景色。
車窓から見える眺めの変わり様は激しいものだ。そして朝の日差しが目に眩しい。
小刻みに揺れる車内で思うのは、大切な人たちのこと。ふと視線を自分の手元に移す。震えている。だがそれは車内が揺れているからではないのだろう。
…恐れ、いったい何に対する恐れだろうか。いや、もしくは武者震いのようなものだろうか。
自分でさえ分からない、定義出来ない思い。
そんな混沌を心に抱えたまま、僕の体は海を漂う漂流物のように外から加えられる力にされるがまま。
先程まで舗装された道を走っていたのに、どうやらここからはデコボコ道が続くようだ。
でもそんな悪路でさえ、僕には懐かしい。
「…大丈夫か?」
ガソリンの匂いが開け放たれた窓から車内に入り込んでくる。そしてエンジン音だけが延々と唸っている車内に突如、明瞭な声が聞こえた。その声の主を見れば、ハンドルをしっかりと握り締め、視線こそ前方を見据えているものの、その声色から僕を案じてくれていることは痛いほど分かった。
「はい、大丈夫です」
「…そうか」
その人は僕の返答に眉一つ動かさない。
ただ真っ直ぐに。ひたすら前だけを見つめている。
でもそれが、今の僕に心地よかったのは間違いない。
二日間に急に押し掛けた僕を受け入れ、話を聞いてくれたこの人はきっと優しい人なんだろう。思わず同性ながら尊敬の念を送らずにはいられなかった。
「阿野っちさ~!!もっと緊張を和らげてあげられるようなましな声掛け出来ないのぉ!?あ、無理か。筋肉バカだもんねぇ~」
「ちょっと!?もっとましな道は無いわけ!?」
「運転中なんだ!話しかけないでくれ!」
……うん。たぶん。
というか、後ろ側の小窓から凄い文句言われているのだけれど、憧れの人が。
「君もさ~、はっきり言っていいからね?阿野っち、もっと気を遣えよって!」
「北上さん、あまり彼を弄らないであげてください。彼はこれから…」
「わかってるってば。でも気を引き締めすぎんのも考えもんだよ」
小窓を隔てて聞こえる声。うーん。
今まで閉めていたから気にならなかったけどさぁ…後ろの娘たち騒がしいぞ。
とは言え、彼女たちも僕のワガママに付き合ってくれているんだよな。そう思うと僕は申し訳なく思った。
「阿野ちゃん、ラジオでもかけたらど~お?気分転換に最適じゃないかしら~?」
「お、いいね~!」
…うーん前言撤回。
なんか遠足気分だよね、この娘たち!?
「ボリューム上げときなさいよ?こっちの荷台部分に聞こえるくらいに!」
「あら、叢雲さん。ワガママばかり言ってはいけませんよ?それに大和みたいにちゃんと耳を澄ませば、音が小さかろうと聞こえるはずですよ?」
「いちいち突っ掛かってくるのね、アンタ!?」
ギャーギャー!!!
あの…阿野さん。この車、トラックでしたよね?荷台部分、上げられましたよね?こんなこと言ってはいけないと思うんですけれど、荷台部分上げません?
「…全く。これから鎮守府を奪還、取り返しに行くっていうのに呑気な人たちね」
「まぁまぁ…加賀さん。六艟と空の要塞共同での作戦です。仲間割れはご法度ですよ?」
「……そ、そうですよね!鳳翔さん!」
「あ~!加賀さん顔真っ赤か!…とりあえず卵焼きたべりゅ?」
…上げましょうか、阿野さん?
「君の言いたいことはなんだかんだ分かるぞ」
…さっきからトラックの荷台を上げるレバーを掴もうとしては手を震わしている阿野さん。きっと色々葛藤しているんだろうな…。
そして阿野さんは気分を切り換えるためだろうか、カーラジオをつけた。
車内に軽快な音楽が響き渡る。
あ、この曲は……。
その曲に聞き覚えがあった僕は、思わず目頭が熱くなるのを感じた。後ろの娘たちはそれに気が付いていないようだったが、隣にいた阿野さんは僕の表情の変化に気が付いたようだ。黙ってハンカチを渡してくれた。
懐かしい思い出が一気に蘇ってくる。
本当に短い間だったが、僕たちは友だちになれた。
でももう二度と。
彼女の替え歌を聞くことは出来ない。
もう二度と。文句を言いつつも何だかんだ手伝ってくれた彼女に礼を言うことも出来ない。
もう二度と。時には凛とした顔で、時には優しい顔で見守ってくれた彼女に提督として認めてもらうことは出来ない。
僕はそんな『二度と出来ない』をもう二度と味わいたくはないんだ。それだけじゃない。仲良くなることはおろか、しっかりと話すことさえ出来なかった娘たちがいるんだ。仲良くなる前に終わりだなんて、絶対に御免だ。
カーラジオから流れていた懐かしい曲が全く知らない曲に変わった。
でも僕は感じたんだ。これから僕がやろうとしていることを…見えないところで彼女たちはそっと背中を押してくれているって…!
「…いよいよだ。気を引き締めろ!」
阿野さんの鬼気迫る声に、僕は湿った自分の拳をこれでもかと握り締める。そして衝撃に備えることにした。
…思えば、この奪還作戦は付け焼き刃、思い付きのような作戦。
まさにぶっつけ本番というやつだ。
でも。僕はやるしかなかった。
「ふぁーあ…陽炎ちゃん、おはよう」
「あら、睦月?おはよう」
鎮守府の門にはまるで何かを警戒しているのか、見張りのように立たされた艦娘が二人、まだまだ早朝と言われるような時間帯で眠気眼を擦ったり、欠伸をしながら背筋を伸ばしたりしているようだ。
そして不意に陽炎が睦月に話しかける。
「…榛名さんも神経質よねぇ。鎮守府の歩哨を怠るな、だなんて…」
「うん、そうだね。はぁ、でも…みんなバラバラになっちゃったね。川内さん達は地下牢に幽閉されちゃうし…赤城さんたちは居なくなっちゃうし…」
「そう言えば、睦月は元々反長門…いえ、そんなことを言ったら長門さんに失礼ね。榛名さんの会合には呼ばれていなかったもんね。そりゃ混乱するわ、私も困惑してるし」
「うん、あれよあれよと話が進んで…でもみんなはバラバラで……もう何が正しいのか分からなくなって…。それで赤城さんを頼ろうとしたんだけど、いつの間にか居なくなっちゃってて…それで」
「睦月みたいな中立派が一気に榛名さんの指揮下に入ったわけか」
「…うん」
陽炎は思っていた。
睦月の発言からも分かるように、長門という主柱を失った鎮守府…そこに所属する艦娘の大多数が榛名の宣言の下、反人間へと舵を切った。もちろん陽炎もそれに従う一人なのだが、今は亡き長門や陸奥と同じくらいこの鎮守府に長年身を置いてきた艦娘…赤城や天龍、木曾の姿が一切見えないのだ。彼女たちのような古兵がこの鎮守府を見限ったとは到底思えないのだが…いや、それだけではない。艦種を問わず、榛名の宣言以来この鎮守府から姿を消した者が何人かいるようだった。
そして最初こそ反人間で一致団結していた自分たちだったが、榛名がその後何かをするということもなく、てっきりすぐにでも実力行使に移るだろうと思っていた私達は面食らったのだ。
唯一私達に任されたのは、今やっている交代制の歩哨くらいだろう。まだ彼女の宣言からあまり日が経ったわけではないが、あの日から私達は海へ出ることも禁止されている。また真偽は不明だが、数日前に素性の知らぬ艦娘をこの鎮守府に引き入れたという噂も出ている。戦力を拡大したということなのだろうか…だが何故私たちに何の報告も無いのだろう?
困惑を隠せないのが本音だ。
「まぁ、やるしかないのよ」
いったい何をやるというのか。
反人間と言っても、具体的に何をすればいいのかなんて私には思い付かなかった。だけど呟くように言った、まるで自分の判断が間違っていたと絶対に認めない…と言った具合に。
「…なんか聞こえない?」
そんなことを考えていると、耳元に手を充てた睦月が訝しげな顔で私にそう言う。
…確かに聞こえる。
唸るような音。機械音。
それがエンジン音だと分かった時、私と睦月は顔を合わせて疑問を口にしていた。
…珍しい。普段は風に揺られた木々のざわめきしか聞こえないのに。
そして私は目を見開いた。
目が一点だけを見つめてしまっているので、隣にいる睦月の様子は確認できないのだがおそらく私と同じような表情なのだろう。
…最初こそ胡麻粒のように小さかった黒い点がどんどんとその形を認識出来るくらいの大きさに変わっていく。
徐々に巨大化するそれに比例するようにエンジン音も大きくなるのだ。
「ま、まさか突っ込んでこないよね?」
ようやく見れた睦月の表情はひきつっているようだったが、きっと私も同じような顔をしているのだろう。
とてつもない鳴動。
地鳴りのような轟音を響かせながら、鉄の塊が鎮守府の門へと突っ込んでくる。クラクションが耳にうるさい。
そう言えば、前にもこんなことが……。
「ぎ、艤装を…!」
震える私の声。
何とかしなければという思いとは裏腹に後退りしてしまう足。荒くなる呼吸。
「無理!逃げるにゃしい!!!」
結局、私は艤装を展開することも出来ず…睦月に手を引かれるまま、鎮守府の門から離れることだけで精一杯だった。勢いを殺すことなく迫る車輌に、思わず私たちはその場にしゃがみこむ。そして凄まじい風圧が私たちの目と鼻の先を駆け抜けていった。
そして間もなくして。
無惨にも。
鎮守府の門は、数秒前に私たちの目の前を走り去っていったトラックによって吹っ飛ばされてしまった。