仲良くなりたいっていう気持ち、忘れちゃダメだよね 作:雨降り
「貴方の名前は?教えて頂けませんか?」
古鷹が嬉々として振りかざした大鎌。
それはその先端から鮮やかな血液を滴らせながら、まるで加古の体を傷付けたことを喜ぶかのように、太陽光を反射させ黒く輝いていた。
対して流血の止まらない上腕を苦悶の表情で抑える加古は、その腕から伝い落ちる血液を地面に滲ませながら弱々しい声で言った。
「…古鷹、ごめんな」
「――どうして私の名前を知っているんですか?」
「ごめん…本当にごめんな」
俯いたまま、掠れるような声で喋る加古に、古鷹は何故だか言い様のない気持ちの昂りを覚えた。そして恍惚の表情を浮かべ、手に握った鎌を再び大きく振り上げる。
「――いいですよ…とてもいい!!とっても気持ちがいい!!名前でさえ知らない貴方に、私はこんなにも胸の高鳴りを抑えられないなんて――最高ですッ!」
加古は振り下ろされた鎌に横殴りされ、その身を地面に転がした。そして小さな呻き声を上げながらも、消え入るような声で古鷹――大切な人に謝り続ける。
「…ごめんよ、古鷹。あたしが悪かったよ…ごめん」
「私は貴方を知らないのに、貴方は私を知っているんですね――いいでしょう…本日、只今をもって私が貴方を知ってあげますよ――尤も私に無惨に切り刻まれた屍としてですけどね…!」
横に大きく薙ぎ払われた鎌が艤装を纏わぬ加古の体を容赦なく傷付ける。だが次第に身動きのとれなくなる体を庇いながらも、加古は決して戦おうとせず、どこか泣きそうな顔で謝罪を口にするのみ。
その姿により一層の加虐心を増幅させた古鷹は絶叫にも似た歓喜の声をあげ、加古に迫る。
「――その首!掻き切らさせて頂きます」
加古の白い首筋。
そこに黒光りした鎌が充てられた――かと思われたその瞬間。
「何してんだ!?お前!!!」
古鷹の体はそんな怒りと驚きを孕んだ声を聞きながら、大きく横へと突き飛ばされていた。
「大丈夫か!?加古!」
そして視線を先程まで自分がいた場所へ遣れば、加古の体に寄り添いながらも自分に砲を向ける複数の者たち。
古鷹は強い苛立ちを覚えた。
――理由は分からない。でも敵が増えたからとかそういう次元ではなくて…なぜかその者――加古と呼ばれた者が自分以外の存在に囲まれている光景――それは見ていて心地よいものではない…いやむしろ―――
「…不快。不快不快不快!!!」
「すっごく不快ですッ!!!!!!」
呟くような声はいつの間にか憎悪を露骨に表したものへと変わり、対峙した者たちの元へと響き渡る。
「――というかお前…古鷹か?いや、お前は確か…」
「姐さん、お知り合いの方なんですか?」
――どうやらこの者たちも自分のことを知っているようだが…それに古鷹はさらなる怒りを燃やした。そしてそれを言葉に表出する。
「…私を知ってていいのは――そこの…そこにいる加古だけなのおッ!貴方たち…いやお前たちに私を知る権利はないッ!!」
――刹那。
古鷹の翼に黒い閃光が瞬いたかと思えば、彼女は怪しげに灯ったそれを大きく羽ばたかせる。そしてそれに呼応するように漆黒の輝きに包まれた大鎌は、彼女がそれを地に振り下ろした時、大きな衝撃波となって大地を割った。地表から溢れ出した黒い一閃は、地面を捲り上げながらとてつもない破壊力で周りにあるものを薙ぎ払っていく。
「…っうわああぁぁぁぁッ!!!」
「…秋月、みんな!――うわああぁぁ!!」
古鷹のいる場所を中心に、まるで波紋のようにして広がったそれは周囲の木々を薙ぎ倒し、そこにあったはずの木立を一瞬にして消滅させてしまった。
そして破壊の中心点に位置していた者は、不気味な笑顔を見せながらゆっくりと辺りを見回した。
「…フフフッ!少し派手にやり過ぎました――まだ物足りないですが…もうここには用はありませんね」
剥げた大地に山積する樹木。
そこにあるのはそれだけ。先程まで自分の感情をすこぶる揺さぶった者たちは跡形もなく消え去った…古鷹はそれに多少の虚しさを覚えながらも、再び翼をはためかせ空へと舞う。
そしてもうもうと激しく黒煙の上がる目的地へその身を進めようとした―――その時だった。
真下から砲撃音が聞こえるや否や、宙を浮かぶ古鷹は突如真横で発生した爆風に煽られ大きく体勢を崩す。
そして間髪入れずに巻き起こる爆発―――瞬く間に蒼穹は煙と明滅する激しい光で覆われた。
「…まだしぶとく生きていたのですね。結構――それでこそ私も楽しめるというものです」
猛火も衝撃波も――閃光でさえも…華麗に空を飛び、回避すると巨大な漆黒の翼を激しく振幅させ、一気に天上へ。そして突然その動きを止めたかと思えば羽を大きく広げ、空を掴むようにすると、古鷹はその頭を眼前に広がる大地へと向ける。
直後広げた翼をその体に這わせるように密着させると、古鷹は嗤った。そして抵抗を失った体は、徐々に加速しながら降下し始める。
急降下する古鷹――隻眼から放たれた金色の光は宙に残像を残しながら…まるで稲妻のように空を走る。
そしてその視線の先には…歯を食い縛りながらも砲塔を天高く掲げ、必死の砲火を行う者たち。
(――力の無い者たちが無駄な足掻きを見せているのはなんとも滑稽だった)
古鷹は降下する体をゆっくりと――それはそれはゆっくりと捻り始める。そして体を一回転――それを何度も何度も繰り返す。
最初こそ緩やかな速さで…しかし次第にその回転は速度を増し、渦を巻くように急速に回転。すると高速回転する古鷹の体に共鳴するように…その身にまとわりつくような風の流れが出来始めた。そしてその風が何もかもを巻き込むような勢いに成長し、その場の空気を文字通り変えた。
―――荒れ狂う風の鎧。
もはや巨大な竜巻と化した古鷹――それは地表へ到達した瞬間、自然の理を無視した縦横無尽な動きで大地に根差す全てのものを蹂躙した。
□
―――力の差は歴然だった。
さっきまで抱いていた自分の楽観的な観測を呪う。
数ではこちらの方が圧倒的優位に立っていた。秋月たちもいる、負傷しているとは言え加古もまだまだ重傷という感じではない。
―――全員が一丸となって戦えば勝てると思った。
…無理だ、無理だ無理だ無理だ。
今まで味わったことのない恐怖に自身の体が震えていることに気が付いた。そして同時に感じた。まだ恐怖を感じられるだけ――自分は生きているのだと。
「…ね、姐さん」
ところどころ傷を付け、血を滴らせた秋月があたしを呼ぶ。その痛々しい姿にアタシは思わず顔を背けたくなったが、よくよく見ればアタシの周りにいる者たちは自分を含め、皆一様に同じような格好だった。
―――砲弾を意に介さず…むしろ砲弾が破裂した時に生じる爆風を呑み込みながら、その巨大な風の集合体はアタシたちのいた場所を襲った。
なんとか倒木の影に隠れてやり過ごすことが出来たが、おそらくあれがもう少し自分たちの側を通っていたら、まず命はなかっただろう。
強い力にねじ切られたような巨木に、砕けた岩盤を剥き出しにした大地。
―――アタシたちの相手は深海棲艦のそれとは比にならないほどの破壊力を有している。
「…さん!…姐さん!!!」
ふと呼び掛けられた声が、残酷な現実世界へとアタシを引き戻す。そして不安げな表情を浮かべた秋月たちがアタシの顔を覗き込んでいる。
――怖い。
そんな言葉を発さなくても分かった…アタシたちの現状なんて――風前の灯火だって。
「……ろ」
「…え?」
だからこそアタシは言うしかなかった、言ってやったんだ。腹から声を出すようにして、言ってやったんだ。
「…お前たちは逃げろ。ここはアタシが引き受ける」
顔が強張っちまって上手く笑えたかどうかは分からないが、秋月たちに己の恐怖を悟られないように最大限口角を上げる。
「そ、そんな!ダメ!絶対にダメです!」
秋月を始めとして、アタシのことを取り囲むように「ダメ」だとか「嫌」だとかいう言葉が皆から発せられる。
―――本当に優しいなお前らは…。
アタシはそんな言葉に胸から込み上げてくるものを感じながら、それをなんとか呑み込む。
そして大声で秋月たちの言葉を制した。
「無駄に死のうとするんじゃねぇ!!どう見てもこんなの負け戦だ!活路も希望もなんもありゃしねぇよ!」
「…そ、それなら尚更」
「…バッカ!古鷹がそれを許してくれると思うか!?やんなきゃいけねぇんだよ!古鷹を引き付けて、逃げる時間を作る奴が!!」
「…で、でも。でも姐さんを置いていくなんて!」
「…秋月、みんなよーく聞いてくれ。――お前ら五人が無事だったこと…それはアタシにとってすごく嬉しいことだったんだ!―――その拾った命をどうか大切にしてくれ!頼む!」
「…姐さん」
息を呑むような声が、アタシの下げた頭の上から聞こえてくる。そして静かに顔を上げると、涙ぐむ秋月たちの姿があった。
―――荒くれ者、臆病者。
それがいつもアタシを揶揄する言葉だった。
もちろん鎮守府の仲間たちだって悪気があって、そう言っているわけではなかったのかもしれない。
アタシだって気に病むほど気にしていたわけじゃない。だけど居心地が良かったわけでもない。
そんな悶々とした想いを抱えていたアタシに。
そんなアタシに秋月たちは「姐さん」と言って、慕ってくれたんだ。
―――妹分を守るのはあたり前だよな。
「オラァ!お前らはアタシを姐さんって呼んでるんだから、姐さんの言うことはちゃんと聞かねぇとな!」
アタシはそう言って、腕を掴もうとする秋月たちを押し退けると、隠れていた倒木の上に躍り出て大声を張った。
「アタシは防空重巡洋艦――摩耶様だあ!!」
そして乱雑に…無闇やたらに砲撃を行った――まるで天地に轟かせるように。するとでたらめに放たれた砲弾は、着弾して大きな爆発音を轟かせた。
ただひたすらにそれを繰り返す。
これだけ派手にやりゃあ……!
「…さぁ!お出でなすったあッ!!」
アタシの猛爆はどうやら古鷹を誘きだすことに成功したらしい…地表すれすれを滑るように飛び彼女は、アタシの間近へと迫ってくる。
―――姐さん!
そんな声が耳に届く。
そしてアタシはその声のする方向を一瞥するとただ叫んだ。
「行けぇッ!!!秋月!皆を連れて早くここから離脱しろォ!!!」
声にならないような何かが聞こえる。押し殺すような何かが聞こえる。それでも―――それでも最後にはアタシの望んだ答え―――離れていく複数の足音が聞こえた。
――それからアタシは二度と振り返らなかった。
古鷹の自由自在な動きに何度も砲身が右往左往する。
そして低空飛行のまま、徐々にその姿かたちがはっきりと分かるくらいに彼女が近付いて来た時に、アタシは砲塔が破裂するんではないかというくらい砲撃を行った。
「――――オラオラオラァッ!!!」
激しいフラッシュに目を眩ましそうになるが、決して目を閉じることはしない。
――もし目を閉じてしまって、秋月たちの元へと古鷹を行かせてしまったら…ダメだ!それだけは絶対にダメだ!
幾つもの閃光が空を駆け、弾雨となって…そして消えていく。
今のアタシはいったいどんな顔をしているのだろう。
迫り来る古鷹は、その手に握った鎌を地面に這わせて不快な音を立てながら、アタシの喉を捉えようと嗤っている。
――せめて。
せめて秋月たちが逃れる時間を稼げれば…そんな想いでアタシの頭はいっぱいだった。
□
―――体のあちこちが痛い。
だが地に背中を付け、青空がどこまでも広がっているのを見るとそんな痛みは忘れてしまう。
ふぅと息をつくと再び目を閉じようとして、あたしは気が付いた。そして重い瞼を無理に開け、今自分の頭を過った「それ」について想いを巡らす。
そして思わず笑みが溢れた。
――なんだ、意外と簡単なことだったのかもしれない。
あたしは上体を起こすと、大きく伸びをする。体の至るところからポキポキと骨の鳴るような音が聞こえたが、不思議とそれが心地よい。
――あたしもあの人間さんやあの娘みたいにちゃんと向き合えば良かったんだ。
かっこつけずに、ありのままの自分で…!
あたしの本当の想い…それを伝えれば良かったんだ。
「今度ちゃんと礼を言わなくちゃね」
あたしは膝に力を込めるとそのまま勢いよく立ち上がった。そして「んー」と再び伸びをする。
…まずは。
あたしの大切な人―――古鷹を探さないと。
薙ぎ倒された木々の間を駆け抜ける。崩れかかった大地を飛び越える。そして断続的な砲声を耳にしたので、急いでその方向へ走り行く。
…案外居場所なんて簡単に分かるんだね。
あたしの視線の先には、摩耶が張った弾幕を軽やかに回避しながら突っ込んでいく古鷹の姿があった。
「…ひゅう、さすがぁ!」
あたしは多分、今最高の表情を浮かべているに違いない。そしてあたしの瞳は、今最高に煌めいているのだろう。
「艤装展開!」
今のあたしの気持ちを表すように、全砲門が唸り声をあげながら稼働する。
―――着弾地点はもう決まってるッ!
あたしの砲塔…その全てが同じ方向を向き、砲火を浴びせるのを今か今かと待っている。
そしてその時は来た―――
古鷹が摩耶にその巨大な鎌を振りかざそうとした時…あたしは叫んだ。
「古鷹にそんな武器は似合わねえぇぇ!!!」
あたしの想いを込めた全力の砲撃。
――その光景はまさに砲煙弾雨。
硝煙の匂いが心地よい。
着弾時に轟く爆音が耳に心地よい。
そして猛煙の晴れぬ間に、あたしは全速力で着弾地点へと駆け出した。砲身から白煙が出ているがそんなものであたしの視界は揺るがない。
あたしの視線は…いや心は間違いなく標的へと向かってずれることはない――それこそ寸分の狂いもなく。
そしてそこへ辿り着いた時には、煙も晴れて大分視界もクリアになっていた。
「…ゲホッ!ゲホッ!!!」
「お、摩耶!生きてたね」
爆心地から少し離れたところ。
そこで踞りながら咳き込んでいる摩耶の元へとあたしは駆け寄る。
「か、加古!?お前無事だったのかよ!?」
「もちろんよ。摩耶こそあたしの砲撃喰らってよく無事だったね…と思ったら足がかなり損傷してるじゃない」
摩耶はあたしの言葉に絶句していた。そして目を丸くして、急にワナワナと震え始めたかと思えば、顔を赤くする。これは助けを呼んで来ないとかな。
「…て、てめぇ―――アタシを殺す気か!?」
「いやいや、ちゃんと狙ったから大丈夫でしょ」
「…んなっ!?ば、バカヤロー!―――下手したらアタシは…」
そこまで言い掛けると、彼女は辺りを急に見回し始めた。そして耳打ちするように言う。
「…古鷹は?」
その答えに返答する必要はないだろう。なぜならあたしも彼女もすぐにその答えを知れたのだから。
「やってくれましたね…?」
―――黒煙の燻る翼。
古鷹がそれを引き摺りながらこちらへ迫ると、その綺麗な黒色の羽の断片が少しずつ抜け落ちていく。
「…お、おい!?」
あたしは制止する摩耶の声を無視して、ゆっくりとこちらに歩み寄って来る古鷹の元へ。
「…フ、フフッ!貴方の方から私の元に来てくれるとは―――いいでしょう…最高の晴れ舞台にしてあげます」
嗤いながら、鎌を構える古鷹。
でもあたしは構わず彼女に近付いていく。
そして立ち止まり、息を大きく吸い込むと、頭を下げてずっと伝えたかった想いをぶちまけた。
「…古鷹、本当にごめんなさい!!!」
「……何の真似ですか?」
―――グチャッ!
肉を抉るような音が鼓膜に響いた時、あたしの腹部には激痛が走っていた。
見れば鎌の先端部分があたしの腹に深く突き刺さり、おびただしい量の血が鎌を伝って流れ落ちている。
だけどあたしは、そのまま鎌を両手で掴むと笑った。
「…もっと古鷹に自分を見せれば、自分のことを話していたら…こんなことにはならなかったのかな…」
「…ッいったい何を!?何をわけの分からないことを言っているんです!?」
鎌に力が込められたのが分かった。ズブズブと腹部に食い込む異物を感じながらも、あたしの目は、爛々と輝く瞳を捉えて離さない。
「…何なんですか!?貴方は!?」
そう言えば…古鷹の顔をこんなにもちゃんと見たのはいつ振りだろう。相変わらず可愛らしい顔をしているな。そんなことを思う。
そしてあたしは、もう少しで触れられそうな古鷹の体へと向かって一歩また一歩と踏み出した。
「…ッ!」
腹部にさらに食い込む鎌。
口元からどす黒い血が吹き出した。
だけどこんな物の為に…ようやく古鷹に触れられそうなのに…。
―――痛みなんかもうどうでもよかった。
「か、加古ぉ!何してんだよ!?」
「く、くそ!足が……!」
―――誰かの声が聞こえる。
だけどあたしにはそんなのどうでもよかった。
どうやらようやく古鷹にちゃんと向き合えそうだ。
あたしは古鷹を思いっきり抱き寄せた。
―――ズサアッ!
「…な!?み、自ら貫かれにくるなんて…!?死の間際に立たされ狂いましたか!?」
「…古鷹」
あたしはそのまま力強く…今まで出来なかった分を取り返すかのように力一杯彼女を抱き締めた。
「…古鷹、古鷹」
―――彼女の名前を呼ぶ、何度も何度も。
―――彼女を抱き締める、何度も何度も。
―――彼女を感じる、あたしの全てで。
「―――あ、貴方はいったい!?…ッ、アアァッ!!頭が、頭が痛いッ!!」
苦悶の表情を浮かべ、鎌から手を離すと古鷹は頭を抱え込んだ。
「…あァッ!―――あアアッ!!な、何が…何が私の中で起きているんですか!?た、助けてマザー!!!」
「―――グアアアッ!!痛いッ!痛い痛い痛いッ!頭が割れるように痛い!!!」
「…う、ウグアアッ!や、やめて…私を…私を」
「…うああああああああああッ!!!」
古鷹の叫び声を聞きながら、あたしは徐々に弱まっていく手の力に必死で力を込めようとしていた。
…あぁ、やっと。
やっと古鷹に向き合えそうだったのに…。
霞んでしまった目では古鷹の顔がもうちゃんと見えないじゃないか…。
弱くなった腕の力ではもう古鷹をしっかりと抱き締められないじゃないか…。
震えるだけで音の出ない喉ではもう古鷹とお話が出来ないじゃないか…。
―――次第に遠くなる意識。
もう古鷹の声でさえ聞こえない。
だけどあたしは心の中で言ったんだ。
(…ごめんね、古鷹)
□
―――その光景は異様だった。
そこだけこの世界とは切り離されたような異空間。
そんな風にアタシは思った。
でも加古が静かに倒れた時―――そんなことなんか頭の片隅に追いやって、アタシは役立たずの足を引き摺りながら、なんとか彼女の元へと行こうとした。
そんな時にアタシは、消え入るような声を聞いたのだ。
「…か……こ?」
その声の主はすぐに分かった。
ほんの少し前、絶叫を上げたかと思えば、頭を抱え込んだまま黙してしまった古鷹が虚ろな瞳で加古を眺めている。
そして横たわる加古の体を何度も何度も揺さぶり始めると、次第に光を取り戻す古鷹の瞳。
「加古!加古ォ!!!いや、嫌だよぉ!!!」
「違う、違う違う違う!!!加古が謝る必要なんかないの!!私が…私が加古の優しさに気付けなかったの!」
「――お願い!お願い!!!目を開けてよ…加古!!」
必死の形相で加古に叫び続ける古鷹を目の当たりにして、アタシは思わずその場から動けなくなってしまった。
でもアタシは嫌な予感がした。
―――古鷹が目から涙を溢しながら、狂ったように笑い始めたのだ。そして加古に突き刺さった鎌を引き抜く。
アタシは彼女の名前を叫ぼうとした。
でも結局、アタシの口からその名が出ることはなかった。
「加古…ごめんね。大好きだよ?」
アタシの目の前で―――古鷹はその体…心臓部分に鎌を突き立てた。鮮血が飛び散り、そして古鷹は加古に覆い被さるようにして倒れた。
アタシはもう何も感じられなかった。
体に力が入らなかった。
…ただひたすらに目の前で起きた出来事を理解しようと頭を動かしている。だけど何も分からない。
先程まで止んでいたはずの穏やかな風が再び吹き始めた。アタシはそれが頬を撫でたことで、ようやくアタシの頬が濡れていることに気が付いた。
「あ、あははははははッ!あははははははははッ!」
頬を伝う何かは、地面に落ちると吸い込まれるように消えていく。
まるで寄り添っているかのような二人を前に、アタシはただただ―――壊れた機械のように笑い続けることしか出来なかった。