Neptune~蒼海の守護者~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
第四章:落とされた火ぶた(前篇)
「食事の件を辞退したい?」
思わず聞き返した蒼に対して、紺野は申し訳なさそうな様子で頷いた。
「艦長のお気持ちは大変ありがたいですし、自分もとても嬉しかったのですが…。該船を取り逃した挙句、柳田二尉まであんなことになってしまって。今のこの状況で、海士の自分がぬけぬけと食事になんて出かけられないですよ。それも艦長の奢りでなんて」
「そこに関しては、あなたは責任を感じるべきじゃないわ。該船を取り逃したのも、柳田が負傷したのもあなたのせいじゃないもの。むしろ、あなたがあの時見つけてくれたからこそ、私たちはあの船に対処することができたのよ。私にはいずれにしても、上官としてあなたの働きにきちんと報いる義務があるの」
蒼はそう言いながらも、半泣きにさえなりながら、頑なに首を振る紺野にいたたまれない思いだった。何せ、結果的に自分が言伝を伝えに行った相手が、その任務によって目の前で重傷を負う羽目になってしまったのだ。ましてやその相手は幹部である。海士長の紺野から見れば、二等海尉の柳田だって遥かに上の世界の住人だ。真面目で仲間思いの彼女が、辞退したいと考えるのも自然な成り行きなのかもしれない。
「まぁでも、あなたの思いも汲んであげないといけないわよね。自分の仲間を思うその気持ちは立派よ、これからも大事にしなさい」
そう言うと、蒼は妥協案を提示した。
「じゃあ、とりあえずこの話は当分延期ね。柳田が元気になったら、その快気祝いも兼ねての開催にしましょう。それなら、あなたも気兼ねなく行けるでしょ?」
「快気祝いも兼ねて、ですか」
「そう。お店のチョイスは任せたわよ。あなたの好きなところでいいから、一番のおすすめを考えておくように。艦長命令よ」
「うえっ!?幹部お2人が来られる食事の店を、私が選ぶんですか!?」
驚いて目を見開いた紺野に対し、蒼はウインクしながら口元に一瞬笑みを浮かべた。
「当たり前でしょう。柳田も参加させると言ったって、これは元々あなたに対する論功行賞なのよ。あなたが一番行きたい店に行かなくてどうするの。そんなところまでいちいち遠慮するんじゃないわよ」
「あ、ありがとうございます…」
紺野はなおも申し訳なさそうに、しかし少し安堵したような表情を浮かべつつ頭を下げる。その律儀な態度に、蒼は優しく微笑んだのだった。
「失礼します」
佐世保への帰投後。国防海軍佐世保病院に緊急搬送された柳田の病室に、蒼は足を踏み入れた。視線の先には、既に黒川や灰原をはじめ数人の部下たちが顔を揃えている。なんと、柳田も目を覚ましてベッドの上に起き上がっていた。頭と右目を覆う包帯が痛々しいが、少なくとも元気な様子ではあるようだ。
「お疲れ様です、艦長」
真っ先に蒼の姿に気づいたその柳田が、ベッドの上で頭を下げる。それにつられて、振り返った他の部下たちも一斉に敬礼した。
「具合はどう?柳田」
「まだちょっと痛みはありますが、何とか大丈夫そうです。ご心配かけてすみません」
「何にせよ、命に別条がなくてよかったわ。それが何よりの知らせよ」
苦笑いを浮かべた柳田に向かって、蒼は満足そうに頷いた。
「診断は目の打撲と角膜上皮剥離、それと瞼の裂傷。幸運にも、視神経や骨には異常がありませんでした。安静にしていれば2~3日で痛みも取れますし、1週間あれば剥離も完治すると思いますよ」
帰投中の艦内で柳田の一次治療にあたったふそう医務長、
「とりあえず、視力には影響がなくてよかったわよね」
「正直かなり危なかったですけどね。当たったのがたまたま瞼のあたりだったので良かったですが、あと数ミリずれていたら間違いなく失明してましたよ」
橙木が大きく息を吐きだした。
「それと、今回は病院がとても手際よく処置してくれたので良かったですが、もしかすると場合によっては顔に傷跡が残るかもとのことです。もちろん、任務そのものには支障がないであろうレベルですが」
「命は救われたけど、女としては致命傷ってことね。せっかく綺麗な顔で生まれてきたのに、こんなことで傷がつくなんて残念ね…」
そうため息をついた蒼に対し、当の柳田はあっけらかんとして笑った。
「何言ってるんですか艦長。名誉の負傷でしょ、こんなもの。この程度の怪我なんて我々6分隊にとっては今に始まったことじゃないし、大したことじゃありませんよ。軍人稼業は命がけ、沿岸警備隊員になった時から女なんかとっくに捨ててますって」
「流石に、目をやられた経験のある人間はそういないと思うけどねぇ。まぁ、そんだけ豪快に笑い飛ばせるくらいのメンタリティが健在なら、また現場に戻ってきてもあんたはうまくやれそうだね」
黒川が苦笑いしながら肩をすくめる。
「当たり前でしょ。何なら今すぐ現場戻りますよ、警備長。病室のベッドの上はすることなくて暇なんですもん」
「馬鹿言うんじゃないの。その怪我が治ってからでないと、現場復帰もへったくれもないでしょ。まずはその包帯が取れるまで、1週間は安静にしてなさい」
即座に厳しい口調でその言を咎めた橙木の言葉に、柳田は一転決まりが悪そうにペロッと舌を出して苦笑した。
「ばってん、何はともあれ何ものうてよかったっさ、柳田ちゃん。うちら、あんたんことば本当に心配したんやけんさ」
灰原が心から安堵した様子で呟く。もちろん、それは居合わせた全員が共通して抱いている思いでもある。負傷した直後はどうなることかと思ったが、少なくともしばらく安静にしていればまた職務に復帰できそうな程度の負傷で済んだ、というのは不幸中の幸いである。…、本当ならこんな怪我などせずに済むのが一番よかったのだが。
「艦長。とりあえず柳田が復帰するまでの間、1番艇については自分がマネージしたいと思いますがよろしいですか。もちろん、あくまでも臨時の人員配置ですが」
「そうね…。ひとまずそれでお願いするわ。1週間で元に戻せるといいけどね」
「そうですね…」
黒川はそう同調した後、ふと忌々しそうに表情を歪めて吐き捨てた。
「それはそうと、柳田に怪我させた張本人はいつになったら現れるのさ」
その一言で、一瞬にして病室内の空気が重苦しいものに変わる。柳田が運び込まれてから、ここで接した海軍側の人間は全てこの病院に勤務する医官の面々たち。船乗り、特に柳田が負傷する直接の原因を作った駆逐艦はるなの乗員たちは、誰1人としてここに顔を出してきてはいない。柳田が入院した情報は当然彼らにも伝わっているはずだが、全く音沙汰がないことに内心沿岸警備隊側は不信感を強めていた。
加えて、事前に「手を出すな」と打電していたにもかかわらず勝手に砲撃され、拘束するはずだった第六十二円竜丸の乗員たちを船ごと沈められたことについても、ふそうクルーは揃って怒り心頭だった。一番やって欲しくなかったやり方で、NSCから任されていた仕事の段取りをぶち壊され、おまけにこちらには重傷者まで出たのだから当然である。帰投中にも当然無線では抗議したのだが、相手の反応はお互いの顔が見えないせいか、やけにつれなかった。叶うならば、港で次に遭遇した時に全員ぶちのめしてやる、というほど場の空気が殺気立ってきたまさにその時、その男は前触れもなく現れた。
「失礼します。柳田二尉の入院されている病室はこちらですか」
大急ぎで駆けつけてきたせいだろう、慌てている様子がうかがえるその声に、その場にいた全員が振り返る。そこに立っていたのは、アスリートのような爽やかな空気感をまとう海軍士官。先の不審船事案で現場に立ち会っていた、もう1人の艦長だった。だが、今日の彼の顔には焦燥感がありありと浮かんでいる。
「河内少佐…!!」
蒼がそう呟くのを聞いてか聞かずか、河内は柳田の姿を認めると一目散にこちらへ駆け寄ってきた。柳田があっけにとられている目の前で、床に膝まずく。
「この度は、我が軍の勝手な行動でこのような怪我をさせてしまうことになり、誠に申し訳ありませんでした。国防海軍の一員としてお詫びします」
一同があっけにとられる中、何度も頭を下げる河内。その彼に向かって、一足早く我に返り厳しい口調で言葉を投げかけた者がいた。灰原だった。
「あんたが河内少佐と。あんたには聞きたかことがあるけん、謝罪はそん辺にしてこっちん話に付き合うてもらおうか」
「あなたは…」
「ふそう測量長、一等海尉、灰原美弥。警備・測量科でん柳田ん上官ですばい」
ドスが利いた灰原の言葉は、芯まで怒りの色に染まっていた。思わず掴みかからんばかりの勢いで、河内に食って掛かる。
「なんであん場面で、勝手にいきなりはるなが砲撃したんと?なんでそのせいで、うちん柳田がこがん目に遭わんばならんのか?説明せんね!!」
「それは…」
「あん包帯でグルグル巻きになった顔ば見んね。あんた方が勝手にしゃしゃり出てこんば、柳田はあがん怪我なんて負わんで済んだんばい。うちん部下はもう少しで失明するところやったんばい。こん責任、一体どう取るつもりと!!」
顔を真っ赤にして憤る灰原。それを諫めたのは、意外にも当の柳田だった。
「測量長、お気持ちは嬉しいですけどそこまでにしましょ。いくら個室だからと言ってここは病院ですよ」
「ばってん!!」
「やめなさい、測量長。柳田の言う通りよ」
蒼がぴしり、と投げかけた言葉に、ようやく灰原は口をつぐんだ。不審船発見情報を伏せて勝手に仕事に介入された挙句、自分の部下に怪我まで負わされたことに対して、最も激しく怒りを感じていたのは彼女だ。恐らく同じ現場に居合わせた海軍の人間を前に、感情が大爆発したのだろう。立ち尽くしたまま顔を伏せた彼女の目からは、涙があふれ出ていた。それを慰めるように肩を2、3度叩いてから、今度は蒼の厳しい視線が河内の方に向く。
「河内少佐。こうして見舞いにわざわざ来てくれた心意気は買うけど、うちの灰原が今回の件でこれだけ怒るのも無理からぬことと分かるわよね。言っておくけど、この件で部下がいらぬ怪我を負わされてブチ切れてるのは私も同じ。今の質問の答え、きっちり説明してもらうわよ」
「っ…!!」
静かではあれど、その有無を言わさない凄みをまとった言葉に、河内は思わず口をつぐむ。しばしの沈黙の後、ようやく彼の口から出てきたのは意外な言葉だった。
「あの砲撃は…、はるな艦長の津軽大佐が独断でやったことだ」
「独断…?」
「あぁ。僕らふぶきの乗員にも、ターゲットを砲撃するなんて連絡は全く伝わってきてなかった。あなた方と同じように、僕らも砲撃直前で初めてその意図に気づいたんだ」
「なぁ、少佐殿。三佐である私に対してならともかく、一佐である艦長に対してその口ぶりは流石に無礼なんじゃないかい。軍人としての口の利き方が分かってないようだね」
「いいのよ、警備長。彼は階級こそ違っても私と同い年。タメ口を許した間柄よ。そこについては責めないで」
こめかみに青筋を立てた黒川の言を、蒼は即座に制した。再び河内の方に向き直る。
「なぜ彼はそんな勝手な命令を下したの。1番艇を送るから手を出すな、と事前に打電したはずよ。まさか、電文が受信できてなかったと言うんじゃないでしょうね」
「そんなはずはない。少なくともうちの船では確かに受信していた。だからこそ、僕らは指示通り手を出さなかった。はるなの方でも当然把握はしていたはずだ。なのにそれが無視された。何を考えてるんだと僕だって焦ったくらいだよ」
まさか、津軽があんな暴挙に走る人間だとは思わなかった、と河内は嘆いた。
「あなたは恐らく深いところまでは分からないだろうけど、はるなが暴走した理由については思い当たる節はあるの?」
「分からない。恐らく、ターゲットの乗員が彼女たちにRPG-7を向けたから、援護射撃のつもりだったんだろうと思う。それとあの時…、既にNSCからは海上警備行動が発令されてた」
「海上警備行動が…!?」
初耳の情報に、思わずその場にいた沿岸警備隊員全員が顔を見合わせる。河内を問い詰める蒼の口調が、より一層鋭くなった。
「どういうこと?その一報は我が船には届いていなかったわよ。なんで沿岸警備隊には通知が来てないのよ。その話、間違いないんでしょうね?」
「事実だよ。こんな状況で嘘なんかつけると思うのか?」
「発令されていたのはいつ?」
「ちょうど、君たちとターゲットの間での最初の銃撃戦が止んだ後だ」
「銃撃戦の後…?」
蒼は、その言葉を繰り返した。あの時、該船乗員に無線が傍受されている可能性にふそうクルーの面々は既に気が付いていた。恐らく、葛城は全ての通信回線に侵入の形跡や不具合がないかどうかを調べていたはずだ。そのタイミングでの一報だったから、気づけなかったということか。
「今回僕ら海軍は、ターゲットが自分たちに害をなす行動を仕掛けてきた場合は躊躇するな、と言われて派遣された。だから、何かあれば撃つ用意は僕らの側では常に整えていたんだ。そこに海上警備行動が発令されて、事態対処の主導権が名目上沿岸警備隊から海軍に移った。多分、その一連の流れが彼に引き金を引かせたのかもしれない」
「…そういう大事なことは、もっと早く言ってほしかったわね」
蒼の右拳に、より一層力がこもる。コンクリートの壁をぶん殴りたくなる衝動を必死にこらえながら、蒼は睨むような視線を河内に向けた。
「大体話は分かったわ。だけど、実際にあの船に乗っていた人間に問いたださなければ、どのみち本当のところまでは分からないわね。…、津軽大佐は今どこに?」
「大佐なら今日も基地に上番してるよ。今日は上陸してたはずだけど…、ってまさか今から乗り込んでくるつもりか!?」
自分の言葉を聞くや否や、即座に病室から退室するそぶりを見せた蒼の姿に、思わず河内が目を見開く。
「当たり前でしょう。重傷者がこうして出ている以上、本件は沿岸警備隊としては断じて看過できない問題よ。この不始末は断固として糾弾させてもらうし、あなた方海軍に責任は取ってもらうわ。言い分があるなら、この際白黒はっきりつけましょう。…、分かってるだろうけど、止めても無駄だからね」
そう言うと、蒼は自らの部下たちの顔を見回した。
「これより国防海軍に抗議に向かう。文句言いたい人間は全員付いてきなさい!!」
安静が必要な柳田を除けば、その言葉に異存のある部下は1人もいなかった。あっという間に空になった病室に、河内はあっけにとられたまま柳田とともに取り残されたのだった。
「部下を引き連れてわざわざ艦長直々に出張ってくるとは、いったい何の御用ですかな」
「すっとぼけても無駄ですよ、津軽大佐。我々がこうして怒鳴り込んできた理由、まさか思い当たる節がないなんて戯言は言わせませんよ」
病院と同じ敷地内にある、国防海軍佐世保地方総監部に直接乗り込んだ蒼。他の海軍士官も同席した会議を終えたばかりの津軽を、彼女はほどなくして会議室にて発見する。自分の意図しない砲撃を断行した艦の最高責任者を目の前に、彼女の怒りのボルテージは少しずつ高まっていた。
「単刀直入にお伺いします。我が船から事前に『手を出すな』と打電しておいたにもかかわらず、うちの立入検査隊が該船に接近しているのを知りながら、勝手に砲撃したのは何故ですか」
「何故も何も、我が船は群司令とNSCからの命令に従っただけだ」
津軽はため息をつきながら、いかにも面倒くさそうな表情で答えた。
「我が軍に下った命令は『ターゲットによる有害行動の阻止』だ。海軍や沿岸警備隊の艦艇が危害を加えられた際は、発砲を躊躇するなと命じられていた。だが、実際にはターゲットが貴艦と交戦状態に入った時、我々は最初の銃撃戦が終わるまで手出しができなかった。だからこそ、貴艦の警備艇がRPG-7で沈められそうになったあのタイミングで、さらなる被害を防ぐために撃った。それが理由だ」
「我々からは、事前にNSCや沿岸警備局が本艦に命じた内容を伝達したはずです。ですが、貴艦は海軍側に下った命令についての情報をこちらと共有しようとはしなかった。そこについて落ち度があるとは考えないのですか」
「そこはお互い様だろう。貴艦とて、オリオン事件の際はこちらと十分な意思疎通をせずに勝手に動いたじゃないか。現場をかき回されたのは当時の我々とて同じだぞ」
そもそもあの時、NSCからは既に海上警備行動が発令され、事態対処の主導権は沿岸警備隊から海軍に移っていた。段取りをぶち壊されたと言いたいのかもしれないが、それについては国が命じた以上我々に責められるいわれはない。
「大体何よ。さらなる被害を防ぐため、ですって…?」
津軽のふるまいも相まって、蒼の声にも徐々にドスが利き始めた。
「冗談じゃない。その砲撃のせいで、現に我が船の幹部の中に目を負傷した人間がいる。重傷者という被害が生まれているのですよ。あれほどの至近距離で砲撃すれば、警備艇の搭乗者が無事では済まないことくらい想像がつくでしょう!?」
「だが、幸いなことに犠牲者までは出ずに済んだ」
その言葉に、すかさず津軽は反論した。
「負傷したのは柳田二尉だったな。貴艦の乗員の中に、重症者を生んでしまったことは遺憾に思う。だが、あのままターゲットがRPG-7を発砲していれば、彼女どころか警備艇の搭乗者全員が犠牲になる危険性すらあったんだ」
彼の言はさらに続く。
「どちらにせよ我が船が砲撃しようがしまいが、あの状況では貴艦の立入検査隊は無事では済まなかった。無論最良ではないが、負傷者1名という最低限の被害にとどめることができたのは、そこまで責められるべき結果ではないはずだ。そもそも、元からこちらに帰順する気のない相手に向けて警備艇を送り込んだことの方が、采配ミスとして咎められるべきだ。任務にあっては命がけで事に当たる軍人としての気構えも忘れ、自らの失敗を棚に上げていちゃもんをつけに来るとは…」
次の決定的な一言が、蒼たちの怒りの導火線に火をつけたことに、残念ながら彼は気づかなかった。
「貴官ら沿岸警備隊には、軍人としての覚悟が足らんな」
「何…ですって…!?」
蒼の発する声が、より一層低くなる。彼女の心は、今や怒りと憎悪で煮えたぎっていた。確かに、理屈でいえば津軽の言うことは100%間違いではない。あの状況では、1番艇を夜の闇に紛れる形で送り込ませる作戦は確かにリスクの高い一手だったし、結果的に部下たちを窮地に陥らせてしまったのも事実だ。命がけで任務にあたる軍人である以上、殉職や負傷のリスクが常に背中合わせに存在することだって自覚せねばならない、という指摘も正しい。
だがだからと言って、「怪我を負わせる可能性が高い」と分かっていて撃っていい砲などない。怪我したり殉職したりしても許される人間などというものは、この世に存在などしないのだ。ふそうクルー全248名、そのどれをとっても沿岸警備隊にとっての、あるいはこの日本国にとっての単なる捨て駒などではない。避けられたはずの怪我、それも軍人としては致命傷にだってなりうる目の怪我を部下が負わされておいて、どうして上官が平然としていられようか。それを言うに事欠いていちゃもんだと。
そして沿岸警備隊は、確かに海軍とは違う。国交省の外局である我々は防衛省傘下の所属でもないし、そもそも組織名からして「軍」だとは名乗っていない。そうだとしても、我々だってこの日本国の軍人としての地位を公に認められ、日々厳しい任務や教練にあたり、我々なりに海洋国家日本の海を守り続けてきたのだ。そのプライドを軽んじられることも、蒼は納得がいかなかった。
傷ついたのが海軍でなく、よその官庁である沿岸警備隊の人間だったからよかったのか。大日本帝国海軍直系の国防海軍軍人にとっては、傍流たる沿岸警備隊員の犠牲などどうでもいいと言うのか。蒼の怒りのゲージが、ついに限界点を振り切った。
「あまらんじゃねぇクソッタレが!!表に出れ!!」
かぶっていた制帽をパーン、と勢いよく床に叩きつけて投げ捨てるやいなや、蒼は自分よりも長身で体格のいい津軽に掴みかかった。周囲で様子をうかがっていた海軍士官や兵士たちが、慌てて彼女を止めに入る。それでもなお、津軽に牙をむく蒼はそれを振り切って進もうとし、彼らとの間でもみあいになった。無我夢中で蒼が拳を振り上げようとした、まさにその時。
「お前たち、いったい何をやっている!!」
突然、蒼の背後で聞き覚えのある声がした。無我夢中で押し合いへし合いしていた人の群れが、その声の主の方向に振り向く。ようやく彼らの制止を振り切った時、同様に振り向いた蒼の視線の先には意外な人物がいた。
「は、播磨司令…!?」
津軽の言い分、軍人としての気構えなどからすれば全く間違いとは言い切れないのですが、だからと言って沿岸警備隊側からすれば「はいそうですか」とは素直に聞けませんよね。現に怪我人が出てるわけですもんね。これは蒼や灰原がブチ切れるのも当然かもしれません。どうやら、この事件で両者の対立は決定的なものとなりそうです。
次回は現場だけでなく、政治サイドの話も書けたらいいな、なんてことも考えています。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。