あとがきにおまけもついてます。
「CDの、ジャケットですか」
「ええ」
湊さんに呼ばれて来た猫カフェ。他の猫カフェがどんなものか知らないが、オモチャを無料で貸し出してくれたり短めの時間区分で料金を設定してくれているので気軽に来やすいのがメリットだろうか。
今もお話をしている湊さんの膝の上には大きな三毛ちゃんがどーんと座っている。くわっと大きくあくびをした。人懐っこい猫も多くて良いと思う。
視界の下半分のほんわかした空気と上半分の湊さんの真面目な顔の差が酷い。
「いつも依頼している方が、今回は都合が合わないそうなの。それで、矽に依頼できないかと思って」
「そのCDって、次のライブの時のやつですよね。ということは中身は」
「ええ。あの曲よ。…CDの制作自体は業者に依頼するから、お願いできるのなら…期限は来月の中頃かしら。もちろんお礼はするわ」
ふーん。
まあ、湊さんの頼みだし、スキルアップにもなるだろうし、時間もあるし、お姉ちゃんの為にも…なると思うし。
決断を渋る理由も特にない。
「良いですよ。受けます」
「そう、詳細は今日中にメッセージで送るわ」
手に持った猫じゃらしで湊さんのお腹あたりの空間をかき回す。
膝の上の猫の、白い手が空を掻いた。
「描き始めてからでも、もし無理そうなら言って頂戴。私でもテンプレートで簡単な物なら作れるから無理はしなくていいわ」
「はい。…お願いがいくつかあるんですけど、良いですか?」
湊さんの手が茶色と黒が混ざった背中を撫でる。
「雇用契約こそないですけど、一応は湊さんが上の立場ということにして下さい。私の絵がRoseliaに合わないと思うのなら、それは間違いなく湊さんの方が正しいんですから」
「…わかったわ。他は何かしら」
「湊さんのお願いならいくらでも描きます、とは、残念ですが今の段階では言えません」
みゅう、と、下から声がする。
「CDのジャケットなんて始めてです。今回の絵はなんとか完成させられるように頑張りますけど、次も描けるかは…私にも、わからないんです。だから、次のCDはまたいつもの方にお願いするつもりでいて下さい」
「わかったわ。他にはあるかしら」
「いえ、今のところはそれだけです」
「そう。…では、頼めるかしら?」
「はい。頑張ります」
視界の外から黒い猫が歩いて来て、私の方に寄ってきた。
「ん…」
もぞもぞと私のスカートの中に潜り込もうとしてくる。少し恥ずかしかったので抱えて膝の上に乗せた。
黒い猫は…私に何かを訴えるようにじっと見つめた後…スカート越しに感触を確かめるように私の足を踏みしめていた。
「そういえば湊さん、CDのジャケットって業者さんに発注するならデータでぽんと渡せる方がいいですよね」
「ええ。そうね。」
「………。」
「どうしたの?」
「私、デジタルでお絵かきしたことないんです」
名残惜しそうな湊さんと猫カフェを出て、やってきました家電量販店。
「えっと…何を買うのかしら。私はよくわからないのだけれど…」
「私も詳しくは知らないんですけど、ペンタブ…パソコンに繋いでお絵かきできるようにする機械ですね。知り合いが言うには大きめの家電量販店なら取り扱っているところもあるって聞きました」
インターネットの方々によると、液晶タブレットでなければ、結構安価で、実用に耐え得るものが売っているそう。
今月のお小遣いはピンチだけど、こういう時のためにお年玉や賞金のへそくりがある。
ちなみに私は遠出するとき現金を多めに持っていかないと心配になるタイプ。
「あ、ありました。これですね。ネットの評価も悪くないし、ついてるお絵かきソフトも悪くないそうです」
「…思ったより値がはるのね」
友希那さんが、値札を見ながら言った。
「まあ、一応精密機器の部類ですからね。絵でも歌でも道具でも、技術にはお金がかかりますから」
詳しいことはわからないので書かれている値段とOSが対応しているかだけしっかり見て、あとは軽く目を通した。
「逆に言うなら、使えないモノに価値はないはずです」
高校生の感覚では結構高価なものなのだから、それなりのポテンシャルはあるはずなのだ。
あとは私がこのこを使ってあげられるかどうか。
「付き合ってもらった上に悪い気がするんですけど、私は今日はもう帰りますね。コレ、触ってみたくって」
「そう。画家ってそういうものなのかしら?」
「そうかもしれません。新しい筆を買った時と同じドキドキです」
「…矽は、今回は依頼を受けて描くというつもりなんでしょうけど。私は、矽の絵を楽しみにしているわ。……と、友達、として」
「そうですか。…ありがとうございます、湊さん」
「……いつになったら敬語と呼び方は変わってくれるのかしら」
「お姉ちゃんが敬語じゃなくなったら、私も変えます。呼び方は…友希那さんって呼んだら、お姉ちゃんか私かわからないでしょう?」
「…そう」
「………では、また、友希那さん」
「…ありがとう、今日は楽しかったわ、矽」
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家に帰ってタブレットの設定をして、初めてのペンを持ってぐるぐる線を描きながらジャケットを描くCDの曲を聞いていると、なんだか不安になってきた。
1つ目は、コレを使いこなせるのかどうか。なかなか機能も多くて難しそう。
私は1枚の絵を実際に書いている期間は短い方なのである程度使い方を理解してしまえればコレは大丈夫だろう。
もう1つは…良い絵が描けるのか。
一般受けとか、ジャケットだからとか、そういうことと……。
今回の新曲、なんとなく、変な意味ではなくあまりいい気分がしない。
解釈的には親しい人だとか想いがどうのこうのとか、きっと親愛をテーマにしていて、ひだまりが受け入れられていることを考えるとRoseliaに合わないということはないだろう。
ただ、聞いていると胸が痛いというか耳が痛いというか。
お姉ちゃんへの想いと似通っている部分もある気がしてつらい。
作詞作曲はみなと…友希那さんがしているらしいので、きっと私と友希那さんは似ているのだろう。
発端になった失言事件も、私と友希那さんの想いが似ていたことが原因だった。
この想いももしかしたらきっと、友希那さんと似通っているのかもしれない。
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友希那さんから依頼を受けた日から2週間。
私は放課後の屋上にいた。
つらい。
何が辛いって、毎日タブレットに触って扱いは上達してきたのはいいけど曲の表現がつっらいのがつらい。
そもそも、お姉ちゃんへの想いの向け方すら悩んでいるのに似通ったような雰囲気の絵を描くのが辛い。
あの日の悲しみもなんとかごまかしただけで実際どうにもなっていないのだからつらい。
CDの絵だけじゃなくて絵自体がスランプ気味。
つらい。
滅入った気分のせいなのか、暗く燃えて見える夕日が眩しい。
私だけがいた静寂の中に、突然新しいものが重ねられた。
「…矽さんでしたか」
「風紀委員さん」
落下防止のフェンスに寄りかかったまま、背後の扉が開く音に返事をする。
「もう、下校時間ですよ」
「そっか…ここも閉めないといけないんでしたっけ」
「ええ。…だから、帰りましょう」
振り返って見る。
風紀委員さんは、私は心配していますと一目でわかるほど心配そうな顔をしていた。
「もし、もしですからね。落ち着いて聞いてくださいね」
「…何ですか」
軽い気持ちで言った言葉。それが、余計に風紀委員さんを心配させたのかもしれない。
重い声で言葉が返ってくる。
「私が、コレを超えたいって言ったら、風紀委員さんはどうしますか?」
もたれかかっているフェンスを叩いた。
かしゃんと金属の音がする。
「……矽さん」
「3階建ての建物の屋上では、結構生きていられるそうです。でも、確実に視点は変わると思うんです」
屋上の扉から数歩。風紀委員さんは私の手を強く掴んだ。
「大丈夫です、跳びはしませんよ」
「…矽さん」
掴まれている手首の痛みに耐えながら言葉を綴った。
「ちょっと、スランプなんです」
「絵が、…ですか?」
「絵と人生の、です。…お姉ちゃん好きの人生」
「それは…」
「好きって、どうしてこんなに難しいんでしょうね」
紗夜さんが口を開くと同時に、どこかからバイブレーションの音がした。
すぐに紗夜さんが片手だけでポケットを探り出したのでおそらく紗夜さんにだろう。
画面を見た紗夜さんの顔が綻ぶのがわかった。
「良いですよ。……大丈夫です。跳びも逃げもしません」
促すと、私に注意深く目を向けたまま電話に出た。
電話相手は誰なんだろう。気にはなったものの、聞いて良いものでは無いので意識して言葉の意味をシャットアウトする。
紗夜さんが電話で言葉を交わしていた時間は短かった。
すぐにまた私に意識を向けるのがわかった。
「矽さん、今から時間はありますか」
「…はい、大丈夫ですよ」
問いかけ、と言うには想いが強すぎる言葉に私は頷いた。
「会わせたい人がいます」
紗夜さんは掴んだままの私の手を引く。
連れこまれたのは、近くのファミレスだった。
近寄ってきた店員さんに、紗夜さんは『連れが先にいるので』と言った。
気になって店の中を見回して見ると、紗夜さんと同じ色が、奥の方のテーブル席に見えた。
紗夜さんは私の手を引いてそこに向かう。
「あ、おねーちゃん」
振り向いた顔は、紗夜さんに似ていた。きっと、この人が妹さんなのだろう。
「合わせたい人ってこのこ?」
「そうよ。…話を聞いてあげてほしいの」
言葉の意味がわからなくて紗夜さんの方を向いた。
紗夜さんは、有無を言わさずに私をテーブル席の奥に押し込んで出口を塞ぐように座った。
「おねーちゃんそっち座るの?るんってしない〜こっち座ってよ」
「黙って日菜、…帰ったら相手してあげるから」
「…なか、良いんですね」
紗夜さんと話していた妹さんが、呟いた私に反応してこちらを向く。
「そうだよ、あたしおねーちゃん大好きだもん」
「…ひな、さんですか?」
「うん、氷川日菜。おねーちゃんとは双子。…キミは?」
「私は…けい、です。白金矽」
「矽ちゃんね。…覚えた。おねーちゃん、どうしてあたし呼んだの?」
「さっきも言ったけど、話を聞いてあげてほしいの。矽さんは…
そこで紗夜さんは1度言葉を止めて、通りがかった店員さんにドリンクバーの追加を頼んだ。
「悩み相談…かしら。私が聞くより日菜が聞いた方がいい内容なの」
「ふーん?…いいよ」
日菜さんは目の前にあったコップを掴むと、中身を飲み干した。
「おねーちゃん、なにか注いできて」
「何がいいの?」
「るんってしそうなの」
「…わかったわ。矽さんはどうしますか?」
飲み物を取りに行くのだろう、立ち上がった紗夜さんに私の分は自分で、と言おうとして、素早く入れ替わった日菜さんに道を塞がれた。
「あ、あの、」
「矽ちゃんは私とお話しね。甘いものでいいでしょ?」
押されて頷くと、日菜さんは紗夜さんの方を一度だけ見た。
紗夜さんは溜息をついて、ドリンクバーのコーナーへ歩いて行く。
「悩みって何?…あ、もしかしてあたしに告白とか?」
「ち、違います…」
「そうなんだ、じゃあ何?るんってする話?」
「…るんっとは、しないと思います。……実は、
私はぽつぽつと、現状について語った。
絵を描いていること、お姉ちゃんが好きなこと、気持ちのこと、スランプのこと。
語り終えた辺りで器用にグラスを3つ持った紗夜さんが帰ってきた。
「ありがとうおねーちゃん、じゃあ次はお花摘んできて」
「日菜、どういうことなの」
「おねーちゃんがいるとちょっと困ることも言うし、恥ずかしいことも言うから席外してて。終わったらメッセするから」
紗夜さんはまた大きく息を吐くと、グラスを3つ机の上に置いてからトイレの方へ歩いて行く。
日菜さんはそれを見送ってから、私の方に向き直って話を始めた。
「あたしとおねーちゃんね、結構前までかなり仲悪かったの」
語り出した日菜さんの口からでたものは、一言目から心が揺れる言葉だった。
「あたしはおねーちゃんが好きだったけど、おねーちゃんはあたしがキライだったの。私は好きでおねーちゃんと同じことやろうとするんだけど、全部あたしの方が上手くやっちゃうから、それが嫌なんだって」
日菜さんは、私に口を挟ませる隙を作らずに、けれども私が理解できる速度で話し続ける。
「辛かったな〜、話しかけに行くたびに冷たくあしらわれて、おねーちゃんがギター始めた後にあたしがギター始めたことを知った時なんて、もう忘れちゃいたい。あたしが、あたしの存在がおねーちゃんを悲しませてたんだもん」
「でもね、あたしは、あたしとおねーちゃんは仲直りできたんだ」
「それはね、おねーちゃんの幸せを願えたからだと思ってる」
「ほんとはね、言いたくなかった。好きでいて欲しかった」
「あたしのこと嫌いでもいいから、なんて、もう2度と言いたくない」
「でも、おねーちゃんにギターをやめて欲しくなかった」
「もしかしたらね、織姫と彦星が叶えてくれたのかも。それからはね、おねーちゃんは、私に並べるようになるって約束してくれたの。いつか日菜の隣に並べるようになるって」
「これって、たぶん矽ちゃんが望んでることと似てるよね」
ここでやっと、日菜さんは私に答えを促すような間を開けた。
時間をかけて、私は答えた。
「願いが叶った側から言うのはおかしいと思うけど、矽ちゃんにとってキツいこと、今から言うかも。おねーちゃんが好きな妹として。」
「…矽ちゃんが、なんでできないのかわからないし、もし諦めるのなら矽ちゃんの好きは、その程度だったんだって思う。あたしは諦めずにできたのに矽ちゃんができなかったなら、それは矽ちゃんが弱かったからでしょ」
涙が溢れるのを、止めることはできなかった。
「あたしもつらかったから、矽ちゃんの気持ちはわかるよ。でもね。諦めるのは、違うよね。」
日菜さんはハンカチで、私の目元を拭ってくれる。
「ごめん、なさい、」
「ごめんね、諦めたらダメって言いたかったんだけど、…泣かないで」
日菜さんは、私に顔を寄せて言ってくれた。
「叶うよ、きっと。好きなんでしょ?」
泣き止むまで優しくしてくれて。
日菜さんが連絡していたのだろう。
紗夜さんが帰ってきて、涙を流した跡がある私の顔を見てぎょっとする。
「日菜、あなた、」
「ごめんね、おねーちゃんの後輩泣かせちゃった。でも、私が話すことは言ったよ」
紗夜さんは日菜さんに訝しげな視線を向け、何も言わないままグラスを持って中身を口に含んだ。
「次、おねーちゃんの話も聞いたらいいと思うけど…矽ちゃん、元気ある?」
「ちょっと、辛いかもです」
日菜さんの話でもうほとんど限界。日菜さんは一種の天才なんだろう。あるいは題材が良かったのか、何気ない言葉で私の心は大ダメージを負っている。
「だよね、ごめんね。…じゃあおねーちゃん、これだけ答えて」
「…何?」
「あたしがおねーちゃんのことを好きで、嬉しい?」
「日菜、それは、」
「しょーじきに言って。矽ちゃんのためだから」
紗夜さんは、かおをあかくして、小さな声で、でもはっきりと呟く。
「私は、日菜に好かれて嬉しいです。いろいろな理由がありますが…好かれて嫌な姉はいないはずです」
その言葉は、日菜さんの言葉でダメージを負った涙腺を再び壊すのに十分なものだった。
ああきっと間違いない。紗夜さんがいうのだから、きっと正しい。
私でも、お姉ちゃんを愛してもいいのだろうか。
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1週間、経った。
絵を描くことはできなかった。
友希那さんが言っていた日まで、まだ2週間と少しの余裕はある。
その日の夜、私は友希那さんに電話をかけていた。
「友希那さん、今、お時間大丈夫でしたか?」
「ええ、大丈夫よ。どうしたのかしら」
「なんだか私、ダメになっちゃったかもしれません」
「……矽、何があったの」
「友希那さんと買いに行ったペンを握っても、少しも動いてくれないんです。なんででしょうね。言葉を探すなら、『絵を描きたくない』が一番近いんです。気分がのらないとかじゃなくって、こんなこと、1度も感じた事がなくって」
「…大丈夫よ、矽、落ち着きなさい」
「そう、したいんですけど、…急かし続けられるんです。私は、…なんででしょう。何を握っても、何を描こうとしてもダメなのに」
「…私の、せいかしら。楽しみにしてるなんて言ったから」
「ちがう、はずです。期待を寄せられることも、持ち望まれることも、今まで少なからずあったはずなんです。なのに。」
「そう。……今日は、もう寝なさい。それで、明日の放課後私の家まできて。嫌じゃなかったら、いつも使ってるスケッチブックも持ってきてちょうだい」
「…はい、わかりました」
「まだ夜は冷えるから、暖かくするのよ。心配しないで、きっとよくなるわ」
「…ありがとう、ございます」
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朝、目が覚めた。
学校に行くのにも気分が乗らない。
朝ごはんの食パンも、口の中で重く感じた。
まだ夜は冷え込むとはいえ、もう手袋をする寒さではなくなったこの頃。
朝、お姉ちゃんと並んで学校に行くことすら、私の心の内を悟られて心配をかけてしまっているよう。
今までお姉ちゃんを盲信していた私は、どうやって毎日を生きていたのだろう。
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私は知っている。
矽が寝付けていないことも、絵を描けないでいることも、悩んでいることも。
矽はきっと気づかない。
その悩みが私にしか解決できないことも、私の想いを矽が知らないことも、私が何を悩んでいるかも。
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学校で受けていたはずの授業は、少しも頭に入っていなかった。
ノートを見るとやる気のない文字が綴ってあったので、きっと話は聞いていたはずなのに。
あこちゃんと遊びに行くらしいお姉ちゃんと学校で別れて、私は一人で友希那さんの家へ、記憶をたどりながら向かった。
出会った頃、友希那さんに心無い言葉を吐いてしまった後、友希那さんに元気になってもらうために幾度も行った場所なので場所はよく覚えている。
友希那さんが元気になった場所に、元気になれる望みとともに私が行くのはなんだかおかしな気もした。
記憶に残っている家の外見。湊、と書かれた表札の下のインターフォンのボタンを押した。
お母様の声に、白金です、友希那さんはご在宅でしょうかと聞いた。
親しげな声は、友希那さんが隣のリサさんの家に居ることを教えてくれた。
すぐに、隣の家の玄関から友希那さんが出てきた。
「来てくれたのね。…こっちにいらっしゃい」
友希那さんに連れられて、リサさんの家に入る。
こっちのお宅にも、何度もお邪魔させて頂いた記憶があった。
階段を上る短い時間の間に、友希那さんは『私の部屋はさみしいから、暖かそうなリサの部屋にしたの』と聞いていない疑問に答えてくれた。
友希那さんがノックせずにリサさんの部屋の扉をあけてすぐ、笑顔のリサさんが迎えてくれる。
最もその笑顔は、心配していることを悟られないようにするための、という説明がいりそうだった。
友希那さんは、何を話しかけていいのか迷っているようだった。
その友希那さんに、持ってきたスケッチブックを差し出した。
「見ても、いいかしら」
「はい、どうぞ」
友希那さんはリサさんの机の前のイスを持ってきて座った。
リサさんは優しく私を誘導して、一緒にベッドに座らせる。
友希那さんは、リサさんにも見せるように、私のスケッチブックをめくり始めた。
「これは…最近描いた絵も入っているのかしら」
「はい。最後のいくつかがそうです。何枚かは覚えてないんですけど」
「……そう」
友希那さんは、何か言いたそうにしながら言葉をしまい込んだ。
代わりのようにリサさんが口を開く。
「…珍しいね、矽が自分が何描いたか覚えてないなんて」
言われて初めて気づいた。
「……そう、ですね。…寝れてなくて、気持ちも落ち着かなくって」
「昨日はどうだった?ちゃんと寝れた?」
「それが…あんまり。…友希那さんに暖かくして寝るよう言われたんですけど、何回か、夜中に起きちゃいました」
緩くかけられたエアコンの音と、友希那さんがページをめくっていた音が止んだ。
「ダメね、…矽みたくできるかと思ったのだけれど、私にはよくわからないわ」
「そう、ですか」
私と友希那さんが口を閉じた。
それを嫌ったように、リサさんが口を開く。
「これ、矽としては何が違うのかな〜って」
「これは、ただ技術で描いただけです。表現の仕方、構図、光の加減だとか…習った、上手く見える要素をかき集めて、描いてみたんです」
友希那さんから受け取ったスケッチブックの、そのページを開く。
「描きたいものを描くために技術を使うことと、技術を使いたくてそれらしい絵を描く。違うと、思いませんか?」
「…そう、なんだ」
リサさんまで、口を噤んでしまった。
「…あ、ごめん、アタシなにか飲み物持ってくるね」
「はい」
私の返事を聞くと、リサさんは急ぎ足で部屋を出て行く。
私がスケッチブックを置くと、友希那さんがもう一度それを拾い上げた。
「矽は。絵を描くことが、嫌いになったのかしら」
「…嫌いではないと思います」
ぱら、ぱら、と友希那さんの手の中でページがめくれて行く。
「執着なのかもしれないですけど、嫌いなら描けないことで悩むことは無いと思います」
「そう」
「友希那さんは、歌いたく無いと思った時はありますか?」
「あるわ。……矽に、会ったとき。貴女が愛する人を歪めてまで、私は歌うことを必要とできなかった」
「…そうですか」
ぱら、ぱら、とめくれたページが終わる。
「…数え間違えたのかしら」
友希那さんがスケッチブックの表紙を見た。そこには、50枚の紙が綴られていたことが書かれている。
「いくつか、ちぎっちゃいました」
「…どうして」
「お姉ちゃんを、描こうとしたんです。…上手くいかなくって、捨てちゃいました」
「…そう」
とん、とん、とん、
階段を足が叩く音が聞こえてきた。
ドアを開けた方がいいのかと思っていると、友希那さんが立ち上がった。
きっと、幼馴染には習慣のようになっているのかもしれない。
そう思っていたのに、友希那さんの行動は私に予想できないものだった。
両手に肩を添えられた。そのままゆっくり、ベッドの上に倒される。
リサさんは、自分で扉を開けて部屋に入ってきた。片手で持てるサイズのお盆に紙コップが、その反対の手には大きなペットボトルが抱えられている。
「ゆ、友希那っ?」
「リサ、私達を描いてくれないかしら」
「え、う、うん…」
「矽、借りるわよ」
リサさんはお盆とボトルを机の上に置くとペン立てから一本鉛筆をとって、友希那さんが座っていたイスまで行ってスケッチブックを取る。
「あ、アタシ下手だしやっぱり友希那が描かない?」
「下手でもいいのよ。…矽も、一緒に歌ったりしてくれたわね」
「それって矽の歌が下手だったってことじゃ…」
「……そんなこともありましたね」
私の隣で、うつ伏せになっている友希那さんが何かを思い出して笑った。
「歌うのが楽しいってもう一度思わせてくれたのは矽だったから。…リサ、頑張って。矽が絵を楽しいと思えるかはリサ次第よ」
「う、うん」
リサさんは、イスに座るとスケッチブックになにやら描き始める。
「綺麗な女性を描くのは過去の有名な画家もやっているから、原点みたいなものかもしれないわね」
「えっと…友希那さんも綺麗ですよ、が正しいんでしょうか」
友希那さんの温もりを感じながら、リサさんが絵を描いているのを待った。
はじめのうちは、右手だから、とか矽の髪が…とか言いながら奮闘していたが、途中から雲行きが怪しくなってきた。
うーん?とか、あ、とか、不穏な声も混ざり始める。
十五分、くらいだろうか。時計を見ていないからよくわからないけど、それくらいの時間が経ってリサさんが弱々しく完成を告げる。
友希那さんに起こしてもらって、一緒にリサさんの手元を覗いた。
「…ふふっ」
「くくっ…ご、ごめんなさ…い…」
「や、やっぱり〜!」
紙の上には、人だとわかる、それが言われれば私と友希那さんだとわかる、でも少しだけおかしな線が踊っている。
「つ、次は友希那が描いてね」
「ふふっ…任せてちょうだい」
「いつまで笑ってるのっ」
友希那さんは、リサさんからスケッチブックを受け取ると椅子に座った。
リサさんは…友希那さんの手元を除き続けようとしていたが、友希那さんにやんわりと背中を押されて私と一緒にベッドに座る。
今度は、寝なかった。友希那さんは、さらさらと迷いなく線を書いている。
「リサさんは、綺麗ですね」
「矽も、綺麗だよ」
「今回はそういうのじゃないんです。リサさんの、魅力。…ぎゅいん、ふわっ、力強く、広がる華やかさ」
「矽だって、えっと…綺麗な髪だし、スタイル良いし、描く絵も好きだよ」
「髪も、スタイルも、お姉ちゃんのお下がりです。絵も、今は描けませんけどね」
「…ごめん、そんなつもりはなくって」
「冗談、です」
リサさんの頬を掴んで、両手で笑顔を作らせた。
「できたわ」
声が、とんと響いた。
また立ち上がって、リサさんとスケッチブックを覗き込んだ。
スケッチブックには、私達の姿ではなく、可愛い猫ちゃんが寝そべっていた。
「覚えてるかしら。私がふさぎ込んでいた時に、貴女が何をしてくれたか」
友希那さんは、スケッチブックのページにYukinaと書き込みながら私に話しかけた。
覚えているとも。後悔、苦しかった。でも、友希那さんのところに通って、一緒に歌いませんかって。リサさんがベースを持ってきて勝手に友希那さんの部屋にあったアンプに繋いで鳴らして、音楽を覚えていない声帯を必死に震わせてた。かなり下手だった気もする。
さながら、岩戸隠れのアメノウズメ、だろうか。
「楽しそうに歌っていたわね。貴女も、リサも。…私達は、楽しそうに絵を描けたのかしら」
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今井さんの家からの帰宅途中。
夜道に、向かい側から2人、誰かが歩いてくる。
見覚えのある紫色の髪。目に焼きつく赤色。
「こんばんは、あこちゃん」
「けいちゃん、こんばんは!」
巴さんには、なんと言って良いかわからず、会釈だけをした。
巴さんもそれに返してくださった。
「どこに行ってたの?」
「お姉ちゃんと買い物!」
「そう、楽しかった?」
「うん!」
ばいばい、と手を振る。
巴さんは、気をつけて、と。
姉妹なんて、あんなに簡単だと見せつけられるようだった。
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家にたどり着き、お母さんが用意してくれていたご飯を飲むようにして食べた。
汚れないように制服を脱ぎ捨て部屋着を羽織った。
立ったままのイーゼルにカバンから出したスケッチブックを置いて緩く固定する。
描くのは、お姉ちゃんだ。記憶の中の、愛した人。
私が愛した人。
私が愛したのは何か。
艶めく髪。震える喉。踊る指先。触れた温もり。
足りなかった。
足りない。
情熱が、熱が、私を突き動かす熱が。
絵にかけられる私が誇れたはずのもの。
それが、無くなっていた。
筆は迷いなく動いてくれる。私が描きたいもののために、技術を引き出すこともできた。
ただ、それだけ。
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____________________
「矽、入るよ」
部屋の中に香る矽の匂いに混ざって、強烈に薫った絵の具の匂い。
それは、彼女が信じたもの。
「…お姉ちゃん」
部屋の中にはイーゼルと矽がいる。
筆はだらりと垂れ下がって床を指していた。
「お姉ちゃん、私…」
「矽」
有無を言わせない。
顔を寄せて矽の唇に唇を落として、心の中にしまっていた言葉を取り出した。
「矽、私は矽のことが好きだよ」
部屋の隅から、矽の勉強机用のイスを持ってきて、扉を背にして座った。
「だから、描いて」
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椅子に座ったお姉ちゃん。
描かれ慣れている座り方ではなかった。
それでも、秘めたものは、お姉ちゃんは、本気で言ってくれたように感じた。
筆をしっかり持てるようになるまで数分かかったと思う。
お姉ちゃんが楽な姿勢になるよう、手と足の位置を指示するのに、莫大な気力を消費した気がする。
今まで描いていたページを破りとって、新しいページに筆を置いた。
筆を画用紙につけるたびに、お姉ちゃんを表現できなくなっていく。
現実に存在するお姉ちゃんのカラダ。柔らかさ。熱。しなやかに流れて、確固たる美を放つもの。
足りない。足りていない。
本物のお姉ちゃんを、好きなお姉ちゃんを描く為の技量がない。
信じて筆を動かしても、思った通りに筆が動いても、欲したものにはならない。
でも、楽しかった。
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「どうだった?」
矽は、不意に筆を止めた。描き終わったのだと確信があったので声をかけた。
「お姉ちゃん」
イーゼルの形を保ったまま、矽はそれを丁寧に回転させて、描いた絵を私に見せてくれた。
「私はね、お姉ちゃんのことが好きだよ!」
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夢中になって描いて終わって、好きだと伝えて、
スケッチブックはイーゼルから外して、床に作ってある乾かすためのスペースに置いた。
お姉ちゃんが座っていた椅子を元の位置に戻し、今度は机の上のパソコンを起動し、置いてあったタブレットとペンを用意する。
表現するのは親愛。
大好きなあの人のことを、ただただ好きだというだけの感情。
ありがとう。もっと欲しい。そんなものは捨てた、ただの好きを。
私を助けてくれた人達に伝えたい好きの気持ちを。
ペン先がタブレットに擦れる。
それに応じて画面は画素ごとに色を放っていく。
つるっと滑れば追いつくように、じっくりと引っ張れば根気よく付き合ってくれる。
良い子、だ。少なくともこの子を手にしたことを後悔はしない。
ちょこっと目には優しくないけど、同じ気持ちを持ち続けると、ちゃんと答えてくれる。
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朝。
矽の部屋の戸を開くと、矽は机に座ったまま眠りに落ちていた。
ペンは手からこぼれ落ちて机の下に落ちていた。
ボタンに触らないように気をつけながら拾い上げて静かに机の上に置いた。
マウスに触ると、黒くなっていた画面がぱっと明るくなった。
出来るだけ余計なところに触らないように気遣いつつ、矽の肩を揺すった。
「起きて、矽」
可愛らしい顔が寝顔が歪んだ。
「起きなきゃ、遅刻しちゃうよ」
短め
けいちゃんはかわいいなあ
長め
気づいた人がいるかもしれないけど『お姉ちゃん』のフラグを撒いたけど回収するような文章が出てません。
一応、続くんですが、次はお姉ちゃん1よりももっとギャグ調になりましゅ。
「お姉ちゃん好き!」
「矽は、私のもの、…ふふっ」
蛇足
革命デュアリズム。12日にどうやら三十秒弱のプレイ動画が公開されたそうで。
元の曲が水樹奈々とT.M.Revolutionということであのカッコよさと比べたら絶対見劣りしちゃうのではと思ってたけど、かなりいい感じですね。
『革命を』でクッソしびれる。
おまけ
動画投稿サイトを見ていたら、『あなたへのおすすめ』である動画が出てきた。
それは、おねーちゃんとRoseliaと蘭ちゃんが次の機会に歌う曲の予告動画だった。
「…おねーちゃんも、教えてくれたらいいのになー」
あのころと比べて、おねーちゃんともちょっとは仲良くなれたはず。
この前、次のライブでこんな曲を演奏すると教えてくれたときはるんってしたのに、今回はどうして教えてくれなかったのかと考えると…
「また、なにかしちゃったのかな」
スマホの画面を指で触ると、すぐに画面が切り替わって動画が再生された。
30秒程度の、サビだけを切りぬいたものらしい。
リサちー、燐子ちゃん、友希那ちゃん、あこちゃん、蘭ちゃんと並んでいて、
……?
リサちー、燐子ちゃん、友希那ちゃん、あこちゃん、蘭ちゃんと並んでいて、
????
「疲れてるのかなー」
リサちー、燐子ちゃん、友希那ちゃん、あこちゃん、蘭ちゃん。
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なんで、おねーちゃんいないの?
スマートフォンの電話帳を開こうとして、SNSアプリのほうが早いと思って緑色のアイコンをタップした。
赤いメッシュの顔を探し出して、すぐさま通話を選択した。
軽快な呼び出し音楽が何回か流れて、つながった。
『もしもし、日菜さん?』
「なんでおねーちゃんいなの?」
『は、…すみません、どういうことですか?』
「なんであの動画、おねーちゃんがいるはずの場所に蘭ちゃんがいるの?」
「あ…それは…』
「ねえ、なんで?」
『…ごめんなさい』
「謝ってほしいんじゃないの。あたしなんでってきいてるんだけど。蘭ちゃん日本語わかる?ねえ、なんでおねーちゃんいないの?」
向こう側から、らん~、どうしたの~、と聞こえてくる。
「蘭ちゃん、聞こえてる?聞いてる?ねえ、なんで?」
がさがさ、と音がして、別の人の声が聞こえた。
『かわりましたー、モカちゃんでーす』
「…モカちゃん?」
『ごめんなさい、勝手に変わっちゃいましたー。紗夜さんがいない理由でしたっけ』
「うん。モカちゃんは知ってるの?」
『撮影に使った場所がー、思ったよりも狭かったんだってー。紗夜さんが、〈…仕方ないですね、変われるのは私しかいないでしょう。それにこれは告知ですから。私のギターが聞きたい人はライブに来るでしょうし〉…って言ったんだって』
「…ふーん」
『ごめんなさい蘭が。はやくなんでか言ったらよかったのに』
「いいよ。じゃあ」
赤いボタンで通話を切って、アプリを終了させた。
「暇だな~」
上着を羽織って、ポケットにスマホだけを入れて外に出た。
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ぶらぶらして、ばんごはんの時間が近くなったから家に帰ってきた。
玄関の扉を開けると、鬼のような形相のおねーちゃんがいた。
「た、ただいまー」
「日菜。…なんで怒ってるかわかるかしら」
「やっぱり怒ってたんだ」
「わ、か、る、か、し、ら」
「…ごめん、今日は何したのかほんとにわかんない」
お姉ちゃんはいらいらした顔で何かを考えて、強くため息をついて、よくわからない顔で手招きをする。
「来なさい」
靴を脱いでおねーちゃんに近寄ると、なんでか抱きしめられて、頭に手の感触が表れてそれが頭をこする。
「お、おねーちゃん?」
「こうでもしてないと、また怒鳴ってしまいそうだから」
少し高いおねーちゃんの目線に見下ろされた。
「あなたは、私のことになると…そう、変に迫力があるの」
「迫力?」
「そうよ。気を付けて話すようにしなさい。あと三竹さんには謝っておきなさい」
「…そっか、だから蘭ちゃん謝ってたんだ」
「返事は?」
「わかった」
「そう」
「おねーちゃん、いつまで撫でるの?」
「もうちょっと、いいかしら」
「…うん!」