噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
ーーそれにしても、暇だ……。
カンノーロ・ムーロロはその日、パッショーネから休日を言い渡されていた。
彼は今、ローマの街並みを歩いている。並木がならび、ベンチが点在する人の往来がそれなりにある表通りだ。
彼は普段はボスであるジョジョの腹心として、あちらこちらにせわしなく飛んでいる。
ムーロロはスタンドを手に入れて以来、今まではずっと自分の欲求に従って精力的に動いていた。
しかしボスがジョジョになって以来、ムーロロは時折休暇を言い渡されるようになった。なったのだが、、、ムーロロはこの休暇というのはあまり慣れない。
理屈ではわかっている。スタンド使いであっても、精神的に休養をとることは必要だ。作業は能率的になるし、スタンドも動きが良くなるし、新鮮な気分で組織に戻れる。それはあくまでも理屈だ。
ーーやることがねえ。世間一般の奴らは、どうやってこの無為な時間を過ごしてるんだ?
酒や女で無聊を慰めても退屈なだけだ。ムーロロはそっちの方にはさほど興味がわかない。
ムーロロは無意味に空を見上げた。雲が流れている。
空は少しの雲が流れているだけで、あとはどうしようもなく青い。
ムーロロはなんとなく、本当になんの意味もなくその空が血に染まる風景を想像した。
ーーうーん、なんていうか以前のクセが抜けきっていねえな。
ムーロロはジョルノと出会う以前は騒乱を楽しみ、他人の狂態を嘲笑う悪癖を持っていた。
彼のスタンドは暗殺に特化していて、相手が誰であろうと遅れはとらないと、そう考えていた。
しかし彼はジョルノと出会い、成長し、悪癖はなりを潜めていった。
『君の無敵さは無駄だ。君の強さに意味はなく、君は生きることになんの意義も見出せていない。君は確かに有能で優秀だが、制御不能な力は誰も信用しない。実のところ君は他人に価値の無い存在だと、そう思われている。君が他人をそう考えているようにね。君は外と繋がらず、災禍を振りまく厄介者として社会から弾かれて、いずれ一人で寂しく朽ちていく。誰からも顧みられることはない。君の存在は、無駄だ。無駄無駄。』
ムーロロの宝物だ。
ジョルノのあまりにも痛烈な言葉は、ムーロロの心を強烈に射抜いた。ジョルノの言葉は否定のしようもなく正論だった。
自分の生き様に恥じ入り、心の中で生まれた恥という感情はムーロロに生まれて初めて強烈な生を実感させた。ムーロロは、己に生まれた恥という感情に生きる喜びを見出した。
それ以来、ムーロロは自分の感じたものに素直に従った。ジョジョは彼の絶対的なボスだ。
ーーうーん、世間一般の奴らは雲を見て何を考えているのだろう?ピッツァとかか?
ムーロロは上空を見上げ続けた。もう空は赤くない。雲は立体的で、ピッツァを連想するには少し無理がある。
唐突に道で止まって上空を流れる雲を見上げる人間。格好はコテコテのマフィア映画のようなボルサリーノ帽子にさほど寒くもないのにマフラーを巻いている。周囲の人間に避けられないわけがない。道行く人々はムーロロを遠巻きに避けて通っていく。
ーーなんかあの雲はサーレーのヤロウの髪型に似てるな。なんとなくカニが食いたくなってきた。
流れる雲の一つに、丸い形に何本かカニの足のように細い切れ端が横に伸びているものがある。
ムーロロはそれを見て、サーレーを連想した。
ーー……なんで俺は休日にあのヤロウのことなんか思い浮かべてんだ?
ムーロロは頭を振った。
さて、何をするんだったか?
ーー違う!何をするかじゃあなくて、何もすることがないからこんなわけのわからないことを考えていたんだった!
ムーロロは自分が何をやっていたか思い出す。
それにしても寂しい、実の無い休日だ。
いっそ自分のスタンドを使って一人でトランプ遊びでもしてみようか?ムーロロは自虐した。
『ニャアア。』
ローマの静閑な街並みを一匹の黒猫が横切った。
そういえばズッケェロのヤロウは猫を飼いだしたんだっけか?
「チッチッチッチ。」
ムーロロはなんとなく、猫の前で指を振った。
『ニャアア。』
……逃げて行ってしまった。ムーロロは動物にあまり懐かれない。
ムーロロはなんとなくへこんだ。ひょっとしたら、死臭が染み込んでいるのかもしれない。
黒猫が横切るのはイタリアでも不吉の暗示だが、ムーロロは迷信など信じない。
ーーなんなんだ、これは!俺は一体、何をやってるんだ!
自身の休日のあまりの無為さにムーロロは目眩を感じた。
こんなことなら趣味の一つでも見つけておくんだった。
やることが思いつかない時は、他人を手本にして真似てみるほかはない。
ーーそういやあ、サーレーのヤロウはフットボール観戦が趣味とか言ってやがったな……。ちと試しに足を運んでみるか?
今現在、ムーロロが歩いている通りは、ローマのパンテオン近郊だ。パンテオンとは全ての神を奉納する神殿の意味で、ほかの国にも似た意図の建物は存在する。ここからローマクラブチームの本拠地であるスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマは北北西の方角にある。
ーーまあやることがねえしな。思い立ったが吉日だ。ちょっと行ってみるか。
ムーロロはローマの街並みを、思いつきでぶらついた。
◼️◼️◼️
ーーすげえな、これ。一体どうなってんだ?
ムーロロは幸運だった。
その日はたまたま、スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマではローマに2つあるクラブチームのうちの片方が、ボローニャにあるクラブチームを呼んで試合を行う当日だった。シーズンは佳境に入っており、試合結果がダイレクトに順位に影響しだす頃だ。1つでも上の順位で終わるように、人々は熱狂的に我がチームを応援している。スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマの収容人数は7万人を超えており、そのほとんどの座席が埋まっている。
ムーロロは組織からそこそこ金をもらっていて、余らせ気味だ。ダフ屋を捕まえていい値段を出してチケットを買い取っていた。組織の名前を出せばタダで入るのは簡単だが、金でカタがつく話でパッショーネの名前を軽々と使用するつもりはない。
ムーロロは生まれて初めて、人数の入ったフットボールのスタンドに入って競技を観戦した。
ムーロロは実は、フットボールのルールもろくに知らない。ただただ人々の出す熱量に圧倒された。
ーー確かあのネットにボールを放り込みゃあ、いいんだったか?
試合はすでに始まっていた。
ムーロロは目を皿のようにしてグラウンドで行われていることに見入っている。
いまいち行われていることがわからないせいで、余計に彼は集中した。
グラウンドでは選手同士がぶつかり合い、お互いのチームが試合を有利に運ぼうと必死になっている。
ーーオイオイ?アイツら何やってんだ?体なんかで戦わず、ナイフとか拳銃とか使って戦えば、話は簡単じゃあねーか?
ムーロロも実は基本は常識のないアホである。どこの世界に凶器を使用するスポーツがあるというのか?
ムーロロは今まで興味がないことはスルーしてきたために、それが表面化しなかっただけだ。
ーーよくわかんねえな?なんで今までボールを蹴り続けてきたのに唐突にボールを手で投げるんだ?ルールはどうなってやがるッッッ!
グラウンドの範囲を外に出たボールは、ゴールラインであればゴールキックかコーナーキックに、それ以外ならばスローインでグラウンドに戻される。ムーロロはそんな当たり前の知識も知らなかった。
ーーオイ!なんで急に笛が吹かれたんだッッ!なんでボールを止めて蹴ってるんだ!意味がわからねえ!欠陥競技じゃあねえか!!
皆さまご存知、フットボール初心者の頭を散々悩ませてきたオフサイドルールである。初めてフットボールを観戦する人間は、なぜ笛が鳴ったのか理解できない場合が多い。これのおかげでフットボールは戦術幅が広がり、これのせいで初心者は長年頭を痛め続けてきた。
これは言葉では非常に説明しづらい。まあ平たく言えば相手選手より深く敵陣に入り込んでパスを受けてはいけないというルールなのだが、自陣には適用されないだとか、スローインは例外だとか、マイナスのパスであればオッケーだとか、プレーに関与したらボールに触れなくてもオフサイドだとか、とにかく例外となる局面が多い。
フットボール観戦初心者の方は、とにかくよくわからない理由で笛を吹かれたら大体オフサイドだと考えるのがもしかしたら一番簡単かもしれない。
ーーオイッッッ!今ネットにボールが刺さったろうが!!なんで点が取り消されるんだッッ!!なんで観客は抗議せずに納得してるんだッッッ!!まさか……競技場のどこかに幻覚を操るスタンドでも潜んでやがるのか!?ネットにボールが刺さったのが幻覚だと思わせているのか!?あのグラウンドに一人だけいる変な格好したやつが怪しい……。あのさっきから頻繁に鳴らしている笛が音波攻撃、なんらかのスタンド能力ということか?これは……ジョジョに連絡して報告を行うべきか?それとも問答無用で攻撃してみるか?
やめてください。
当然オフサイドによる得点取り消しである。一人だけいる違う格好の人間は審判だ。
今回の試合はローマの競技場で行われているので、ローマ市民のサポーターが多い。取り消されたのはボローニャクラブチームの点だ。だから本拠地のローマクラブチームのサポーターに特に文句はない。プレー自体も明確にオフサイドだった。
そして、審判がいないとそもそもスポーツの試合は成立しない。
ーーアイツら、あれで真面目にやってんのか?チンタラしやがってッッッ!
ロングから見ると、選手のパスはあまり早く見えない。だが実際は、選手の反応できる結構ギリギリの速さで行われている。敵は一瞬の油断を逃さずボールを掻っ攫おうとしてくる。
試合の点数差やチーム同士の実力差次第では、攻めずに時間を費やそうとパス回しが主体の試合になることも多い。
ムーロロは完全に、フットボール初心者だった。
ーーオ、オイ?選手がどこか行っちまうぞ?試合はもう終わったのか?でも誰も観客が帰ろうとしやがらねえ?……まさかあの一人だけいた違う格好のやつが、何かやったのか?
フットボールの試合は、前後半に分かれて行われる。大概のスポーツは、試合の最中に休憩を挟む。
ムーロロは、そんな当たり前のことさえも知らなかった。
◼️◼️◼️
サーレーはその日、下っ端のドナテロに仕事を教え込んでいた。いわゆるミラノ近辺のみかじめ料の回収のようなものである。
サーレー自身も下っ端なのだが、それは言ってはいけない。
サーレーははじめての後輩にわずかに胸を高揚させていた。たとえ鬱陶しい相手だったとしても、だ。
「次はあのパスタ屋だ。結構味がいい。値段もあまり高くないから、今度連れてきてやる。」
「マジっすか!?サーレーのアニキ、最高です!」
鬱陶しくて信頼できない男でも、懐かれれば悪い気はしない。
サーレーは、頬を綻ばせた。
「それにしても、ズッケェロのアニキはどうしたんですか?」
「ああ、アイツはなんか英語の検定のために家で勉強しているらしい。なんでも、国際的に通用するナントカの試験を受けるんだと。」
サーレーもさすがにこれは予想外だった。相棒はどうやら、本気で英語の勉強をしているらしい。
ズッケェロはパッショーネに休暇申請を出して、恐るべきことにそれは受理された。
「ま、相棒が向上心を持ってるってんなら、応援せざるを得ねーな。」
「そうっすねー。」
サーレーとドナテロがミラノ裏通り界隈を歩いていると、突然サーレーの携帯電話が鳴った。
「誰からですか?」
「ムーロロだな。組織の情報部の人間だ。なんかまた仕事の要件かもしれない。」
サーレーは口に指を当てて静かにしろのジェスチャーを行い、電話口に出た。
「もしもし、なんか仕事か?」
『……潜入任務だ。あたりに人気は、ないな?』
どうやら口ぶりからして対外秘の任務らしい。
サーレーはドナテロに離れるように指示を出した。
「今なら、大丈夫だ。一体なんの案件だ?」
『ああ、違う。お前への指示じゃあ、ねえ。俺は今極秘の潜入任務で、スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマに忍び込んでいる。』
パッショーネはフットボール産業に手を出している。その関係だろうと、サーレーは当たりをつけた。
「……それで?」
『俺はもしかしたら今、スタンド攻撃を受けているのかもしれねえ。周囲には試合の観客がいるんだが、選手がどこかに引っ込んじまいやがった。にも関わらず、誰も観客が帰ろうとしやがらねえ。』
「……続きを。」
『続きは、ねえ。』
「は?」
『恐らくはスタンドによる集団幻覚の類じゃあねえかと、俺は踏んでいる。客は全員幻覚のスタンド攻撃を受けてるんじゃねえかとな。しかし、俺自身にスタンド攻撃を受けた感じはしねえ。』
「……。」
『サーレー、癪だがお前の意見を聞きてえ。お前はどう思う?』
「……それは試合のハーフタイムとかではなくて?」
試合のハーフタイムとは、当然試合の前後半の間にある休憩時間のことである。
いくら選手たちがタフでも、一時間半ぶっ通しで給水無しでの試合は負担が大きすぎる。
『ハーフタイム?』
「……試合中の選手たちの休憩時間のことだ。……自分に当てはめて考えてみてくれ。あんたは一時間半ぶっ通しで、全力でスタンドを運用できるか?」
サーレーは〝マジかよコイツ〟と思ったが、態度にはおくびにも出さない。
『フン、なるほどな。休憩はたしかに必要なのかも知れねえ。じゃあ選手が時おりボールをグラウンドに手で投げ込んでいるのはなんでだ?ああ、本当は理由はわかってる。わかってるんだが、あくまでも確認のためだ。確認は大切だ。決して怠っちゃあ、いけねえ。』
……すごいな。まさかヨーロッパに在住する大の大人でマトモにフットボールのルールを知らない人間が存在するとは。普通子供でも知ってるぞ?
サーレーはいっそ、感心した。
「それは、スローインだな。ラインを割ったボールは、選手が手で投げ入れる。」
『ああ、そうだ。スローインだ。もちろんわかってる。サーレー、お前が忘れていないようで、安心したぜ。』
マジかよお前!お前それで誤魔化せるとでも思ってんのか!?
『他にもいくつかお前を試させてもらう……。お前が忘れていないかの確認のためだ。選手がファールを受けた感じがないのに、頻繁に試合が止められるんだ。さあ、答えろ、サーレー。』
〝さあ、答えろ〟じゃあねーよ!なんでそこでカッコつけてんだ!フットボールをまるで知らないのはバレバレなんだよ!
「……恐らくはオフサイドルールが適用されたんだろう。説明が難しいからそれは勘弁してくれ。なんかよくわからないけど試合が止められたら、大体オフサイドだと思えばいい。」
『ああ、そういえばそうだった。もちろんわかってる。オフサイドだ。そういえばサーレー、試合会場にたった一人だけ存在する、他とは違う得体の知れねえピッピピッピ笛を吹く存在は、何者だ?』
「審判に決まってるだろーが!!」
ムーロロのあまりにあんまりな質問に、サーレーはつい地が出てしまった。
『……当然だ。わかっている。審判に決まっている。俺はパッショーネの情報屋だ。……俺にわからねえことは、ねえ。ああ、ちなみにこの会話内容はパッショーネの秘匿事項、ジョジョにすら秘密の案件だ。誰かに喋ったりしたら、ただじゃあおかねえ。』
それだけ告げるとムーロロからの電話は途切れた。
……パッショーネにボスにまで秘密の案件って存在するのか?もしもそんなものが存在するのだとしたら、普通は組織に対する背信行為くらいなのではなかろうか?ムーロロの秘匿事項はそれに比べたらあまりにもショボい。
サーレーはなんだか、ムーロロを今までよりも少しだけ身近に感じた。
◼️◼️◼️
試合の後半が始まった。
サーレーから最低限の情報は得た。さて、これでもう障害は存在しない。
ムーロロはパッショーネの能力の高い情報部の人間だ。
フットボールの試合を分析して、丸裸にしてやろうか?
ムーロロは前半に引き続いて、目を皿にして試合を凝視し続ける。
試合は、静かな立ち上がりで始まった。
ボローニャクラブチームがボールを持って始まり、自陣でパス回しを行う。
幾度かパスをやり取りした後、敵の右側のサイドから攻め込んだ。
ーーなるほどな。ゴールはグラウンドの中央に存在する。つまり中央で敵にボールを持たれると危険だということか。だから必然的にどちらのチームも中央の守備を固めることになる。結果として、脇のスペースの人員が足りなくなって、そっちの方から攻められることが多くなるというわけか、、、。相手の弱点を突く、戦いの常道だな。
ムーロロの分析は概ね正しい。
ーーフム、なるほど。パス回しが急に早くなるタイミングがあるな。相手からボールを奪った瞬間、そのタイミングで鋭いパスを出しがちだ。なるほどな。ピンチの後にはチャンスあり、相手の隙を逃さず刺せる時に刺せ、ということか?戦闘にも言えることかも知れねえ。フットボール、こりゃなかなか侮れねえ……。
いわゆるカウンター戦術、その中でもショートカウンターと呼ばれる戦い方だ。
敵にボールを奪われた瞬間、攻守の切り替えにおいて、選手たちは対応に迷ってしばしば大きな隙が出来やすい。その隙を逃さず攻める戦い方だ。
ーー選手が変わったな。なるほど。交代もありなのか。つまり、フットボールも損耗率や摩耗率といった概念を重要視しているということか?俺たち裏の組織だって兵隊の損耗は常に考えている……。
まあ、これは当たり前だ。
どんなスポーツでも選手の怪我の対策として交代制度は存在する。
ーーなるほどな。こうやって見ると、俺たちパッショーネの人間にも考えさせられることがないわけでもない。フットボール……見直したぜ。
ムーロロは帽子の下でニヒルに笑った。
ムーロロが自分の出した結論に満足していると、唐突に試合に異変が起こった。
ーーフム、あれはあれだな……確か……PK!そう、ペナルティーキックだ。これは俺にだってわかる。ガキの頃、近所の奴らがよく遊んでやがった。懐かしいな。
グラウンドでは攻めていた選手が倒されていた。そこはゴールの間近だ。
多分PKだろう。ムーロロは珍しく懐古を感じていた。しかし、事態はムーロロの予想を裏切った。
ーー何ッッ?どういうことだ?なぜ倒れた方のやつに黄色いカードを提示してるんだ?黄色いカード……確かイエローカードとやらか?二枚でレッドカードになるとかいう噂の……。だがなぜそれを倒した方ではなく、倒されている方に?
当然PKになるものと思っていたが、そうはならなかった。むしろ、倒れた人間になんらかのペナルティーが課せられたようである。
ボールは倒れた人間の敵チームのボールで始まり、観客に特に動揺もない。
ーーなぜだ……。わけがわからねえ。フットボール……どういうわけだ?
しばし考え込むムーロロに、唐突に天啓のごとく納得できる理由が舞い降りてきた。
ーーそうだ!!思い出したぞ!サーレーのヤロウが、理解できない理由で笛が吹かれたらオフサイドだって確か言ってやがった。つまり今のはズバリ、オフサイドだ!
残念ながら違う。
シミュレーションである。
主に敵陣の深くで行われる行為であり、接触が無かったり大した接触でもないにも関わらず、大袈裟に痛がる演技をして審判の目を欺こうとする行為である。これが成功すれば、審判を騙して有利な判定、PKなどをもらって高確率で得点に繋げることができる。
多くのスポーツ未経験者にはこのような発想が存在することすら思いつかない。
賛否両論のある行為だ。
狡くて上手いプレー(マリーシア)としてアリとする人間と、卑怯なプレーで無しとする人間がどちらも相当数存在する。
やられた方はたまったものではないが、選手たちも栄誉を得るために必死だ。どちらの意見も理解できる。
ただいずれにせよ、VAR判定が浸透するにつれて淘汰されていくプレーであろうことは想像に容易い。
そして一つだけ確実に言えることは、演技に熱中するあまりフットボールそのものを疎かにするようなことはあってはならない。
ムーロロが見当はずれの結論に納得している間も、試合は進んでいる。
試合は80分をまわっている。もうさほど時間は残されていない。
ーーなかなか点が入らねえもんだな。一見ではそこまで難しそうにも見えねえが、プロと呼ばれる奴らが戦ってるんだ。きっとこんなもんなんだろう。実際は相当難しいんだろうな。
ムーロロが試合の終盤に彼なりの結論を出していると、ローマクラブチームの出したパスが前線に通った。
パスを受けた選手はカットインで敵陣の深くに切り込み、マイナスのパスを出す。それを受けた選手がかかとでボールを横に受け流して、後ろから走り込んできた選手がゴールの右隅に強烈に蹴り込んだ。初心者のムーロロでさえわかる、一連の美しい流れだった。
ーー点は……今度は間違いなく入ってやがる!1ー0だ!
競技場の電光掲示板に1ー0の文字が示された。
そのプレーから程なくして、点を決めた選手はベンチに下げられた。
素晴らしいプレーを見せてくれた選手に対して、観客は敬意を示して総立ちで拍手を送った。
ーーなんだコリャ?慣習かなんかか?俺も立って拍手を送るべきか?
ムーロロも周囲を真似て立ち上がって選手に拍手を送った。どうやらムーロロの知識はまだ足りないことがあるようだ。
今度はサーレーを連れて来て解説させねえといけねえなぁ、ムーロロはそう思った。
◼️◼️◼️
後日、ムーロロはネアポリスでジョルノと対面していた。
ムーロロは、フットボール観戦の後何か一つの結論を出したようだ。ジョルノに少しだけ話す時間をもらっていた。
「ジョジョ、俺はアンタが俺に休暇を言い渡した理由が理解できましたぜ。」
「へえ。どういう?」
ジョルノは笑っている。
「アンタの理想の話だ。俺たちパッショーネが何を目的にしているか。」
実はジョルノが前々から考えていたことだ。優秀なムーロロは、キチンとジョルノの意図を汲み取ってくれたようだ。
「俺はこのあいだの休み、生まれて初めてフットボール競技場に足を運んだ。俺はそこで熱を感じた。周りの人間たちが応援しているチームの勝利を祝う時、俺は周囲の人間たちの強烈な熱を感じたんだ。」
「それで?」
「あれはきっと、生の実感だ。俺が恥という感情に強烈に生を実感したのと同様に、喜びという感情がアイツらに生を実感させている。それは俺がアンタから感じたものと似たものだ。周りの人間たちも裏社会の俺たちも大して変わらない存在だと実感させて、パッショーネが社会を守るというアンタの理想に俺を共感させようとしたんでしょう?」
心に空洞が存在する人間は、周囲と自分に差異を感じている。
人間は相手が自分と違うから残酷に、冷酷になれる。ムーロロはそれまで熱を帯びない冷めた心で周囲を眺めていた。
その差異が本当は存在しない錯覚だと理解すれば、心に熱を感じれば、ポッカリ空いた心の空洞を周囲の人間が埋めてくれるものだ。
「効果はどうだい?」
「抜群ですよ。俺はあの時の感情のためならなんだってできる。他の奴らも俺と同じことを感じてるんだったら、俺がそいつらのために戦うことに心からの納得が出来る。」
ムーロロはそれだけ告げると、自身の職務へと向かった。次の休みが楽しみだ。
休みのためには、普段しっかりと働かないとならない。
さて、次の休みはサーレーを連れ回さねえといけねえな。
ムーロロは、マフラーの下でニヒルに笑った。
◼️◼️◼️
名前
カンノーロ・ムーロロ
スタンド名
オール・アロング・ウォッチタワー
概要
パッショーネ所属のジョルノ・ジョバァーナの有能にして忠実な部下。スタンドは五十三枚のトランプで、射程が非常に長く、情報収集、暗殺などの適性が非常に高い。以前のボス、ディアボロには一切の忠誠を誓っておらず、スタンドを使用してブチャラティチームと暗殺チームとボスの三つ巴の戦いを嘲笑って眺めていた。そのためにジョルノが前ボスを武力で打倒した偽りのボスであることを知る、パッショーネでは数少ない人物である。ジョルノがボスの座についたのちに、ジョルノと直に接して己の浅はかさを看破されたことにより、彼に心酔して忠実なしもべとなった。