噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
「ボス、お帰りなさいませ。結果はいかがでしたか?」
「フン。予想通りだ。」
男が彼の本拠地に帰還した。オランダ、ハールレムの片隅にある田舎町の一角だ。周囲を草花に囲まれた長閑な風景にポツリと一棟の家屋が建っている。、、、周囲は一面のケシ畑だった。
帰還した男に、彼の腹心の部下が問いかけた。
回転木馬のスタンドを操っていた男とはまた、別の人物である。
「……しかし、ボス。シーラ・Eを配下に引き込む意味はあるのですか?わざわざ危険を犯して?あの程度の人物であれば他の人員で補充が効くのでは?」
腹心は己のボスに恐る恐るといった様子で問いかける。
今回のシーラ・Eとの接触は、男にとっても危険を孕んでいた。
「奴はあれでもパッショーネの中枢に入り込んでいる。」
男は近くにあったテーブルの椅子に座り、配下が彼のためにショットグラスにウォッカを注いだ。
男はウォッカの入ったショットグラスを一息にあおった。
男は言葉を続ける。
「俺はパッショーネを潰したいのではない。パッショーネが欲しいのだ!今のパッショーネは金!女!権力!この世で手に入るあらゆる利権が詰まっている宝石箱だ!帝王にこの上なくふさわしくきらびやかな、な。であれば、パッショーネの内情を理解しているシーラ・Eは手駒として役に立つ。」
「ボス、申し訳ございません。おっしゃる通りです。出過ぎた真似をいたしました。」
腹心は彼のボスにかしこまった。
「構わん。俺は貴様に告げたはずだ。貴様は俺の腹心で、同時に貴様もまた俺が認めた帝王だ。全面的に信をおいている。なんでも俺に質問をする権利を与えた。」
男はしばし思案したのち腹心に告げた。
「しかし、パッショーネは予想していたよりも強大だ。特に不愉快なことに、ジョルノ・ジョバァーナは組織をカリスマ性をもってして強固に纏め上げている。……今のままではパッショーネには風穴は開けられん。組織内部で精神的にもっとも危ういシーラ・Eですら籠絡能わなかった。時間をかけた策略が必要だ……。暗殺チームの二人が俺の手駒になれば俺の策も楽に運んだだろうが……不可能だった。あの二人、特にサーレーのクラフト・ワークはなにをしてくるか油断ならん。俺ですら警戒の必要がある……。」
忠誠の低い下っ端であれば籠絡できるかもしれないが、そんな人材を籠絡したところで男にはなんの役にも立たない。手駒に籠絡するならば、せめてジョルノの信を得ている人物かパッショーネの中枢に入り込んでいる幹部、あるいはそれに近しい人物である必要がある。
しかしその類の人物は皆、ジョルノ・ジョバァーナに極めて高い忠誠を誓っている。
男がパッショーネの戦力を偵察するために送り込んだ手駒は、なんの偶然か全てサーレーとマリオ・ズッケェロが対応を行なった。他の人員の偵察も行いたかったが、これ以上偵察を送り込めば間違いなくパッショーネは怪しんで対応に本腰を入れてくる。今でさえ危うい状況だ。ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンドは強力な隠密スタンドで今の男の生命線だが、戦闘力はない。スタンドの本体が倒されてしまえば、男の策の全てが水泡と帰す。
幸か不幸か今までの偵察でパッショーネの全体の戦力を確認することは能わなかったが、暗殺チームが極めて厄介だという情報だけは男の元に入ってきた。特にサーレーの能力を確認するに至って男が下した判断は、恐るべきことにサーレーのクラフト・ワークは非常に応用力が高く、天敵というべきスタンドが存在しないということだった。攻防ともに優れ、特殊な戦闘にも対応できる非常に攻略しづらいスタンドだった。
あの厄介極まり無いカンノーロ・ムーロロのウォッチタワーにすら天敵が存在しているというのに!
ジョルノ・ジョバァーナはとにかく厄介だ。今の男であっては、無策で挑んでもことはうまく運ばないだろう。あの何者にも靡かない厄介者と考えていたカンノーロ・ムーロロを籠絡し、ただのチンピラに過ぎなかったはずのサーレーとマリオ・ズッケェロを万能の猟犬として高みへと導いている。
男は目を細めて虚空を睨んだ。
「まだ……策を実行に移すには時間がかかる……。」
建物の中には、人影が一つしかなかった。
◼️◼️◼️
「オイ、テメエ!ちょっとこっち来い!」
「あ、アニキ?」
マリオ・ズッケェロがドナテロ・ヴェルサスの手を乱暴に引いてミラノの街の薄暗い裏通りへと引っ張り込んだ。ここなら人目もない。
ズッケェロは怖い顔をしてドナテロを睨んでいる。
二人は護衛任務を行なった帰り、サーレーと別れた後だった。
「いいか!冗談でも二度というんじゃあねえ。さもないと俺たちがお前の始末に送り出されることになる。」
ドナテロはこともあろうかズッケェロに、ボスを倒せばいい生活がおくれるのではないかと唆そうとした。
無知とは恐ろしい。ズッケェロは戦慄した。
「そ、そんな。でも多分誰でも一度は考えますよ。ボスを倒せばパッショーネの利権が乗っ取れるんじゃないかって。きっとすごい額が転がり込んできますよ。」
ドナテロは組織に入って日が浅く、パッショーネの内情をまだ詳しくは理解していない。末端の末端だ。
パッショーネの乗っ取りを行おうなんぞ、どう控えめに考えても自殺志願者だ。もしかしたら凄惨な拷問を望む、ワールドクラスのマゾヒストなのかもしれない。
「……そう言えばお前は外からきた人間だったな。馴染むのが早いから忘れてたぜ。」
ズッケェロは舌打ちして、ドナテロに高圧的に警告を行なった。
「いいか?絶対に二度と言うな。絶対に、だ。イタリア人なら誰でも知っている。子供でも知っている。お前はパッショーネの恐ろしさを理解してねえ。さっきの会話だって、上に筒抜けになっていた可能性がある。」
「まさか……。」
ドナテロはズッケェロのただならぬ剣幕に顔がやや青くなった。
「まさかもクソもねえ。だからパッショーネは恐ろしいんだよ。いつ、どこで、会話が漏れてるかわからねえんだ。第一お前、ボスを倒してどうするよ?」
「そ、そりゃあボスの立場に……。」
「今の幹部は皆、全面的にボスに忠誠を誓っている。万が一ボスを倒せても、キレたそいつらに囲まれて袋叩きがオチだ。それに、パッショーネの運営はボスだからこそ上手くいってるんだ。ボスだからこそ皆傅き、顔を立てて利権を譲る。知恵もツテもノウハウもない俺たちがパッショーネを乗っ取ることが奇蹟的に可能だったとしても、嫌われた挙句に他の奴らに搾取されて潰されるのが関の山だ。」
ズッケェロは辺りを見回した。釣られてドナテロも辺りを見回す。当然誰もいない。
にもかかわらず、この会話がボスの耳に入っていないという保証はない。上の人間がズッケェロがしっかり下っ端を教育できているか監視していない保証はない。
ズッケェロは、ジョルノが姿を現した後のパッショーネの恐ろしさを骨身に染みて理解していた。
「お前は今の生活に納得がいってないのか?」
ズッケェロがドナテロに問いかけた。ボスを倒そうなどと考えるのは、日常に不満があるからなのかもしれない。
ズッケェロにもドナテロの考えが全く理解できないわけではない。彼らも以前は、ドナテロと似たような考えをしていた。
「以前よりは全然マシですよ。アメリカで地べたを這いずっている頃に比べたら。でも、ボスだったらどれだけ幸せな生活を送っているのかと思うと……。アニキ、天国ってなんでしょう?」
ドナテロは少し思い詰めた顔をしたかと思うと、ズッケェロに唐突に得体の知れないことを問いかけてきた。
ズッケェロはドナテロの質問の意図を掴みあぐねている。
「アン?なんでいきなりそんな話になるんだ?」
「俺の生活は以前から不幸続きで、最近スタンドを自覚してからは収まりましたが以前は身に覚えのない不幸が立て続けに起きてたんですよ。」
「それで?」
「物語の話も、宗教の教えも、その教訓の大概は生きているうちに真面目にしていれば最期には天国に行けるって言ってるじゃないですか。幸せになれるって。それで俺は俺なりに出来るだけ真面目に生きてたんですけど、じゃあ死んで天国に行けるのかと言われたら……。俺にはとても信じられなかったんですよね。真面目に生きてもどうやってもなにかの不幸が起きてたし。だから俺は強盗をしてでも自分の人生を豊かにしたい、幸せにしたいって。」
「……。」
ズッケェロは腕を組んで裏通りの壁に寄りかかってドナテロの話に耳を傾けている。
「それでボスのようにいい生活をしてるんなら、きっとそれが天国なんじゃあないかって。」
「……ナルホドなあ。まあ境遇には同情するが、パッショーネに楯突くのだけはやめておけ。俺は見知ったお前を始末したくない。お前の将来も、暗殺チーム以外の安全な他のチームの人員に出来ないかいずれなんとか上に渡りをつけてやるからよ。」
ズッケェロとサーレーはすでに一度致命的なチョンボをしでかしたために暗殺チームから抜けれるとは思えないが、ドナテロはまだ不始末をしでかしていない。他のチームに移籍できる余地はあるだろう。
さっきのドナテロの会話がもし上に漏れていたら危ういが……。
「……わかりました。」
ドナテロはミラノの薄暗い裏通りでズッケェロに背を向けて、己の住処に戻ろうとした。
ズッケェロはドナテロのその背中に唐突に声をかけた。
「天国とは、日々のささやかな幸せの中に存在する。」
「え?」
「……俺たち暗殺チームの教訓だよ。俺もサーレーもちょっと前にマジで死にかけた。その時に俺たちが感じたことは、ただただ死にたくないってことだけだった。俺は麻薬漬けにされて思考も朧だったが、それでもただ死にたくないって必死に願ったのだけは覚えている。……だからきっと、人の生の中に至高の幸福は存在する。それだけ死にたくないって一心に願ってたんだからな。死後に幸福があるのなら、死にたくないって願うのはおかしいだろ?真っ当に生きてる奴らのことはよくわからないが、俺たちのような人間にはきっと死後の天国なんて存在しない。」
「……。」
「普通のやつらが死にそうになるときは、何気無い日常の思い出が走馬灯のようによぎるって言うだろ?きっとそれが、天国だ。きっとそいつらは間際になによりも大切なものを思い出してるんだ。普段の何気ない日々の中に天国は存在する。俺たちは走馬灯がよぎるほどに何かを築けていなかったんだ。だからとにかく生きたかった。生きて日々に幸せを感じることが、きっとお前の言う天国だ。まあ人殺しの暗殺チームの教訓だとは、とても思えないがな。」
「……。」
「それが俺とサーレーが死にかけた結果出した結論だ。……まあ俺たちの勝手な考えで、なんのアテにもなんないだろうけどな。」
「……いえ、非常にためになりました。」
ズッケェロの言うことがもしも事実であれば、スタンド被害の収まった今であればドナテロもいずれ彼の天国に気付けるのかもしれない。
ドナテロは、ほんの少しだけ納得したような顔をしていた。
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ジョルノ・ジョバァーナとカンノーロ・ムーロロは困惑していた。
年に四回もスタンド使いが社会で問題を起こすのは不可解だと考えて、彼らは情報部でスタンド使いの出所を探っていた。
彼ら四人のスタンド使い、うち一人はサーレーが内々に処分したために不詳になってしまったが……残った三人に共通することは、気付いたらスタンドが使えるようになっていたということだった。やはりどうしてもその詳細がわからない。
パッショーネ、ネアポリス支部。
ネアポリスのとあるオフィスビルの一室にある情報部で、ムーロロとジョルノ・ジョバァーナは話し合っていた。
「ムーロロ、どう考える?」
「考えれば考えるほど奇妙ですね。奴らは全員に矢に貫かれたような形跡がある。しかし奴らは皆全く覚えがないと。」
「……恐らくは何者かの意図が働いている。裏側になんらかのスタンド使いがいる可能性は高い……しかし現状、日常業務を停滞させてまで背後を洗うべきか……。」
ジョルノ・ジョバァーナはどう手を打つべきか考えあぐねている。
仮に敵がいるとしても、現時点では雲を掴むような話だ。敵の足跡が掴めない。恐らくは用心深い相手である可能性は高い。もし敵が存在するのであれば、たとえ力を入れて調査を行なったとしても警戒して行方をくらましてしまうだろう。
今現在は、問題を起こしたスタンド使いたちに黒幕からのなんらかの接触がないか秘密裏に監視を行なっている最中である。
ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンドは、その能力を深く知るほどに有用性の高いスタンドだということがわかる。
男は社会に対して不満を抱いてる人物を幾人か探し出し、裏で接触を行なった。
回転木馬の前で彼らと話し合い、才能のある者に矢で力を与える。そうすれば彼らは勝手に社会で問題を起こし、社会の防衛機構であるパッショーネと衝突をすることになる。当然彼らに男との接触の記憶はなく、洗い出しをしてもなんの痕跡も出てこない。
忌々しいムーロロのウォッチタワーと万が一出くわしても、相手はなんの記憶も残せない。
男の策略は今のところ、完璧である。……しかし、想定外の事態とはいつだって起こるものだ。
「ジョジョ、変なことになりましたぜ。」
「……どうしたんだい?」
ムーロロは奇妙な顔をしている。ジョルノは良くないことが起こったのかとムーロロに問いかけた。
「スピードワゴン財団のイタリア支部が騒ぎになっていまさあ。」
「一体、何が?」
ムーロロは念のために、スピードワゴン財団の内部にもウォッチタワーを忍び込ませていた。
スピードワゴン財団はパッショーネの良き隣人ではあるが、同時にパッショーネと比肩するほどに規模の大きい団体でもある。ゆえにこれは相手を信頼していないとかそういう問題ではなく、必要な措置なのである。万が一スピードワゴン財団内部の乗っ取りなどが行われたら、最悪の場合ヨーロッパにひどい戦火が訪れかねない。
それは、国防の一端を生業にする者たちの共通意識である。常に万が一の有事に対する備えは必要だ。最悪の事態は起こらないなんて楽観的な考えは、彼らには存在しない。
彼らの双肩には、五千万を超えるイタリア人の平穏がのしかかっているのだ。彼らが用心を怠れば、悲劇はいとも容易く無辜のイタリア市民に襲いかかることとなる。
なぜこの世から反社会勢力が居なくならないのか?真に恐ろしい敵とは用心深く、用意周到で、社会に紛れて周囲に自分が敵だということを容易く悟らせたりはしないのである。彼らは市中に潜み、時期を計り、ある日唐突に爆弾は炸裂する。パッショーネの本質は、彼らへの対抗勢力なのである。
実は、スピードワゴン財団側も同様にパッショーネに諜報員を送り込み、彼らの内部の実情を把握している。パッショーネはそれを知っていて、黙認している。
「どうにも、スピードワゴン財団所属の空条承太郎氏の娘、空条徐倫嬢がアメリカで殺人の容疑をかけられているみたいで……。詳細は引き続き調査しましょう。」
時にはおかしなことが立て続けに起こる時もある。気を抜いて対応を遅らせれば、あらゆる物事に対して後手後手に回ることになる。
現在のパッショーネ首脳部はイタリア国内で不穏な動きを感じている。時同じくして、パッショーネの盟友スピードワゴン財団の重鎮の娘がアメリカで轢き逃げ殺人の嫌疑をかけられている。
ジョルノ・ジョバァーナは思考する。
さすがにイタリアの異変とスピードワゴン財団の件が繋がっている確率は極めて低いだろう。
だが、有事に備えることは必要だ。万が一ことが起こった時に、イタリアの社会になるべく影響を及ぼさないように収束させるのがパッショーネの存在意義だ。それを怠れば、パッショーネの存在そのものの意義が社会に問われることとなる。パッショーネに与えられた特権とは、社会に対する貢献という明確な裏付けがあってこそのものなのである。
空条承太郎氏はスピードワゴン財団の重要人物で、なんらかの策謀に巻き込まれていないという絶対の保証はない。空条承太郎氏に何かがあれば、スピードワゴン財団を揺るがす事態を起こしうる。
スピードワゴン財団にはパッショーネとしては恩がある。ジョルノ個人としても、財団と深い仲のポルナレフに対して恩義を感じている。受けた恩は必ず返すし、仇は百倍にして返すのが裏社会の組織の流儀である。
「わかった。引き続きの調査を任せる。場合によってはパッショーネもなんらかのアクションを起こす必要があるかもしれない。有力なスタンド使いたちには内々に通達しておいてくれ。警戒しておくように。」
「……わかりやした。」
ムーロロのウォッチタワーはフィレンツェ支部、ミラノ支部、ジェノバ支部、ローマ支部などの有力なスタンド使いが複数存在する支部へと通達を行なった。
◼️◼️◼️
「……ハアハア。アンタそれ、かなりタチが悪いわよ。」
シーラ・Eは疲弊している。息が上がって、肩で呼吸している。
「……すまんな。前々から技のアイデアだけはあったんだが、スタンドパワーと精密動作性が足りてなかったんだ。」
サーレーも疲弊している。
パッショーネの所持する空き倉庫で、サーレーはクラフト・ワークの新しい技を試していて、その相手をシーラ・Eに頼んでいた。
残念だが相棒のズッケェロのソフト・マシーンではスタンドパワーが弱く、新技の威力の参考にならない。近距離パワータイプのシーラ・Eのブードゥー・チャイルドに通用するのであれば、その効果は本物だ。
「ナルホドね。スタンドの使い方はアイデア次第ね。それにしてもアンタのスタンド、応用の幅がちょっと広すぎるわね。」
シーラ・Eはそう呟くと考え込んだ。
サーレーの新技ははっきり言ってかなり厄介だ。どんな相手でもその大体はそこそこに効果が見込める。実際に、シーラ・Eはサーレーに上手くあしらわれてしまった。
有用性が高いその分、スタンドパワーを多く消費するのは仕方ない。
「まあ、パッショーネのために研鑽することは悪いことではないわ。」
「お、珍しく褒めてくれるのか?」
「……調子に乗らないで。」
サーレーは笑った。シーラ・Eは少しムスッとした表情をしている。
しかし残念ながら、これはシーラ・Eの言うようにパッショーネや社会のためというよりも、どちらかというとサーレー自身が長く生き残るためのものだ。
今はまだ、それでいい。
サーレーは以前にも増して慎重になっている。怠惰な彼が研鑽を怠らないほどに。
前回のディオの館のような任務が、また上から言いつけられないとも限らない。手札を増やすことは、サーレーが長生きすることに直結する。前回のクリームとの戦いは、一つ何かが違えば空条承太郎氏共々無惨に消滅していても何らおかしくなかった。
「助かったぜ。それじゃあな。」
とりあえず新技の効力の確認を終えたサーレーは背を向けて倉庫の入り口に向かって去っていく。
シーラ・Eのブードゥー・チャイルドよりもサーレーのクラフト・ワークの方がさまざまな状況に対応可能だ。
シーラ・Eはサーレーの後ろ姿を羨ましそうに眺めている。シーラ・Eは劣等感を抱いていた。
サーレーの方が彼女よりパッショーネに貢献ができるのかもしれない。
人間の成長には、時には劣等感や批判も必要だ。
彼女は、自分より上だと認めた人間には劣等感を抱かない。
ジョルノ・ジョバァーナがどれだけ強力なスタンド使いだろうと、それは彼女の絶対のボスだから当たり前だ。
しかし、下からの突き上げは堪える。
下から猛烈な勢いで突き上げをくらっている彼女は、強い劣等感と焦りを感じていた。
シーラ・Eはブードゥー・チャイルドを眺めた。
彼女のスタンドは忠実な犬のように、彼女の命令を待っている。それは彼女の具現だ。シーラ・Eもまた組織の忠犬である。
「……どうすればいいのかしら?」
『……。』
忠犬は答えない。当たり前だ。それは彼女自身なのだから。
現状に文句があるわけではない。彼女はそこそこに豊かで、実のある生活を送っている。組織にほどほどに信頼され、そこそこに重要な仕事を任されている自負がある。
しかし、下からの突き上げに笑っていられるほど余裕があるわけでも、達観しているわけでもない。
組織に明確に貢献をしているサーレーが下っ端で、使えないシーラ・Eがヌクヌクと生活を送っている。それはさぞかし真面目な彼女にとって、肩身が狭く苦しいだろう。
実際は、彼女は組織に十分な貢献を果たしているのだが、こういうものは本人の受け取り方次第である。シーラ・Eは組織で実力的な信頼がないと任されないような任務をこの先回されるであろうサーレーたちに、強い劣等感を抱いている。それはパッショーネの本質が国の防衛機構で、重要な任務のそのほとんどが心理的な負担を強いる過酷な戦場であろうことが原因だった。
シーラ・Eは、真に過酷な戦場には向かない。戦場では、時には矛盾していようと間違っていようと苛烈な判断を下す必要性が出る事態も頻繁に存在する。彼女は、社会の矛盾を許容できるほどに大人では無いのである。
テロリストの一件で、頭脳のムーロロはイタリア市民を守ることを最優先に考えて子供を殺害する判断を下し、現場のサーレーは罪なき子供に慈悲を覚え生かす判断を下した。
彼女であればきっと、どちらの判断も下せない。その場で流されるまま、職務を放棄してその場に立ち尽くしていただろう。それは過酷な戦場においては、最悪の選択なのである。
それが彼女が未だジョルノに全幅の信頼を置かれていない最大の理由だった。
シーラ・Eがしばし考えに耽っていると、彼女は唐突に声をかけられた。
「よお、シーラ・E。久々だな。」
「ミ、ミスタ副長!」
「おいおい、俺は副長じゃないっていつも言ってるだろう?」
組織の大物、グイード・ミスタだ。人懐っこく笑っている。シーラ・Eはミスタのお気に入りでもある。
シーラ・Eは緊張した。横には帰ったと思われていたサーレーを連れている。
「なぜここに?お供も連れずに!」
ここはミラノにある埃っぽい空き倉庫だ。こんな汚いところに裏社会のナンバー2が顔を出すのはおかしいだろう?
「お供っつーならコイツがいるだろう?」
ミスタは厚かましくも横にいるサーレーを指差した。
……そういうことではない。その男はたった今、倉庫を出て行ったはずだ。それまでを誰が護衛としてそばに居たというのか?
「一人ではお危険ですッッ!なぜこんなところに!」
「お前は相変わらず……なんというか忠実なのはいいけどよォ……。」
ミスタはシーラ・Eの顔を見る。
「ジョルノのヤローがよ。情報部に入り浸って最近のイタリアの異変の調査をしてるからよォ。俺も現地に独自の目線で調査しにきたんだよ。チンピラとかを使ってよ。その帰りだ。俺もたまには動かねーと鈍るしな。さて。」
ミスタの視線が傍にいるサーレーへと向いた。
「ここにきたのはついでだよ。コイツが最近成長してるって耳にしたからよ。」
ミスタはサーレーに向けて顎をしゃくった。
ミスタの目は若干剣呑な光を帯びているように、シーラ・Eには思えた。
ミスタはサーレーに告げた。
「……さて、サーレー。せっかくだからどの程度成長したのか、
「……望むところです。」
ミスタもサーレーも不敵に笑っている。二人が何を考えているのかわからない。彼らに通じ合う何かがあるのだろうか?
シーラ・Eはどう応対するべきか判断に迷った。
「さて。」
ミスタは懐から拳銃を取り出し、弾を一発込めた。シーラ・Eはミスタの唐突な行動に緊張した。
サーレーは静かに目を瞑り、集中をして、自然体で佇んでいる。ゆっくりとクラフト・ワークのスタンドパワーがサーレーの全身に行き渡った。
「いいか?」
「ええ。」
「ミスタ様ッッ!!何を!!」
ミスタの拳銃がサーレーの頭部に狙いを定め、サーレーは静かに目を開けた。
ミスタは拳銃の引き金に手をかける。
シーラ・Eは焦った。
サーレーはミスタの持つ銃口から目を離さない。
サーレーの佇まいは安定していて、不敵な笑みを浮かべている。それは鋼鉄のような強靭な印象をシーラ・Eに与えた。
だがそれはあくまでも印象だ。人間は決して鋼鉄ではない。
「サーレーッッッ!!!防御しなさいッッッ!!!」
クラフト・ワークは近距離パワータイプのスタンドだ。防御をすれば、拳銃の弾くらいなら弾けて当然である。
しかし今のクラフト・ワークは防御を行なっていない自然体だ。シーラ・Eはクラフト・ワークが以前ミスタの銃弾にどう対応したのか知らない。シーラ・Eはサーレーの脳漿が飛び散る様を想像した。
倉庫に乾いた炸裂音が鳴り響く。シーラ・Eは耳を塞いだ。ミスタの拳銃から、弾丸が発射された。
【イエエーーーイッッ!!】
拳銃から発砲された弾丸をミスタのスタンド、セックス・ピストルズが蹴り飛ばす。セックス・ピストルズは六体のスタンドで、銃弾の軌道を自在に変化させ威力を増幅させる力を持つ。
弾は六体のスタンドに蹴り飛ばされ、加速して、曲がり、威力を増幅させてサーレーの右側頭部に命中した。シーラ・Eは惨劇を想像した。
「……フン。なるほどな。やるじゃねえか。ま、俺も本気じゃあねえけどな。」
倉庫の中で甲高い金属音が響いた。ミスタは笑い、シーラ・Eは安堵した。
銃弾の命中したサーレーの右側頭部は僅かな傷がついただけで、ミスタの放った銃弾はひしゃげて宙に浮いている。
「ベネ。(良し。)そうだ、それだ。それだよ、サーレー。俺たちがお前に求めているのはそれなんだ。お前のクラフト・ワークはそうやって使うんだ。お前はパッショーネが新たに選んだ社会の守護者なんだから、それをゆめゆめ忘れるな。以前のような防御方法は、危なっかしくてしょうがねえ。」
【ウエエーン、オレタチノジュウダンガハジカレタア。】
【ナクナヨ。ボウギョサレテトウゼンダッタミタイダゼ。】
【デモホトンドムキズッテ、チョットムカツカネーカ?】
「……お前らちょっと静かにしてろ。話が進まねーだろうが。」
サーレーはクラフト・ワークのスタンドパワーを全身に行き巡らせて、外皮の形状を強固に固定して銃弾を防いでいた。クラフト・ワークの固定はセックスピストルズの銃弾に込められたスタンドパワーを凌駕して、弾き返した。
以前のようなくらった後に防御するやり方は、間違えて重要な血管や臓器を傷付けかねない。サーレーの任される任務はこの先も危険なものが多い可能性が高く、場合によっては長期に渡る可能性もある。以前の余裕ぶっこいたような防御方法をさせていては、長持ちしない。
「ミスタ様ッッ!!なぜこんなことを!!!」
「アン?ああ、確認だよ。以前のコイツの防御法は危なっかしくてよォ。自分のスタンドの防御を過信してやがったんだ。たしかにコイツのスタンドは防御に優れたスタンドだがよォ。まあ、緊張感が足りねーっつーか。」
ミスタは自分のスタンドにサラミを与えている。彼はそこまで喋ると詰め寄ってくるシーラ・Eの方へ向き直った。
ミスタはサーレーの横に並び、サーレーの肩に手を置いた。
「コイツのスタンドなら本来、こんくらい出来て当たり前なんだよ。コイツはイタリアの有事に最前線に立つ尖兵なんだからな。油断や過信はコイツを殺し、常に死が隣にあるという緊張感や集中力がコイツを生き残らせる。いつも真面目で緊張感のあるお前には理解できねえかもしんねーけどよォ。俺たちの組織の下っ端にはこうやって誰かがケツを叩かねーといけねーだらしねー奴だってたくさんいるんだ。ま、コイツはもう問題無さそうだけどな。」
ミスタはシーラ・Eに向けて笑った。
「お前も組織で人の上に立ちたいなら、ダメなやつも上手く扱って行けるようにならねーといけねえぞ。」
ミスタは片手を上げて笑いながら倉庫から立ち去った。
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本体
サーレー
スタンド名
クラフト・ワーク
概要
何やら新技の特訓をしていたようだが?
本体
グイード・ミスタ
スタンド名
セックス・ピストルズ
概要
六体のスタンド。拳銃に取り付き、銃弾の威力を強化したり軌道を変化させたりする。ミスタの口ぶりでは、もしかしたらもっと強力な攻撃が可能なのだろうか?
詳細は秘密にしておくが、実はグイード・ミスタのセックス・ピストルズは、クラフト・ワークの天敵だ。