噛ませ犬のクラフトワーク   作:刺身798円

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ソフトマシーンとパープルヘイズ

月曜の朝、パンナコッタ・フーゴはミラノにあるとある有名大学の講堂にいた。彼は学生で、講義を聴講している。

月曜はいつだって憂鬱だ。それは学生も、会社員も、誰しもが月曜日なんて存在しなければいいのにと思っている、みんなの憎まれ役だ。

フーゴはノートを取りながら、カバンから水筒に入った紅茶を取り出して、口に含んだ。

 

「えーというわけでして、ここの意訳は【とっととしてくれ。】とでもすれば正しいと言えるでしょう。現地の言語は相手の表情なども見て判断するのが正しい意図を導き出すコツと言えるのかもしれませんね。」

 

英語の講義だ。壇上では年老いた教授が、なおもかくしゃくとした口調で講義を行なっている。

周囲には沢山の受講生がいる。若い彼らが少しだけ羨ましい。フーゴは彼らよりも年上で少しだけ浮いていたが、パッショーネが講義料をわざわざ彼のために払ってくれたのだ。恥ずかしいだなどと言ってられない。フーゴは集中して講義を聞いていた。

 

「ねえ、帰りにあの新しくできたカフェに寄っていかない?」

「いいね、近くにあるブティックも気になるし、のぞいてみたい。」

「じゃあそうしよ。他には誰呼ぶ?」

「あ、じゃあせっかくだし私が連絡しとこうか?」

 

フーゴの左側に固まって座っているのは年若い女学生たちだ。人生を楽しんでいるようで何よりである。

フーゴは勉強しにここに来ている。フーゴが今ここにいるのは、社会に馴染めなかったフーゴへのパッショーネの慈悲だ。かけられた恩は返さないといけない。

フーゴは、講義に集中するように努めた。

 

フーゴは以前も大学に通っていた。彼は知能指数が高く、以前は若くして飛び級をしていた。

しかし彼は社会に馴染めずに、結局は教授を厚みのある図鑑で殴って大学をクビになってしまっていた。

今のフーゴは成長した。彼は以前と同じ轍は踏まない。そうでありたい。

 

「なあ、今のなんて訳するんだ?チョットアイツラがうるさくて聞き逃しちまったんだ。」

「うわぁ!」

 

……思わずフーゴは変な声を上げてしまった。今まで右隣には誰も座っていなかったはずだが?

フーゴの右にはいつのまにかマリオ・ズッケェロが座っていて、フーゴのノートを馴れ馴れしく覗き込んでいる。

 

「き、君はッッ!いつに間に……!」

「俺のソフト・マシーンに忍び込めない場所はねえッッ……!」

 

ズッケェロがドヤ顔で言っているが、フーゴが言いたいのはそういうことではない。

 

「違う!!そういうことが言いたいんじゃあ、ないッッ!君はなんのために、ここにいるんだッッッ!」

「アン?そんなの英語の勉強のために決まってんだろーが。」

 

本人曰く、英語の勉強に来たらしい。

 

本当か?フーゴは怪しんだ。

……コイツはキチンと受講料を払って来てるんだろうか?

 

「……君は本当に英語の勉強のために来てるのか?受講料は?」

「ああ、ここの学生で講義をサボってる奴なんてやまほどいるからよォー。代返の代わりに俺が勉強させてもらいに来てるんだよ。」

 

ズッケェロ曰く、彼は真面目に勉強しに来ているらしい。フーゴにはそれが疑わしく思えた。

ズッケェロはフーゴのノートを覗きながら、自分のノートに何やら書き込んでいる。顔が近い。

 

「あまり馴れ馴れしくするな!僕は君にやられたことを忘れてはいないッッ!」

 

フーゴは以前、船でマリオ・ズッケェロに襲撃されてペラペラにされている。

 

「そう言うなよォ。たしかにあん時は俺がお前を攻撃したけどよ、俺だって反省してるんだぜ?今は同じパッショーネの仲間じゃあねえか。」

 

ズッケェロは笑い、フーゴは一考した。

 

【フン、君が真面目に講義を受けているか疑わしい。第一、君の相棒のサーレーはどこにいるんだい?】

 

フーゴは英語でズッケェロに問いかけた。真面目に英語の勉強していると言うのなら、この程度は答えられて当然だ。

 

【サーレーは上にいるよ。】

【上?】

 

ズッケェロは上を指差した。この建物の上階にいると言うことだろうか?フーゴは意図を掴みかねて困惑した。

 

【サーレーのヤロウはスタンドの特訓とかで、この建物の外壁を登っているよ。俺だって組織がマトモに扱ってくれるってんなら、真面目に勉強しようかなと考えることだってあるんだぜ?】

 

フーゴはこれには驚いた。ズッケェロは案外と流暢に英語を喋っている。

どうせ真面目に英語の勉強なんてしていないと思っていたんだが……ってチョット待て。コイツ今、なんて言った?

 

「なあ、フーゴ。最近この講義でお前を見かけるが、お前一体組織でどう言った立ち位置を目指してるんだ?俺にも今後の参考のために教えてくれよ。」

 

フーゴはパッショーネの幹部と親和性の高い、スポーツ医学者の道を目指していた。

幹部の道ではないが、スポーツ医学者として権威を得れば、組織の先々の運営に役に立つ。

フットボール選手の怪我や管理に対応する、いわゆるフットボールクラブチームの専属のスポーツドクターである。

 

「今はそれはいいッッ!それよりもサーレーのことだ!君は今、サーレーは何をしてるって言った?」

 

フーゴの聞き間違いであれば良いのだが。慣れない英語でズッケェロが表現を間違えたのかもしれない。

 

「アン?だからこの建物の外壁を登ってるんだよ。スタンドの固定と解除の訓練のためにさ。」

 

……コイツらはバカじゃなかろうか?

万が一誰かに建物の外壁を登っているところが目撃されたら、どこかの映画に出てくる蜘蛛男がミラノにリアルに出没したと新聞で大騒ぎになるに決まっている。

 

「オイッッッ!なんてことしてるんだ!今すぐやめさせろ!」

 

フーゴは思わず声を上げてしまい、周囲に注目されてしまった。周囲の咎めるような視線が痛い。

 

「オイ、静かにしろよ。講義が聞き取れねーだろうが。サーレーが外を登り始めたのはもうだいぶ前だから手遅れだよ。人目につかないところを選んだから多分、大丈夫だよ。」

 

マジかよコイツら。なんで選りに選ってこの建物を選んだんだ……。

フーゴはそこまで考えて理解した。サーレーの訓練で人目を避けて手直に登れる最も高層の建築物は確かにこの大学だ。この大学だが……。何というか……。

 

「そんなんだから君達はチンピラなんだッッッ!」

 

フーゴの声が、無意味に講堂にこだました。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「フッ、風が気持ちいい。」

 

サーレーは目を眇めて遠くを眺めた。高所からミラノの街を眺めるのは絶景だ。

サーレーは頬で、ミラノに流れる風を感じていた。

 

「アレがミラノの大司教座、ドゥオーモで、アレが歌劇で有名なスカラ座だ。アレが世界遺産のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会……。素晴らしい。イタリアの街並みは実に、美しい。ベネ《良しッッ》!!」

 

サーレーはミラノの街並みの絶景に感じ入っている、、、フリをしている。実際は光景など目には入っても、頭に入ってこない。

サーレーのこれは、実は現実逃避だ。目の前の現実を直視できず、無意味にかっこつけてしまっている。いずれは目の前の現実と戦わないといけない。

サーレーの眼前には、難敵が存在する。非常に厄介な、避けては通れない敵だ。

 

「……俺たちは戦士だ。俺たちはイタリアを害する敵たちと戦わないといけない……。」

 

サーレーはチラリと眼下を眺めた。

サーレーはイタリアの外敵と戦う前に、目の前の現実と戦わないといけない。

 

ーー高い……。

 

大学の建物は、七回建ての高層の建築物だった。一階層が五メートルだと仮定すると、サーレーの立ち位置は地上三十五メートルにもなる。フィート換算すると、だいたい百十フィートだ。この高さで足の竦まない人間など、そう多くはいない。

 

「風が……少し寒い。」

 

サーレーは身震いした。

 

いわゆるアレである。

猫が好奇心で木に登って、降りられなくなった状態である。

サーレーはスタンドの訓練のために高層の建物を選んで登ったはいいものの、降りる時のことを全く考えていなかった。登ってはみたものの、あまりの高所に足が竦んでしまっている。行きはヨイヨイ、帰りは怖い。登るときは集中していて全く気付かなかった。

このままいつまでもこうしているわけにもいかず、消防などに出動されて救出されてしまったら、末代までの恥である。組織に何と言われるかわかったもんじゃない。なぜそこにいたのかの言い訳を考えるのも一苦労だ。

サーレーはイタリア、ミラノの街を一望した。

 

「ミラノの町並みはとても素晴らしい。……さて、どうしようかな?」

 

サーレーは高層の建築物の屋上で、困り果てていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

英語の講義が終わった。

フーゴは次の講義場へと足早に向かう。

 

「なあ、教えてくれよ。お前はパッショーネのどこを目指してるんだ?」

 

しつこい……。ズッケェロが後を追ってきた。いつまでも付き纏われるのは勉学に差し障る。

 

「……君は面倒だな。あとで答えてあげるよ。僕は今は勉学に励まないといけない。」

「絶対だぜぇー。」

 

マトモに答えた方が手っ取り早かったかもしれない。でもまあ構わないか。どうせ少ししたら忘れているだろう。

フーゴは高をくくって、次の講義へと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……クシュン。」

 

サーレーの鼻から水っぽい鼻水が流れ出た。

サーレーは未だ建物の屋上で立ち往生している。こんなことになるのだったら、もう少し厚着をしておくべきだった。

 

サーレーは屋上の端っこで身を抱えてしゃがみこんだ。

相棒のズッケェロは今頃英語の講義を終えたくらいだろう。そろそろサーレーが戻っていないことを不可解に感じて、なにかの助け舟を寄越してくれるに違いない。サーレーには具体的な方法は思い付かないが。

ズッケェロは長く付き合ったサーレーの無二の相棒だ。きっとあとちょっとの我慢のはずだ。あとちょっとすれば、きっとなんとかなる、はずだ。

 

「クシュン……うー、さみぃ。」

 

サーレーは鼻の頭を赤くしながら建物の屋上の端っこにしゃがんでじっと救助を待ちわびていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ズッケェロは、フーゴの講義の様子をジッと観察していた。

講義の内容はズッケェロには具体的にはわからない。専門用語が出てくる。講義によっては実践のようなことも行なっていた。

医学関係だろうか?

 

ズッケェロのソフト・マシーンは潜入、潜伏に関してはお手の物だ。探知タイプのスタンドでもいない限り、誰にも気付かれずに行動することが可能である。

ズッケェロは、フーゴはどうせ何をやっているのか教えてくれないだろうと予想して、勝手にフーゴの後をついて回っていた。

 

「ふう、今日はここまでだな。」

 

フーゴは手に嵌めた腕時計に目をやる。当初の予定通り、今の時刻は夕方の六時だ。

フーゴはカバンを持って、家に帰ろうとした。カバンの中には、実はズッケェロが潜伏している。ソフト・マシーンは非常に便利である。

フーゴは気付かずに家路へと着いた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは覚悟を決めていた。いつまでもこうしているわけにはいかない!

覚悟が道を切り拓くッッッ!

 

サーレーはずっと、寒風吹き荒ぶ屋上で相棒の救助を待ち続けていた。もうかれこれ六時間ほど。

しかし、いつまでたっても何らアクションは起こされない。

 

サーレーの体は屋上を吹く風に晒されて、非常に体温が低下していた。このまま夜を迎えれば体調を崩すことは明らかだ。今でさえもちょっと熱っぽい。

このままでは、サーレーはマヌケな蜘蛛男として誰にも気付かれずにこんな訳のわからない場所で凍死してしまうことになる。断じてそんなマヌケな最期は認められない。組織の人間も、呆れ返るに違いない。

 

サーレーはクラフト・ワークを見つめた。

 

ーー……ヤレるか?

 

クラフト・ワークはジッと静かにサーレーを見続けている。

サーレーは己のクラフト・ワークがとてつもなく頼もしく見えた。

 

サーレーは気づかないフリをしている。クラフト・ワークはサーレーの精神の具現だ。

実は、クラフト・ワークの足もちょっと震えていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

大学からの帰り道、パンナコッタ・フーゴの携帯に電話がかかってきた。パッショーネ関連からの電話だ。

フーゴの記憶が正しければ、それはミラノにあるパッショーネ経営の裏賭博場からの電話だ。

 

ミラノ在住のパッショーネの下っ端は、持ち回りで組織の所有物件のトラブル対応を担当している。

フーゴは今日は、賭博場のトラブル担当だったはずだ。面倒ごとが起きたのだろうか?

根が真面目なフーゴは、このトラブル担当という仕事が非常に苦手だった。

 

「もしもし、なんかあったのかい?」

『ああ、フーゴさん。ちょっと店の中でゴネている客がいるようでして……。対応をお願いします。』

 

裏賭博場ではバカラ、ルーレット、ポーカー、ブラックジャック、トトカルチョなどを扱っている。

フーゴはため息をついて裏賭博場へと向かった。トラブルの処理をしないといけない。フーゴは組織に生かしてもらっている。

フーゴはタクシーに乗って程なくして裏賭博状に到着した。

 

「何かトラブルがあったみたいだが?」

 

建物の入り口付近には裏賭博場の従業員がフーゴを待っていた。

 

「ええ、中でゴネているお客さんがいるんですよ。まあ、いつものことです。中に入ればすぐにわかります。」

 

従業員はため息をついた。フーゴの顔見知りだ。若くて真面目な好青年である。

彼もまた、パッショーネの人間だ。確か彼は親のネグレクトが原因でここにいる人員だったはずだ。ネグレクトとはいわゆる、育児放棄である。

彼はまだ今より幼い頃、ネグレクトされて行く宛もなく夜のミラノの歓楽街をさまよっていたところを、組織の人格者の幹部に保護された。以来彼がどうしようもない時に、パッショーネは度々彼に居場所を提供していた。彼を拾ったパッショーネの幹部は、彼を我が子のように可愛がった。

ゆえに彼もまた、ペリーコロのように組織に温情を感じている人間だ。

 

賭博場ではトラブルはありがちなものだ。

このテの遊技場では、ちょっとツケば大金を持ち帰ることが可能だが、負けが込んで熱くなると思わぬ大金を落とすことになる。

短期的に見れば勝つことも可能だが、長くやればどうやっても胴元に金が転がり込むことになる。

 

世間ではもめた客を事務所に連れ込むようなイメージがあるかもしれないが、事務所の内部構造を赤の他人に教えるようなことは、普通はまず有り得ない。強盗や窃盗を主体とした、犯罪のもとになる。従業員は当然通常業務も行う必要がある。

そのために、フーゴのような人間がトラブルの対応を行なっていた。

 

「わかった。あとは任せといてくれ。」

 

とは言ったものの、対応は面倒だ。時間も取られることになる。家で講義の内容を復習する予定だったのだが?

フーゴは店のドアを開けて中に入った。

 

「違法だッッ!警察に言いつけてやるッッッ!!!」

 

なるほど。いつものことで、実にわかりやすい。

パッショーネの力は社会に強く根を張っている。賭博場はたしかに違法だが、警察に連絡しても賭博場が各所への根回しという多少面倒な手続きを踏む必要ができるだけだ。

フーゴは中央のルーレットの近くで従業員ともめている男に近付いた。

 

「お客様、お話をお伺いします。あちらへとどうぞ。」

 

フーゴはゴネている客に丁寧に接した。手を差し出して、ソファの置いてある休憩所を指し示した。

組織所有の裏賭博場では、紳士の遊び場として相応の格好が義務付けられている。

ゴネている男も、身なりは立派でそれなりにいい恰幅をしている。もしかしたら、社会的に立場がある人間なのかも知れない。

 

「なんだ、キサマは!俺をどうしようってんだ!」

 

フーゴはため息をついた。どうするもこうするもない。

同業者ならともかく、恐らくは相手は一般人だ。大人同士の話し合いを行おうというだけだ。別に高圧的にことを運ぶつもりはない。

 

……つくづく面倒な仕事だ。これからさんざんこの男の文句に付き合わされないといけない。

男は何をされるかと怯えている。お前がゴネたから僕が呼ばれたんだろーが。

フーゴはグッと文句を飲み込んだ。

 

「別にとって食おうってわけじゃねーよ。ただ、アンタが言いたいことがあるみたいだから、お互いのためにもしっかりと話し合おうってだけじゃあねーか。」

 

……お前は、どっから湧いて出た?

フーゴは思わず叫びそうになった。いつのまにかどこからかズッケェロが現れて、勝手にゴネていた客の対応を行なっている。

 

「なんだ、このチンピラがッッ!キサマ、肩を組むな!」

「まあまあ、そう言うなよ、オッサン。ほら。あっち行こうぜ。」

 

ズッケェロは初見の人間に馴れ馴れしい。

男はズッケェロに肩を組まれたまま店の外へと連れ出されていく。

フーゴは言いたいことはあったが、黙ってズッケェロの後を追った。

 

「おッ、いたいた。オーイ!!」

「あら、どうしたのマリオちゃん。」

「今からこのオッサンとそこのイケメンのニーチャンと飲みにいくからよ。お前も来いよ。金はイケメンのニーチャンが出してくれるからさ。」

「キャッ。ステキ。」

「オイ、一体なんなんだ!?」

 

ズッケェロは街角に立っていた扇情的な格好をした妙齢の女性に声をかけた。どうやら顔見知りらしい。

肩を組まれたままの男は困惑している。ズッケェロはフーゴを指差した。おい、ちょっと待て!

 

「おい、ちょっと待て。飲みに行くってどういうことだ?まさかイケメンのニーチャンとやらは僕のことかッッッ!」

 

フーゴはズッケェロの唐突さに困惑した。

まさか今から僕がコイツらに酒を奢らないといけないとでもいうのかッッッッ!!!

何故?なんの理由で?そこの女は誰だ!?

 

「ほら、オッサン。いつまでもゴネてねーで行くぜ!」

「ヤメろ!!チンピラが!!引っ張るな!!」

 

フーゴと男と謎の女は、ズッケェロに連れられて強引に近場の酒場に連れ込まれた。

 

 

◼️◼️◼️

 

「俺だってそりゃあわかってるよ。こんなことをしても何もならないってくらい。」

「わかるぜぇ、オッサン。ムカつくよなあ。」

「大変なのねぇー。はい、お酒。」

 

パンナコッタ・フーゴは意表を突かれていた。

ズッケェロが酒場に男を連れ込んでさほど経たずに、男は大人しくなり愚痴を吐き出した。

ズッケェロと女は男の両脇に座って酒を注ぎながら男の話を聞くことに集中している。

フーゴの予想よりも、ズッケェロのコミュ力が高い。少なくともフーゴよりは。

 

「まあ、だからってもうあそこでゴネちゃダメだぜ?パッショーネの息がかかってるって、わかってんだろ?ものを知らない下手なチンピラが駆り出されてたら、オッサンにとってもいいことになんねーからよ。話があるなら俺が暇なときにでも聞くからよぉー。」

「……ああすまん。恥ずかしいところを見せた」

 

男はしばらく酒を飲んで一通り愚痴を吐き出すと、やがて大人しくなって帰っていった。

どうやらへんな客というわけではなく、たまたま虫の居所が悪かっただけらしい。

 

「……ここの飲み代は誰が持つんだい?」

「そんなんお前に任せるに決まってんだろ?俺は今、手持ちが大してねえ!」

 

偉そうに言うな!フーゴはため息をついた。

トラブルに効果があったのは確かだが、毎回これでは費用が嵩みすぎる。

 

「……どうしてこんなことを?」

「お前もよー、あのオッサンも、遊ぶのが苦手そうだったからよぉ。」

 

……このチンピラは何が言いたいのだろうか?

 

「あのオッサン、ミラノにあるそこそこ立派な会社の重役なんだとよ。家族もいるし、今まであまりこういう遊び場に繰り出すこともなかったみてーだ。部下や取引先の重役なんかと何度か来たことがあるくらいらしい。でもまあ、たまには一人でこういうところに足を運びたい何かがあったんだろ。その何かは俺にはわかんねーけど。順風満帆な人生なんてないだろ?人生月夜ばかりじゃあねえ。」

 

ズッケェロはそこまで喋ると、酒場の従業員を呼んで新たにツマミを注文した。

オイ、ちょっと待て!それ誰の金だと思ってるんだ?フーゴは念のために財布の中身の確認を行った。

 

「ボスが以前言ってたんだよ。俺たち裏の人間は表で真っ当に稼いでいる奴らがいるから存在を許されてるって。なら俺たちなりにそいつらの愚痴を聞くぐらいはしなきゃあダメなんじゃねーかって。」

「……僕の金で好き放題してくれるな!」

「まあ、そう言うなよ。これもお前の好きな勉強の一環だよ。勉強には金がかかるもんだが、真面目にやればあとでキッチリもとが取れるだろ?あーゆー場所でゴネている人間が何を考えているのか、知るのも勉強の一環だろ?そうすればトラブルの処理が上手くなるぜ。仮にもショバのトラブル担当なんだからさ。」

 

……言ってることは理解できる。パッショーネは社会の潤滑剤でもある。

たしかに全く理がないわけではない。ないわけではないが……。

 

「オイ、ちょっと待て!お前僕の金でどこまで好き放題飲み食いするつもりだ!」

 

ズッケェロはまた従業員を呼び止めていた。メニューを指差している。今度はピッツァが食べたいようだ。

 

オイ、待て!トラブルを起こしていた男はもう帰っただろうが!ヤメロ!

僕の今月の生活が苦しくなるだろーが!

 

「ヤーン、オニィちゃん、怖いわ。」

「女性を怖がらせるのはあまり褒められた行為ではないぜ?」

 

ズッケェロは笑いながらフーゴにウィンクを飛ばした。とてもイラつく仕草だ。

フーゴはいっそパープル・ヘイズを使ってしまおうか、ほんのすこしだけ迷った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ハア、ゼエ、ハア。」

 

時刻はもう夜の八時だ。かれこれサーレーが建物に登り始めてから、すでに十時間が経過している。体は外側が冷えて、内部は若干熱っぽい。

サーレーはクラフト・ワークの顔を見つめた。クラフト・ワークはかすかに頷いたように、サーレーには思えた。

 

ーーああ、そうだ。俺たちは、やり遂げた!

 

サーレーとクラフト・ワークの間には、以前よりもたしかな絆が生まれていた。彼らはともに、試練を乗り越えた。

倒せないかと思われていた難敵を、見事に打ち破ってみせたのだ。

 

ーー今までで最悪の、マジでヤバイ相手だった。ヤバかった。だが、俺たちは乗り越えた!

 

ヤバイという表現の大安売りだ。

サーレーはクラフト・ワークの新技をフルに使い、スタンドパワーを使い切って試練に挑んだ。見事クラフト・ワークはサーレーの覚悟に答えて、彼らは試練を乗り越えた。

サーレーは踏破した憎い怨敵、大学の校舎を勝者の眼差しでもって勝ち誇った。

 

ーーフッ。敗者は語らず、ただ去るのみか。今の俺たちに敵はないッッ!どんな高層の建物だって、俺とクラフト・ワークで乗り越えてやるッッッ!!

 

サーレーは若干趣旨を見失っている。

この後日、サーレーはミラノの高層ビルの上で立ち往生する羽目になるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「じゃあな、フーゴ。楽しかったぜ。今日はごっそさん。」

「フーゴちゃん、ありがとねー。」

 

ズッケェロと謎の女はフーゴの金で好きに飲み食いして去っていった。

フーゴはミラノの歓楽街で一人取り残された。フーゴは少しだけ、トラブル担当に対する苦手意識が薄れていた。財布の中身は軽くなってしまったが。

 

ーー立派な人間や真面目な人間でも、月夜ばかりではない、か。

 

パンナコッタ・フーゴは考える。

裏社会の賭博場は、社会に対する不満を持った人間の息抜き場という側面も果たしている。社会に全く不満がない人間などほとんど存在しない。多くの人は日常を騙し騙し、適度で満足し、上手くやっている。

賭博場は、もしかしたら社会の犯罪に対する抑止となっているのかも知れない。そうでないのかも知れない。

その存在意義は知らないが、少なくともパッショーネの明確な資金源の一つとなっている。

 

マリオ・ズッケェロは不真面目で愚かな人間だが、彼は彼で似たような人間の心情を深く理解しているようだ。

社会に真面目な人間ばかりでは、一度起きた争いは止まらなくなってしまう。お互い自分のやっていることの正しさを信じているのだから。

 

ズッケェロのようないい加減な男も、もしかしたら社会に緩衝材として必要な存在なのかもしれない。

いつかフーゴが社会に不平不満を感じたら、ズッケェロを愚痴に付き合わせてやろう。ただし次の飲み代は割り勘だ。

 

フーゴは、笑った。

 

ーースカラ座か。今日はオペラをやっているのか……。

 

フーゴは近場にあったミラノ・スカラ座の建物を眺めた。

スカラ座とは、世界的に有名な歌劇の舞台である。フーゴは、どっちかというと裏賭博場よりもこっちの方が好みだ。

 

ーー今度久々に見に来てみようかな?……今月はあのバカのせいでもう金に余裕がないけど。

 

フーゴは様々な分野で高い才能を持っている。

芸術も堪能だったが、以前の彼はそれらは先人に極められていて学ぶことに意義を見出せなかった。

 

ーー今の僕なら、以前とは違う感想を得られるだろうか?

 

それはわからない。

スカラ座では、日々客に素晴らしいものを見せるために演者たちがたゆまぬ鍛錬を行なっている。

それに対して以前と同様に、なんら意義を見出せないかもしれないし、もしかしたら全く違う感想を持つかもしれない。

ただ一つ言えることは、フーゴの精神は以前よりも成長しているということだけである。

以前よりも少しだけ、フーゴはイタリアの国と街並みが好きになっている。次の給料日が楽しみだ。

 

フーゴは薄暗いミラノの街並みで、一際明るく輝くミラノ・スカラ座の建物を静かに見上げていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「オイ、オメーが俺を置いて行ったせいで、俺が酷い目にあったろーが!クシュン!」

「知るかよ!てめーが自分で特訓するって言ったんだろーが!」

 

ミラノの静かな夜の裏通りで、どっかのアホなチンピラたちが二人で騒いで喧嘩していた。

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