噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
「うーん、確かにこの辺りのはずだけどなあ。」
女性が、携帯を手に持って弄っていた。携帯は、イタリアの地図のアプリが開かれている。イタリア、ミラノの地図だ。
「えーっと、ここがこの食堂で、駅から真っ直ぐ歩いてきたから……。あー、もう。タクシーにでも乗ってればなんとかなったのかしら?でも、タクシーに乗る余裕は無いし……。」
女性の年齢は20台の前半といったところだろうか?身長は170センチを少し超えたくらい、中性的な顔立ちで化粧は薄い。目は青くアーモンド型、鼻筋はくっきりしている。茶色いセミロングの髪が肩口まで伸びていて、銀のイヤリングが陽光を反射してきらめいている。スレンダーな体格で、ヘソを出した白いTシャツに紺のタイトなパンツ。カバンを肩にかけ、足元には動きやすそうなスニーカーを履いている。半袖の左腕からは炎を模したタトゥーがのぞいている。
「……地図はいつ見ても慣れない……。金もあんまり持ってないし、この辺りの人たちにでも聞くしかないかあ。」
彼女は、地図を読むのが苦手だった。
ミラノまで来てみたはいいものの、目的地の所在が曖昧だ。
「オーイ、そこのオジサン!」
「オジッッッ!!!」
サーレーは、固まった。
◼️◼️◼️
木曜の午後の昼下がり。辺りには暖かな陽光が照っている。
サーレーはズッケェロとドナテロの三人で組織のショバの見回りを行なっていた。ミラノにもたくさん、パッショーネの所有物件や庇護を受ける店は存在する。彼らが普段通り商売を行えているか確認するのも、パッショーネの大切な仕事の一環だ。
「オッサン、商売はどうだい?」
「ああ、ズッケェロさん。ボチボチですよ。あんたたちがウチにメシを食いに来てくれたら、ウチの商売ももっと楽になるんですがねえ。」
ズッケェロは50代の男性と親しげに話している。ミラノにあるシーフードピッツァが美味しい食事どころの店主だ。イタリアでトラットリアと呼ばれる大衆食堂の部類に入るお店である。
男性は商魂たくましく、ズッケェロに店の売り込みをしている。
「勘弁してくれよ。俺たちゃ下っ端のビンボー人だよ。オッサンの店のメシはウメーけど、毎食ここでメシ食ってたら、財布があっという間に干上がっちまうよ。」
ズッケェロは案外コミュ力が高い。上手くオッサンとの会話を弾ませている。
ズッケェロより口下手なサーレーにはああいった切り返しは不可能だ。
「でも時々くらいは食いに来てくれたっていいでしょう?ウチは安価な大衆食堂ですよ?いつもスポーツバーばかりでは食生活が偏っちまいますよ。」
「ああ、最近は自炊もしてるんだよ。やってみると料理って案外オモシレーのな。でもそうだな。俺の後輩をたまにはなんかうまい店にでも連れて行くのも悪くないかもな。」
ズッケェロはそう言ってドナテロを指差した。
羨ましい。サーレーは先週うっかり消防を出動させてしまって、その費用のせいで給料が減額されてしまった。当分素寒貧生活だ。
「おい、相棒。そんな恨めしそうな目で見るなよ。俺が相棒を置いていくわけねえだろ。たまにゃあ俺が奢ってやるよ。」
ズッケェロは太っ腹だ。しかし、どこからそんな金が出てるのだろうか?
サーレーは疑問に思って、ズッケェロに問いかけた。
「おい。お前なんでそんな金持ってるんだ?」
「アン?そんなん家計簿をつけて節約すりゃあ、これくらいの金は簡単に捻出できるだろ?」
サーレーはこれに衝撃と、凄まじい敗北感を覚えた。
サーレーには家計簿をつけるなんていう発想は存在しなかった。まさに革命だ。まさか相棒に先を越されていようとは。
「オメーも金銭管理はもう少ししっかりした方がいいかも知んねーぜ。家計簿をつけりゃ、案外無駄な費用がたくさん見つかるもんだ。」
「そうっすねー。確かにパッショーネから支給される金額は決して多くないけど、人一人が不自由しないくらいの額はもらってますよ?」
ズッケェロの言葉にドナテロも乗っかった。サーレーの敗北感が加速する。
クソが!下っ端風情が調子乗りやがって!
「……言われなくても来月からつける予定だったんだよ。」
サーレーの精一杯の強がりを、ズッケェロとドナテロは生暖かい目で見ていた。
◼️◼️◼️
三人が一通り組織のショバの見回りを終えて、帰還している最中にその女に声をかけられた。
元気のいい、ハスキーな声だった。
「オーイ、そこのオジサン!」
「オジッッッ!!!」
俺はまだ20代だ!誰だ、俺のことをオジサン呼ばわりする不届き者は!
サーレーは勢いよく振り返った。彼に声をかけたのは、さほど年が変わらないと思しき女性だった。
茶色い髪が肩までかかっている細身の女性だ。
サーレーとズッケェロは彼女を一目見て、即座に臨戦態勢を取った。
「あれ?なんか私敵視されてる?」
女性はサーレーとズッケェロの表情を見て、すぐに彼らの意図を理解した。
女性は何故だか声をかけた相手方に警戒されてしまっている。
女性の左腕に彫ってあるタトゥーが問題だった。
近年、ヨーロッパではファッションとしてタトゥーを彫る人口が増加している。ゆえに腕にタトゥーをしているくらいなら本来ならば問題ではない。その模様が問題なのだ。
裏社会の組織では、組織の人間をわかりやすく区別するために独自の文様のタトゥーを彫ることが珍しくない。その模様の多くは特徴的で、攻撃性をイメージするものが多い。危険な生物が毒々しい色をしているのと同様だと考えればよい。多くの場合は模様の意匠で、裏の関係者か区別ができる。彼女はほぼ間違いなく裏の人間だ。
サーレーとズッケェロも、情熱の炎を示すタトゥーが左腕の長袖の見えないところに彫られている。それはパッショーネの関係者専用のタトゥーで、パッショーネ専属の彫り師が彫っている。パッショーネ以外の人間に彫られることはない。必要なときに、互いが組織の人間であることを確認するための証拠のようなものであった。
女性のタトゥーの意匠はパッショーネの模様と少しだけ似ているが、明確に異なっている。恐らくはどこか違う組織の関係者だろう。組織の関係者があからさまにそれをひけらかしているその意図はわからないが、彼女が敵対組織の人間でないとは限らない。
「……俺たちに何の用だ?」
サーレーが警戒したまま慎重に女性に問いかけた。
「ああ、それはちょっと地図がわからなくて。場所を聞きたいの。」
サーレーはなおも警戒する。一般人を装ってはいるが、相手はどこかの組織の人間である可能性は高い。
「私イタリアに来るの初めてなのよ。パッショーネのミラノ支部って、どこにあるのかしら?」
前言撤回。全然一般人を装っていなかった。裏丸出しだった。
表現に物凄い違和感を感じる。まあそれはいい。
パッショーネの支部の所在を尋ねるなんざ、裏社会の人間だと名乗っているようなものだ。よく考えたら堂々とタトゥーもひけらかしている。
……一体何を考えているんだろう?
サーレーはあきれ返った。ズッケェロはサーレーの出方を伺っている。
「アレ?私のイタリア語通じてるわよね?オーイ!」
女性はサーレーに向けて手を振った。サーレーはどう対処したものか判断しかねて、黙りこくっていた。
「……ああ、お前のイタリア語に問題はない。それよりもパッショーネに何の用だ?」
「あっ!あなたもしかしてパッショーネの人?はじめまして。私はジェリーナ・メロディオ。スペインの灼熱《アルディエンテ》という組織の人間よ。」
なるほど。灼熱か。道理でタトゥーの意匠がパッショーネと似通っているわけだ。パッショーネのタトゥーの意匠も情熱の炎を象っている。
サーレーは納得した。が。
「……裏社会の組織の人間が道端で堂々と他の裏社会の組織の所在を尋ねるな!」
「えーっ。どうせバレてるでしょ?パッショーネの規模なんて滅茶苦茶大きいんだから、一般人に所在がバレてないわけないじゃない。パッショーネよりも規模の小さいウチだって、一般人の目を誤魔化すのに苦労してんのに。」
「そーゆー問題ではないッッ!!!」
そういう問題ではない。裏の人間ならそれらしく、表にバレないようにするべきだ。
アレ?でもよく考えたら確かにパッショーネもイタリアで公然の秘密になっている。パッショーネを知らないのはヨーロッパの外から来た旅行者くらいだろう。ならいいのだろうか?
サーレーは混乱している。
「まっ、とにかく。私はパッショーネの同盟組織のアルディエンテの使者ってわけよ。」
「使者?」
「アレ?もしかしてこれ言っちゃマズイのかな?」
メロディオは何やら考え込んでいる。
……言ってはいけないことを考えもせずに口にするような迂闊な人間を使者にするなんて、ありうるのだろうか?
「まっ、いーや。オジサンも組織の人間なら聞かなかったことにしといて。」
「オジさんではないッッ!!!俺はまだ20代だ!お前とそう変わらんだろう!」
「えー、でもなんかくたびれた感じの雰囲気が出てるよ?若者だって言いたいなら、もっと元気よくいこー!」
「余計なお世話だッッッ!!!」
メロディオは片手を上に上げて元気を示すようなジェスチャーをしている。
……よくわからん奴だ。
「そんで私が今ここにいるのは、パッショーネのサーレーって人に会いに来たんだけど。ミラノ在住ってことは調べられたんだけど、パッショーネのミラノ支部にいるのかな?」
サーレー……。
出来るならそんな人知りませんと言いたい。……うん、知らない。
「サーレーならコイツだぜ。」
相棒に裏切られてしまった……。
「あ、オジサンがサーレーさんだったんだ。ならちょうどいいや。」
「なんか相棒に用があるみたいだな。俺たちは行くか。」
「そっすねー。」
ズッケェロとドナテロは、面倒の予感を感じていち早く退散して行った。素晴らしい逃げ足だ。拍手を送りたい。
……アイツらずるい。
「……俺に一体何の用だ?」
バレてしまっては仕方ない。俺もさっさと用件を終わらせて退散しよう。
「オジサン、ジャックさんと戦ったんでしょう?」
ジャック・ショーン。イギリス、ロンドンのスタンド使いの名前だ。
「ジャック?」
「イングランドのロンドンのさ。あのオジサン、強いよ?」
サーレーはそう言われて思い出した。
サーレーがしばらく前にクラフト・ワークで戦いをうやむやにした相手だ。
あの時は、確かに相手はあからさまに加減をしていた。シーラ・Eを相手に加減して痛めつけすぎないように戦える人間が弱いわけがない。本気で戦えばおそらくは強いのだろう。
「それはわかったが……なんの話をしてるんだ?」
「それよりもお腹すいたな。オジサン、なんか美味しいもの食べれるところ知らない?」
話題が飛んだ。なんともマイペースな相手だ。どう対応したものか。
サーレーは困り果てた。
「あっ、わかった。オジサン、美味しいものあまり食べてないからそんなくたびれた顔してるんだよ。」
「余計なお世話だッッッ!!!」
なんとも失礼な奴だ。顔は生まれつきだ。
この女の言動は奔放で、要件の着地点がどこに落ち着くのか全く予測が出来ない。
「ほらほら、話があるんだから、行くよ。」
メロディオと名乗る女性はとにかくマイペースだ。
サーレーは仕方なしに、行きつけのスポーツバーへと向かった。
◼️◼️◼️
スポーツバーはサーレーが唯一ツケを効かせられる店だ。行きつけで、本来店を開けていない時間でも最近はなぜだかサーレーたちに融通を利かせてくれる。
サーレーは知らないが、実はスポーツバーはパッショーネからの裏の根回しでサーレーたち暗殺チームに便宜を図るように頼まれていた。店は組織からそれなりの金ももらっている。
二人は店の中にあるテーブル席の一つに腰掛けた。
「へえー。落ち着いたいい店だね。フットボール専門のスポーツバーか。オジサンもフットボールが好きなんだ。ねえ、どこを応援しているの?」
メロディオと名乗る女性は馴れ馴れしい。いきなりサーレーにフットボールの話題をふってきた。
彼女は一体何しに来たのだか?
「……ミラノクラブチームだ。俺は基本的に根無し草に近いからな。いつも自分が住んでるところのチームを応援しているよ。」
「地元は?」
「……さあな。」
地元はローマの近辺にある田舎町だ。
サーレーは今よりも若い頃、そこからローマに出てきて組織に所属した。実家は問題児のサーレーを歓迎しないだろう。
「私はずっと生まれた地元のチームを応援してるよ。スペインのフィゲラスにあるクラブチームで、スペインの三部リーグに所属してるんだ。」
「三部リーグより一部リーグの方が観ていて面白くねーか?」
「あっ、それ差別だよ。三部だってレベル高いし、みんな必死で戦ってるよ。」
「差別してるつもりはねーよ。ただ一部の方がレベルたけーだろ?」
「……まあそりゃ否定しないけどさ。三部だって魅力的なフットボールしてるチームだってあるし。」
メロディオは若干拗ねたような表情をしている。
女性の機嫌を損ねるのは、イタリアの紳士失格だ。
「ああ、悪かったよ。喧嘩を売るつもりは無い。お前の言う通りだ。……ところでお前は一体なんの用事で俺に声をかけたんだ?」
「ああそうだ!すっかり忘れてた。」
忘れるな!サーレーは心の中で突っ込んだ。
二人の前に料理が運ばれてきた。リゾットやカルパッチョ、パスタ類がテーブルに並んだ。
「そうそう。私は、スペインからパッショーネとの外交の使者でやって来たんだけど、ジャックのオジサンと戦ったサーレーさんを見ときたくてさ。」
「……なんのために?」
メロディオはカルパッチョに口を付けた。満足のいく味だったようで、頷いている。
「うーん、そうだねー。まあ言ってしまってもいいかな。もう同盟組織だし。パッショーネはさ、以前は麻薬をヨーロッパ全土で手広く扱っていたんだよね。」
メロディオはいきなり麻薬の話題を口にした。
サーレーはなんか話がきな臭い方向へ飛びそうな予感を感じた。
「まあ私たちも裏の人間だし。国外のことや麻薬のことをどーこー言えない同じ穴の狢なんだけど、パッショーネの麻薬は国外にもちょっと見過ごせない被害を出してたんだよね。ウチの組織は放置が方針だったけど、実際いくつもの組織はパッショーネと敵対することを選んでたし。でもパッショーネの力は強くて、ボスの所在も定かではない。多くの組織がパッショーネを恨んでたと思うよ。」
これはかなりまずい話の流れだ。
今は厨房にこもっていて聞こえていないようだが、万が一にもスポーツバーの店主に聞かせるわけにはいかない。
「まあそんで、不愉快なボスをやっつけたパッショーネの勇者の顔を見に来たってわけよ。」
完全にアウトだ。
サーレーはメロディオの口をクラフト・ワークで摘んで固定して、閉じさせた。
サーレーは急いで席を立ち、即座に店のマスターに少しの間外に出るようにお願いという名の命令をした。
「プハっ、レディーに何すんのさ。」
「……お前がいきなりぶっこんでくるからだ!」
メロディオは当然のようにサーレーのクラフト・ワークに目をやっている。
「そんなこと言っても、国外でちょっと目先の利く奴らや、イタリア国内でもちょっと頭のキレる奴は大体気付いてるよ。だっていきなり所在不明のパッショーネのボスが姿を現して、利益の大きい麻薬に関する方針を180度転換したんだもん。誰だっておかしいと思うよ。でも、気付いてても何も言わない。」
「……なぜだ?」
サーレーは緊張して、女性の話に耳を傾けた。
「だって今のパッショーネになんの不満もないから。誰も無用に争いたくない。だから、気付いている人間の中でも特に賢い部類の奴らは、積極的にパッショーネに何事もなかったように周囲の思考を密やかに誘導して戦火の火種を潰している。対岸の火事が自分の家に飛び火しないとは限らないから。真実や正しさなんて、平和な社会に比べたらクソみたいな価値しかないわ。裏社会の組織の多くはメディアを抑えてるし、恐らくはパッショーネ側も現地メディアの僅かな反応から穏健派の同盟を組めそうな友好組織を見極めてたんだと思うわ。きっと情報部が優秀なのね。私は所在不明の前ボスを倒した勇者と、その腹心でジャックのオジサンをあしらうほどの猛者の顔を見にきたのよ。」
メロディオは明るく笑った。魅力的な仕草だ。仕草だが、こいつは油断ならない奴だ。
頭がキレる人間が一番厄介だ。彼女は、サーレーも気付いていて口にしないパッショーネのボスの代替わりを明確に口にしている。恐ろしく危険な話題だ。恐らくは彼女も、パッショーネには何もなかったと周囲の思考を誘導している側なのだろう。
「ふざけるな!それは危険な話だ!パッショーネ内部でも知っている人間は恐らくは極めて限られている!!!場合によっては組織の人間の首がいくつも物理的に飛ぶことになる!俺だって確証があったわけじゃない!」
「えー。現ボスが姿を現した当初ならまだしも、今さら誰かが喚いたところで盤石なパッショーネの土台は覆りはしないわよ。それにオジサンは、パッショーネの現ボスの腹心の部下でしょう?」
……なぜそうなるのだろうか?過大評価されている。
そんなにあのジャックという男をあしらったのが問題なのだろうか?
「……あのジャックという男は本気ではなかった。」
「まあそーだろーね。あのオジサンは私の友人なんだ。だから知ってるんだけど、ジャックのオジサンは基本優しい人間だから、本気で戦うのは本当にヤバい相手だけだもん。私だって見たことないよ。優しい性格にも関わらず、裏社会で
「……ツイてた?」
「クイーンズでも本気でパッショーネと戦争するか悩んでたみたいだよ。イングランドでも麻薬被害は大きかったみたいだし。でもパッショーネは強くて、軽々とは決断できない。大々的な戦争になったらイングランドの一般人にも大きな被害が出る。クイーンズにも盟友がたくさんいるし、もし本気で戦争したらパッショーネが勝ってもまずイタリアは焦土となることになる。まあその前にパッショーネのボスが姿を現して方針を転換したからさ。クイーンズは基本は穏健なチームで、ジャックのオジサンも真面目で優しい人間だからパッショーネが方針を改めるなら友誼を結ぼうかって。クイーンズの反パッショーネ派の裏側にはそういう事情もあったんだよー。」
……決まりだ。
この女、一見若くて間抜けた喋り方をするが、頭がキレて情報にも精通した裏社会の要人だ。だから彼女はパッショーネとの外交の人事に選ばれたのだろう。
サーレーは緊張した。
「……俺はボスの腹心ではない。ただの暗殺者だ。」
「あら?あなた、本気で言ってるの?」
メロディオは依然として笑っている。少し楽しそうだ。
さっきからメロディオのフォークは止まったままだ。お腹が空いたと言っていたはずなのに。
「最初はシーラ・Eって娘かと思ったけど、彼女はまだちょっと精神的に若過ぎたしね。ジャックのオジサンをうまくあしらえる人間なら、組織に重宝されないわけがないわ。ボスが代替わりしたことを知ってるのに生かされてるみたいだし。そういう人間は処分しないんだったら普通、籠絡して腹心として懐に抱き込むわよ?危険な爆弾は処分するか、処分するのが惜しい程に強力で役に立つものなら不満を抱えこんで爆発しないように大切に管理するものだわ。」
前ボスのディアボロは愚かにも危険な爆弾、暗殺チームを雑に扱って爆発させてしまった。暗殺チームがディアボロに忠実だったなら、ジョルノたちの戦いの結果は変わっていたかもしれない。それほどに彼らは強力なスタンド使い集団だった。指揮を出す者もいないまま彼らが好き勝手に行動した結果は、ご存知の通りだ。暗殺チームはブチャラティチームに個別撃破され、そのリーダーもディアボロに歯向かって処刑された。
メロディオ自身も、以前は彼女がアルディエンテのボスに〝大切に管理〟されていたことを理解している。
ジョルノ・ジョバァーナは前任者と同じ轍は踏まない。
「……俺はボスに逆らえないだけだよ。まあそれはともかく、お前どこででもそんなにヤバいことペラペラ喋んなよ。」
「わかってるわ。あなたがボスの腹心だから喋っただけよ。」
「だから俺はそんな大それたもんじゃ……。」
サーレーの言葉は唐突に途切れた。メロディオはどこから出したのか天秤を手に乗せている。
恐らくはスタンドだ。サーレーはそれを警戒して、天秤を注視した。
「人がルールを守るのではない。ルールが人を守るのだ。ルールとはそのためにある。そして限定的に、ここではルールは私のためにある。重力は、斥力になる。」
「うおおおおおおッッッ!!!」
メロディオが唐突に宣告し、天秤はその秤を逆に傾かせた。
サーレーは天井に引きずられる感覚を覚えて、反射で足を床に固定した。
「ほら、あなたはやっぱりパッショーネ実動部隊の腹心だ。咄嗟に私のスタンドに対応できるほど対応力の高い人間が、組織に重宝されないわけがない。あなたは自分で気付いていないだけで、パッショーネの忠実で有能な猟犬だよ。」
「テメー、いきなりスタンド使うんじゃねーよ!!」
メロディオは天井から笑いながらサーレーを指差している。彼女の背後には天秤を持った人型のスタンドが浮かび上がっていた。帽子を被った気怠げな、道化師のような見た目のスタンドだ。
彼女と一緒にテーブルと食事の乗った皿も天井に吸い込まれていった。食事がもったいない。どうやら彼女のスタンドは、本体も巻き込むタイプのようだ。
スタンドの効果範囲は、彼女とテーブル席とサーレーだったようだ。半径1メートルくらいか?加減したのかもしれない。まあ当然だ。これが広範囲に及ぶスタンドだったら、世の中が大変なことになる。人々が空に吸い込まれてしまう。
サーレーは床に立って天井にいる彼女を観察した。
天秤の秤が逆に傾く時、世の中の摂理を支配しているのかもしれない。世の法則を支配しているのだとしたら、それは非常に恐ろしいスタンドだ。下準備をして本気で運用すれば、極めて危険度の高いスタンドだと容易に想像がつく。
サーレーの思考が纏まった直後に、メロディオとテーブルは音を立てて天井から落ちてきた。
「いったー。そこはレディーを受け止めるところでしょうが!」
「ふざけるな!自分でやったことだろうが!」
サーレーは落ちてきたテーブルを受け止めた。メロディオは放置だ。
割れた皿はこのアホ女に弁償させよう。サーレーが弁償させられてはたまらない。
「まっ、というわけで今後ともヨロシクね。私はこの後でパッショーネとの同盟交渉のためにネアポリスに向かわないといけないから。」
彼女はそう告げると店を出て行こうとした。
「オイ、待て。お前割れた皿の弁償せずに逃げるつもりか?せっかくマスターが作ってくれた食事も無駄にしたのに?」
「ギクッ!」
……コイツ今、口でギクッと言ったぞ?さては……確信犯だ。
「……お前、勝手に押しかけておいて、食事代も皿の弁償代も俺に押し付ける気だったのか?」
「ま、まあそこはホラ。オジサンが若い娘と食事デート出来た必要経費ってことでどうか一つ……。」
「ふざけるな!何が若い娘だ!誰がオジサンだ!俺の食生活が一層貧相になるだろうが!」
「私だって貧乏なのよ!ボスが私はスタンドを使うときに周りを巻き込むから物品破損の弁済の金がかかるって、怒って給金を減らされてんの!パッショーネは金持ちなんだから、客人の私の費用くらい持ちなさいよ!」
サーレーは声を荒げて、メロディオは開き直った。
メロディオの言葉は一見筋が通っているようで、自業自得の上にそれは自分から相手に請求するものではない。対応する側の常識による相手への誠意あるいは好意のはずだ。
「あ、あのー。」
店の主人がおずおずとサーレーに声をかけた。どうやら思わず上げてしまったサーレーの大声に反応して戻ってきたらしい。
「パッショーネの方から言伝をいただいてますよ。女性と男性が来る可能性が高いから、かかった費用はパッショーネに請求してくれ。女性はパッショーネの賓客だから、丁重に扱ってくれって。」
「ほえー。あなたのトコのボスは、目先が利くのねえ。私がここに来るのも、どうやら予想されていたみたい。」
メロディオは感心した。
「ふ、ふん。ウチのボスはすげーんだ。」
サーレーの語彙力は小学生並みだ。
サーレーもボスの予想外の行動に度肝を抜かれている。
「まあ、だったらちょうどいいからミラノ中央駅まで案内をしてちょうだい。私地図が苦手なのよ。」
「……お前、図々しいのな。」
「エスコート、任せるわ。私はパッショーネのお客さんなワケだし。」
サーレーはため息をついた。彼女は一向に悪びれる様子がない。恐ろしい女だ。
……仕方ない。パッショーネの客だというのなら駅ぐらいまでは送ってやろうか。
◼️◼️◼️
「おっ、サーレー。」
「あっ、アニキ。」
サーレーがスポーツバーから出てメロディオに道を案内していると、大衆食堂からズッケェロとドナテロが出てきた。二人とも満足げな表情だ。
サーレーはため息をつく。こいつら、厄介ごとを丸投げして二人して呑気に大衆食堂でメシを食ってやがった。
「……コイツはパッショーネの客だそうだ。俺が今からミラノ駅に送ってるところだ。」
サーレーがズッケェロたちに説明した。
「ヤッホー。あなたたちはなんてお名前?」
「俺はマリオ・ズッケェロだ。お前は確かメロディオとか言ったか?」
「俺はドナテロ・ヴェルサスです。」
「うん、私はジェリーナ・メロディオだよー。ヨロシクね。」
メロディオはズッケェロたちに明るく笑いかけた。
ぱっと見は明るい普通の一般人の女性だが、その実は裏社会の組織の恐らくは要人だ。裏社会をその知能と悪辣なスタンドで上手く乗り切っているのだろう。恐ろしい女だ、詐欺も甚だしい。
「サーレーのオジサン、さっきまでの話の内容は誰にも話さないから、代わりに私の
メロディオは手に何かを持つような仕草をした。
サーレーはそれで理解した。天秤を手に置く仕草だ。ズッケェロたちにも彼女のスタンド能力をバラすなということだろう。引き換え条件にパッショーネのボスの代替わりの秘密を平気で用いるあたり、やはりおっかない女だ。
「なんだよ?なんの秘密だ?」
ズッケェロは興味しんしんだ。だが、さすがにボスの秘密をバラすと脅されてはサーレーも教えるわけにいかない。
「ああ、コイツがパッショーネに来た理由だよ。なんかコイツのいる組織がパッショーネの上の人間と密約を結ぶんだと。その関係だよ。」
サーレーも仕方なしにメロディオに合わせて、デタラメな話をズッケェロに聞かせた。
「ふーん、パッショーネもいろいろやってんのな。」
「俺たちも上にいってそういう話が出来るようになりたいっすねー。」
ズッケェロとドナテロはサーレーの言葉を信じ切っている。仲間に嘘をついてしまったサーレーは少しの罪悪感を感じた。
四人は他愛ない会話をしながら、ミラノ中央駅に向かって歩いて行った。
◼️◼️◼️
「じゃあねーオジサンたち。」
「誰がオジサンだ!」
ここはもうミラノ中央駅だ。彼女は駅の構内へと入っていく。
メロディオは、最後までサーレーをオジサン扱いして去って行った。自分もほとんど年が変わらないはずなのだが?
まあ、女性に年のことを言うのは野暮だと相場が決まっているか。
サーレーは苦笑した。
「変な女だったなー。」
「そうっすね。まあ明るい人でしたけど。」
「……お前ら、騙されんな。あいつは見た目にそぐわぬ、恐ろしい女だぞ。」
サーレーは二人に忠告した。
「アン?どうしたんだ、相棒?そんな短期間であいつのことがわかんのか?」
「ああ、わかるよ。なるべくアイツは関わらないがいい。厄介極まりない相手だ。」
ズッケェロとドナテロは不思議そうにサーレーを見つめている。
頭のキレる奴は本当に恐ろしい。スタンドの強さの基準も、本体の精神力とあとは頭を使った使い方次第だ。下手したらあの一連でサーレーのクラフト・ワークの能力を見破られた恐れまである。
「あっ。わかりましたよ。アニキ、あの女が気に入ったんでしょう?さては俺たちを近付けたくないからって。」
ドナテロが見当違いの呑気なことを言っている。
「マジかよ相棒。お前ああいう細っこいのがタイプだったっけか?」
ズッケェロもドナテロの言ったことに乗っかった。
この二人はあの女には近付けられない。相手を低く見誤ってうっかりどんなことを言ってしまうかわからない。
恐らくはあの女は、スペインの組織でパッショーネにおけるカンノーロ・ムーロロのような立ち位置なのだろう。強力なスタンドを操り、さほど多くない情報から正確な答えを導き出している。
サーレーは知らないが、実はカンノーロ・ムーロロもイタリアのメディアを秘密裏に操り、パッショーネの代替わりが世間に漏れないように密かに世論の思考を誘導していた。
世の中は広い。
サーレーの与り知らぬところに、予想もしない恐ろしい人間が存在する事を、サーレーは痛感させられた。
◼️◼️◼️
名前
ジェリーナ・メロディオ
スタンド
概要
道化師のスタンドを操るスタンド使い。天秤を持ち、秤が逆になると彼女が宣告した通りのルールが施行される。スペインの裏組織、アルディエンテのボスの子飼いで、他の誰よりもボスに信頼されている。スタンドの効果範囲は、本気で使用して彼女を中心に半径十メートルほどである。特殊な能力に全振りしているために接近戦はぶっちゃけめちゃくちゃ弱い。実は、短時間であれば時間を逆行させて皿やテーブルも元通りに出来るのだが、彼女のスタンドがどこまでできるのか易々とサーレーに見せたくなかったために秘匿していた。
彼女はサーレーと同じく怠け者で、なまじっかどこででも上手くやれる才能を持っていたために比較的容易に怠けられる裏社会で自由に過ごしている。スタンドは、自分の周りだけでも思い通りにして楽したい、という彼女の願望の具現である。