噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
玲瓏な音を立てて、大理石造りの床を大の男二人組が滑らかに進んでいく。
ここは、美術館の玄関口だ。館内は不審な生物が入り込んだことにより、夜間にもかかわらず照明がつけられている。
静寂に不自然に人の声が響いている。
「オイ、お前あれ一体何をしたんだ?」
モッタは、焦った様子で小声でソルトに問いかけた。
「見りゃあわかんだろ。縛り上げて目隠しをしただけだ。」
「おい!こんなことすりゃあパッショーネが怒るだろうが!」
「心配いらねえよ。お前はすでにパッショーネを怒らせている。金銭的にすでにケツに火がついていて、多少のことではもう後に引けねえだろう?」
モッタはソルトの言葉を吟味して、顔が真っ青になった。
「ふざけんな!人ごとだと思いやがって!」
「人ごとじゃねえよ。俺たちもヤバいから反パッショーネ連合なんてモンが組まれてんだ。お前も連合に加入すりゃあ問題ねえ。」
モッタは憤慨し、ソルトは笑っていなした。
少しだけ、時間を巻き戻そう。
二人が美術館に向かうと、美術館の警護を担当していた人員が小人を捜索して複数人美術館の外へと出て来ていた。
ソルトは夜闇に紛れて音を立てずに背後から彼らに忍び寄ると、不自然に硬直した彼らを懐から縄を取り出して瞬く間に縛り上げ、目隠しをして美術館の敷地内に転がした。
『オイ、ヤバくねえか?』
『おいおい。ここでビビってイモ引いたら、この先ずっとパッショーネの天下だ。好き放題されちまうぜ?』
ビクつくモッタを尻目に、ソルトは外に出て来た警護の人員を次々に手際よく縛り上げていく。
モッタは、ビビってソルトに小声で囁いた。
『それでも限度ってもんがあるだろう?これはやり過ぎだ。』
『……俺たち裏の住民は、戦わなきゃあ存在できねえんだ。たとえそれがパッショーネのような強大な組織だったとしてもな。学がねえ俺たちがいい暮らしがしたいなら、強くなきゃ生き残れねえ。ここで引いたら看板を下ろすしかねえ。違うか?』
『う……。』
モッタが言葉に詰まっている間に、美術館の外にいる警護の人員はソルトが全員縛り上げた。
『ほら、行くぞ。』
ソルトは美術館の内部へと進んでいき、モッタがその後を追った。そして冒頭へと続いていく。
「……よし、そんじゃあ館内の偵察を頼む。お前のスタンドで警報を切って、内部に残っている人員をこっちにおびき寄せてくれ。」
「……お前が全部一人でできるんじゃねえのか?」
モッタは胡乱げにソルトを眺めた。
「おいおい、馬鹿言うな。俺が一人でなんでもかんでもできるわけじゃねえ。人間、適材適所だよ。俺は敵の鎮圧は得意だが、細々としたことは得意じゃない。見る限り、そういうのはお前のスタンド向きだろう。」
「……。」
「それにもともとお前の組織の問題だろうが。全部人任せにしようとすんなよ。」
モッタは無言で小人を館内に向かわせた。
やがて小人は館内のセキュリティを解除し、監視カメラの電源を落とし、少しずつ内部の警備を彼らに元におびき寄せてくる。小人は知能が高く、モッタの命令を細かく理解して柔軟に連携をとった。
ソルトは美術館の大理石の柱の裏側に隠れ、急襲して次々に小人の後を追ってくる警備の人員を無力化した。
「ほら、さっさといくぞ。コイツらすでに外部の連中と連絡を取っているかも知んねえ。さっさとブツを取ってずらかるぞ。」
「あ、ああ。」
すでにこの場の主導権はソルトに奪われてしまっている。
矢継ぎ早に物事が進み、物事を吟味する余裕もなくモッタはソルトの言いなりで行動を起こしていく。
ソルトは警備員を縛り上げては見えない場所に転がし、瞬く間に館内の警備は全滅した。
「さてと。」
ソルトがつぶやいた。彼らの目の前には額縁に飾られた絵画がある。
イタリアの若手画家、アレサンドロの作品だ。大きさはフランスサイズでP(風景画)10号。横55センチで縦40、9センチ。
タイトルは『夜会』で、品格のある紳士淑女が複数人着飾って和やかに会合をする場面が、繊細な筆致で描かれている。
「これか?」
「ああ。」
モッタはうなずいた。それが一番高額だ。
モッタが盗難して換金しようとしている絵画は、市場推定価格でおよそ1万2千ユーロ。需要を考えれば2万ユーロでも簡単に売れるだろう。
パッショーネのネームバリューが、作品に付加価値を与えている。パッショーネがパトロンになって猛プッシュしているから、値段が吊り上がっているのだ。
しかし、それは真っ当な販路ならの話だ。
ブツはワケあり品だ。後ろ暗い流通路でしか流せない。
パッショーネの美術館からの盗品だけに、買い叩かれて5千ユーロで売れれば御の字だろう。
「盗むのはそれだけか?」
「……贅沢が目的じゃねえ。必要以上には取らねえよ。」
モッタは仏頂面をした。
必要以上に取っていっても、パッショーネの恨みを余計に買うだけだ。組織には素行の悪い人間もいて、大目に換金できてもプールできずにあぶくに消えるだけだろう。窃盗は当然褒められたものではなく、当座の資金繰りに当てるための苦し紛れの行為だ。
パッショーネが権勢を誇れば、当然割りを食う人間がいる。資源は有限だ。
金持ちは、大勢の貧乏人の上に成り立っている。ソルトも貧乏人側だ。
しかしそれでも、彼のボスは裕福だ。目の前のモッタと言う名の男は、ボスもきっと貧乏なのだろう。
ソルトはそれを、目の当たりにした。彼らも、どうにか先に進もうと足掻いている。
彼らもパッショーネの天下で、どうにか自分たちの立ち位置を確保しようと、必死なのだ。
ーー俺の考えることじゃねえ、か。そういうのはジョジョの得意分野だ。俺はしょせん殺すことしかできねえ。……人を生かすジョジョの偉大さが、よくわかる。
ソルトは首を横に振った。任務に集中しないといけない。
モッタは隣で絵画に指紋がつかないように手袋をはめて、絵画を手際よく袱紗で包んで細長いダンボールに梱包した。
「さて、行くぞ。」
「もういいのか?」
ソルトがモッタに問いかけ、モッタは縦に首を振った。
二人は美術館を後にした。
◼️◼️◼️
「オイ、マジ聞いてねえぞ、クソッッッ!!!」
「ああ、ヤベエな。」
「待てやコラ!取っ捕まえて、地中海の藻屑にしてやるッッッ!!!」
ローマの路地を、モッタとソルトはひたすらに逃げ回る。
パッショーネの情報網は非常に強力で、モッタはその精度を甘く見ていたと言わざるを得ない。
とっくの昔にローマに美術館襲撃の情報は出回っていて、パッショーネの人間がすでに大勢集められていた。
路地の両脇をパッショーネの人員が固め、ソルトはモッタの首後ろをひっつかんで塀を登って駆け逃げた。
「オイ、どうすんだよ!奴ら本当に本気じゃねえか。人集めんの早すぎだろう。」
「……パッショーネのヤバさはわかってたはずだろう?いつかこうなることはわかりきっていたことだ。」
「お前はアイツらを倒せねえのか!」
「馬鹿言うな。俺だってできねえことはたくさんある。ここで勝ててもさらなる増援が待っているだけだ。武力でパッショーネに対抗するのはよろしくねえ。最悪の展開だ。」
「終わりじゃねえか!」
「とにかく逃げるぞ!ネアポリスの反パッショーネ連合の本部まで逃げ切れば、どうにかなるはずだ!」
ソルトは追っ手の手の届かない高所を逃げ回り、モッタは顔が真っ青になって盗品を脇に抱えている。
ソルトのスタンドがモッタの身柄をつかみ上げ、彼らはローマの駅方面へと逃走した。
「……しつけえ奴らだ!まだ追ってきやがる。」
モッタは背後下方で彼らに追い縋るパッショーネの人員に、ひどく怯えた。
「行くぞ!」
「おい、どこへ向かう気だ!」
「表通りだったら、まだ人通りが少しはあるはずだ。奴らも銃火器を使えねえ。人混みに紛れるが上策だ!」
ソルトはそう告げると目前の建物の窓を蹴破り、内部を逃走した。
現時刻は夜間の二十一時少し前。就業時間は終えており、建物の内部にはすでに人影はない。
「それにしてもお前、すごい身体能力だな。」
モッタはソルトのスタンドのスペックに、場違いに感心した。
ソルトのスタンドはモッタをつかんで、悠々と壁を駆け登っている。モッタも大の男で、そこそこの重量があるはずなのだが。
「……最低限これくらいできねえと、パッショーネとは戦えねえ。そんなことよりも、そんなに暢気に構えてんじゃねえよ。」
建物の別の窓から外部を視認し、追っ手が彼らを見失ったことを確認してソルトは外の路地に飛び降りた。
彼らはもうローマ駅から、目と鼻の先まで来ていた。
「おい、やべえぞ!どうすんだ!パッショーネの奴ら、駅で張っていやがる。それに今日のネアポリス行きの急行は、すでにもう行っちまってるぜ!……やべえ!!!奴らこっちを見てるぞ!」
モッタが駅構内に不自然な挙動の人間を大勢見つけて、悲鳴を上げた。
彼らは元来た道を戻って、逃げ出した。
「……マズイな。俺たちの顔は割れている。パッショーネの奴らが本気を出してきたからには、お前の組も危ねえ。」
ソルトの言葉に、モッタは顔から血の気が引いた。
「オイ、嘘だろ!組にはオヤジたちがいる!」
「……いや、待て。お前んところのボスは、確か今日はネアポリスの反パッショーネ連合の会合に顔を出していたはずだ。」
「どうすんだよ!!!!」
モッタは、逃げながら完全にパニックになっていた。
「……レンタカーを借りて、ネアポリスへと向かう。ほとぼりが冷めるまで、お前たちを連合の中で匿うしかねえ。」
「……組にはまだ仲間もいる。アイツらを放っておけねえ。」
モッタは悲壮な顔をした。
「落ち着け。お前の気持ちはわかるが、まだパッショーネからお前の組に襲撃があるとは限らねえ。とりあえず今は逃げ延びて、連合内で情報を共有することを優先しよう。」
ソルトは年上らしい落ち着き払った所作で、モッタを諌めた。
「じゃあレンタカーを借りに行くのか?」
「ああ。すまねえが、俺は手持ちがねえ。金を出してくれないか?」
「……しょうがねえ。」
モッタは渋々と懐から金を出してソルトに手渡した。
「急ぐぞ!レンタカー屋まで抑えられたら、俺たちにはもう打つ手がなくなる。」
「ああ。」
モッタは、完全にソルトにペースを握られていた。
◼️◼️◼️
「まあとりあえずローマから脱出できれば、しばらくは安心だろう。」
「……ふう。」
ソルトがレンタカーを運転し、ローマからネアポリスに向かって南下した。
もう結構な時間ひたすらに運転し続けている。
ソルトがモッタに話しかけ、モッタは安堵の息をついた。
彼らは車内で、背後に車での追っ手が見当たらないことを確認してひとまず落ち着いた。
「腹減らねえか?」
「そうか?ってゆーより、お前レンタカーの金も俺に出させただろう!……たかるつもりか?」
「あっ、バレた?」
モッタが横目でソルトを睨んだ。
彼らはそれなりの時間と目的を共有し、最初よりもずいぶん打ち解けていた。
「ちっ、しょうがねえな。貸してやるから今度返せよ。とりあえずあそこのバーガーショップに行こうぜ。」
モッタはレンタカーの助手席から、近くのハンバーガーショップを指差した。
「せっかくだしもっといいもん食おうぜ。」
「おま……ふざけんな。俺だって金がねーんだよ。第一この時間に空いてる店はあんま多くねえだろ。」
「そうだな。じゃあそこにすっか。」
二人は車に乗ってハンバーガーショップで注文をとった。
目的地のネアポリスまで、あともう少しだ。車で走り続けて、もうすでに朝が明けている。長時間座席に座り続けて、体が固まってしまって痛い。眩しい朝日にモッタは目を細めた。
ソルトはハンバーガーショップの駐車場で車の運転席から降りて、背伸びをした。ダッシュボードには、食べた後のバーガーの包み紙が置かれている。
「ちょっと寝みいから運転代わってくれよ。」
ソルトがモッタに頼んだ。
「しょうがねえな。」
モッタも車から降りて、運転席に座った。
その間に、ソルトは車から少し離れてどこかに電話をかけている。
「その反パッショーネ連合とやらは、どのくらいの規模なんだ?」
モッタが、電話を終えたソルトに問いかけた。
「お、なんだ?加入する気になったか?」
「馬鹿言うな。オヤジの意向を無視して俺に勝手に決められるわきゃねえだろ。もしかしたらしばらく世話になるかもしれねえからさ。」
「ま、どのみちもうすぐつく。自分で確かめな。」
二人を乗せた車は、朝焼けのネアポリスを走り出した。
やがてしばらく行き先を指示したのちに、ソルトは一つの建物を指差した。
「ああ、見えたぞ。あそこだ。」
「ハア?何言ってんだ?アレは大学付属の図書館じゃねえか。」
「ああいうところだから、いいんだよ。ノーマークだろ。まさかパッショーネも、反勢力が大学の図書館を根城にしてるなんざ夢にも思わねえだろ。」
そう言われれば、そういうものなのか?
不審に思いつつも、モッタは自分を無理に納得させた。緊張が解けて眠くて、考えるのが億劫でもあった。実はモッタは、いろいろと見落としている。夜間のレンタカーショップも明け方のハンバーガーショップも、本来は営業時間外のはずだ。なぜ店が、都合よく開いていたのだろう?
二人は、ネアポリスの図書館の中へと侵入した。図書館の内部は、閑散としていた。
◼️◼️◼️
「やあ、君のことを待っていたよ。」
高名な芸術家が彫った美術品の彫像のような男性が、モッタの目の前で椅子に座っていた。
彼の声が、静かな館内に響いた。
図書館は薄暗く、彼の背後には暗幕がかけられている。
その姿は幻想的で、モッタはしばし呆然とした。
「サーレー、任務ご苦労様。これが今回の君への報酬だ。」
「ありがたく頂戴いたします。」
男は封筒を取り出し、ソルトへと手渡した。
ソルトは前に出て、恭しくそれを受け取った。
「任務?オイ、ソルト!どういうことだ!」
モッタは混乱している。
「俺の任務は最初から一つ。お前をここに連れてくることだ。」
「ハア!わけがわかんねえ!」
モッタがソルトに問い詰めている間に、彫像のような男は再び喋り始めた。
「さて、何から話そうか。そうだね。まずは自己紹介からか。僕の名前はジョルノ・ジョバァーナ。君はローマのドゥエ・ステラに所属する、アルバロ・モッタで間違いないね?」
「あ、ああ。」
男の言葉には有無を言わさぬ風格があり、モッタは思わず頷いてしまった。
「僕は君の盗難被害にあった、パッショーネのボスだ。君が詰め寄っている男は僕の腹心の部下、サーレーだ。君も裏で生きる人間なら、通り名くらいは聞いたことがあるはずだ。パッショーネの死神と呼ばれる男、僕たちの切り札だ。」
モッタはギョッとして、サーレーから後ずさった。
もう何が何だかわけがわからない。目の前の男はパッショーネのボスで、モッタの行為は目の前の男にバレていて、今まで一緒にいたソルトはイタリアの都市伝説、パッショーネの死神だと。
男の言葉には重みがあり、モッタには嘘を言っているようにとても思えなかった。
「ああ、心配しないでくれ。彼は君には決して手を出さない。丁重に扱うように僕が厳命しているからね。もちろん僕もだ。」
モッタは顔が真っ青になって、脂汗をかいてガタガタ震えている。
当然だ。相手は今まで窃盗をし続けた、圧倒的な武力を持つ巨大な組織の長なのだ。
口約束は信頼できない。どんな目にあわされるか。もしも生きて帰れたら、それだけで儲けものだ。
「……怖がらせてしまったか。まあハッキリと言ってしまえば、君を消したいだけならこんなに回りくどいことはしない。……ちょっと謎かけをしようか。」
「……。」
モッタの歯が、恐怖でカチカチと鳴っている。
目も虚ろだ。
「大丈夫だ。」
サーレーは震えるモッタの肩に、手を置いた。
ジョルノはモッタに話しかけた。
「そこの彼、サーレーは、パッショーネでも秘匿される存在だ。パッショーネに暗殺チームが存在することは皆知っているが、誰がそれを担当しているのかはほとんどの人間は知らされていない。本来親衛隊や情報部といった一部の人間にしか、その正体を明かされない。パッショーネに所属してはいるが、パッショーネよりもイタリアの国益を優先するべき存在で、道を誤れば僕ですら処刑する権限を持ち合わせている。でも僕は、君に機密であるはずのそれを明かしてしまっている。なぜだと思うかい?」
「えっ?」
なぜか指名された当人であるサーレーが驚いた。
おい、なんで本人のお前が驚いてるんだ!モッタに少しだけ、心の余裕ができた。
「ああ、サーレー。君は物覚えが悪いし、口が軽そうだからね。口止めしても無駄になりそうだから。どこかでウッカリ喋るくらいなら、虚言癖のあるチンピラの戯言ということにした方が、説得力がある。情報部に指示を出して、周囲には暗殺チームに憧れる夢見がちなチンピラということで説明してあるよ。」
「ヒドイッッッ!!!」
パッショーネのボスであるはずの男と、その腹心の部下であるはずの男の珍妙な掛け合いに、モッタは少しだけ平常心を取り戻した。
「さて、話を戻そうか。ヒントをあげよう。本来情報部か親衛隊にしか明かさない情報を、君に明かした。君がパッショーネから窃盗を働くのを、今まであえて見逃した。こんな回りくどい方法をとってでも、君を僕の前に連れてきてほしかった。その三つから、賢い君ならば答えを導けるはずだ。」
ジョルノは指を三本立てた。
三つの情報から、モッタはジョルノの目的を推測した。
「まさか……引き抜き、ですか?」
「まあそんなところだ。どこの部門かも理解しているみたいだ。さすがに頭は回るようだね。少なくともサーレーよりも。」
「ヒドイッッッ!!!」
またか。
なんなのだろう、彼らは。
「……パッショーネに来なければ、俺を殺すんですか?」
「まさか。お願いする側が脅迫なんてするわけないだろう。」
……嘘だ。
ドゥエ・ステラとパッショーネじゃあ、規模が違いすぎる。実質的にお願いの名を借りた、脅迫だ。
モッタはその場で、覚悟を決めた。
「……俺は組織に恩があります。パッショーネには尻尾を振れない。……金も返せない。窃盗に関してはどうか俺一人の命で、なかったことにして下さい。」
モッタはその場で地に縋ろうとし、サーレーは彼の名誉のためにその行為を押し留めた。
「ありがとうサーレー。君はさすがにわかってるね。アルバロ・モッタ。君は最後まで話を聞いてほしい。話を最後まで聞かずに結論を出すのは、あまり感心しない。」
ジョルノはそう嘯くと、図書館の奥の部屋から一人の男を呼び出した。
薄い黒髪にヒゲを生やした、壮年の痩せた男性が出てきた。
「オヤジ!!!」
男の名は、ロベルト・モッタ。アルバロ・モッタの義父で、ドゥエ・ステラの現在のボスであった。
群体のスタンド使いは、心に空洞を抱えている。
天涯孤独なモッタの心の空洞を優しさで埋めたのが、モッタの義父である彼だった。
「どういうことですか!」
ボスを守るようにアルバロ・モッタは前に出て敵意を剥き出しにし、ロベルトはそれを押し留めた。
ジョルノは話を続けた。
「さて、話の続きをしよう。君の窃盗によるパッショーネの被害総額は、およそ80万ユーロ相当。内訳はだいたい、絵画12点15万ユーロ。彫刻7点10万ユーロ。貴金属および宝石類30点45万ユーロ。金銭5万ユーロにあとは日用品だね。君はそれを裏で売却した。君たちの組織の懐に入ったのは、だいたい30万ユーロくらいかな。……商売はもう少しうまくやった方がいいな。」
「ッッッ!!!」
完全にバレている。モッタは絶望を、より色濃く感じた。
モッタはヨーロッパ経済に関しても、サーレーよりもはるかに事情に精通している。
パッショーネの武力とフットボール産業で得た利益を原資とした手広い事業展開を考えれば、相手はヨーロッパの長者番付の最上位付近にランクインするはずの雲上人だ。金銭は社会で循環させるものであり、他国への麻薬被害の補償の問題もあり、現金自体はそこまで持ち合わせていないであろうが、そもそもの現在のパッショーネの資産としての価値が桁違いなのである。
そんな人間が、まさか木っ端の窃盗被害額を詳細に把握しているなどと。
モッタは心の余裕が一切消え去り、顔は青を通り越して土気色に変化した。
ジョルノはその反応に苦笑いをすると、立ち上がって背後の暗幕を取り払った。
「は?」
モッタは唖然とした。
そこには、モッタが今までにパッショーネから盗んで売り払ったはずの絵画や彫刻、貴金属類が綺麗に並べ揃えられていた。
「貴金属や宝石は量産品で捨て値でも別に構わないが、絵画や彫刻はもっと高額で売り払えただろう。君は絵画に関しては、見る目がないな。君が手放した作品は、十年すれば値段が十倍になり、三十年経てば市場に出回らなくなる。そうなれば僕たちでさえも、入手するのが極めて困難になる。アレサンドロは、本物の天才だよ。」
ジョルノは笑った。
「これが僕たちの組織の、今の情報部の力だ。しかし、全然足りていない。情報とは、組織の力そのものだ。権力だけでは、時に人を守れない。いなくなってしまった人物はパッショーネにとって有能で重要で、もしかしたらその穴は永遠に埋まり切らないのかもしれない。」
「……。」
「それでも、下を向いてばかりもいられない。間違っても失ったものは大きくても、僕たちは前に進まねばならない。それが、生きるということだ。……君のボスには先に話を通している。その30万ユーロは、パッショーネからドゥエ・ステラへの支度金だ。僕たちは、有能な情報屋を欲している。ドゥエ・ステラはローマで顔が効き、独自の人脈を持っている。そして君は、有能なスタンド使いだ。君たちは金に困っているのだろう。君たちには、パッショーネの情報部と提携してほしい。……いわば同盟を組む形に近い。ただし、対等ではない。パッショーネ優位の同盟だ。外部の委託業者として、パッショーネの下請けを請け負ってほしい。」
「ドゥエ・ステラは、偉大な組織だ!!!誰かの下につくのなんざ、真っ平ゴメンだ!!!」
アルバロ・モッタは、叫んだ。
「……知っているよ。君たちの組織のその起こりは、先の大戦後。戦功を挙げた軍人が、戦災孤児のために立ち上げた組織が源流だ。組織の名称は、創設者に贈られた徽章に星が二つ刻まれていたことに由来する。歴史は長く、パッショーネが台頭する以前はローマで
「……ああ。」
「組織はもともと、学のない少年少女たちを救おうという高潔な理想から生まれたものだ。しかし経営者に商才がなく、結局ローマの市民に黙認される形で、非合法なことを請け負う裏の組織となった。主な収入源は、賭博と売春宿と高利貸し。」
「……。」
「ローマの市民は寄る辺なき少年たちを慈しみ、ドゥエ・ステラはローマに愛された組織だ。しかし、厳しい現実の前には、いつしか理想は忘れ去られる。やがてパッショーネが台頭し、ドゥエ・ステラはゆっくりと経営状態が悪化した。ドゥエ・ステラは現在、金銭面で困窮している。君は、名前に誇りを感じるのかい?」
ジョルノは微笑んだ。
図書館内を静かな重圧が覆ったことを、モッタは敏感に感じ取った。
「……何を。」
強大な存在感にさらされながらも、モッタは気丈に歯を食いしばって返答した。
「名前に誇りを感じること自体は、決して否定しない。組織を誇りに思うのも、否定しない。しかし真に気高いのは、君たちの組織の原初の願いなのではないのかい?それは不遇をかこった見知らぬ少年少女の力になりたいという思いだったはずだ。……だが僕にも、イタリア裏社会の王としての立場と責務がある。そこは譲れない。パッショーネはイタリアの裏の王で、王が臣下に頭を下げればナメられる。王が甘く見られれば、法は効力を失う。それは社会が乱れる原因になる。」
ジョルノは一息ついて、続けた。
「光は常に、闇と共にある。世界は、光と闇が融和して成り立っている。闇の無い光だけの社会には、その先に破綻が待ち受けている。……君たちには、パッショーネの闇を支えてほしい。代わりに僕たちは、君たちのために仕事を斡旋し金銭を対価に支給しよう。僕がこの場にいることが、パッショーネの誠意だ。王として僕が譲れるのは、ここまでだ。」
王威を纏い、ジョルノはモッタに静かに宣言した。
そこには、巨大な存在感を放つ黄金の太陽が存在した。
「……ここまでだな。」
ロベルト・モッタが静かにつぶやいた。
「オヤジ!」
「……時代は先に進んでいる。もとはパッショーネが原因ではあったが、残念ながら我々の組織は早晩沈む船だったということだ。歴史は大切だが、今を生きている人間に優先されるべきではない。組織の他の人間には、もう俺から話しをしている。パッショーネが我々の新たな船を建造するのを手伝うと言ってくれるのならば、今乗っている船を捨てて我々の新たな形を模索しよう。」
サーレーはそっと、図書館を退出した。
あとは偉大なる
父子も観念している様子だし、万が一彼らがトチ狂って武力に訴えてもジョジョは簡単にやられるほど弱くない。護衛としてシーラ・Eもたった今入れ替わりに図書館に到着した。彼女はスーツを着て互いの組織の関係を明文化する盟約書を持参している。ここからは、両組織間の正式な同盟締結の場だ。
「アンタ、最近優遇されすぎじゃない?」
シーラ・Eがすれ違いざまにサーレーを睨んだ。
「それだけ信頼されてるんだよ。」
サーレーの鼻息は荒い。
「調子に乗んな!」
「……おおおおお……テメエッッッ!!!」
サーレーの言葉とドヤ顔にイラついたシーラ・Eは、真正面からサーレーの股間を思い切り蹴り上げた。
それはクリーンヒットして、サーレーは悶絶して図書館の床に転がった。
「フン。調子にのるからよ!」
シーラ・Eはそのまま、ジョルノの横に護衛として寄り添った。
痛みも過ぎると、それは時に快感へと変わることがある。
それはどちらかというと、開けないほうがいい扉だ。決して天国への扉ではない。
……サーレーが新たな性癖に目覚めないことを、ただただ願おうか。
◼️◼️◼️
サーレーはミラノ行きの特急列車の中であくびをした。
股間はまだ痛むが、徹夜明けの眠気の方が強い。
それにしても、シーラ・Eはもう少し加減と淑やかさを身につけた方がいい。
サーレーは愚痴を心で呟きながら、列車の座席を少し倒して目をつぶった。
やがて彼は唐突に目を開け、ジョルノに渡された封筒を確認して中身をあらためた。
100ユーロ紙幣が三枚。サーレーはニンマリした。これでスマートフォンが手に入り、モテモテだ。
……待てよ。スマートフォンにこれを全額使ってしまったら、明日からの食費はどうすればいいだろうか?
……そうだ。いい考えがある。
チンピラは、なかなか懲りないゆえにチンピラなのだ。
◼️◼️◼️
ジョルノの携帯が鳴った。着信先はホル・ホースだ。
「どうしたんだい?」
『サーレーのヤローがまたカジノに来ています。またもや散財しているみたいですが……どうしましょうか?』
「……うん、どうしようか。」
ジョルノはネアポリスの図書館で、部下のアホさ加減にため息をついた。