噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
その日、サーレーは自宅でなんとも言えない空虚さを感じていた。
いや、違う。断じて気のせいだ。
サーレーはそれを断固否定する。
以前のように広くなった部屋、静かで落ち着きを取り戻した空間で、サーレーはテレビを眺める。
手元の氷の入ったグラスから、麦茶をすすった。
『フィレンツェのホテルで心臓麻痺で変死体として発見された男の部屋から、複数の女性の頭部が見つかりました。警察は、死体遺棄の容疑で捜査を進めておりーーーー』
ニュースだ。つまらん。チャンネルを変える。
『ミラノクラブチームの中盤の選手が試合を支配していると言ってもいいでしょうね。ローマクラブチームは手も足も出ていない現状です。これはすごい若手選手が出てきたものです。来季の移籍市場が楽しみですね。ーーーー』
フットボールの試合だ。つまらん。チャンネルを変える。
『あなたは私の下に帰ってきてくれた。おお、◯◯よ。あなたはなんて素晴らしいのーーーー』
歌番組だ。つまらん。サーレーはテレビを消した。
トリッシュちゃんが、引っ越しを済ませたズッケェロのクソヤローに引き取られていった。ほんの少し、つま先の先っぽくらいは、寂しい。
あくまでもほんの少しだ。ズッケェロが引き渡しを要求してきたとき、ウッカリ全力で拒んでスタンドバトルに発展してしまったことなど、断じて気のせいだ。そんなことなど、絶対に有り得ない。
サーレーは自分の若干腫れ上がった顔面を、撫でた。
穏やかな日曜日の昼下がり。こんな時は、ファーレ・ラ・シエスタ(昼寝)でもして、気分がムシャクシャするのを忘れてしまうのがいいかもしれない。サーレーは床に横になり、ウトウトと微睡んだ。
ーープルルルル……。
チッ。電話がかかって来やがった。ムーロロからのようだ。無視するわけにもいかない。
「……何の用だ?」
『アン?どうしたオメー?また随分と不機嫌だな?』
電話口のサーレーの声は低い。
「気のせいだ。それより何の用だ?」
『仕事以外にねえだろ?今度、パッショーネの外交部門の幹部、ロッシさんがイングランドに飛ぶことになった。お前はロッシさんに付き添って、護衛を行え。』
イングランドとは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国のうち、グレートブリテン島の南部凡そ3分の2を占める地域である。当然フットボールが盛んで、これから先々の時代、イタリアよりも伸びていくだろうと目されていた。パッショーネとしては、なんとしても現地のチームと友好関係を築きたい。
「まあそれは構わんが、なぜその仕事が俺のところに来たんだ?」
サーレーもチョコチョコ護衛任務をこなしてはいるが、基本的には畑違いである。
『ああ、それはちょっと面倒でな。シーラ・Eがいるだろ。』
「あいつがどうしたんだ?」
ムーロロの話は未だ要領を得ない。
サーレーは首を傾げた。
『それがよお。ちと面倒な話なんだが……アイツが伸び悩んでいるんだよ。カラを破れないっつーか。』
「意味がわからんぞ。もうちょっとストレートに言えんのか?」
『まあわかりやすく言うと嫉妬して、劣等感を感じてるんだよ。』
「ハア?」
意味がわからない。
よしんばシーラ・Eが嫉妬しているとして、なぜそれがサーレーに護衛任務が回ってくることになるのだろうか?
『お前らだよ、サーレー。アイツはまだ伸び代があるのになかなかカラが破れない。一方下っ端のカスだと蔑んでいたお前はどんどん成長している。ああ、首切りの件の仕事は見事だったぜ。』
ムーロロは彼のスタンド、オール・アロング・ウォッチタワーでサーレーの仕事ぶりを観察していた。
「仮にそうだとして、なぜ俺を?」
『お前は察しがワリーなあ。シーラ・Eがロッシさんの護衛に立候補したんだよ。自分も組織の役に立つんだと、功を焦ってるんだ。今のアイツは危なっかしいが、逆に言えばアイツが成長するチャンスでもある。人間の成長とは、その多くを人との〝出会い〟が占めている。俺はジョジョと出会って成長したし、フーゴの野郎やお前だってそうだ。だからお前なんだよ。シーラ・Eをフォローして来い。場合によっちゃあ、あいつの成長に繋がるかも知れねえ。それがジョジョからの指示だ。』
「そんなこと言われても、俺は英語が喋れんぞ?」
頭の悪いサーレーは、当然語学に疎い。
英語?なにそれおいしいの?状態である。
『構わん。付いていって、お前のやれるようにフォローをして来い。それと簡単に仕事の背景を説明しておく。』
「ああ、頼む。」
『仕事内容は、当然パッショーネの利益のための外交だ。パッショーネのフットボール部門にイングランドの橋頭堡を築く。交渉相手は、ロンドンの【クイーンズ・ロンドン】というチームなんだが……。』
「なんかあるのか?」
『ああ。現地のチームでもどうやら意見が割れているようだ。パッショーネと協力するべきだと言う意見と、これまでのようにするべきだと言う意見がある。』
「敵か?」
『いいや、そいつらは決して敵じゃあねえ。そいつらはそいつらで現地のフットボールクラブと長年宜しくしてきたという歴史があるんだ。パッショーネと手を組んでも利益を吸い取られるだけだと、恐らくはそう考えている。そいつらはパッショーネより先に、フットボールでメシを食ってた奴らだ。先達には敬意を示さないといけねえ。だが、先々のことを考えるとイングランドはパッショーネとしても外せねえ。護衛チームには幹部候補生としてフーゴの野郎も付いていくが、俺たちはそいつらを虐殺したいわけじゃあねえ。共に未来を築いていくのが目的だ。だからフーゴにスタンドを使わせるつもりは、微塵も無え。フーゴのスタンドは加減が効かねえんだ。』
サーレーは頭の中で簡易の構図を纏める。
パッショーネはイングランドのチームと手を組みたい。
イングランドのチームはパッショーネと仲良くするべきだと言う派閥と、そうでないと言う派閥に割れている。
シーラ・Eは功を焦っている。
「なるほど、理解した。ズッケェロも連れていく。いつからだ?」
『来週の木曜にミラノ・リナーテ空港を発つ。幹部のロッシさんの電話番号を教えておく。今日中に連絡を取っておけ。』
「了解した。」
さて、ズッケェロのやつに話をしないといけないが、まだちょっと顔が合わせづらいな。
サーレーはそう、考えた。
◼️◼️◼️
『了解だ。今度こそロンドンの夜の街を堪能してやるぜ。』
「長期間イングランドに滞在する可能性があるぞ?トリッシュちゃんは大丈夫なのか?」
『なんだ?やっぱテメー、トリッシュちゃんの素晴らしさに気付いたんじゃあねーか。問題ねーよ。となりに住んでるババアが家を長期間空ける時は預かってもいいって言ってくれたんだ。ババアも猫を飼ってるみたいだしよー。そのババア、俺がファーストフード食ってたら栄養が足りて無いとか怒ってメシを作って勝手に置いてくんだよー。』
いつの間に?
ただのチンピラだったはずの
サーレーは謎の敗北感に襲われる。いっそ俺も何かペットを飼ってみようか?
相棒との電話が終わったサーレーは、さらに幹部のロッシに電話をかける。
「もしもし、今回護衛を指示されたサーレーです。」
『ああ、君がサーレーくんか。シーラ・Eから話は聞いてるよ。今回の護衛は、頼むよ。』
電話口の声は好々爺としている。恐らくは年配の方だろう。
結局のところ、世間でも裏社会でも真っ当に地位を築くには長期間の努力と忍耐が必要なのである。
サーレーはこの世の真理をひとつ、理解した。若くして成り上がりは甘い夢に過ぎない。
ジョルノは若くして成り上がったのだが、それはサーレーには秘密にしておきたい。
「ええ、お任せください。何か必要なものとかはありますか?パスポートとか?」
『いや、いらんよ。パッショーネ専用のプライベートジェットで行くからの。空港も組織の息がかかった人間はたくさんおるし、パスポートも必要ないわい。ジョルノ様はすごいのお。私らが今後の組織の要じゃとかおっしゃって、ポンと買ってくれたわい。』
マジか。
プライベートジェットをポンとって……。まあ今さらそれくらいで驚いても仕方ない。
「わかりました。それでは木曜日に、ミラノ・リナーテ空港に向かいます。」
『出発は午前11時からじゃからの。遅れてはならんよ。』
「はい。」
サーレーは、電話を切った。
◼️◼️◼️
「ジェット旅客機じゃねーかッッ!!」
「うるせーぞ、サーレー。ちったあ静かにしやがれ。」
「恥ずかしいわね。旅客機も見たことないの?」
木曜の麗らかな午前中、ミラノ・リナーテ空港にサーレーのツッコミがこだました。
リナーテ空港にあるパッショーネ専用のジェット機は、100人くらい乗れそうな大きさのジェット旅客機である。嘘だろう?
ズッケェロとシーラ・Eは平然としている。
……コイツら、わかってねーのか?あれが一体いくらすると思ってんだ?
そもそも百人も、一体誰を乗せるんだ?ランニングコストもバカにならないんだぞ?
サーレーの心のツッコミに、幹部のロッシがサーレーの疑問に答えた。
「ああ。まあこれは私も疑問だったんじゃが、これは経営の悪化したとある航空会社からの払い下げ品らしい。パッショーネの経理が予想以上にうまくいっていて、ジョルノ様がおっしゃるには
ヨーロッパでは長年社会を上手に形成するために、特権を持つ人間は模範的に振る舞い、社会に金銭的な貢献を行うようにするという習慣を大切にしている。
法的な強制力は一切持たないが、これを無視すると大勢に後ろ指を指されることになる。これは案外、馬鹿にできない。
いざとなったら捨て値でリナーテ空港に入っている航空会社にでも売り払えば良い。
「アンタ下っ端なんだから、細かいことは気にしなくていいわ。」
「そうだぜサーレー。」
ズッケェロは相変わらずだ。
コレを買わなければ、組織の人間の給与に回す金が増えるかもしれないんだぞ?
こんなものを買うくらいなら、給料を上げてくれないだろうか?
サーレーは心の中で、そっと願った。
残念だがそういうことにはならない。
パッショーネはサーレーたちの給料を削って組織を運営することはあっても、組織の資産を削ってまでサーレーたちの給料を上げることはよほど貢献度が高くない限りあり得ないのだった。
◼️◼️◼️
サーレーの右隣の席には、パンナコッタ・フーゴが座っている。
広い機内に座っているのはたったの12人。サーレーとズッケェロ、シーラ・E、フーゴ、ロッシ、彼の部下の外交部3人、あとはサーレーの知らない護衛が4人である。
サーレーの左に座っているズッケェロはすでに寝こけている。
サーレーは右隣のフーゴの表情をチラリと伺った。無表情だ。なにも読み取れない。
フーゴは、大量虐殺の能力を持っているという噂がある。詳細は知らない。あくまでもただの噂だ。
しかしそれが事実だとしたら、ボスはなぜ彼を幹部候補生にしたのだろうか?
使用もしていないスタンドの能力が判別できるとは思えない。事実であれば、フーゴはきっとどこかで大量虐殺を行った過去があるはずだ。
無差別の大量虐殺なんて、パッショーネの理想からは最も程遠いところにある。
「さっきから僕を眺めているようだが、なんか用でもあるのかい?」
「いや、たまたまだ。外が気になるんだよ。気に障ったようなら謝罪するよ。」
「外の風景を見たいんだったら、乗り込んだ時に窓際に座るべきだったな。」
「ああ、その通りだ。」
かつてパッショーネ幹部のポルポは『矢』を使って入団試験を行っていた。
実はヨーロッパには矢の本数は多い。一介の幹部が矢を与えられていたくらいである。
若い頃のディアボロはエジプトで矢を発掘して力を得たが、実は矢はそれだけしか存在していなかったわけではない。
矢がパッショーネだけの特権だったのならば、パッショーネはヨーロッパ全土で傍若無人に振る舞っていただろう。だがそうではない。
パッショーネはヨーロッパで強力な組織だったが、実は他の国にも同じような組織があり、そこにも少数ながらスタンド使いは所属している。彼らはパッショーネがやり過ぎないようにする対抗力だ。
フーゴは組織の入団試験でスタンド使いに目覚めたのか?それとも生まれつきなのか?噂は事実なのか?
なぜ彼をボスは重用しようとしているのか?
サーレーは生きているうちに覚えていたら、いつかボスに聞いてみようと思った。
◼️◼️◼️
【以上に説明したのが私たちの新たな形です。我々としてはあなた方の利権を侵害するつもりはない。うまく共栄できると確信している。】
【そうであれば良いのですが。私たちにしても、パッショーネの話は無視するというわけにはいかない。だが下の人間に不安を感じている人間が多いことも理解してほしい。】
【それは当然の話だ。不安は軽く見るべきではない。しかし時勢というものもある。】
【それは確かにそうでしょう。しかし老害と言われようと、革新的なだけでは組織は運営できない。慎重に吟味することも必要だ。】
「オイ、話し合いはどうなってるんだ?」
「またかッッ!僕は君の専属の通訳じゃあ、ないんだぞッッ!!」
「そういうなよお。どうせお前も暇だろ?」
「僕は交渉のやり方を見習いに来たっっ!決して暇じゃあ、ないッッ!」
話し合いはロンドンにあるクラブを貸し切って行われた。
交渉の席にはパッショーネ側にロッシを中心として4人、向こうからも4人。
周囲に互いの組織の護衛が交渉の席を見守っている。
柄じゃあないが、正式な交渉の席に普通の服では当然、相手組織に対する敬意が足りない。そのあたりの配慮が足りてないのも、サーレーとズッケェロの二人がチンピラたるゆえんだった。
今日は珍しくサーレーとズッケェロも黒いスーツを着ている。さすがにシーラ・Eが予想して、前もって用意していた。
ズッケェロはさっきから頻繁にフーゴに交渉の内容をコソコソと問いかけている。退屈なのだろう。相手に舐められないといいが。
交渉の手応えはあまり感触はよろしくないらしい。
サーレーは相手の護衛を見た。きっと皆スタンド使いだろう。
ヨーロッパで歴史のある組織の多くは、秘密裏にどこかから矢を入手し、代々保管してきた。
矢は本来ならば、スタンドの才能がある人間を自分から選ぶ。
パッショーネにスタンド使いの数が多いのは、ディアボロが誰彼無く節操無く矢を使用したせいである。
ーーアイツが護衛のリーダーかな。
ひときわ体のデカイ男がいる。短髪でなかなかコワモテの男だ。一見すると軍人に見える。
スタンド使いの実力に体の大きさはあまり関係ないが、他の護衛がそいつに気を使っているようにも見える。
【ふー。とりあえず今日はここまでですかな。続きはまた明日話し合いましょう。お互い若くはない身です。あまり無理はいかんし、明日にはいい案が思いつくかもしれない。】
ロッシが笑いながら言った。
【ホテルまで送りましょう。】
相手の護衛の一人が言った。
ホテルは相手の用意したものだが、断って気分を害するべきではない。パッショーネ側としては何としても上手く行かせたい交渉の席だ。
万が一罠が仕掛けられていたとしても、そのためにサーレーたち護衛チームはいるのだ。
【お願いしましょう。】
パッショーネの面々は、クイーンズ・ロンドンの出した車に乗った。リムジンだ。
二台に分けられ、こちらの車にはロッシとその部下の一人、シーラ・E、サーレー、ズッケェロ、知らない護衛の男が乗った。
車はロンドンの一等地にあるホテルの前に停められる。高層の立派なホテルだ。相手チームの持ち物らしい。
「アンタらには縁がない立派なホテルね。最初で最後よ。交渉について来てよかったわね。」
「事実だろうけどよォー。わざわざ言うことか?」
サーレーは黙っている。シーラ・Eは嫌味を言って、ズッケェロがそれに反応した。
◼️◼️◼️
「しっかし、これって退屈だな。どうにかならんのかね?携帯ゲーム機でもありゃあ、時間が潰せるんだがね。」
「……静かにしろ。ゲームなんぞしていたら、護衛にならんだろうが。」
サーレーとズッケェロは外交部の人間の部屋の前に立っていた。
護衛だ。何か異変があったら渡された無線でチームの仲間に連絡する。
外交部の人間は、二人ずつ二部屋に別れた。
護衛も一部屋に二人ずつ。常時四人の二交代制だ。だから護衛を八人連れて来たのかと、サーレーは納得した。
交渉の期間が長引くほど、この退屈で面倒な任務の期間は長くなっていく。勘弁していただきたい。
せめてあと四人護衛がいたら三交代制にできたのに。パッショーネは変なところでケチでブラックだ。労災保険も、多分ない。そのくせに人件費の概念だけは、いっちょまえだ。
フーゴも幹部候補生ながらまだ下っ端なので護衛を兼ねている。
まさかパッショーネを襲撃するようなバカはいないとは思うが、、、。
まあ自分の役目はとりあえずあと8時間くらいある。はっきり言ってかなり退屈だが、文句を言っても始まらない。
交渉の席は昼の12時〜16時。その時間帯を全員で護衛して、残りの時間を二交代制だ。
16時〜2時と、2時〜12時だ。サーレーたちは2時〜12時まで護衛してそのまま交渉の席に同行する。
シーラ・Eやフーゴなんかは、交渉の席を護衛したあとそのまま部屋の護衛を行う。
サーレーは手持ち無沙汰を思考で潰した。
サーレーとズッケェロは、もともとはローマのチンピラだ。
いまミラノにいるのは、ボスの指示である。暗殺チームでイタリア全土、場合によっては国外にも派遣するというその特性上、ローマよりも交通の便がいいミラノに拠点を移ることを指示された。ミラノはイタリアの交通の要所だ。現在、組織の暗殺チームはサーレーとズッケェロしかいない。
ボスはどう考えているのだろうか?とりあえずはおっかなびっくり指示されたことに従ってはいるが、、、。
サーレーは知らない。
前任の暗殺チームがボスのディアボロに反旗を翻したのは、暗殺チームが冷遇されていたことが原因である。
裏社会の組織の起こりがスタンド使いの犯罪者への対応のためであり、表社会の安定のためだということは以前説明した。
裏社会の組織は、フーゴやナランチャのような表社会で足を踏み外した人間たちの救済を行い、麻薬チームのマッシモ・ヴォルペや、グリーンデイのチョコラータのような危険な人間を抑え、なにかの手違いでスタンド使いに覚醒した人間を導いてきた。
刑務所の本質は、犯罪者に罰を与えるものではなく、犯罪者を社会に適合できるように矯正するためのものである。裏社会の組織の理想も、実は似ている。しかし長い年月を経ると、現実の前に理想は忘れ去られてしまう場合が多い。
ジョルノは核心を突いている。ジョルノに暗殺チームを軽く扱うつもりはない。彼らはパッショーネの〝処刑人〟だ。
しばらく前までのディアボロが治めるイタリアでは、抗争という形で問題のあるスタンド使いの命は消費されてきた。彼らの多くは顕示欲が強く、勝手に似た者同士で問題を起こし、己の実力を過信して自分から死地へと飛び込んでいった。かつてのサーレーやズッケェロも、そちら側だったのだろう。
だが、パッショーネはイタリアの裏社会を安定させた。抗争は起こらず、スタンド使いは死なない。処刑場の執行人チームは壊滅している。
だから、パッショーネが裏社会の浄化を行なってもそれだけでは実は問題は解決されない。逆だ。
以前から社会で、パッショーネが必要とされ続けてきた根拠である問題が表面化することになる。
4部の杜王町、虹村形兆と吉良吉廣のたった二人が矢を持っていた時でさえ、杜王町で毎年行方不明になる人間は他の都市に比べてはるかに多かった。
冷酷なスタンド使いの殺人鬼が複数潜伏し、吉良吉影や片桐安十郎などは更生のしようがなかった。平穏とかうたっておきながら趣味の殺人を繰り返したりしている。そうでなくとも人間的に問題があった間田敏和や虹村形兆など、彼らはそのことごとくがスタンド使いである。
ヨーロッパは杜王町より矢の本数が多い。石仮面という脅威も存在した。悪魔の手のひらによって目覚めるスタンド使いもいる。
たとえそれらをどれだけ厳重に管理したとしても、水は何処からかは漏れるものである。いつの時代もどこからともなく不穏因子は現れ、彼らは社会を掻き乱す。
組織には、武力が必要である。
◼️◼️◼️
【ふざけんなッッ!テメエッッ!表に出ろ!!】
【アン?本当のことを言って何が悪い?】
「アイツらなんて言ってるんだ?」
「多分、概ね君が予想している通りだよ。」
シーラ・Eが、相手の護衛チームのリーダーらしき男に突っかかっている。
遠巻きに両組織の護衛チームが呆れるように眺めている。まさか、本気で抗争するつもりでもあるまい。
フーゴはズッケェロの通訳を断った。
ことは単純である。相手の護衛チームがパッショーネの護衛チームのリーダーであるシーラ・Eを弱そうだと侮辱した、それだけだ。シーラ・Eが流せばそれまでの話である。
だが、彼女は焦っている。自分の立ち位置を確保しようと躍起になっている。自身の立っている場所が、今の彼女にはひどく脆く不安定に思える。下に見ていたはずの人間の猛追され、本人の判断が必要とされる難しい任務もあまり任されない。
シーラ・Eはジョルノの信奉者であるが、相手がジョルノの敵であっても彼女は自分より正しいと感じてしまった人間と戦えない。
彼女の心には〝矛盾〟がある。それが彼女の枷となり、成長を妨げてきた。
彼女は普通の感性の人間で、殺人に忌避を抱いている。本来ならば平凡に人生を過ごして、どこかできっと幸せになっていただろう。
それがパッショーネにいるのは、殺された姉の復讐を決意したためである。正しいことを信じながら、彼女自身は正しくない復讐殺人を行おうとしていた。社会の平穏と安寧を願いながら、それを乱そうとしていた。
それは矛盾だ。だが、殺人鬼のイルーゾォはスタンド使いで、表社会では裁かれなかった。苦渋の決断ではあった。しかし、それは決して正しいとは言えない。彼女の心を正しいこととそうでないことがかき回した。
シーラ・Eは矛盾に気付かない。彼女が復讐を決意したのは、彼女が自分の憎しみと姉への愛という感情に素直に従ったためである。感情と理性は、しばしば相反する。彼女は感情に従っておきながら、表向きは理性を己の感情の上位に置いている。理性では社会の正しさを信じながら、その実は己の感情に従って動いている。なにが自分の本音と建て前なのか気付いていない。
そのせいで、相手がそれらしい正論を振りかざせば相手は自分より正しい人間なのだと感じ、尻込みをしてしまう。相手に精神的に負けたら、スタンド使いは勝てない。
ジョルノを信奉してはいるのだが、ジョルノは姉を殺した憎いイルーゾォの所属していた暗殺チームを復活させようとしている。そればかりか暗殺チームの所属者の、サーレーはスタンド使いとして目に見える成長を遂げている。
シーラ・Eは悩み、苦しんだ。いっそジョルノにぶち撒ければ解決しただろう。
なぜ暗殺チームなどパッショーネに必要なんだ!!ジョルノはきっと、その疑問に丁寧に答えただろう。
だが彼女はソレをしまい込み、我慢した。ボスは偉大だ。ボスの行動にはボスの、彼女の想像つかない理由があるはずだ。
そしてそれは、彼女の精神を不安定にさせた。
「オイ、どーするよ?」
男とシーラ・Eは揉めた末、外へと向かっていく。時間はもうすぐ、交渉が開始される時刻だ。
交渉の護衛にもかかわらず交渉の席を離れるのは護衛失格だろうが、そこは裏社会、このテのトラブルは昔から付き物だ。
ズッケェロはサーレーに問いかけた。
「仕方ない、か。俺が念のために見ておくよ。お前らは護衛をしといてくれ。」
サーレーはパッショーネの他の護衛たちに告げた。
「そうするか。じゃあ任せるぞ。」
護衛の名も知らぬ男が言う。
重要なのは、交渉の席が守られることだ。シーラ・Eは捨て置いても構わないかもしれないが、仮にも親衛隊でボスのお気に入りだ。一人くらいは付けておいた方がいいかもしれない。
サーレー一人を残して、他の護衛たちは交渉の席へと向かう。サーレーはシーラ・Eと男が向かった場所へと赴いた。
◼️◼️◼️
男の名はジャック・ショーン。クイーンズ・ロンドンの親衛隊長で
モハメド・アブドゥルのマジシャンズレッドに似たタイプだが、シンプルなこの手のスタンドはシンプルに強い場合が多い。
ホテルの近くにある倉庫で、二人は向かい合う。
【テメエッッ!訂正しろッッ!テメエらごときに私が侮辱されるなんざ、許せないッッ!】
【なにマジになってやがる?落ち着けよ。弱い犬ほど吠えるモンだぜ?】
ジャックはニヤニヤ笑って挑発している。
ジャックは、仕込みだ。
クイーンズ・ロンドンはパッショーネと抗争するつもりはこれっぽっちもない。相手の総合力は理解している。クイーンズ・ロンドンよりも上だ。
だが、尻尾を振る犬のように素直に従うつもりもない。交渉をなるべく有利に進めるために、仕込みを行う。それがクイーンズ・ロンドンの親パッショーネ派と反パッショーネ派が話し合った結果出した結論だ。
護衛チームのリーダー、ジャックはクイーンズ・ロンドンの虎の子のスタンド使いだ。彼らが絶対的に信頼を置いている。
スタンドは強靭で、忠誠も厚い。
これはあくまでも私闘で、組織同士の戦いではない。結果いかんに関わらず、組織とは一切関係ない。それは建て前だ。
相手に彼らの強さを見せつければ、彼らの交渉は有利に運ぶ可能性が高い。相手の護衛チームのリーダーを軽くあしらったとなれば、パッショーネの外交部はクイーンズ・ロンドンのスタンド使いの強さに尻込みするかもしれない。
ジャックは長くクイーンズ・ロンドンの一員で、組織に強い忠誠を誓っている。
彼は若い頃、軍関係の学校で誤って同僚を殺害し、人生がどうにもならなくなっていた。
年齢は30前半で、もう組織に在籍して20年近くにもなる。家庭もあるし、子供もいる。
彼はその人生の長い時間を、組織に支えられ続けてきた。彼は組織に恩を返したい。
【吐いた唾は飲み込めないわよッッ!】
【なんだ?結局やるのか?口だけだと思ったぜ。】
激昂気味のシーラ・Eに対し、ジャックは一切泰然とした様子を崩さない。スタンドは本体の精神状態に左右される。
サーレーはそれを離れて眺めている。
【ブードゥー・チャイルドッッ!!】
【ラフィング・プレイヤーッッ!!】
二人のスタンドが可視化された。
シーラ・Eのスタンドは人間大のトカゲに若干の動物味を加えたような見た目をしている。ジャックのスタンドは鎧を着たしなやかな曲線を描く人間のような姿で、色は全身が赤、口元は不思議な国のアリスのチェシャ猫のように笑いが象られ、目に縦縞が入り、頭髪が炎のように逆立っている。
ーー典型的な近距離パワー型。男のスタンドはシーラ・Eのスタンドをパワーとスピードで上回っている。能力は、炎を口から吐く能力か。
戦いが始まり、サーレーは冷静に戦いを分析している。
相手はパワーが強く、頻繁に口から放射される火炎にシーラ・Eは手こずっている。シーラ・Eは劣勢だ。
【エリリィッッッ!!!!】
【フンッ。】
シーラ・Eのスタンドの拳がジャックの肩を掠めた。相手の肩から唇が浮かび上がった。
ーー悪手だな。
シーラ・Eのブードゥー・チャイルドは唇を作り出し、陰口を聞かせる能力である。
人間に使えば、相手に唇が浮かび上がり、深層心理の罵倒をする。精神の弱い者は、己の汚さを直視させられて耐えられずに死亡する。
しかしそれは、実は格下相手にしか効果がない。
真に強いスタンドの本体は、精神的な強者である。精神的な強者は、ヴラディミール・コカキのようにとっくに自身の試練など乗り越えている。
『お前は人殺しだ。組織以外に居場所がなく、みんなから嫌われている。社会の害で、消えてしまうべき存在だ!』
【これがお前のスタンドか?つまらん能力だな。それくらい自分で理解している。人殺しの俺が今生かされているのは、組織の御慈悲だ。組織のおかげで、俺はしあわせな人生を歩めているッッ!俺はクイーンズ・ロンドンのために戦うし、家族さえ守られるのならば何ら問題ない。未練がないわけではないが、組織のためになるのならば死んでも本望だ。】
ジャックは僅かも揺るがない。シーラ・Eは勝てないだろう。
ジャックの精神は岩のように強固で、突き崩す余地がない。スタンドの基本スペックも相手が上。
【この程度かッッッ!】
【チッ、クショウ!!!】
シーラ・Eは押されている。相手の拳を防御し、丸くなっている。打ち崩す策もなさそうだ。敗北は時間の問題だろう。
相手のスタンドの拳で吹っ飛ばされて、二人のスタンドの距離が開いた。
サーレーは考えた。
相手は、シーラ・Eの命までは奪うつもりはないだろう。まさか大規模な抗争を起こす気でもあるまい。ほっといてもいいのかもしれないが……。
「だが、断るッッッ!」
「サーレー!アンタなんでッッ!?」
【なんだテメエは?】
サーレーは二人の戦いに割り込んだ。シーラ・Eとジャックの中間地点に立つ。
サーレーは大きな声で宣告した。
「単純にッッッ!!気に喰わないッッ!!パッショーネの仲間が負けるのもッッッ!!舐められるのもッッ!!仮にも上司であるシーラ・Eが痛めつけられるのもッッ!!」
「これは私の戦いで、組織とは関係ないわ!組織に泥は塗れない。アンタは引っ込んでなさい!」
「断るッッッ!!理屈の問題ではない!」
【なんだテメエは?】
ジャックのスタンドは息を吸い込み、割り込んできたサーレーに火炎を放射した。
サーレーはそちらに目をやった。
サーレーは以前より、クラフト・ワークを深く理解していた。理解することはスタンド使いの最大の強みだ。スタンドはできると理解すれば、それはできることになる。
HB のエンピツを片手で折ることができるのが当然だと理解するように。
スタンドに必要なのは、理解である。
◼️◼️◼️
ーーチッ、ヤっちまった。
ジャックは、失態を犯したと思った。
サーレーはスタンド使いだと判断して攻撃したが、炎に飲み込まれていった。護衛任務を任されるくらいだから、避けるか防御するかくらいはできる使い手だと判断したのだが。
私闘とはいえ殺害するのはやりすぎだ。下手をしたら相手組織との抗争になるかもしれない。そうでなくとも、交渉は有利に運べないだろう。
交渉とは、相手の弱点を突いて有利に運ばせるものだ。自分たちに失点を作るべきではない。
予定外の事態にどう行動するべきか考えあぐねる。
しかし、ジャックをさらに予想外のことが襲った。
「周囲の外気温を〝固定〟した。侵食する炎は周囲の空間と熱平衡を起こしても、気温は変わっていないという矛盾を引き起こす。スタンド同士が矛盾を起こした場合、勝つのはスタンドパワーの強い方だ。」
【ナニッッ!?】
サーレーは、燃え盛る炎の中から平然と出てきた。火傷ひとつない。
ジャックは驚愕して固まった。周囲の炎はサーレーに吸い込まれるように瞬く間に消えていく。
サーレーはシーラ・Eの火傷跡に手を当てた。
「周囲の水素と酸素の原子を〝固定〟した。」
「サーレー、アンタ……。」
空気中を動き回る酸素と水素の原子は固定され、結合し、凝結し、凝固した。
シーラ・Eの火傷痕を薄い氷の膜が覆った。
「アイツのスタンドが周囲の酸素を食いつくしたせいでこの程度しか出来ないが、あとは自分で処置しろ。さて。」
サーレーは固まっているジャックへと振り返った。
「シーラ・E。通訳してくれ。『俺たちは敵じゃあないから、ここまでだ。俺たちは護衛に戻る。あとは上の人間同士の戦いだ。』」
「……嫌よ。」
「オイ、それじゃあ締まらんだろうがッッッ!」
二人は交渉の会場へと戻っていく。
しばし唖然としていたジャックは、慌てて二人の通った後を追いかけた。
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それからさほど日数を経たずして、交渉は終了した。
パッショーネ側の落とし所としては、ソコソコの結果だということだ。
サーレーたちは今、イングランドからの帰りのジェットに乗っている。コレ、誰が運転してるんだろ?
サーレーは今更ながら、疑問に思った。
「サーレーッッ!アンタなぜ私の戦いに割り込んだの!!」
シーラ・Eはうるさい。無視。
「答えなさいッッ!」
耳栓があればよかったのに。ヘッドフォンで音楽でも聴いとこうか?
周囲の人間は我関せずだ。正しい。ズッケェロに至ってはイビキをかいている。
「ヘッドフォンを取りなさい!アンタなんで……。」
「だから答えたろうが。単純に俺が気に食わなかっただけだよ。組織のメンツとか私闘だとか、お前は理屈を大切にしすぎだ。」
ヘッドフォンを奪われた。つくづく面倒なやつだ。
シーラ・Eの問題が大体理解できた。正しさにこだわりすぎだ。自分の正しさに自信がないから、劣等感による裏返しなのかもしれない。スタンドはそれを強く反映している。
そして自分よりも正しいと感じた人間には敵わない。
たしかに正当性があれば心強いだろうが、それがなくても人間は生きていける。
だから、相手の正当性を攻撃するスタンド能力なのだろう。それを使って姉を殺害した相手を見つけ出せたのは、むしろきっとそっちの方が副産物だ。
そして相手の正当性を揺るがせば勝利できると考えている。
実際は、そんなのは無関係に強い人間は強い。シーラ・Eがそこを開き直れれば、成長できるのかもしれない。
「私の問題よッッ!」
ヒステリックだ。
「あのなあー、お前、そもそも裏社会の人間に正しさを求めてどうすんだ?表の正しい社会に馴染まなかったから、俺たちは今ここにいるんだぞ?表じゃあ俺たちが不適合者だが、裏じゃあどっちかというとお前が不適合者なんだ。ゴミのような俺たちだって、生きてるんだぞ?」
「うッッッ!!」
「俺たちは気分で生きてるんだよ。なにかを築いたり出来るとも思えないし、明日の生も定かではないけれども、幸せだとか好き嫌いはあるし、気に食わなければ戦いで決着をつけたりする。お前もある程度は馴染むべきだぞ?テキトーに生きろ。paese che vai,usanza che trovi .(郷に入っては郷に従え)」
窓の外では雲が流れ、眼下には壮麗なアルプス山脈が見える。帰りは窓際の席だ。
帰ったらワインの香りを楽しんで、美味いもんでも食おうか?
サーレーは目を閉じて、ヘッドフォンから聴こえてくる美しい旋律に身を委ねた。
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本体名
ジャック・ショーン
スタンド名
能力
口から火炎放射を操る典型的な近接パワー型。単純だが故に強い。本体は長年、クイーンズ・ロンドンの親衛隊長としてイングランドの平穏に貢献している。