噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
ノルマンディー橋が爆破される直前、ローウェンはそれが爆弾魔リュカ・マルカ・ウォルコットの仕業であることを視認した。
リュカはローウェンが十年以上も前に仕留め、さらについ先日も姿を見せた際に確実に屠ったはずの敵だった。
先ほどまでローウェンが戦っていたディアボロとヴィネガー・ドッピオも、同様に死亡が確認されているはずだった。
下手を踏んだ。
復元能力を行使するヴィネガー・ドッピオは始末したが、ディアボロは情報を搾取するために僅かに生かしておいたはずだ。
しかしノルマンディー橋ごと何もかもが爆破されて、何も遺せない。橋上の何もかもは、流れる水面へと飲み込まれて消えていく。
予想以上に今回の事件は根が深く、危険性が高い。
仕留めたはずの敵が蘇って何度でも襲ってくるのであれば、先程仕留めたディアボロとヴィネガー・ドッピオもさほど間をおかずに蘇るのであろう。
その可能性はすでに裏社会の会議で検討されていたが、スタンド能力としてあまりにも荒唐無稽だったために他の可能性が優先的に議論されていた。いくらなんでも死者を蘇らすスタンド能力など有り得ない。それでは、まさしく神の所業ではないかと。なんらかのトリックがあるはずだ、と。
実際、厳密に言えばイアンのスタンド能力は死者を蘇らせているわけではない。イアンの能力によって、たまたま死者と極めて似通った人間を生み出しているのである。本人の細胞を利用して、本人と同じ記憶とスタンドを持つ人間を偶然に生み出している。それは結果として、周囲にとっては死者を蘇らせるのと同じであると言える。
ディアボロとドッピオ・ヴィネガー、そしてチョコラータ。それと関係性を持たないはずのリュカ・マルカ・ウォルコット。
全員、死んだはずの敵。その背後関係が見えて来ず、裏側に控えるスタンド使いの危険性だけが浮き彫りになっている。
イアン・ベルモットは遊んでいる。それが故にその明確な目的が見えず、対処が非常に難しい。
イアンが戦力を一箇所に纏めればより確実に大規模な殺戮を起こせるが、むしろイアンは自身の楽しみを優先して駒を動かしている。
目的も拠点もわからない、隠蔽能力に長けたスタンド使いとタチの悪い死者を蘇らせるスタンド使いを有する犯罪集団。考え得る敵の中で、最悪の部類と言っても良い。
ーーせめて情報を………。
敵は倒してもどこからともなく蘇る黄泉の軍勢。死人をいくら倒しても、無意味に終わる可能性が高い。
せめてそれだけは情報として残したい。敵の背後には、詳しい能力は不明だが死者をこの世に呼び戻す危険なスタンド使いがいる。
その敵を倒さねばどうにもならないと。その情報を遺せるだけでも、戦いに意味があったはずなのに。
積乱雲が消滅する際、強力な下降気流であるダウンバーストという現象を伴うことがある。
ノルマンディー橋がリュカの能力で消滅するその瞬間、せめてもの抵抗に爆風を避けるためにダウンバーストによって橋梁から空中に身を投げ出したローウェンは、薄れゆく意識の中でヨーロッパの安全を願っていた。
空中に投げ出されて川面へと落下していく。
ローウェンの体は、水飛沫を上げてセーヌ川へと沈んでいった。
◼️◼️◼️
「ようこそいらっしゃいました。マイフレンド!!!」
「あ゛?」
扉を蹴り開けたサーレーを庇うようにクラフト・ワークが拳を構えて臨戦態勢をとり、サーレーの背後に身を隠すように背後からホル・ホースが銃口を構えた。
そこそこの広さのある青白い部屋の中央にはサーレーの腰くらいの高さの手術台に寝かされたパンナコッタ・フーゴが、その奥には黒髪に無精髭を生やした白衣の男が両手を掲げてニヤついている。恐らくは外の惨状のせいだろう。サーレーはその男の表情に、不快感を感じた。
同時にホル・ホースが一切の躊躇をせずに、男に向けて銃弾を連射した。
「もしかしたら運命の出会い、ユアマイデスティニー。にも関わらず互いの自己紹介も無しに銃撃するとは、無粋ここに極まれり、マイフレンド。」
手術台の影から赤い人影が複数立ち上がり、ホル・ホースの銃撃に対する肉壁となった。
それはチョコラータが操る赤いカビに、脳を乗っ取られて操られた一般人だった。銃弾は赤い人影に着弾し、周囲に血液と肉片が飛び散った。
「テメエッッッ!!!」
「イアンッッッ・ベルモットッッッ!!!」
サーレーの大声に被せて、相手も大声を発した。
唐突に固有名詞を出した敵に、サーレーはその意図を掴みあぐねた。
「私の名前は、テメエなどではない!イアン・ベルモット!どうかお見知りおきを。そしてその辺にバラバラになって隠れている気持ちの悪い彼が………。」
「チョコラータだ。マイフレンド。」
どこからともなく、若い男の声がした。
いつのまにか床を這って人間の右腕がサーレーのもとに近付き、クラフト・ワークの腹部にはメスが食い込んでいた。
右腕をメスで分離し、カビで傷口を塞ぐ。体をバラバラに分解し独立した動きで攻撃を加える。
チョコラータの得意とする奇襲攻撃である。
サーレーは敵の奇想天外に過ぎる攻撃手段に戸惑い、クラフト・ワークのスタンド能力を発動し損ねた。
チョコラータの右腕はカサカサと、物影へと逃げていく。ホル・ホースは逃げるチョコラータの右腕に向かって、銃弾を連発した。
乾いた炸裂音とともに、銃弾は手術室の床に弾かれて跳弾した。
「歓迎するよ、マイフレンド。君の名は?」
笑いながら黒髪の男は、白衣のポケットからメスを取り出して人影の隙間から投げつけてきた。
クラフト・ワークの腕が素早く動き、メスは空中に固定された。
「死人に口なし。お前がそれを知る意味はない。」
距離を詰めるべく駆け出したサーレーの前に赤い人影が殺到し、それに気をとられた次の瞬間床から得体の知れない腕が伸びてクラフト・ワークの足首を握りしめた。
「それじゃあダメだよ、マイフレンド。言葉にしないと通じないさ。時間が足りない。愛が足りない。何もかもが足りていないのさ。私たちの間に、まだそこまでの絆はない。」
浮世離れした雰囲気でいい加減な口上を述べるイアン・ベルモットに、サーレーは敵は言葉が通じない相手であることを理解した。
「減らず口を叩くなッッッ………!」
部屋の隅に置かれた巨大な冷蔵庫の下からチョコラータの左腕が這い、拳銃を構えるホル・ホースの死角から襲いかかった。
ホル・ホースはそれに反応して銃撃するも逃げられ、どこからともなく現れたチョコラータの足が腹部に刺さるように蹴りを放っていた。
さらにチョコラータの右腕がホル・ホースの服を掴み、部屋の入り口付近にいたホル・ホースを部屋の中に引きずり倒した。
ホル・ホースは不気味な手足を銃撃しようと拳銃を構えたが、用を果たすとそれらは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「グッ………。」
「ホル・ホース!!!」
不気味極まりない。
青白い手術室の中を手足が独立して這いずり回り、さらに床と一体化した腕がサーレーの足首を掴んでいる。
サーレーは反射でラニャテーラを展開し、足首を掴む腕をクラフト・ワークの力で振り払った。
そのまま周囲にたむろする赤い人影に掴みかかり、床に倒して制圧した。
「これはこれは、さすがはマイフレンド。お強いことだ。」
イアンと名乗る男は、さり気なく距離を取りながらサーレーの立ち回りに拍手喝采で喜んだ。
クラフト・ワークは立ち上がって、勢いをつけてイアンに掴みかかった。次の瞬間、クラフト・ワークとイアンの間に床から機械のようなスタンドらしき存在が現れて、そのネジの瞳で値踏みするように見つめた。クラフト・ワークは攻撃対象を変更してスタンドに殴りかかり、スタンドはデタラメな方向に手術器具を投げ付けた。
「剪刀、スパーテル、持針器、鑷子。」
クラフト・ワークの視界の隅で、手術器具がコマ送りになって空中を移動していく。
サーレーは明後日の方向に投げ付けられた手術器具に猛烈に嫌な予感を感じ、攻撃を中止してそちらを優先して空中に固定した。
「マイフレンド、勘がいいね。それが正解だよ。私の部屋の中では、起こりうる事態のうち私にとって最も都合の良いことが起こる。」
サーレーは知らない。イアンの手術室には、たくさんの瓶詰めにされた薬物や劇物が保管されている。
デタラメに投げられた手術器具を放置すれば、それは必ずサーレーにとって都合の悪い事態を引き起こす。それがイアン・ベルモットのクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムの能力である。
「初顔合わせは、こんなものかな。それでは御機嫌よう、マイフレンド。次に私たちが出会うその時まで、その愛を温めておいてくれ。」
クラフト・ワークが飛散した手術器具に対応している隙に、イアンはバラバラにした体を回収したチョコラータを引き連れてドアを開けて奥の部屋へと逃げていく。イアンは人差し指を立てて、それを左右に動かしながら去って行った。
サーレーはイアンを追いかけて閉じたドアノブを掴んだ。開かない。
「おい、何をしてる?」
「ホル・ホースッッッ!!!入り口のドアを確認しろッッッ!!!」
イアンが出ていったばかりのドアは、近接パワータイプのクラフト・ワークが力任せにノブを回そうとしても開かない。
それに嫌な予感を感じたサーレーは、急いでホル・ホースに入り口のドアの開閉の指示を出した。
「何を言って………?」
クラフト・ワークは拳を固めてドアを殴るも、ビクともしない。
困惑したホル・ホースが入り口側のドアを開こうとするも、そこも開かない。
部屋の隅に設置されたモニターに、唐突に電源が入った。
【マイフレンド、さっきぶりだね。居心地はどうだい?】
ふざけた敵が、モニターに映し出された。白衣を着たネジの瞳を持つ機械仕掛けの怪物。非常にタチが悪い。
サーレーはモニターを無視して、まずは手術台に寝かされたパンナコッタ・フーゴの安否を確認した。
「………生きている。」
体温は温かく、心臓も鼓動している。息もしている。ただ、顔色が酷く悪く、やつれている。
胸部に突き立てられたフォークを抜いて、クラフト・ワークで止血した。
【無視はひどいなぁ。悲しいなぁ。私たちの友情は、こんなものだったのかい?】
モニターの先では白衣の怪物が白々しく泣き真似をし、鬱陶しいそれにホル・ホースが応対した。
「よぉ、マイフレンド。友人をこんなトコに閉じ込めるのが、アンタの流儀かい?」
【私も悲しいのだよ。私は友人の君たちに試練を課さねばならない。君たちが私の宿敵たる力を持つのかを。】
「宿敵?試練?」
ホル・ホースが首をかしげると同時に、どこからともなく音がした。
【苦しみこそ、人生。逆境こそが、人生の味わいに深みを与える極上のスパイス。苦しみを乗り越え、タケノコのようにニョキニョキと健やかに成長して欲しい。君たちの実力が足らなければ、運がなければ、機転が利かなければ、君たちは試練を乗り越えられないかもしれない。友人を死地に追いやらねばならない、私の苦しみがわかるかい、名無しのマイフレンド?君たちが無事に試練を突破して、私の前に再び相見えることを願っている。】
機械仕掛けの怪物がそれだけ告げると、モニターの電源は落とされた。
ホル・ホースは音源を探して、周囲を屈みながら調査した。
「う………。」
眩暈を感じ、ホル・ホースはその場から急いで退避した。部屋の隅の一角から排気ガスが流し込まれている。
ガスが一定量部屋に充満すれば、内部の人間は死亡する。
「おい、サーレー!!!ヤベエぞ!!!」
◼️◼️◼️
「ずいぶんと楽しそうですね。」
チョコラータが上機嫌に鼻歌を口ずさむイアンに声をかけた。
「探し物が見つかったのだよ。考えてもごらん。哲学者が人生の意味を真に理解したら、数学者が歴史上解かれていない難問を解決したら、医学者が不治の病を克服したら、誰だって人生は充足に満たされるだろう?それと同じ事だ。」
イアンが笑った。
先ほどまでいた研究室の先の部屋、イアンとチョコラータは、オリバーと合流した。
「運命の出会い、ですか?彼らがそうだとは限らないのでは?」
チョコラータは首をかしげる。
「パープル・ヘイズ・ウィルスを操るパンナコッタ・フーゴがここにいるだろう?それが証拠だ。彼らは私の運命の宿敵だ。間違いない。」
「なぜ?」
「その方が劇的だろう?私のクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムは有り得る中から私の望んだ未来を引き寄せる。役者が揃えば、劇の開幕だ。」
チョコラータはイマイチ理解できなかったが、それがイアンのスタンドの特性だ。
パンナコッタ・フーゴというイアンが望んだウィルスを操るスタンド使いがそこにいて、その場に敵になりそうな相手がいる。役者は揃い踏み、これ以上開幕の時間を引き延ばす必要はない。さあ、情熱的な、運命的な、奇蹟的な演目の幕開けだ。
現状で確定している役者は、イアン・ベルモット、オリバー・トレイル、チョコラータ、ディアボロ、ヴィネガー・ドッピオ、リュカ・マルカ・ウォルコット、パッショーネ所属暗殺チーム、パンナコッタ・フーゴ、エキストラ。脚本家、不明。
誰が主役なのか、何がどうなるのか、イアンにも未知数な命懸けの劇が開幕される。
「はいはい。わかったからさっさと逃げるぞ。」
「つれない男だ。だがまあいい。」
脚本は個々人が己の判断で動くことになっており、それがイアンにとって至高の劇を齎す。
オリバーの言動も、劇の大切な一幕だ。
「多分すでに監視されてるぜ?時間が経ったら、瞬く間にパッショーネの連中に囲まれちまう。」
「お前がそう言うのならば、きっとそうなのだろう。」
オリバーは不完全であってもイアンに吸血鬼化手術を施術されており、身体能力は一般人と比べるべくもない。
七階建てのオフィスビルの窓を開けて、オリバーはイアンとチョコラータを抱えて暗闇に向けて跳躍した。
オリバーは二人を抱えてアスファルトに降り立ち、回転木馬のスタンドを展開した。
◼️◼️◼️
マリオ・ズッケェロは、煌めく夢のような光景に心を奪われていた。
美しい回転木馬は郷愁を呼び起こし、強い感情の波で記憶を押し流す。
一夜の夢、幸福。
どれだけ狂気に引きずられたとしても、
オリバー・トレイルのラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンドはスタンドとして直接的な戦闘力は皆無に等しいが、本来の用途に沿って使用すれば恐ろしく強力な能力である。そして回転木馬の本来の用途とは、隠密行動、隠蔽工作、およびに逃走である。強烈な存在感を放つ回転木馬で意識を奪い、感情で記憶を押し流し、その隙に逃走する。
強力で当然。それはオリバー・トレイルという一人の男が生きた意味のその全てと言えるものだから。
オリバーさえいなければ、イアン・ベルモットもチョコラータも、こんなに滅茶苦茶な行動は出来ない。あっという間に有害生物指定されて情報が共有され戦術が組まれ、ここまで大それたことは出来ずに闇に葬られていたことだろう。
時間は少しだけ遡る。
サーレーとホル・ホースの突入を見送ったシーラ・E、マリオ・ズッケェロ、アルバロ・モッタは、ダメージを負ったモッタの本体を車内に避難させてビルの周囲を監視していた。
アルバロ・モッタは暗殺チーム所属ではなく、能力も支援専門として扱う存在であったために、スタンドは監視に借り出していたが本体は車内で休息を取らせていた。
『こちら、シーラ・E。現状に動きは無し。』
「こちらも同様だ。」
ズッケェロとシーラ・Eは別々の場所に潜伏し、こまめに連絡を取りながら敵に動きがないか遠巻きにビルを監視していた。
先行突入したサーレーたちが敗北するような敵であれば、ズッケェロやシーラ・Eでは分が悪いのは明らかだ。最優先事項が情報の確保であることを鑑みれば、彼らが敵と鉢合わせないように警戒するのは至極当然であった。
「パッショーネの援軍の方は?」
『近隣のスタンド使いは、カビ使いにやられた一般人の救助に回っているわ。ミスタ副長が率いる戦闘部隊は、あと三十分ほどでミラノに到着する見込みよ。』
「了解。」
マリオ・ズッケェロは通話を切って、周囲を警戒した。
その時ビルの裏手に何かが落下するような音がして、視界で何かが動いたような気がした。
ーー………気のせいか?
ズッケェロはソフト・マシーンの能力を起動し、物音がした暗闇へ確認に向かった。
「回転木馬………?」
暗闇に強烈な存在感を放つ輝く回転木馬に、ズッケェロは目を奪われた。
意識がボヤける。視界が定まらない。オリバーの回転木馬の恐ろしさは、感情の波に抗えないことである。
普通に考えれば唐突に回転木馬が現れるのは異常事態だ。それは回転木馬のスタンドの、隠された特性だ。
違和感はある。自分があからさまにおかしいこともわかる。でも明確な目的が無い。
そんな状況では、押し寄せる感情の波に逆らえない。夢に抗えるのは、具体的な意志や目標だけ。
楽しい。その感情を押しのける明確で強固な感情がなければ、感情を向ける矛先がなければ、夢の中では行動に移ることはできない。
マリオ・ズッケェロのソフト・マシーンは、奇襲潜伏追跡などに適している。
しかし当然弱点もあり、その能力はハマれば強力だが状況次第では脆い一面も持つ。ピーキーゆえに単体での運用より、チームとしての運用がより効果を発揮する。
天敵は、視界に頼らずにズッケェロの位置を特定してくるスタンドや対象を選ばない無差別攻撃。それだけではなく、嗅覚の鋭い野生生物なども当然天敵となる。
イアンたちは建物の影をつたいその場を去って行く。隠れ潜んでいるはずのズッケェロは、オリバーにその存在を感知されていた。
イアンに人体改造手術を受けたオリバーは、不完全な吸血鬼であってもその嗅覚が進化していた。
◼️◼️◼️
「おい、サーレー!!!ヤベエぞ!!!」
青い白い部屋の中で、ホル・ホースは酷く焦っている。当然だ。
部屋の扉は開かず、部屋の隅の一角から致死ガスが流し込まれてきた。
ホル・ホースのエンペラーはパワーがないスタンドであり、部屋を力任せにどうこうできるのだとしたらそれはエンペラーではなくクラフト・ワークのはずだ。
一方でサーレーは、別の臭いに気をとられていた。
臭いがする。時間が経って薄まってはいるが、大量の血と、人間の脂の臭い。
グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の事件を経験したサーレーだからこそ気付ける、悲劇の臭いが。
「おい、サーレー!!!聞いてんのか!!!」
サーレーは臭いのするままに、周囲の床に目をやった。
直感に従い部屋内を歩き回り、やがて床から何かを拾い上げた。
「ちくしょう!!!てめえもさっさと脱出経路を探しやがれッッッ!!!」
ホル・ホースは、慌てて出口が無いか周囲をひっくり返すように漁った。
サーレーの手の中で硬い存在感を示すそれは遺品だ。どこかで見た覚えのある、センスの悪い蝶の形をした髪留め。
クレイジー・プレー・ルーム・レクイエムは、劇を演出する。それがここにある意味を、サーレーは悲しみとともに理解した。
イアンにとって、そっちの方が劇的なのである。
「クソッッ!!!」
ドガっ、ドガっとホル・ホースが扉を蹴る音がする。ドアノブに向けて、銃弾が発砲された。
鈍い音を立てて、それらは全て弾かれた。
「あああクソがッッッ!」
願いが矛盾した時、勝つのは必ず強い方だ。煉獄から生まれ出でるのは、たった一人の強者だ。
いつだって、強者が優先される。
社会で出世するのは人脈が強い方だし、良い就職先を得るのは学業が強い方だ。政策を押し通すとき勝つのは社会的地位が高い方だし、戦争で勝つのは総合力が強い方だ。ただのケンカだって、地力が勝る方が勝利する。
あまりにも当たり前すぎて、結果として強いほうが勝つのではない、勝った方が強いのだという言葉ができてしまうくらいである。
クラフト・ワークが、強烈に緑色に染まった。
「おい、サーレー?」
漆黒の殺意は、すでに危険水域を迎えている。
普段は強力すぎて無自覚に使用に制限をかけているが、サーレーのクラフト・ワークは緑色の赤ん坊と合体したことで、その辺のスタンドとは隔絶した潜在能力を秘めている。世界を一度終わらせたメイド・イン・ヘブンと、同等のポテンシャルを秘めているのだ。
強者が、優先される。
それではクラフト・ワークと融合した緑色の赤ん坊の中で優先されているのは何者なのか?
サーレーと融け合った緑色の赤ん坊の中で優先されている魂は、グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の強者、ヴィエラ・レイナードだ。
ーーハロー、相変わらず冴えねえチンケなチンピラヅラしてやがる。この程度の部屋、お前が本気出しゃ簡単に抜けられるだろうが?
ハンサムで背が高い青年が、漆黒の闇の中で笑った気がした。
クラフト・ワークは拳を握りしめ、力任せに研究室の強化ガラスを殴った。音がして、研究室は微かに揺れた。
「おい?」
ホル・ホースはガスが注入している箇所から少しでも離れようと、部屋の隅で縮こまっている。
クラフト・ワークが拳を振りかぶり、連続して金属音のする壁を殴った。研究室は、さっきよりも揺れた。
「おいッッッ!!!」
サーレーは右手のひらを強く握りしめた。
それはどこにでもある安物の髪留め。持ち主はこの部屋で無念のうちに消失したのだろう。
無念が、苦痛が、慟哭が染み付いた呪われた研究室。そこにあるのは蹂躙された、誰かの平穏への願い。
呪いと願いは相反し、衝突した後に残るのは強い方のみ。
人を融かし喰らう悍ましい研究室で、怒りを取り込んだ漆黒の殺意が渦巻き、膨張した。
「おおおおおおおおあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッッッッッ!!!!!!!!!」
クラフト・ワークは激昂し、殺意の赴くままに幾度も幾度も壁に拳を叩きつけた。
金属が軋む音は雑音が混じり、やがて破砕音へと変化していく。殴るたびにビルは横揺れを起こし、響く轟音がその破壊力を証明する。
『
研究室を激しい振動の波が襲い、部屋の床に物が落ち、壁には放射状にヒビが入り、扉は慣性で開いて歪んだ。
◼️◼️◼️
「うぐおッッッ!!!」
「おい!!!」
イアンが、暗い路地で血反吐を吐いた。
クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。スタンドが存在する部屋を異界と化す能力。
イアンのクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムは未だサーレーたちを閉じ込めた研究室と一体化しており、振動崩壊の能力をモロに受けたイアンは頭部に甚大な被害を受けた。
「おおおあああああッッッ!!!」
イアンは地面にうずくまり、血反吐血涙とともに脂汗を流した。
「イアン!!!スタンドを解除しろ!!!」
オリバーが叫ぶも、イアンは首を振った。
「………彼らが苦難を乗り越えるのであれば、私も苦難を乗り越えねば敵となりえない。」
イアンにとっては、そこが人生の最高潮だ。
彼らに恥じないように、自分も相応の実力者として劇を演じないといけない。
痛みの波の直撃を受けたイアンは路地裏で丸まって動けず、チョコラータは困惑して首をすくめた。
「何をやってるんですか?あなたに死なれたら、僕も困るんですが?」
「………必要な試練だよ。ここを越えた先にしか、私の目的は存在しない。グッ。」
現状逃亡者であるチョコラータは、気が気でない。
いつパッショーネの殺し屋集団が、彼らの後を追ってくるか。
頭の内部にダメージを受けているため、チョコラータのカビで傷口を塞ぐこともできない。
生殺与奪を握られているため、見捨てて逃げることもできない。
「ふざけてないでさっさと能力を解除してください。オリバーが抱えて運びますので。」
ダメージが大きくなりすぎると、運ぶことも困難になる。
当然の結論を告げたチョコラータの背後には、人間の頭部ほどの大きさの石を抱えたオリバーがいた。
「あグッっ!!!」
チョコラータは混乱した。頭部に激しい痛みが走り、多量の血が流れた。
続けざまに下半身を幾度も石で殴り潰され、地を這って痛みの元凶を睨んだ。
「すまねえな。予定変更だ。」
血が滴る石を抱えたオリバーは、チョコラータを見下ろして冷たく笑った。
「なんのッッッ!!!」
「イアンはああなったら、テコでも動かねえ。時間に余裕がなくなったから、お前はここで俺たちのために時間を稼いでくれや。」
オリバーは鼻をヒクつかせて、匂いで敵との距離を換算した。
「ふざけッッッ!!!」
こんなことが許されるのかと、チョコラータはイアンに目をやった。
「すまないな。私は君を守りたかったが、私の決断と彼の決断は別物だ。彼がそう決断したのなら、私にそれを止めることはできない。私にとって君はいくらでも替えの効く雑兵で、彼は替えの効かない手駒だ。」
残念ながら、チョコラータはオリバーの好感度が足りていなかった。
好感度不足のバッドエンディング、ラブ。
振動が収まり痛みの引きつつあるイアンは、口から血を垂らしながらチョコラータに向けて凄絶に微笑んだ。
そのまま指を曲げてハートを形作り、片目に当ててチョコラータにウィンクを贈った。
「ちょっとの間寝てな。」
オリバーに再び石で頭を殴られ、チョコラータは意識を失った。
◼️◼️◼️
振動により扉が開いた部屋で、ホル・ホースは肩を貸してフーゴを抱え上げた。
『俺は先に行く。お前はフーゴを救出して、下で仲間と合流しろ。』
リーダーのサーレーはホル・ホースにそう指示を出し、チョコラータのカビを警戒しながら先行追跡を行なった。
奥の部屋には誰もおらず、窓が開いたままだった。敵は階下に逃走したものと推測される。
「………すまない。」
「気にすんなや。生きててツイテたな。」
僅かに意識が戻ったフーゴは、自身の救出を行うホル・ホースに向けて礼を告げた。
「こんな辛気臭い部屋、さっさと逃げ出すぞ。」
フーゴは救出される際、フラついて研究机の上の器具をひっくり返した。
思わずパープル・ヘイズを発現させて、体のバランスをとった。机に手を置いて、割れたガラスでパープル・ヘイズは指を切った。
「………?」
フーゴは思わずパープル・ヘイズに目をやった。
パープル・ヘイズを発動するつもりなどなかったのに、体が勝手に動いたような感覚を受けたのである。
「おいおい、大丈夫か?」
「………ああ。」
二人はよろめきながら、階下へと向かって階段を降りて行った。
◼️◼️◼️
名称
ヴィエラ・レイナード
スタンド
レイジ・バイブレーション
概要
オリジナルキャラクター。振動を操るスタンド使い。州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所でサーレーと死闘を演じ、最後はディオの骨に取り込まれて死亡した。