噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
「ムー、ムー。」
「おいおい、マジかよ。マジでチョコラータじゃねえかよ。」
グイード・ミスタは目を細めて、首を横に振った。
間違いなく死んだはずのチョコラータがここにいる、その異常性。
よほど特殊で厄介なスタンド使いが敵方にいる。
先の戦火の結末。
暗殺チームは身体の一部を欠損したパンナコッタ・フーゴを救助。事件を起こした一味のうち、敵を一名捕縛。
ミラノの市民、死者三千人超。パッショーネの人員、死者少数、負傷者多数。
あの後ビルから出たサーレーは、外で暗殺チームの部下と合流。
シーラ・Eとズッケェロから、外部異常なしの報告を受けた。
サーレーは彼らから報告を受けるも、周囲近辺捜索の指示を出した。
遅れてグイード・ミスタを隊長に据えたパッショーネ戦闘部隊が到着、周囲の大々的な捜索、検問の設置が行われた。
その直後にミラノで殺傷事件を起こしたカビが再び動き出し、早急な解決への人員確保のために検問を解除。人員を全て敵捜索班に充てた。
低所に向かわないように指示を出しながら人海戦術で捜索を続けた結果、裏路地で大量の血を流した瀕死のチョコラータを発見。
パッショーネで身柄を確保し、スタンドを使用して暴れられないように薬剤を投与。拘束衣と薬漬けで無力化した。
因果は巡る。
◼️◼️◼️
パッショーネ情報部、特務班。
普段は情報部の情報分析班に所属し、情報の精査および情報部相談役を務める。
それが表の顔。
その真実は、非常時に際して特務を遂行する、暗殺チーム以上のパッショーネの闇。
暗殺チームの人員と同様に所属する人員は厳重に秘匿され、その存在を知る者は暗殺チームと並んでパッショーネの闇の双峰と認識している。
「おい、起きろ。」
因果は巡る。
ソルベとジェラートを拷問したチョコラータは、彼らと同様の末路を辿る。
情報部特務班主任の名前はナルシソ・アナスイ、その職務の別称は尋問官。
もちろんそれは、最大限のオブラートに包んだ別称である。
平時は決して動かない、専門の知識を持つ闇の情報収集班。
「まずは、判断力を奪う。」
拷問を許容する社会は、必ず破綻する。しかしごくごく稀に、それが必要となる時がくる。
その矛盾をこなすために存在するのが裏社会。誰も知らない、何も見ていない。
それは裏社会の闇のさらに奥の、厳重に鍵をかけた部屋の中で行われる。
敵は情報を隠蔽するスタンドを擁する凶悪犯罪集団。
ここで僅かでも有用な情報を搾取できれば、一人でも多くの命が救われる可能性が出てくる。
チョコラータはその貴重な情報源だ。誰も見ていないところで、手段を選ばない行為は行われる。
自白剤の投与。それは非人道的薬剤。使用すれば人は容易く廃人となる。
脳の一部を潰し、判断力を破壊する。同時にスタンドの弱体化。
薬剤を投与するため、被験者の容態の悪化に備えて心電図を設置する。
暗い牢獄のような部屋で、僅かなロウソクの光源。逃げられない専用の椅子に座らされ拘束され、チョコラータの目は虚ろだ。
車椅子に座ったアナスイが向き合い、穏やかな表情でゆっくりとはっきりと質問した。
「………おい、喋れるか?」
チョコラータは薄い自我の中で、ゆっくりと首を振った。
「これからいくつか質問をする。ハイだったら首を縦に、イイエだったら首を横に振れ。」
チョコラータは、首を横に振った。
瞬間、チョコラータの体を激痛が襲った。
アナスイのダイバー・ダウンは、潜行することで体に傷つけることなく痛みを与えることができる。
「反抗するな。楽になりたけりゃあ、一刻も早く情報を吐くことだ。俺もこんなことをいつまでもやっていたいわけではない。」
それでも尋問は、何日も何日もかけて何回も同じ質問を繰り返される。
情報の確度を少しでも上げるためだ。情報のすり合わせができないのは痛いが。
パッショーネが現行で所有している情報とすり合わせるしかない。
チョコラータが嘘を吐く可能性だけでなく、間違える可能性や勘違いしている可能性も考慮する必要がある。
つくづく、調査専門家のレオーネ・アバッキオが死去したことが悔やまれる。
「嘘を吐くほどにお前は苦しむことになる。素直になればこちらとしても少しは便宜を図ることができる。死ぬ前に美味いメシを食いたいだろう?よおく考えろ、チョコラータ。お前は誰かに義理立てするような人間か?」
チョコラータは生き汚い。情報を喋れば自身が用済みになることを理解している。
ならば何も喋らないことが、少しでも長く生きるための秘訣だ。その判断を壊すために、自白剤を追加投与する。
薬を投与し過ぎたら、使い物にならないほどに廃人となったり中毒死したりしてしまう。痛めつけ過ぎたら、ショック死してしまう。慎重に。故に、専門知識が必要となる。
チョコラータの目の前で光源をチラつかせ、現実感をさらに失わせる。
チョコラータは、虚ろな目で揺らめくロウソクを追った。
「これより質問をする。」
反応の無いチョコラータの頬をアナスイは張った。
音がして、チョコラータはほんの僅かな現実感を取り戻した。
「お前の名前は、チョコラータである。イエスだったら首を縦に、ノーだったら首を横に振れ。」
チョコラータは縦に首を振った。
アナスイは満足げに頷いた。
「お前の仲間に死者を蘇らせることが可能なスタンド使いがいる。同じくイエスだったら首を縦に、ノーだったら首を横に振れ。」
チョコラータは少し考えるそぶりを見せると、首を縦に振った。
アナスイが傍に置いた紙面にボールペンで何かを書き込んだ。
「お前の仲間には、情報を隠蔽することに長けたスタンド使いがいる。イエスだったら首を縦に、ノーだったら首を横に振れ。」
チョコラータは少し間を置いて、ゆっくりと縦よりの斜めに首を動かした。
アナスイは再び紙面に何かを書き残した。
「お前の目的は殺人だ。」
チョコラータは首を縦に振った。
「お前の仲間の目的は殺人だ。」
チョコラータは首を傾げた。
アナスイは合わせて紙面に情報を書き込んだ。
チョコラータの半開きの口から床に、ヨダレが垂れ落ちた。
「お前たちの首謀者の名は、イアン・ベルモットである。」
チョコラータは反応を返さない。
アナスイはロウソクの火を掲げて、チョコラータの眼前でチラつかせた。
「お前たちの首謀者の名は、イアン・ベルモットである。」
チョコラータはかすかに頷いた。アナスイは手元に引き寄せた紙面に滑らかにペンを滑らせていく。
「イアン・ベルモットという名は、偽名である。」
無反応。アナスイは再びロウソクの火をチラつかせ、再度質問を発した。
「イアン・ベルモットという名は、偽名である。」
やはり無反応。
アナスイはダイバー・ダウンを出現させて、チョコラータに痛みを与えた。
「ううっ………。」
チョコラータの口元から流れる唾液の量が増加した。
しばし休息を挟んで、三度質問を繰り返した。
「イアン・ベルモットという名は、偽名である。」
反応が無い。アナスイは頷いた。同時に横目で心電図を確認した。
チョコラータは鼻から粘度のある血を垂れ流した。薬物により脳の血管が切れた可能性が高い。
被験者であるチョコラータの体力の限界だ。質問時間を計測し、その情報を紙面に書き込んだ。
「とりあえずここまでだ。一旦休憩を挟む。」
部屋の照明が灯され、椅子に拘束されたチョコラータは部屋に侵入した男たちに運ばれていった。
しばしの休息ののちに、同様の行為が行われる。チョコラータが部屋に再び現れ、拘束された。
「お前たちの目的は、イタリアの破壊である。」
チョコラータは反応を返さない。
「お前たちの目的は、イタリアの破壊である。」
やはり無反応。
「お前の名前はチョコラータである。」
チョコラータは首を縦に振った。
アナスイは紙面に情報を書きこんだ。
「お前たちの行為には、なんらかの政治的な主張を伴っている。」
チョコラータは首を傾げた。
アナスイは紙面に文字を書き、丸で囲んだ。
「イアン・ベルモットという名は、偽名である。」
チョコラータは反応を返さない。
アナスイは引き続き情報を紙面に追加する。
「お前たちの組織の人員は、十名以上存在する。」
チョコラータは、首を横に振った。
紙面に情報を追加。
「仲間の数は、増える可能性がある。」
チョコラータは首を傾げた。
アナスイはチョコラータの表情を観察した後に、ペンで情報を書き込む。
「リュカ・マルカ・ウォルコットは仲間である。」
チョコラータはしばし呆けた後、首を縦にゆっくりと動かした。
アナスイは紙面に情報を追加した。心電図を確認して、チョコラータの健康状態を把握した。
「今日はここまでだ。続きは明日、十時間後に再会する。」
チョコラータは車椅子に乗せられて、個室へと運ばれて行く。
◼️◼️◼️
「いくつかの重要な情報が手に入った。」
グイード・ミスタが情報部からの報告書を片手に、サーレーに告げた。
パッショーネがミラノに所有するクラブのVIP席で、ミスタは氷を入れたグラスをもう片方の手に持ち、中身に口をつけた。
「情報の共有はパッショーネごく一部の幹部、情報部、そしてお前とマリオ・ズッケェロまでだ。」
高級な内装と落ち着きのある照明、部屋は防音パーティションによって区切られている。
普段は活気のあるクラブも、この日はつい先日に起こった事件により市民は恐怖しなりを潜めていた。
「敵の主犯格は二人。一人はイアン・ベルモット。」
ミスタは一枚の拡大写真を取り出し、机に置いてサーレーにそれを確認させた。
写真には、白衣を着た三十代の黒髪の男が印刷されている。
「お前も報告した敵だ。こいつで間違いないか?」
「………ええ。」
有り得ない。
社会と国家を敵に回した犯罪集団の主犯は、まさかの堂々と実名を名乗っていた。
パッショーネの情報部が氏名からインターネットの国際機構サイトで情報収集を行い、顔写真を入手することに成功していた。
「元はスイスにある有名大学の教授だそうだ。専攻は遺伝子医学。犯罪歴は無いが、一時期臓器密売組織に関わっていたのではないかという疑惑があがっている。今ある情報からは、こいつが一連の事件の黒幕である可能性が高い。それともう一人、隠蔽工作を担当するスタンド使い、こちらは名前も顔もわからない。当時はスイスで誘拐事件が多発していて、誘拐された人間のうちの一人なのではないかと推察されている。」
「………。」
サーレーは写真を見つめて、敵の思惑を思索した。
「はっきり言って、こいつらが何をやりたいのか全くわからない。常人とは思考がかけ離れた、思想犯もしくは愉快犯である可能性が高い。」
事件の主犯イアン・ベルモットは、事件に対する犯行声明を出していない。事件は示威行為ではないということだ。
かといって事件を隠蔽しようというわけでもない。自身の実名をサーレーに晒している以上それは明らかだ。
そうなると消極的消去法により、思想犯か愉快犯の可能性が高くなる。
「………。」
「目的がわからないから、先の行動が読めない。お前らが捕らえた敵から情報は入手したものの、それが情報の全てだとも間違いがないとも限らない。情報はないよりマシ程度に留めておいたほうがいいのかもしれない。」
サーレーはテーブルからグラスをとって、水を飲んだ。
「コイツにはメディアで国際指名手配をかける予定だ。だが、どの程度アテになるかは全くの未知数だ。隠蔽工作を担当するスタンドの能力が不明だし、不用意に一般人が近付くとおそらくは消される。それも遊び半分で。」
「コイツの顔は?」
「ああ。そいつの人相書きじたいはヨーロッパ裏社会全体で共有するつもりだ。だが、起こした事件の詳細な背景は秘匿される。事件の規模がデカすぎる。カタルーニャやミラノの惨劇が繰り返される可能性があると住民が聞けば、ヨーロッパ全体がパニックを起こしかねない。ホームグロウンテロリスト共の指導者という形で情報を公開する。」
「はい。」
「それとこれは箝口令が敷かれているんだが………。」
ミスタは眉をひそめて、難しそうな表情をした。
「フランス暗殺チーム所属の、ローウェンの安否が不明らしい。」
「ッッッ!!!」
フランシス・ローウェン、フランス暗殺チームに所属する、ヨーロッパ裏社会で最も恐れられるスタンド使い。
サーレーも友誼があり、ローウェン自身が他者に対して寛容で社交的な性格もあり、裏社会に彼の友人や信奉者も多い。
「フランスのノルマンディー橋が爆破された。タイミング的に事件は繋がっているとパッショーネは読んでいる。このヤマがどれぐらいヤベエかわかったろ。ヨーロッパも必死だ。パッショーネも表社会との兼ね合いもあって、状況は芳しくない。」
カタルーニャの大虐殺に次いで、ミラノ大虐殺。
パッショーネは表社会に対して、事件の納得できる筋書きを提供しなければならない。
ただでさえ事件の容疑者イアン・ベルモットの補足に労力を割かれているにも関わらず、自国の防衛に手を抜くこともできない。
それらの労力を考えると、パッショーネにさえ一切の余力がないのが現状だった。
「ジョルノも忙しくて睡眠もロクにとれねえ状況だ。悪いがお前らくらいしか自由に動かせるコマがねえ。………これが戦術計画書だ。」
パッショーネの組んだ戦術計画。
それに記された計画の概要は、ミスタがパッショーネのスタンド使い二十名ほどを率いて陽動を行い、暗殺チームが敵のボスであるイアン・ベルモットの暗殺を決行する。イアンの暗殺が成功した場合、暗殺チームはそのまま残党の遊撃に移行する。
本当は作戦にもっと多く人員をつけたかったが、防衛用の戦力を削るわけにはいかない。敵を仕留めるために守りを薄くするのは、目的の履き違えだ。敵の殺害が最大の目的ではなく、イタリアの防衛が最大の目的なのだから。
シーラ・Eも現在ミスタの指示を受け、ミラノのパッショーネ大幹部ペリーコロの配下に組み込まれた。
ミラノに常駐し、事件を受けて混乱するミラノの安寧に努めている。
「奴を追い詰めて、消せ。任務が終わったあかつきには、暗殺チームに好きなだけ贅沢させてやる。」
「………お任せ下さい。イタリアと、パッショーネのために。」
サーレーの体から発する静かな威圧に気圧されたミスタは、部下が成長していることを頼もしく感じた。
◼️◼️◼️
「さわやかな、朝!」
ダメージを受けてオリバーに担いで運ばれて逃げたイアンは、白い清潔な布団の上で目を覚ました。
体にはまだ大きな違和感がある、が目が覚めてしまった。クマさんパジャマを着たイアンが、ベッドで上半身を起こした。
カーテンをさっと開くと、外は………残念ながら夜中だった。
寝込んでいたせいで体が重い。イアンはベッドを降りて体のこりをほぐした。
口の中は鉄の味がし、イアンはうがいをしに洗面所へと向かった。腹もひどく減った。
「おいおい、この家の間取りも知らねえだろうに、どこに向かう気だ?」
狂人イアンはオリバーが見知らぬ家に押し入った後、クレイジー・プレー・ルーム・レクイエムを発動した。
手術室でスタンドに自身の開頭手術を任せ、苦痛そのままに気絶した。
手術後に高熱を出し、目覚めたのはその一週間後。それが今日。
「昔の航海士も、コンパスを片手に好奇心のまま未知の大陸を己が力で踏破したのだよ。」
「相変わらず何を言ってるのかわけわかんねえ。何を探してんだよ?」
「洗面所だ。」
「あっち。」
廊下ですれ違ったオリバーから情報を入手したイアンは、ゆっくり洗面所へ向かった。
勝手知ったる他人の家、洗面所の棚から未使用の歯ブラシを取り出して、一通り歯を磨いた。そのまま風呂場に侵入し、髪を洗って体の汚れと汗を流した。ガウンを羽織ってダイニングへと向かい、冷蔵庫からコーラを取り出してラッパ飲みをした。
「目が覚めたばかりで、相変わらず全開だな。」
オリバーは呆れたように目を細め、ダイニングで冷蔵庫の中身を調理している。
イアンはテーブルに腰掛けた。
「お前のその格好は、一体なんのつもりだ?何を狙っているんだ?」
オリバーは白い三角巾を頭にかぶり、フリルのついたピンクのエプロンを着用している。
むさい中年が、一体何を目的にそんな格好をしているのか?どこを目指しているのか?
「しょうがねえだろう?これは前の住人の趣味だよ。他になかったんだよ。」
おかしな格好をしている自覚のあるオリバーは、肩をすくめた。
手早く料理を作り、皿に盛り付けてテーブルを滑らせてイアンの前に放り投げた。
「いつも思うが、お前のこの無駄な家事の才能はなんなんだ?」
「誰も家事をしないからだろう?」
オリバーはおたまを握ったまま肩をすくめた。
「んでどうなんだ?馴染んだのか?」
「まだ完璧に使いこなすのには時間がかかる。」
イアンは皿に乗せられた野菜炒めをフォークで口に運びながら、スタンドを発動した。
「
イアンの背後に佇む執刀医の白衣は、返り血を浴びて赤黒く染まってている。
スタンドを発動することで発現する青白いはずの研究室は、壁が赤黒く変色していた。
部屋内の周囲の空間には、赤黒い部屋の中で異彩を放つ青白い浄化の炎がいくつも浮かんでいる。
壁の赤黒さは、手術室に染み込んだ数多の非業の死、その凝縮された血の色。
浄化の炎の青白さは、生者の魂を引きずり込む、死者の魂の怨念の色。
手術室は彼岸と此岸の境目。生命力が強ければ生き永らえ、弱ければ死に至る煉獄。
「おおう、ますます禍々しくなったなあ。」
オリバーは、イアンの研究室の狂気と殺戮を連想させる色合いにドン引きした。
イアンのスタンドがなぜこんな色合いになったのかと言うと、スタンドが進化したからである。
ではなぜイアンのスタンドは進化したのか?その原因は、怪我を手術した一週間前にさかのぼる。
サーレーたちと初邂逅を果たしたイアンは、サーレーのクラフト・ワークにより頭部に甚大な被害を受けた。
ホル・ホースはパンナコッタ・フーゴに肩を貸し、フーゴは手術室から退避する際にガラスに手を引っ掛けて流血した。
そしてイアンは、手術室で自身に開頭手術を行なった。
イアンが開頭手術を行なった際、手術室内には生きたパープル・ヘイズ・ウィルスが存在した。
その原因はたまたまフーゴのパープル・ヘイズがガラスに手を引っ掛けたせいであり、偶然を必然にすることがクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムの能力。そしてその部屋では、イアンの妄想は現実のものとなる。イアンは開頭手術を行なった際、手術室に紛れ込んだパープル・ヘイズ・ウィルスに罹患した。
イアンはパープル・ヘイズ・ウィルスに適応することでスタンドが進化すると確信しており、偶然に偶然を重ねたはずのそれはイアンのスタンドのせいで必然となる。イアンは寝込んでいた一週間の間、パープル・ヘイズ・ウィルスに苛まれていた。
煉獄から生まれ出でるのは、たった一人の強者。
自身の創り出した煉獄でイアンは一週間もの間パープル・ヘイズ・ウィルスと死闘を繰り広げ、そして今ここにいる。
イアンの能力は存在する未来のうち最もイアンが望む未来を引き寄せる能力でもあり、今日のこの日は確定した未来であった。
そして
イアンの新たなスタンド狂者の煉獄、その能力は、イアンに都合のいい法則をこの世界に追加する。
イアンの能力はイアンを中心にゆっくりと広がり、それが世界を塗り潰した時に能力は完成形へと到達する。
狂者の煉獄が完成すれば、世界中の狂気が無限大に膨れ上がる。人間が闘争本能のままに殺し合い、最後に残った一つの生命が何者かへと進化する。煉獄より生まれ出でるのは、たった一人の何者か。
そして最後まで勝ち残った一人は、造物主であるイアンに叛逆するのだ。
世界中が殺し合い、勝ち残ったたった一人が人間を超えた何かへと至り、造物主であるイアンと劇的な死闘を繰り広げる。
その劇をプロデュースするのが、狂者の煉獄の能力の最終形である。
イアンの劇は、パッと考えただけでもいくつものイアンにとって魅力的な展開がある。
イアンには、そのどれもが楽しい。どの展開になるのか想像するだけで、素晴らしく気分が高揚する。
イアンが必死に抗うも、煉獄が未完成のうちにパッショーネの暗殺チームに敗北する展開。
煉獄が完成し、イアンが進化した敵との死闘に敗北する展開。
煉獄が完成し、イアンが進化した敵との死闘を制する展開。
それらの展開が大本命だが、そのどれでもない予想外の展開になるようならイアンはさらに狂喜する。
イアンの仇敵であるクラフト・ワークは非常に強力なスタンドであり、それに対抗して火花を散らすためにイアンのスタンドは進化した。
劇は決められたシナリオをなぞり、イアンにとって未知の展開を進み、最高潮へと盛り上がっていく。イタリア暗殺チームには感謝しかない。
「………この美しくも煩雑な世界にて、苦難を乗り越えて鯉は龍と成りて天へと上る。ありがとう、パッショーネ!ありがとう、人生!お礼に皆殺してやるよ!!!」
最終的な到達点などどうでもいい。エンディングロールになぞ興味は無い。後日談など必要無い。
終幕は寂しいが、そこに至るには劇の最高潮を経由する。その最高潮の場面こそが、イアンの人生の目的の全てだ。
手の上で青白い炎が幻想的に揺らめき、イアンは凶悪に微笑んだ。
◼️◼️◼️
チョコラータの、処刑が決まった。
処刑執行人はサーレー、尋問官によりとれるだけ情報を搾取し、用済みとなったからである。
敵は死者を蘇らせる得体の知れないスタンド使いを擁し、それがために絶対的に終わりを齎すクラフト・ワーク・オルクスにより処刑が執行されることが決定した。
処刑を急いだのは、生かす理由がないことと、敵の未知の能力を恐れたこと。死者すら蘇らすのであれば、どんな能力を持っているかわからない。消せる時に敵の頭数を減らさねば、被害は拡大の一途をたどる。
イアン・ベルモットの死者を蘇らせる能力に対抗できるのは、赦されざる者に絶対の終焉を齎すクラフト・ワーク・オルクスの能力、冥界の黄昏神殿だけだった。
「………。」
今日この時のために身を清めた。
サーレーは黒い装束と、黒い目出し帽を身に纏っている。
それは伝統的な執行官の衣装だった。目出し帽はサーレーの特徴的な髪型と相まって、不恰好に横に膨らんでいる。
サーレーは冷ややかな、それでいて憐れみを感じさせる眼差しでオルクスの黄昏神殿にへたり込むチョコラータを見つめていた。
チョコラータは魂が抜け落ちたような生気の無い顔色をし、視線は虚ろ、饐えた匂い、床に涎を垂れ流している。
尋問に使用した薬物の影響で廃人となったためであった。
「被告人、チョコラータはスペインのカタルーニャ州、イタリアのミラノ市で生物兵器を用いた大量虐殺を行った。その廉で、斬首刑を執行する。」
短期間に起きた二件の事件で合わせておよそ死者一万五千人。個人の起こした事件ではぶっ飛んだ数字である。
そしてチョコラータの罪状は、当然それだけではない。
ジョルノとの戦闘でも無関係の大勢の死者を出したし、パッショーネに所属する以前にも殺人、人体実験を行っていた。しかしそれは前のオリジナルのチョコラータであり、このチョコラータではない。
人間を殺すな、は社会における最重要と言える制約。
人間が国家や社会という大きな枠組みに帰属するのは、社会に帰属することによって身の安全が保障されるからという理由が大きな部分を占める。
そのための法であり、そのための制約。
その大前提が覆されてしまえば、社会に帰属する意識や意味合いは薄くなる。国家の土台が揺らぐ。
非道な事件が起きれば、たとえそれが不可避であったとしても国民の国家に対する信用が揺らぐ。国家の信用が揺らげば治安が低下し、負のスパイラルを引き起こす。
ゆえにチョコラータが起こしたような残虐極まりない事件は、犯人とともに闇に葬られる。
パッショーネの幹部連は、今現在国民が国家に対する信用を失わないように必死に奔走している。
社会によって課せられる制約を無視して好き勝手に振る舞った結果、薬物で廃人にされた挙げ句不必要になったら処分。
誰かに看取られることもなく、誰かに思い出されることもない。憎しみを一身に受けて、唾を吐かれて石を投げられて首を落とされる。
刑を執行することに否やは無いが、この男はどうしてこんな虚しい結末を迎えているのか、どうしてこんなにも馬鹿げたことを行ったのか、サーレーにはその思考がまるで理解できなかった。
しかしそれは、無意味な感傷だ。
どうしてこんなことが起こったのかという分析は、サーレーの仕事の管轄外。
きっと心理学の専門家か誰かが、それらしい持論で説明してくれるだろう。
サーレーのクラフト・ワーク・オルクスの右腕には、刀身七十センチ前後の片手剣が握られている。
先端が潰してあり、刀身にはイタリア語で『あなたの来世の安寧を願っています。』という意味の文字列が刻まれている。
それは罪人の首を落とすことを専門にパッショーネが特注で誂えた、執行人の剣だった。
サーレーはその剣を握り、なぜだかそれがひどく手に馴染むことに気付いた。
「被告人に最後の弁明の機会を与えよう。被告人は何か申し開きをすることがあるか?」
「………。」
この言葉は形式だけだ。
廃人となった今のチョコラータに反論することはできないし、反論したところで聞き入れることもない。
「それでは、刑を執行する。」
平たく重厚な刀身が風を切る音とともに容赦なく振り下ろされ、それはバターのようにチョコラータの首を滑らかに斬り落とした。
黄昏神殿の床は、赤く赤く染まっていく。
「ご苦労だった。」
刑の執行完了とともに黄昏神殿は消滅し、ミスタが職責を果たしたサーレーに労いの言葉をかけた。
「準備ができたぜ。」
「ああ。」
マリオ・ズッケェロがサーレーに声をかけた。
ここはパッショーネミラノ支部、人払いは済ませてある。
「パッショーネの情報部が、敵が潜んでいる可能性が高い地域を分析して割り出した。これが資料だ。」
ミスタがサーレーに資料を渡し、サーレーはそれに目を通した。
資料をズッケェロに手渡し、ズッケェロはサーレーよりも時間をかけて確認した。
今日この日をもって、暗殺チームは再び動き出す。
日を置いたのは、チョコラータから情報を搾り取り、少しでも暗殺チームの勝率を上げるために。
ズッケェロはヨーロッパで目ぼしい残虐なスタンド使いの情報を入手し、頭に叩き込んでいる。
暗殺チームは、ミスタの陽動部隊よりも先行する。
敵が潜伏していると想定される地点は、イタリアとフランスの国境。
サーレーをリーダーとした暗殺チームは、正装である黒いコートを羽織り、マフラーを首にかけ、ボルサリーノ帽を頭に乗せた。
ホル・ホースだけは、本人のこだわりでいつものカウボーイスタイルだ。
サーレーはマリオ・ズッケェロとホル・ホース、アルバロ・モッタを引き連れて、車へと乗り込んだ。
◼️◼️◼️
名称
サーレー
スタンド
クラフト・ワーク・オルクス
概要
能力は冥界の黄昏神殿。空間を固定し、斬首刑を執行する。サーレーが赦されざる者だと確信した相手にのみ発動する。
名称
イアン・ベルモット
スタンド
クレイジー・パーガトリィ
概要
イアンのスタンド、クレイジー・プレー・ルームがパープル・ヘイズ・ウィルスに適応することで進化した。イアンの妄想の産物である狂者の煉獄をこの世に具現させる。狂者の煉獄とは、生者が殺し合い最後に残った一人が何者かに進化する能力。殺傷性が極めて高いパープル・ヘイズ・ウィルスに適応できるのは、無限の未来から必ず望んだものを引き寄せるイアンのクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムくらいである。
イアンの目的は人生の充足であり、イアンは彼自身を阻止するために立ち向かってくる敵を強く望んでいる。そのために狂者の煉獄は発動まで日数がかかり、発動するまでの展開は本体のイアンにとって劇的なものとなる。