噛ませ犬のクラフトワーク   作:刺身798円

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絶望の回転木馬

赤錆びた世界は無機質な灰色に塗り潰され、時間が停止した世界を唯一色付いた金髪の男が悠々と闊歩していた。

 

【うーん、困ったな。ここまでとは。君は少し能力が強力すぎる。何というか………子供のフットボール大会に間違えて大人のプロが混じってしまったような………アマチュアのチェス大会に世界王者が混じってしまったような………そうだな。レギュレーション違反と言うのが一番近いかもしれない。】

 

空に浮かぶ執刀医は困惑したような、ドン引きしたような微妙な態度を示し、顎に手を添えて首を傾げた。

地に立つ金髪の青年は、何か言いたげに空を見上げた。

 

「強いことに問題があるのか?」

【遊びとは、ルールがあるから楽しいのだよ。君のその能力は遊びの盤面そのものをひっくり返せるような、強力極まりないものだ。私の劇に、デウス・エクス・マキナなど必要無い。ルールを無視してしまえば、遊びは遊びとして成立しなくなる。】

 

金髪の青年の前の地面には、致命傷を受けたディアボロとヴィネガー・ドッピオが血を流して倒れている。

金髪の青年の名はディオ・ブランドー、ではない。ディオ・ブランドーに外見が少し似た誰か。

 

その正体は、肉の芽の塊にイアンの想像上の人格を貼り付けた何か。

イアンの妄想の中のディオ・ブランドー、その男は、イアンの妄想の世界では無敵と見紛うほどの能力を持ち合わせる。

強さはさておいて、能力の強力さは折り紙つきだ。

 

「それでは俺はどうすれば?」

【君は生に執着したから、煉獄で何者にも勝利した。その生への執着の理由………君には何か生きる目標はあるかい?】

 

イアン・ベルモットのスタンド、クレイジー・パーガトリィ。

その能力は、イアン本人が自覚しているよりも遥かに凶悪で融通が利く能力である。

 

ディオ・ブランドーはかつて、緑色の赤ん坊の中で敗北した。

緑色の赤ん坊は、ディオの目的を達せられなかったのである。

強い者が生まれる煉獄のルール上、敗退したディオ・ブランドーが再び生まれることは本来ならば有り得ない。

しかし、現にディオ・ブランドーに似た青年がここにいる。

 

イアン・ベルモットは緑色の赤ん坊の存在を知らない。

知らないがゆえに、当然ディオ・ブランドーがすでに敗退したことも知らない。

知らないがゆえに、煉獄で生まれるのは肉の芽より出でたディオ・ブランドーだと強く思い込む。

なぜならディオ・ブランドーは世界の薄暗い場所で、最も有名な最強なのだから。

 

クレイジー・パーガトリィ、イアンの強力な妄想は、イアンの部屋の中で現実のものとなる。

そしてイアンの部屋(スタンド)は、進化したことによって現実により大きな影響を及ぼすようになっている。

少年(イアン)の自重しない最強幻想と、パープル・ヘイズ・ウィルスの進化スペックが相乗効果を起こして、そこに最強の悪鬼が生誕しようとしている。

 

イアンの無意識下、イアン本人が知らないところで、イアンのスタンドはイアン本人の理解よりもはるかに凶悪で万能である。

イアン・ベルモット自身が、劇におけるデウス・エクス・マキナそのものなのである。

 

ではなぜ、イアン・ベルモット本人がそのことを知らないのか?

それはイアン自身が、自分のスタンドがあまりにも強力過ぎたら遊びがシラケてしまうという理由であえて気付かなかった領域である。

たった独りきり、誰も届かぬ高みに登り詰めたところで、そこには絶望しか待っていない。

 

本来イアンのクレイジー・パーガトリィは、不可能なことはほぼないと言ってもいいほどの性能を誇るのである。

イアンの部屋で、イアンの信じ込む妄想は全て現実に形をなすのだから。

 

だからといって何でもできるから好き放題に行動してしまえば、そこにはイアン自身が最も嫌う退屈が待ち受けている。

たとえ手前勝手なルールであっても、少なくとも本人にとっては遵守する意味がある。

 

ゆえにイアンは、真剣に遊びに取り組み自身のスタンドの正確なスペックには決して気付かない。

 

遊びにはルールがあって、制限を課された不自由なうちで試行錯誤を繰り返すことこそが楽しい。

それは、イアンの何があっても譲れない哲学である。飽くことなく楽しみを追求しているのに、楽しいことを蔑ろにしてしまえばまさしく本末転倒だ。

 

「ジョースター一族に復讐をする。奴らは俺の因縁の相手だ。それが俺の望みだ。」

【そうか。それでは君がまともに戦っていいのはジョースター一族に限定する。煉獄が完成するまで、君はジョースター一族以外の相手を殺害することを禁止する。それが私が定めたルールだ。遵守してくれたまえ。】

 

煉獄の赤い上空に浮かぶ執刀医は満足げに微笑み、頷いた。

ディオ・ブランドーに外見が少しだけ似た、ディオ・ブランドーではない何者か。

彼は煉獄より出でて、劇の配役を演じる時を静かに待っている。

 

◼️◼️◼️

 

「敵は二人だッッッ!!!撃て!!!撃ち殺せッッッ!!!」

「ヤハハハハハハ!!!」

「下品な笑い方、相変わらずテメエは下衆いな。」

「お前も下衆だよ、クソ女。」

 

軍事基地の廊下では、基地に所属する軍人が侵入者を銃撃し、それに相対するのは二人のスタンド使い、リュカ・マルカ・ウォルコットとベロニカ・ヨーグマン。リュカのケミカル・ボム・マジックは短機関銃の銃弾をやすやすと拳で弾き、ベロニカのリビング・アシッドは直撃した銃弾を体内に取り込んで溶かしている。

 

リュカのスタンドが廊下の壁を爆破し、煙が視界を遮る合間にベロニカのスタンドの口腔から無数の甲殻類が這い出てくる。

甲殻類は軍服を着た兵士を襲い集って、人間を次々と溶かしていった。

 

【退がれ。俺たちが戦る。】

 

甲殻類に押されて廊下の奥に退避する兵士たちに、その奥から複数体のマネキンが援護に現れた。

マネキンはことごとく、短機関銃を構えている。

 

「なんだありゃ?いちにーさんしー………五体か。」

「バカが。スタンドに決まっているだろうが。」

「お前はいちいち罵倒しないと喋れないんだな。オツムの弱さが滲み出てるぜ?」

 

リュカが現れたマネキンを指で数え、ベロニカの甲殻類が廊下を埋め尽くしていく。

マネキンは手榴弾を投げて、近場を這い回る甲殻類を吹き飛ばした。

 

【キリがなさそうだ。おい、投げろ。】

 

マネキンは今度はスタン・グレネードを投げて、空中でそれを短機関銃で撃ち抜いた。

閃光が迸り、意表を突かれたリュカとベロニカの視界は白く染まっていく。

 

【坊主頭を狙え!撃ち殺せッッッ!!!】

「やべえッッッ!!!」

 

ベロニカには銃弾が無効であると理解している彼らは、火力をリュカに集中した。

ベロニカがスタンドに隠れて前に出て、リュカは急いで射線から逃れようと退避する。

その時、エンジン音が聞こえてきた。

 

「あははははははは。そら、きちんと避けたまえ。」

「リュカ、ベロニカ、上に避けろッッッ!!!」

「あの狂人が………!!!」

 

イアンがジープ型の軍用オープンカーに乗って軍用基地の廊下を爆走し、オリバーが運転席で声を上げた。

ベロニカは慌てて壁に寄って必死に避けて毒づき、リュカは上へ跳んで躱した。軍用車は勢いよくマネキンを二体踏み潰して前方で停車した。

 

「五体もかわされたか………残念。」

「おい、イアン。五体ってお前、それリュカとベロニカも数に数えてるだろ?」

 

軍用車に乗ったイアンとオリバーが前方、リュカとベロニカが後方、挟む形で間にマネキンが三体。

二体は車に踏み潰されて潰れている。イアンは本当は戦車に乗りたかったのだが、さすがにセキュリティが厳しくそこまで都合のいいことは起こり得なかった。そもそも戦車では、車幅があって軍事基地の廊下を通行できない。ジープでもギリギリで、頻繁に壁にこすっている。

 

「まだこんなとこにいたのか。ちんたらやってると、君たちの存在意義が無くなるのだが?」

 

イアンが右手の人差し指を立てて左右に動かし、それは短気なベロニカの神経を逆撫でした。

 

「ふざけんなッッッ!!!この程度の敵は私一人で十分だ!」

「ならば君に任せるとしようか。それオリバー、先に行くぞ。」

 

イアンを助手席に乗せたジープはリュカとベロニカを置いて廊下を先へ進み、あっけにとられたベロニカは目を点にした。

 

「おい、あいつ本当に先に行ったぞ?普通はこう、もうちょっと手助けとかいらないか聞いたりしないか?」

「………あいつはそういう男だ。むしろなんで、お前があんな男を部下にしていたのか理解に苦しむ。」

「………あんな男だとは思わなかったんだ。」

 

リュカとベロニカはため息をついて、廊下に残った三体のマネキンと向かい合った。

 

「何をやっている、このイワシ男がッッッ!!!」

「いや、普通に考えて車で建物内部を走行しようってのが無茶だろうが。」

「………凄い音がしたな。」

 

呆れたベロニカの視線の先で、軍用車は停止している。

イアンを乗せた軍用車は、廊下の突き当りを曲がりきれずにフロントを大破させた。

 

◼️◼️◼️

 

ジオバンニ・マインロッテ曹長は、フランス裏社会のラ・レヴォリュシオンからフランス陸軍に出向した。

世の中にはスタンド使いという超常の存在がいて、曹長は軍を彼らから守護するために裏社会から密かに送り込まれた人材である。

 

「レイヨン一等兵。射撃の成績、五段階中の五、体力の成績、五段階中の四、格闘術はおいといて………動体視力判断力ともに問題なし。」

 

軍事基地の立ち入り禁止区画では、マインロッテ曹長のスタンド能力により経験と戦闘能力をマネキンにコピーしており、マネキンの残保有数分だけノーリスクで敵を襲撃できる。有能な兵士であるほど、その戦力は高くなる。だが現状それは、時間稼ぎにしかなっていない。

曹長は同時並行でラ・レヴォリュシオンに未確認勢力による軍事基地襲撃を報告していた。

 

「マインロッテ曹長!!!敵はこちらに向かっているという報告が上がっている。君のスタンドとやらは頼りになるのか?」

「………落ち着いてください、中佐。スタンドで敵をどうにか出来ないのなら、私たちにはそもそもどうにも出来ません。」

「ぐうッッッ!!!」

「そもそもスタンドとかいう存在自体がマユツバなのではないか?」

「それならマネキンが勝手に動き出すのを、あなたは一体どう説明しますか?」

 

想定外の敵の急襲であったために、前もって十全の備えなど出来るはずもない。

特に敵がタチが悪いのが、敵方に爆弾を所持していると思しき存在がいるということであった。

 

頻発するリュカ・マルカ・ウォルコットのスタンドによる爆破音は、兵士たちの士気を削ぎ、冷静な判断力を恐怖とイラつきによって低下させる。軍の上層部は混迷し正常な判断を見失い、何が正しい行動なのか決めかねている。下の兵士たちは独自に判断して侵入者と戦闘を繰り広げているものの、結果は芳しくない。

総合して状況は非常に悪いと言って良く、建物を爆弾で攻撃されることで電波障害も起こしている。将官たちは藁にもすがる思いで、この窮地に陣頭指揮をとる外部特別顧問官という怪しげな肩書きを持つマインロッテ曹長を頼りにしていた。

 

「忌憚なき君の意見が聞きたい。我々はどうすべきだ?たとえ我々の生存を度外視してでも、武力の重しである軍事基地が得体の知れない輩に乗っ取られることなどあってはならない。」

 

辺境の基地で階級が一番高い少将が、スタンドを使用するマインロッテ曹長に意見を乞うた。

 

「私にも正確にどうすべきだとは言えません。敵は少数で軍事基地に襲撃をかけるイかれた奴らだ。目的達成のために可能性が最も高いのは、我々がここで我慢を続けて籠城することだと思われます。」

「そうか………。」

 

彼らが居座るのは軍事基地の司令部ともいうべき要所であり、そこの機器を敵に抑えられてしまえば敵に軍事兵器を渡すことになる。

扉は電子制御で施錠され、分厚い鉄板でできたそれはミサイルも弾き外から開けることは不可能だ。普通に考えれば、スタンドであったとしても破壊不可能なはずだ。

 

「やあみんな。おじさんとお掃除の時間だよ。」

「何がッッッ!!!」

 

不可能なはずだった。

施錠されたはずの扉は勝手に開き、扉のすぐ外には両手に軍用散弾銃を構えた黒髪の男が立っていた。

室内の彼らは、一体何が起きたのか理解できない。意味がわからずに呆けていた。当然だ、何が起こったのかわかるはずがない。イアンのスタンド能力の特性により、たまたま扉を施錠している最先端のはずの電子機器が不具合を起こしてしまったのだから。

 

「しつこい汚れに散弾銃。そらそらそら。」

 

イアンは両手で散弾銃を同時に発砲し、その予想外に強力な反動に床に仰向けに転がり頭を打った。

イアンは銃火器は門外漢だ。

 

「いつつつ………。」

「アホ。言わんこっちゃねえ。」

 

あまりにもマヌケな有様に、オリバーは頭に手を置いて天井を見上げた。

しかしイアンの都合を操るスタンドの凶悪さにより、二丁から放たれた散弾はたまたま室内の人間を総ナメにした。

銃弾は肉を巻き込んで飛び散り、司令室は瞬く間に血の海と化す。

 

「マジかよ。やっぱりお前のスタンドは反則だな。」

 

イアンの放った散弾はたまたま人体急所に抉りこむ。

十人以上いたはずの人間はそのほとんどがイアンが両手に持った散弾銃の二撃で即死しており、イアンのスタンドの相変わらずの規格外さにオリバーは呆れた。

 

「お、お前らは一体何なんだ!何を目的にこんなことを………!」

「生き残ったのは二人、か。」

 

司令室内部では自身のスタンドで作成したマネキンを盾にして、マインロッテ曹長と他にもう一人だけが生き残っていた。

イアンにとって価値の無い人間は、イアンのスタンドの特性によりたまたま全滅したはずだ。逆に言えば二人が生き残れたのは、二人がわずかでもイアンを楽しませることが可能な人材であるということ。イアンは舌舐めずりをした。

 

「我々は旅人だよ。未だ見ぬ刺激的な劇を求めて、旅をしているんだ。」

 

イアンが床からゆっくりと立ち上がった。胡散臭い笑みを浮かべて、曹長の頭部に狙いを定めて散弾銃の引き金に指をかけた。

 

「曹長!!!」

「おやまあ。しつこい汚れがもう一匹。オリバー、お前は退がれ。」

 

散弾銃を発砲する直前に横合いから別のスタンド使いが横槍を入れ、何かがぶつかってイアンが手に持つ短機関銃を弾いた。

彼の名はレイヨン・リーズベル一等兵。マインロッテ曹長と同様に、裏社会から軍部に派遣されたスタンド使いである。

イアンは足下を何かが動いた気がして、視線を動かした。

 

「これは………?」

 

いつの間にか履いているスラックスの裾が破れて、右足から血が流れている。

イアンの視界をなにかが動き、反射で顔面を手で守った。

 

「死ねッッッ!!!」

 

マインロッテ曹長とリーズベル一等兵は隙を見て同時に短機関銃を構え、乱射した。

しかし銃弾は吸い込まれるように浄化の炎に喰われて蒸発していく。

 

「上?」

 

イアンの手からは何かに引っ掻かれたような傷が付いており、敵が向かったと思しき上方へ目をやった。

しかし敵は下から襲いかかってきた。イアンの顎が衝撃とともに跳ね上げられ、意識を揺さぶられたイアンはとっさにポケットからメスを取り出して周囲に投げた。

 

「チッ!!!」

 

曹長と一等兵は嫌な軌道を描くメスに反応して手にした武器で振り払い、短機関銃が明後日の方向に乱射され室内を跳弾した。

曹長と一等兵は慌てて部屋の物陰に退避した。

 

【ニャアアアアアア。】

「猫の………鳴き声?」

 

イアンが鳴き声がした方を見ると、そこにはのっぺらぼうの白い猫が存在した。

ノー・フェイス・ライフ、リーズベル一等兵のスタンドである。

 

「無粋、無粋、無粋の極みッッッ!!!スタンド使いならば、火器に頼らずにスタンドで勝負しろッッッ!!!飛び道具禁止だッッッ!!!」

 

伍長と一等兵が机の影からイアンに短機関銃の銃口を向け、イアンの周囲の浄化の炎は周囲を旋回した。

それは二人の短機関銃の銃口に纏わり付き、砲身をドロドロに溶かした。直後に右から白い猫がイアンに飛び付き、イアンは眼球を動かしてギリギリでそれに反応した。しかし反応したはずの猫の爪が、イアンの首筋を薄く切り裂いていく。さらに猫に気をとられたイアンの後面死角から、唯一破損を免れたマネキンが軍用ナイフを持って襲いかかってきた。

 

「なんだ君たちッッッ!!!いいスタンドを持っているじゃあないか!!!武器に頼らずに十分に戦えるではないかッッッ!!!」

 

イアンは目の端で然りげ無く姿を眩ませたマネキンを把握しており、攻撃のタイミングを直感だけで判断してナイフを持つ手を腕で掴んで防御した。イアンは腕を掴んだまま体を回転させ、マネキンを床に叩き落とした。マネキンに追撃しようとするも猫の攻撃を避けて好機を逃してしまう。しかしやはり躱したはずの猫の爪による擦過傷で、イアンの右腕は血を糸引いた。

 

「悪くない。猫の能力がわからないのがイイッッッ!!!避けたはずなのに攻撃を喰らっているッッッ!!!その謎を明かすまで、私は君達との遊びに付き合ってあげようじゃあないかッッッ!!!」

「おいイアン、悪いクセを出さずにさっさと終わらせて欲しいんだが?」

「お前は廊下の隅で縮こまっていろ、クソイワシ男ッッッ!!!」

 

イアンは凶悪な性能を誇る浄化の炎を使用せずに、猫とマネキンとの戦闘に臨んだ。

もともとイアンのクレイジー・パーガトリィは、幸運を味方にしイアンにとって都合のいい展開に持っていく能力を備えている。もしも浄化の炎を使用してしまえば、あらゆるものを浄化するそれは都合主義の能力と相まって適当に投げても敵に当たってしまう。イアンの能力の強力な遠隔攻撃は、非常に性能が高い。

 

「右かと思ったら左、上かと思ったら下。逆の方向を見せているのか?鏡の能力?あるいは幻覚を操る能力か?好奇心が刺激されるッッッ!!!」

 

猫は室内を俊敏に動き回り、イアンの隙を見てマネキンがナイフを構えて襲いくる。

イアンは流血を増やしながら、致命的なマネキンの攻撃を確実に避けるために意識を割いた。しかしそのために、猫の攻撃への対処はどうしても遅れる。ただでさえその能力が判然としない。

 

一方で曹長と一等兵も、イアンの周囲を旋回する青白い浄化の炎をひどく警戒している。

彼らは基本、理屈で物事を考える。短機関銃の銃身に使われるバナジウムの融点は、およそ二千℃。一瞬で銃身を溶かしたことから、青白い炎はそれよりはるかに高温であることが確定的だ。ただでさえ見るだけで印象として死を感じさせる色合いをしており、色の濃淡が揺らめくさまは地獄で苦しむ亡者を連想させる。イアンは飛び道具禁止だと告げたが、殺し合いで敵の一方的な通達を信じるなど当然バカげている。しかし自分から言い出した飛び道具禁止という通達を、無用に刺激して徒らに破らせたくない。そっちの方が曹長たちにとって都合がいいから。

曹長は懐に忍ばせた拳銃を、確実に敵が殺害できる時までとっておくことにしていた。

 

「右から来るから………左ッッッ!!!」

 

白い猫がイアンの右方向から襲い掛かり、これまでの経緯を考慮してイアンは執刀医を操って左のほうへ向かって反撃をした。

しかし。

 

「あぐッッッ!!!」

 

下から白い猫が爪を立て、イアンの顔面の顎の皮が鋭く切り裂かれた。

畳み掛けるようにマネキンがイアンに襲い掛かり、体勢を崩したイアンはうまく反応できない。

 

「クソ!!!運のいいやつだ!!!」

 

クレイジー・パーガトリィ、物事はイアンにとって都合よく推移する。

猫による顎への攻撃で若干脳が揺らされたイアンの足は縺れ、よろけて倒れ込むことでマネキンが逆手で持った致命的なナイフの一撃をたまたまかわすことに成功した。

上へ跳んだ白い猫は室内の机に降り立ち、床に降りて物陰を素早く移動する。イアンは猫の攻撃が致命傷にならないことを理解して、マネキンを確実に片付けることを決心した。

 

「ヤハハハハハハ!!!なんだかよくわからないが、楽しいじゃあないかッッッ!!!今日のディナーは、猫の開きだッッッ!!!」

「狂人が………!!!」

 

手術器具を両手の指に多数挟んだ執刀医が床を這うように滑らかに移動し、マネキンを凶器でバラそうと試みた。

しかしそれは命中せずに、いつの間にか背後から現れたマネキンが太い軍用ナイフを逆にイアンの背中に突き立てた。イアンの白衣が、血で赤く染まった。

 

「ぐうッッッ!!!」

 

イアン・ベルモットは猫の能力を誤解していた。否、敵がイアンが能力を誤解するように誘導し、猫より攻撃力の高いマネキンが確実に攻撃を命中させる隙を狙っていた。猫の能力は、猫の攻撃を誤認させるだけではない。マネキンの攻撃を誤認させ、ここ一番で効果的な札として切ってきたのである。

好機を見たマインロッテ曹長は物陰から出て拳銃を構え、銃口をイアンに向けた。

 

「おいおい、イアン。ふざけんなよ。多少の遊びは認めるが、こんな雑魚どもにいつまで苦戦したフリしてチンタラやってんだ?」

「猫の能力をッッッ………!!!」

遠目(ロング)で見たから俺は猫の能力はもうわかってるぜ。お前は毎回猫の()()()()攻撃に対応していた。恐らくは攻撃を受けるたびに、お前は視界か記憶のどちらかをいじられている。」

「ふざけるなッッッ!!!それは私が解明して楽しもうとッッッ!!!」

「ふざけてるのはお前だ!俺にだって願いがあり、俺はそのためにお前に協力をしている。それを忘れるんじゃねえよ!!!」

 

願いが矛盾した時、願いが叶うのは強い方だけ、それが基本ルール。オリバーもそれを知っている。

イアンの背後に控えていたオリバー・トレイルから重圧が滲み出し、それは曹長と一等兵だけではなくイアン・ベルモットさえも竦ませた。

 

「レイヨン!!!斉射だッッッ!!!ここで銃弾を撃ち尽くして奴らをハチの巣にするッッッ!!!」

 

マインロッテ曹長とレイヨン一等兵は拳銃を構え、引き金に指をかけた。その瞬間、オリバーの小型の回転木馬が室内に顕現する。

突然具現した圧倒的な存在感を放つそれに、二人は呆気に取られた。

 

「イアン、下がって歯を食いしばってろ。俺はお前が俺の願いを叶える条件で、お前に協力してんだぜ?その大前提が無くなれば、一体どうなるかわかってんだろ?」

【アギ、アギ、ギギギイヒヒヒヒヒヒイイィィィィィィィァァァァァォォォォッッッッッッッ!!!!!!】

 

回転木馬が、不気味に鋭く嘶いた。それは魂を揺さぶる不調和(ノイズ)であり、絶望の具現とも言える凶兆。

回転木馬の記憶を奪う能力は二次的なものであり、その能力の本質は感情の奔流。回転木馬の現出に不適切な多幸感に包まれた二人の兵士たちは、次の瞬間この世の地獄を垣間見る。

 

それはオリバー・トレイルというもとは真っ当な男の感情の奔流。イアン・ベルモットという悪鬼に付き合わされることにより、今まで彼は人間のやることとはとても思えない凄惨な拷問現場を見せられ続けてきた。その絶望の感情は伝播し、それが波状となって今二人の兵士たちを襲っている。

 

もしも家族が同じ目に会えば、もしも友人が同じ目に会えば、戦う力を持たない人間が無残に拷問されれば、兵士である彼らは一体どんな精神状態に陥るのか?

 

忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)、絶望と共にあるグロテスクな記憶。力を持たない人間が狂人に無惨に拷問されるさまは、真っ当な精神をした人間には忘れようとしても忘れられない。特に兵士は、一般市民を悲劇から救うために戦っているのだから。

 

二人の兵士たちの目から止めどなく涙が溢れ、歯はカチカチと噛み合わず、寒気が止まらずに己の肩を守るように抱いている。

眼球に力が入り充血し、爪が手のひらを破って血を流し、震える手に持つ銃はカランと音を立てて床に転がった。

 

オリバーはイアンを押し退けて室内に入室し、二人の落とした拳銃を拾って銃弾を三発ずつ撃ち込んだ。

ただでさえ真っ赤に染まった司令室に、新たに残酷に赤が飛び散った。

 

「俺の願いはたった一つだけ。入院する俺の息子が一秒でも長生きすることだ。そのためには、お前に死なれたら困るんだよ。」

 

オリバー・トレイルは、イアン・ベルモットの致命的な弱点だ。

傲岸不遜なイアンは、オリバーだけをこの世で唯一恐れている。

イアンの望みを脅かさない範囲であれば、イアンはオリバーの意見を尊重せざるを得ない。どうでもいいことで我を通せば、イアンの望みもオリバーの望みも、その両方が台無しになる。オリバーが全てを捨ててイアンを裏切るのが、イアンにとって最も恐ろしい。

 

イアンはオリバーを可能な限り戦わせないが、それは決してオリバーが戦えないという意味では無い。

死なれたら困るというのは嘘では無いが、作業的に行動するオリバーに任せてしまえばイアンの楽しみは半減するという面もある。

たとえそれがイアンの意向に多少反していようとも、イアンは余程のことでない限りオリバーに強く言うつもりはない。それだけ使えるし、実は強いのである。

 

「………そうか。仕方がない。ならいいさ。」

 

司令室に生きているのは二人きり。彼らは血の海の上で、表情を変えずに会話を交わした。

リュカやベロニカは、正確に把握していない。イアン・ベルモットは真っ当な人間であったはずのオリバー・トレイルを狂気に引きずり込んだことに、わずかながらにも負い目を感じている。

二人の間柄は、微妙な関係で均衡を保っていた。

 

◼️◼️◼️

 

名前

ジオバンニ・マインロッテ

スタンド

ダンス・イン・ザ・ボックス

概要

人間の戦闘力を模倣するマネキンを作成するスタンド使い。基地には計八体のマネキンがいて、車庫に一体、廊下に五体、司令室に二体配置されていた。司令室に配置されたうちの一体は、イアンの散弾によりすでに関節部分を破壊されて動くことが不可能だった。本体の階級は曹長。

 

名前

レイヨン・リーズベル

スタンド

ノー・フェイス・ライフ

概要

白いのっぺらぼうの猫のスタンド。早さに特長があり、攻防力は低い。敵に攻撃をくわえることで、敵の直前の記憶を一つ消し去ることが出来る。例えば猫がイアンの右から攻撃した場合、猫はそのままイアンの左側に通り抜けることになるが、攻撃の事実を消すことで猫はまだ右にいるとイアンに錯覚させることが出来る。その錯覚が、視覚障害を引き起こす。攻防力に劣るために、他のスタンド使いと組んで戦うことが前提。本体の階級は一等兵。

 

名前

オリバー・トレイル

スタンド

ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド

概要

もとは幸せの回転木馬だったはずが、狂気の夜を長く共に過ごすうちに能力が変質した。ラスト・メモリーは無差別感情共振波。オリバーは絶望に強い耐性があり、イアンは地味にダメージを受けている。

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