噛ませ犬のクラフトワーク   作:刺身798円

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ラスト・メモリー

「ここは………?」

 

白い天井を見上げて、清潔な布団に寝かされて、赤毛の青年は目を覚ました。

右側に目をやると、窓の外に木が生えている。ふかふかのベッドに横たわり、彼は何故自分がここにいるのかを思い出そうとした。

 

「やあ、おはよう。ずいぶん寝ていたようだね。」

「あなたは………?」

 

彼はしばらく自分がどうしてここにいるのか思案したが、その理由が思い浮かばない。

というよりも、頭が痛い。今日は何月何日?俺は何をしていた?思い出せない。

どうにも、記憶に抜けがある。

 

「君は一週間ほど寝ていたよ。ここはル・アーブルの病院だ。君は大怪我をして、セーヌ川をたゆたっていたんだよ。」

 

突然かけられた白衣を着た白髪の壮年の男性の言葉に、彼は引っ掛かりを覚えた。

 

「………待て。一週間………セーヌ川?怪我………?」

「先生、目を覚ましたんですか?」

 

怪我という言葉に胸の痛みを感じて、彼は病院着の緩い部分から自分の胸部へと目をやった。

彼の胸には包帯が巻かれており、その下には広範囲にケロイド状の火傷跡が残っていた。

 

「待ってください。彼はまだ病み上がりです。」

「あんたたちは………?」

 

彼のベッドのそばに中年の男が二人、寄ってきた。

彼の言葉に男は懐に手を入れて、手帳を取り出した。

 

「やあ。君は一週間ほどここに寝ていたんだ。私はル・アーブルの刑事だ。」

「刑事?」

「ああ。君が川で発見された前日、セーヌ川に架かるノルマンディー橋が爆破される事件が起きた。」

「ノルマンディー橋………。」

 

ノルマンディー橋………。

彼はその言葉に、自分の記憶がゆっくりと戻ってくるのを感じた。

 

「ああ。君が川で怪我をしていたことと何か関係あるんじゃあないかって思ってね。私たちはノルマンディー橋を爆破した犯人を探している。」

 

記憶が蘇ってきた。

ノルマンディー橋で二人の敵と邂逅し、スタンドの奥義を使用して戦闘。二人の敵は葬るも、第三の敵が現れて橋ごと爆破されて大怪我を負った。敵はディアボロ、ヴィネガー・ドッピオ、リュカ・マルカ・ウォルコット。そして彼らの裏にいる巨悪。

 

「………すまない。大切な用事を思い出した。行かないといけない。」

「待ちなさい!君はまだ怪我をしている!」

 

ベッドから起き上がった彼に、医師は大慌てした。

 

「逃げるつもりか?君は事件の重要参考人だ。爆破の犯人と関連性があるんじゃないのか?」

「俺の名前は、フランシス・ローウェン。ノルマンディー橋爆破の犯人ではない。ラ・レヴォリュシオンという組織に問い合わせれば、事件の詳細と俺の身元の照会ができるはずだ。」

 

逃げられることを警戒して抑えにかかった二人の刑事は、赤毛の男の筋肉質な体にたやすく跳ね除けられた。

 

「ラ・レヴォリュシオン!!!待てッッッ!!!お前は裏社会の関係者かッッッ!!!お前がノルマンディー橋を爆破したんじゃないのかッッッ!!!」

「………俺たちの組織は、フランスという国家に対して忠誠心を抱いている。天地神明に誓って俺は潔白だ。先生、入院費用はこちらまで請求してください。」

 

ローウェンは紙にラ・レヴォリュシオンの経理部の連絡先を書いて、白髪の医師へと手渡した。

 

「あ、ああ。」

「済まない。俺は急いでいる。後日出頭するし、どうか治療の礼も後回しで許してほしい。」

 

刑事たちはまるで車を抑えているかのように感じた。細身のローウェンの、どこにそんな力があるのか信じられない。

ローウェンの瞳の漆黒の殺意を目にした彼らに、ローウェンの歩みを止めることなど出来なかった。

 

◼️◼️◼️

 

起こりうる事態であれば、全てがイアンの都合通りに台本が進むイアンのスタンド能力クレイジー・パーガトリィ。

御都合主義の権化のような能力であるが、イアンにとって真に幸運であったのは、イアンのスタンドの能力自体とは全く別のところにあった。

 

「お前たちはその先には進めないよ。おめでたいやつらだ。」

 

イアンにとって最も幸福だったのは、たまたま人員不足を解消した際にイアンの下についたのが、オリバー・トレイルという男だったこと。感情の波を操る回転木馬、他人の脳の海馬と前頭葉を思うままに揺さぶる怪物。警官という職についていたために、己の仕事に非常に勤勉で忠実で、その能力は有能極まりない。スタンドの戦闘力は低く正面戦闘ではマリオ・ズッケェロにさえ勝ち目が無いが、それはあくまでも真正面からの殴り合いに限定した話。目的達成能力に関しては極めて高い。

 

危機管理能力が低く、スタンドのスペック自体は高くても能力がピーキーなイアン・ベルモット。

たまたま拾ったオリバーは、イアンの弱点を補うのに最適な人材だった。彼がいなければ、イアンはとっくにどこかでのたれ死んでいた可能性が高い。

 

「誰だッッッ!!!」

「勢い勇んで先へ進んではみたものの、帰り道が存在せずに元いた場所に帰れない。人生とは、その全てが現実(リアル)だ。人間は生まれ落ちてから不可逆に、常に死に向かって歩み続ける。お前たちはこれまでの人生で、そんなことがなかったのか?」

 

男の声が曲がってきた角の元いた方角からする。ズッケェロの左後方だ。マリオ・ズッケェロは困惑した。

眼前の回転木馬は強烈な存在感を放ち、なかなか目を離せない。目を離したすきにスタンド攻撃をされるという懸念もあった。

しかし本体は背後の角の先、スタンド自体は目の前。どうするかわずかに悩んだ隙に、回転木馬は消滅していく。

 

「おい、俺たちはなんでここの角を曲がったんだ?入り口はこっちじゃないはずだろう?」

 

ホル・ホースのその言葉に、ズッケェロも疑念を感じた。

 

「なんで俺はここの角を曲がったんだ?」

「おい、俺たちは外の戦いの援護に向かうために………。」

 

疑念を感じつつも二人が元の道に戻ると、建物の奥へと向かう方に輝く小型の回転木馬が鎮座していた。

その前には茶色い髪の軽薄そうな男が寄りかかり、マリオ・ズッケェロに向かって空虚な微笑みを浮かべた。

 

「お前たちはここで、なんの役にも立てずに時間を浪費することになる。イアンの指示(オーダー)は戦場の露払いだ。良かったな、相手が俺で。他の奴らだったら喜び勇んでお前たちを殺しにかかっているところだ。」

「お前は何者だッッッ!!!」

 

ズッケェロが冷汗をかきながら男を指差すも、男の背後の回転木馬が気になって仕方ない。

回転木馬は見るとなぜか幸福な気持ちになり、場違いなその感情にズッケェロもホル・ホースも自分に対して困惑の感情を感じている。

 

「死人の名前なぞどうだっていいだろう?名無しに生きて、名無しに死ぬ。俺は生きた屍、永遠に消えない罪を背負って煉獄を彷徨う亡霊のような存在だ。たった一つの目的のために、俺はここにいる。」

 

男はゆるゆると手を振ると、近くの扉に手をかけて部屋の中へと侵入していく。

扉が閉まると同時に、男を追いかけてズッケェロとホル・ホースは部屋に向かった。

 

「おい、なんで俺たちはここの部屋に入ろうとしてるんだ?」

 

いつの間にか廊下に設置してあったはずの回転木馬は消滅し、ズッケェロとホル・ホースの記憶が消滅する。

自分の記憶と行動に齟齬を感じ、二人は自分たちが何を目的に行動していたのか混乱して互いの確認をとった。

 

「俺たちは外の援護に………。」

「おい、ならばなんで俺たちはこの扉にッッッ!!!」

 

記憶に抜けがあり、なぜ目前の扉を開こうとしていたか思い出せない。

不可思議な多幸感だけがあり、罠、高確率で敵スタンドの攻撃を受けている。そう理解したズッケェロは、扉を開けることをしばしためらった。

 

「おい、どうすんだよぉー、戻って戦うのか?………この扉を開けるのか?これ、絶対おかしいぜ?」

 

ズッケェロは黙って思案する。

この扉を無視して外の援護に向かうか、敵の攻撃を受けていると判断して虎穴に入るか。

この先は十中八九、罠だ。誘われている。しかし不安要素を残しておきたくない。不安要素があるなら、それがいつズッケェロたちに不利に働くかわからないのだ。この中に敵がいるのなら、またいつどこで横槍を入れられるかわからない。それが今より致命的な状況下でないとは、断言できない。

 

「………この先へ進む。」

 

ホル・ホースの言葉にズッケェロは唾を飲み込み、覚悟を決めて扉を開けた。

扉はゆっくりと開かれて、部屋の中の様子が明らかになっていく。

 

「恥ずかしいことに、イアンの言葉に共感しちまったんだ。人生は苦難そのものであるって、な。それ以来、可愛いだけが取り柄だったはずの俺の回転木馬ちゃんは、こんなにも凶悪になっちまったよ。」

 

扉を開けた部屋の中には強烈な存在感を放つ回転木馬が鎮座し、茶髪の男が手をかけて軽薄な笑みを浮かべている。

木馬は歪んだ表情とともに、不気味に笑った。

 

【アア、アア、アレアレアエエエエエエエエエエエエッッッッッッッッッッ!!!!!!】

 

回転木馬は気持ち悪い悲鳴をあげて、その悲鳴を聞いた瞬間酷い虚無感と悲しみがマリオ・ズッケェロとホル・ホースを襲った。

 

忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)、虚無の記憶。人生って、悲しいよなぁ、苦しいよなぁ。ああ、共感はいらない。お前らはそこで永遠に俯いているといい。」

 

精神に多大な衝撃を受けた二人を尻目に、オリバーは脇をすり抜けて悠々と部屋から退室をしていく。

 

悲しみの記憶。

オリバーの息子の先天性の内臓疾患が発覚したその日、オリバーの妻は病院の帰り道に茫然自失とともに車に轢かれて呆気なく亡くなった。その日感じた空虚な気持ちを、オリバーはきっと永遠に忘れられない。まるで悪い夢のようであり、しかし人生に戻り道はない。絶望と虚無と悲しみに明け暮れたその日、オリバーはこの世が終わったかと錯覚した。

回転木馬はその時の感情を、二人に伝播させる。

 

「こんなにも虚しいのに、俺たちが必死になって戦う意味ってあんのか?」

 

ホル・ホースが部屋の中で、ポツリとつぶやいた。

空虚の回転木馬とともに部屋に二人がとり残される。彼らはオリバーがあの日感じた空虚さに抗えない。

オリバーの回転木馬に抗えるのは、例えば生存本能を脅かされたり、例えば明確な目標がある場合であったり、そういった回転木馬の与える感情を上回る何かが必要となる。今ここにいるのはズッケェロとホル・ホースと回転木馬、標的はいない。

 

オリバーは間違えても苦しくとも傷だらけでも、それでも這ってでも人生を先へと進み続けてきた。オリバーは苦しみも絶望も喜びも悲しみも、その全てを味わい乗り越えてきたのである。というよりも、無常に流れ行く時間に引きずられて人生に翻弄されながらもそれでも今、かろうじて両足で立つことができていると言ったほうがいいのかもしれない。

 

人はそこに希望があるから、先へ進める。

彼は傷だらけの心を奮い立たせて、かろうじて最後の希望のために前に進んでいる。

しかし………道の先には袋小路が目に見えていて、それはもう近い。

 

オリバーが有能なのは当たり前だ。

彼は戻り道の無い人生を、傷だらけになりながらたった一つの希望のために死にもの狂いで進んできた。その全てが現実であり、苦難を超えた果てに鯉は龍と成って天へと至る。弱者だったオリバーはまさしく、苦難の末に龍に成り上がったのである。

彼は忍耐強く、目的のためなら全てを捨て去る覚悟を持ち合わせ、人生の苦しみに窒息しそうになりながらもそれでも前を向いて軽薄に笑う。

 

「………人生に戻り道があるって思える奴らが、羨ましいよ。」

 

回転木馬が寂しげに、嘶いた。

 

◼️◼️◼️

 

「千日手、これは予定調和ではあるが、半分近くあっと言う間にやられるとは。クソッッッ!ふざけやがって。」

 

軍事基地の屋上から眼下を睥睨する不遜な黒髪の男、ミスタはその男に目をやって、不快な表情をした。

パッショーネ戦闘部隊、彼らは軍用車に乗って突撃をし、その多くがリュカの地雷とイアンの煉獄の相乗効果により不幸にも同時に対戦車地雷を踏んで大破した。車両をたまたま同時に爆破されて混乱している隙に敵襲を受け、その半数が瞬く間に死亡もしくは脱落、その後軍用車や建物を陰にして中距離の銃撃に終始し、今に至る。

 

情報はフランスの戦闘部隊と共有を行い、戦力の保持に主眼を置いた持久戦、その目的はパッショーネ暗殺チームという別働隊を本命に据えた作戦。それでも暗殺チームが確実ではない上に、手を抜きすぎれば敵に狙いを看破される恐れもある。作戦に融通を効かせるために攻撃を試みるも、敵は死という概念がそもそもないマネキン二体と百戦錬磨のスタンド使い二人。そして屋上から高みの見物を決め込む不愉快な一人。

 

「今日の運勢占いは確認したかい?今日のあなたは天中殺。やる事なす事全てが上手くいかず、自暴自棄のまま儚くなるでしょう。」

 

屋上にいる黒髪の男、不快だがミスタのセックス・ピストルズの射程外だ。

建物から出て周囲を覆う赤黒い空間、それが何らかのスタンド能力であることは明白で、遠距離からの銃撃が敵に一切当たらない。屋上めがけて機銃掃射する戦闘ヘリの機関銃も当たらない。能力の詳細は不明だが、とにかく偏に状況がよろしくない。現状を鑑みれば、敵スタンドの能力がよほど優秀なのだと断言できる。

 

イアンのクレイジー・パーガトリィ、その恐ろしい能力、起こりうる事態であれば、物事はイアンにとって都合よく推移する。

例えば攻撃が当たらないことに何らかの明確な理由があれば、その要因を排除すれば攻撃が効果を発揮するようになる。銃が悪くて攻撃が当たらないなら銃を直せばいいし、目が悪くて攻撃が当たらないなら視力を矯正すればいい。

 

しかし偶然、たまたまという要素はどうやっても排除しきれない。隕石が空からたまたま降ってきてしまえば、人に為すすべはないのと同様だ。スタンド能力の元凶であるイアン・ベルモットを倒す他に手段が無く、元凶を倒すことはそもそもの作戦の最上目的である。イアンの能力、狂者の煉獄は、天の差配すらも支配する。

 

どんな射撃の名手であったとしても、試射や練習も含めて一発も銃弾を外さないなんてあり得ない。

例えば地軸、湿度、風、空気中の微細な埃や生物、そういった確定させ辛い数多の要素を考慮すれば、たとえ射撃の名手ジョンガリ・Aだったとしてもいつかは射撃を外す。

 

「クソッッッ!!!」

 

ここまでの攻撃での戦果は、たまたま上手く一度だけスキンヘッドの男をセックス・ピストルズの射程内に誘導してミスタが一発だけ当てた銃弾だけであり、その他の銃撃は全て攻撃を意に介さないマネキンにしか当たっていない。今も屋上の男に向けてミスタは銃撃を続けているが、銃弾は虚しく屋上の壁を叩いているだけだ。クソみたいな戦果であり、このままではここまで必死に戦った意味が水泡と帰してしまう。

それでも現状維持がベストだ。

 

「ついてないねぇ。今日はもう帰って、家でお茶でも飲んでおくのが吉。」

「ざけやがって!!!」

 

屋上の男はいやらしい笑みを浮かべ、前面のミスタの部下たちは爆弾使いのスタンドと酸のスタンドと牽制しつつ戦っている。

 

「前に出すぎるなッッッ!!!」

 

忍耐が切れて赤黒い空間に近づき過ぎた味方が、リュカの地雷を踏んで吹っ飛ばされた。敵の頭数は多くないが、スタンド戦闘の専門家でそのバックには何らかの恐ろしいスタンド使いが控えている。

いよいよもって戦略兵器の使用を本格的に考えざるを得なくなったことに、ミスタは頭を痛めた。

 

◼️◼️◼️

 

「なーんもする気が起きねぇや。なぁズッケェロ、俺たちは何でこんなとこにいんだ?お前もバカバカしく思わね?」

 

マリオ・ズッケェロは、虚無に襲われている。

戦って死んでも誰も評価してくれず、都合のいい社会の犬として省みられることはない。天涯孤独の彼は財産を残す相手もおらず、それこそ死んだところで犬死に。馬鹿な男、都合のいい道具だと心無い人間に指差されて嘲笑われる。それが彼らの人生。

そんなつまらないことに必死になって、一体何になる?

 

「………いいや、そんなことはねえ!」

 

ズッケェロは必死に己の中のその声を否定し、虚無を振り撒く回転木馬を見ないように目を離そうとした。

感情は悲しみに満たされて行動を嫌がっている。しかし、理詰めで考えればどう考えても自分たちがサボっていいわけがない。

 

「意味ねえよ。パッショーネに命までかける義理はねえだろ?痛いのやだし。そんなことより、楽しいことだけやってりゃあいいじゃねえか。」

「戦わねえと!サーレーが………。」

「大丈夫だよ。サーレーは俺たちなんかよりずっと強え。俺たちゃどうせゴミクズなんだから、他の立派な奴らに任しときゃいいんだよ。」

 

回転木馬の虚無はホル・ホースの心の中に侵入し、猛威を振るっている。

 

「ダメだ!ホル・ホース!!!」

「マジになんなよ。どうせなるようにしかならねえんだし………。」

「ホル・ホース、銃で俺を撃てッッッ!!!」

 

どれだけ振り払おうとしても心を侵食する虚無に、ズッケェロは心を正気に戻すために叫んだ。

 

「そんなことしても………。」

「いいから撃てッッッ!!!」

 

そのほんの少しあと。

軍事基地の廊下の角で、オリバー・トレイルは缶コーヒーを飲みながら無力化した二人を隔離した部屋を見張っていた。

 

「………無駄なことをするねえ。」

「無駄じゃねえよ。」

 

回転木馬は、強い感情を与えて記憶を喪失させる能力。

その弱点は、押し付た感情を上回る何かを受けた場合である。感情を思わず忘れるほどの何かがあれば、回転木馬の能力は強制的に解除される。

具体的に言えば、生命の危機のある攻撃を受けた場合、生存本能が感情を上回り回転木馬は効力を失う。

 

マリオ・ズッケェロの脇腹からは銃弾による傷穴より血が流れている。ズッケェロは脇腹を抑えて立ち上がった。

ホル・ホースもズッケェロが能力を解除して立ち上がった。

 

「お前たちはしばらくその部屋でおとなしくしときゃいいんだよ。余計なことをして誰かの怒りを買えば、命の保証はねえぜ。」

「………暗殺チームには最初から命の保証なんてねえ。ヌリィこと言ってんじゃねえよ。お前が俺たちの敵だな?」

 

ホル・ホースの銃弾を腹部に受けて一時的に正気に戻ったズッケェロは、ホル・ホースを能力を使用して抱え、痛みを自分の能力である麻薬の症状で誤魔化して部屋を這い出てきた。

 

「まあそれも正解っちゃあ正解だな。上手い手だとは思えねぇが。俺の能力を攻略するには、俺の受けた苦しみを真正面から乗り越えるか、どうにかして消すかしかねえ。生命の危機を感じる痛みなら、俺が受けた苦しみを消せるだろうさ。」

 

オリバーは腹部から血を流すズッケェロに目をやった。

缶コーヒーの缶を投げ捨てて、懐に手を入れた。

 

「動くな!!!」

「だが甘すぎるぜ?俺がこういった事態を想定していなかったとでも思うのか?」

 

ホル・ホースが廊下で銃を構え、マリオ・ズッケェロは不審な動きをするオリバーに詰め寄ろうとした。

 

忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)、憤怒の記憶。」

【ザザギ、ギ、ギ、ギシャアアアアアアェェッェェッッッェェェェッッッッ!!!!!!】

 

回転木馬が廊下に突如現れて、脳を激しく揺さぶる奇声を上げる。

それは、オリバーの怒りと焦りの記憶。

 

もともとかつてオリバーは、息子の手術にかかる40万ユーロという巨額の費用を基金を募って賄おうとした。ただの一警官に過ぎなかったオリバー、40万ユーロという金額は目も眩む大金であり、それは日本円換算にしておよそ五千万円。薄給の警官だった彼にはとても手が届かなかった。

 

そのために義援金を募り、手術を執り行なおうとしたのであるが、いざという段になって義援金設立の協力者が金を持ち逃げした。

オリバーは生まれて初めて本気で他人に殺意を覚え、憤り、焦燥した。世間は金を出さない人間に限って、管理責任の甘さが犯罪を助長したとして傷付いたオリバーを非難した。

 

息子の命は危ぶまれ、大切な金は失い、警官としての立場も失った。

………金と立場はまだどうでもいい。失ってもいつか取り戻せる。少なくともそう開き直ることが出来る。

手術さえ………。息子の命だけは………。

 

………そんなことがなければ、せめてオリバーはイアンに協力することもなかったに違いない。金さえあれば、彼の息子は真っ当に救われるはずだった。オリバーはイアンに縋り、オリバーはイアンに恩義を感じてしまった。

 

社会に対して恨みがないとは言わない。憎しみがないとも言わない。

だがオリバーは、無関係の人々の破滅を望むほどには拗らせていない。彼を攻撃したのは、社会のごく一部の人間だとはわかっている。

 

そうではない。オリバーは恨みや憎しみのために戦っているわけではない。

どれだけ苦しくとも、たとえ地を這ってでも。それが血塗られた荊まみれの道だろうと。

生きる動機、最後の希望のために、オリバーは前に進むために他の全てを唾棄し、投げ捨てて戦う。

絶望、悲哀、憤怒、虚無、感情のごった煮の回転木馬、混沌の宮殿の最深部、狂気の最果て、開けてはいけないパンドラの箱の奥底にはいつだって希望が眠っているのだから。

 

ゆえにオリバーは、どうあっても強くあらねばならない。オリバーは何者をも打ち倒す龍でなければならない。

………誰かの願いが矛盾した時、叶うのは強い方だけだから。

 

回転木馬に脳を揺さぶられたマリオ・ズッケェロは冷静さを失いオリバーに突っかかり、ホル・ホースは怒りに任せて拳銃の引き金に手をかけた。

しかしマリオ・ズッケェロはホル・ホースから受けた銃弾の痛みで体が引き攣り、先に動いたズッケェロの体で射線を阻害されたホル・ホースは銃撃を一瞬躊躇した。

 

「スタンドは、理解することが極意だ。お前たちには要らぬ説法だったか?」

 

オリバーは二人が動くよりも素早く、散弾銃を構えて発砲する。

命の危機に晒された二人は、感情から体の主導権を取り戻し慌てて必死に飛び退いた。

 

「俺のスタンドは敵の感情の主導権を奪い、イアンのスタンドは都合のいいことが起こる。スタンドの特性を理解すれば、俺たちはお前たちに対して優位に立てる。たとえ俺のような取るに足らない雑魚だったとしてもな。」

 

オリバーは銃弾を受けて倒れた二人を尻目に廊下を悠々と歩いて遠ざかっていく。

ホル・ホースが我を取り戻して発砲するより早く、オリバーは廊下の角を曲がった。

 

「お前たちは、たまたま散弾銃の銃弾が脚部の筋繊維を引き千切った。もう動けない。どうしても叶えたい願いがあるのなら、俺みたいに這いつくばって先に進むといい。」

「クソがあああぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 

床にズッケェロとホル・ホースの血が流れ、這ってしか進めなくなった状態にズッケェロは怒声を上げた。

 

◼️◼️◼️

 

「滑らかな動き。私からイイネを進呈しよう。実にいい。」

「………顔面を縦にかち割ってやるよ。」

 

天井から音も無く床に降り立ったサーレーは、踊るように剣舞を舞い、その剣戟をイアンはぎこちない動きで何とか躱した。

周囲には浄化の炎が忙しなく旋回し、螺旋軌道を描いてサーレーに襲いかかる。

 

「またこれか。芸のない男だ。」

「どうだろうね?」

 

旋回し、半径を縮めながら襲いかかる浄化の炎に、サーレーのクラフト・ワークは断頭の剣を振り回して撃ち落とした。

サーレーはそのまま剣を掲げて、イアンの前に立つ執刀医に斬りかかった。

 

私は超人になりたい。(I wanna be superman.)奇跡を欲し、苦難を乗り超え、君を地に落として私は天に上ろう。きっとそこで待っていれば、私の求める誰かが上ってくるはずだ。それとも君がその誰かなのかい?」

「お前に未来はない。お前はここで死ぬんだよ。」

 

クラフト・ワークに叩き折られた腕はすでに施術し、接骨してある。執刀医は、部屋の中で縦斬りに遠心力を伴って振り回される剣を片手でつかんだ。

サーレーは驚いて剣に目をやると、浄化の炎を斬り落とした剣は熱でドロドロに溶け、分厚い剣身は見るも無残に細くなっていた。

執刀医が剣をつかんだ逆の手にメスを突き出し、クラフト・ワークは剣を手放してそれを間一髪で避けた。浄化の炎が周囲を再度浮遊旋回して、サーレーに向かって収束する。イアンは両手を上げて、哄笑した。

 

「あはははっははっははは!!!さあ、どうする?君は私と同じ舞台に上がる価値があるのか?それともここで無為に死ぬのか?私に君の価値を証明して見せてくれ!!!」

「おおおおおおッッッ!!!」

「なにッッッ!!!」

 

サーレーは空中を泳ぐ浄化の炎を無視して、クラフト・ワークのラニャテーラを展開した。

不可視の蜘蛛の糸に引っかかり動きが一瞬拘束されたイアンに向かって、サーレーは遮二無二突っ込んだ。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

 

サーレーは無意識にコマ送りを使用して、浄化の炎が直撃せずかつイアンに最短の経路をとっていた。

円軌道をしていた浄化の炎を体にかすらせながら、ラニャテーラという不可視予想外の攻撃に対応が遅れたイアンにサーレーは肉薄した。

クラフト・ワークが至近距離からイアンの腹部を拳で突き破り、イアンの手術室には血肉が飛び散った。

 

「グッ………やるね、マイフレンド。」

 

………忘れているかもしれないが、ここはイアンのスタンドである手術室の内部だ。

そこには遠心分離機や電子レンジがあるし、ガラスに仕切られた向こう部屋も存在する。

 

そしてもちろん、冷蔵庫もある。

 

冷蔵庫は、イアンの狂気の象徴。

イアンの狂気と妄想の世界では、生物みなすべからく冷蔵庫から生まれる。

 

父なる電子レンジ、母なる冷蔵庫、手術台は近所のちょっとエッチなお姉さんで、遠心分離機は幸せな家庭の敵である間男、ペットにオリバー。ガラスを一枚隔てた向こう側には、亡者の彷徨う地獄が広がっている。

 

幸せ家族計画。

ひどくシュールな狂人式おままごと。

 

サーレーの攻撃がイアンに命中したその瞬間、手術室の冷蔵庫の扉が音も無く開いた。

イアンの狂気の手術室、妄想の具現。冷蔵庫の中で、荒ぶる魂がドクリと脈を打つ。

 

「扉が開いた………。俺の出番ということか。」

 

願いを叶えるランプの魔人ならぬ、冷蔵庫の吸血鬼。一周回って逆に古いし、全然面白くもない。

金の髪に高身長、強靭な肉体と膂力を持ち合わせ、時間すら支配する最強のスタンド使い。

 

【遊びのルールは忘れていないね?】

「ふん。」

 

夢見がちな少年の妄想、最強幻想が目を覚ます。

 

◼️◼️◼️

 

名称

オリバー・トレイル

スタンド

ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド

概要

その能力の全貌が明かされたオリバーの回転木馬。スタンド自体に戦闘能力はないが、幸福の感情の他にもオリバーが死に物狂いで乗り越えてきた絶望、悲哀、苦難、憤怒といったさまざまな感情を相手に伝播させる。その感情に抗うのは非常に困難。回転木馬の記憶を残せない能力は、副次的なものである。ディアボロは、オリバーがこんなにも有能だったことを知らない。ディアボロザマァとか言ってはいけない、こともない。

 

名称

ディオ・ブランドーに外見がよく似た男

スタンド

ザ・ワールド・アナザーヘヴン

概要

手術室で生まれた、ディオに外見が少しだけ似た男。その能力は明かされていない。

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