噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
アメリカに行ったマリオ・ズッケェロが、現地から得体の知れない男を拾ってきた。
いまいち理解できない。なぜコイツを拾ってくる理由があったのだろうか?
『サーレーのアニキ、お待ちしていました。』
犬猫ではあるまいし、相手は仮にも人間だ。どういった理由で、どんな意図でわざわざアメリカから拾ってきたのか、全く理解できない。……これは人さらいではないのか?ズッケェロのエラーがちな頭の中身を最新式にアップデートする必要がありそうだ。そうすれば少しは世間の常識に馴染むことだろう。
挙句に新たな人員にかかる人件費とかで、サーレーのボーナスの話は無しになった。
ボーナスは組織の金ではなくボスのポケットマネーから出るんじゃなかったのか?パッショーネはどこまでブラックなのだろうか?
……金が入ったら、今度の土曜にでもジュゼッペ・メアッツァにミラノクラブチームの応援に行こうと思っていたのだが?
サーレーは男の顔を見て、贅沢なひと時がこの鬱陶しい男に変わったのを、ひどく嘆いた。唯一の利点は、喋る言語が英語で勉強になることくらいだろうか。
サーレーはその落とし穴に気付いていない。英語ということ自体は共通だが、イングランドとアメリカでもまた微妙に言語自体に差はある。このままでは上手くなってもそれはイギリス英語ではなく、アメリカ英語である。
『俺が肩をお揉みしますよ。』
名前はドナテロ・ヴェルサス。年齢はサーレーたちより少し下くらいだろうか?
イタリアに来てしばらくはズッケェロの家に厄介になっていたようだが、自身のスタンドを制御できるようになると同時に一人暮らしを許されたようだ。
『オラ、サーレーのアニキが道を通るぜッッ!道を開けやがれッッ!』
しばらく接してみてわかったが、このドナテロという男はなかなか卑屈で、ゲスい。口調も慇懃無礼な印象を受ける。
一般人に凄むし、上の人間には見ていて清々しくなるくらい頭をヘコヘコ下げる。下っ端の見本のような動きだ。サーレーは見ていて感心した。
挙句に、視線が怪しい。未成年と思しき
手の打ちようがない、と言うよりもあまり知り合いだと思われたくない。
ただでさえ低いサーレーの信頼が、地の底を突き破ったオーストラリアを超えて地球の裏側の成層圏まで到達してしまいそうだ。
「似た者同士じゃあない。アンタらもはたから見たら、だいたいそんな感じよ。」
シーラ・Eの痛烈な皮肉が、サーレーの胸に深く深く突き刺さる。
彼女は容赦しない。歯に絹を着せない。隙を見逃さない。刺せる時は確実に刺してくる。
さすがは裏社会で丁々発止してきた人間だ。もう少し手柔らかにしていただけないものか?
「ここまでひどくはないだろう!」
「……アンタらチームでしょ?仲良くしなさい。」
「そうですよアニキ。」
ズッケェロは相変わらず人の話を聞いてない。会話には加わらず、通りの向こうに新しく出来たピッツァの店に興味津々だ。
……馬鹿なやつだ。見習いを脱出したら、組織の暗殺者である。
出来ればどっかのチームが引き取ってくれるか、一生下働きが本人にとって幸せのはずだ。
〝アンダー・ワールド〟戦闘においてはそこそこ使える能力だが、どちらかというとどこかの拠点の防衛のために役立てた方が良さそうにも思える。正直、本人もいまいち人間的に信用しきれない。根拠はないが、いつか裏切りそうな予感がする。
組織が何のためにドナテロを暗殺チームに所属させたのか、サーレーにはさっぱり理解できなかった。
真実は、ムーロロが対応に面倒くさくなっただけだということを、サーレーは知らない。
◼️◼️◼️
『仕事だ。』
家で英会話の勉強をしていたら、ムーロロから電話が入ってきた。サーレーは少し緊張する。
だいたい理解が出来てきた。重要な任務は、ボスの懐刀であるムーロロを通じてサーレーたちに言い渡される。
「詳細を。」
『厄介な仕事だ。国の公安からパッショーネに協力要請がきた。東の方から終末思想に傾倒した過激な宗教団体がイタリアに入国しようとしているらしい。』
「それで?」
『奴らそこそこいいパトロンを見つけたらしく、イタリア本国も入国を拒めなかった。他の国の組織からの確認も済んでいる。恐らく奴らの狙いはカトリックの総本山、バチカンでのテロ行為ではないかと推測されている。世界で最も教徒が多いカトリックに、自分たちの宗教の教義を広めようという意図なのではないかということだ。』
「続きを。」
『証拠さえ見つかれば、あとは国の公安の仕事だ。恐らくは内乱未遂罪が適用される。しかしそいつらは入国に際して危険物を所持していなかった。だからパッショーネで行動を起こす。作戦はこうだ。奴らの入国と同時に、イタリアの各地の空港で大規模なショーペロ(ストライキ)を扇動する。空路が不通になれば、奴らは陸路を伝うしかなくなる。列車を秘密裏にパッショーネの人員で占拠する。すでにそいつらを組織の人員が見張っている。大規模な作戦だ。』
「陸路は封鎖しないのか?」
『陸路まで封鎖しちまったら、そいつらが次に取る行動が読めなくなる。今度はベネツィア近郊が被害を被る可能性が出てくる。』
「概要は理解した。俺の仕事は?」
『そいつらは俺が調べた前情報ではスタンド使いはいねえはずだ。だが万が一という話もある……。』
「それで?」
『危険物が見つかり次第、そいつらを拘束してイタリア当局に引き渡す。お前の仕事はその際の拘束だ。それが基本だ。だが、用心は怠っちゃいけねえ。絶対に相手にスタンド使いが紛れ込んでねえとは、俺でも言い切れない。対応を間違えれば、ローマ駅かバチカン市国か列車に乗ったパッショーネの人員、そのいずれかが吹っ飛ぶことになる可能性は高え。わかるな?』
「……ああ。」
『お前は今すぐベネツィアの駅に向かえ。俺は奴らの行動の精査を行わないといけねえ。危険物を探すことが俺の仕事だ。時間はいつまでもあるわけじゃねえ。理解できたのなら、もう切るぞ?』
ムーロロは通話を切った。
パッショーネは国のテロ対策まで行っているらしい。……厄介な仕事だ。
◼️◼️◼️
処刑執行人は神の代行者であり、組織から多大な敬意を受ける。
彼らは社会的に高い地位を与えられ、お前は必要な人材だと、お前の居場所はあるのだと社会に肯定される。
お前は、神の代わりだ。お前は、間違っていない。お前は、立派な行いをしている。
それらには意味がある。物事には、全てに意味があるのだ。
◼️◼️◼️
土曜日の午前中、サーレーは相棒のズッケェロを伴ってベネツィアの駅にいた。駅構内には人がごった返している。
「すげえな。これのほとんどがパッショーネの人員なのか。お前、わかるか?」
「キョロつくな。対象に怪しまれたらどうする。時間まで静かに待っておけ。」
過激宗教団体の連中が駅に到着するまでさほど時間はないはずだ。
サーレーたちはパッショーネの人員からすでに行動の指示を受けている。指示を出してきたのはパンナコッタ・フーゴだ。彼も最悪を想定した保険として駆り出されているらしい。
パッショーネの作戦は、シンプルだ。
イタリアではパッショーネと言えば、子供でさえもその名前を知らないものはいない。特権を持つ。
乗ってきた危険な奴らを一つの車両に集めて、他はパッショーネの人員で占拠する。間違えて乗った人間は秘密裏に降車を促す。あるいはそれが叶わなければパッショーネの人員が保護する。
あとは、列車が動いているあいだにムーロロたち情報部が危険物を探し出して、それが見つかり次第相手人員を拘束する。そのあとは国の公安の仕事だ。
どうしても危険物が見つからない時は、列車を停車させることも視野に入れている。
「奴らだな。」
「ああ。」
サーレーはズッケェロにしか聞こえないように、小声で囁いた。
似たような格好の人間が20人前後、駅の構内に現れた。年齢や人種には若干のバラツキがある。
格好にそこまでの不自然さはないが、組織の仕入れた前情報と団体というだけで丸わかりだ。20人が似たような格好というのもわかりやすい。宗教の正装かなんかだろう。
サーレーとズッケェロの二人は駅構内の、コンクリート柱に寄りかかっている。
『ただいま、ベネツィアの駅に到着致しました。この列車はローマへの直行便となっております。』
列車はフィレンツェからローマへの直行便だ。所要時間はおよそ三時間半。
その間にムーロロたち情報部は、爆弾を探し出してパッショーネの人員に指示を送ってくるはずだ。
「乗ったな。行くぞ!」
「ああ。」
一切のミスは許されない。
ここでミスを犯せば、サーレーたちの組織内での立場が悪くなるだけでなく、社会的にパッショーネの存在意義が問われることとなる。
サーレーとズッケェロは用意されていた車両の席に座る。
ローマ行きの急行列車は、やがてゆっくりと動き始めた。
◼️◼️◼️
情報部のムーロロは、若干焦っていた。
危険物が見つからない。相手集団の足跡を辿ったのだが、それはどこにも見つからなかった。ムーロロは探し物に関してはエキスパートだ。
最もわかりやすい列車の貨物には水と食料が載せられていたし、他にもいくつか囮らしき行動として荷物が各地に発送されてはいたものの、それらは全て危険物とは無縁のものだった。しかしまさか観光での入国とも思えない。裏は取れている。
ムーロロたち情報部が外れを引いているうちにも、凄まじい速度で列車はローマへと近づいている。
ーー視点を変えるしかねえか。
ムーロロは相手の足跡を追うのは部下に任せて、集団にスタンド使いが紛れ込んでいる可能性を視野に入れた。
◼️◼️◼️
サーレーは、若干不穏な空気を感じ始めていた。相棒のズッケェロも、同様だ。
列車はすでに、走り始めて二時間以上が経っている。すでにフィレンツェは通り過ぎた。フィレンツェはベネツィア、ローマ間の半分の目安だ。
最悪列車を止めるとは言っているものの、あの有能なムーロロがこんなにも探し物に長時間手間取っているのは不自然だ。
「オイ、どーするよ?」
「落ち着け。」
相棒のズッケェロは若干、焦っている。
特に接触をしたりはしないが、周りの人間もパッショーネの人員のはずだ。
列車に乗車した際、サーレーたちも確認を行っている。
周囲の人間は間違いなくパッショーネの人間で、上からはまだ指示が来ていない。
時間とは、必要な時に限って過ぎて行くのが早い。
この辺りはもうオルビエトで、ローマまではせいぜいあと100キロ。特急だともう4〜50分程度しか時間はない。列車を止めると相手方に間違いなく怪しまれる。パッショーネの負担することになる経済的な損失も大きい。
サーレーは心配し、その時サーレーの携帯電話が鳴った。
「どうした?」
僅かな焦りを感じながらも、サーレーは電話を取った。情報部のムーロロからだった。
念のために周囲に会話を聞かれないように、電話を取ると同時に車両の後部にある列車のトイレへとこもる。
たとえ周りがパッショーネの人間であっても、聞かせていい話とは限らない。
『……予定が変わった。』
「何?」
『納得できるように、最低限の説明は行う。奴らにスタンド使いが混じっている。急遽お前の
「マジか。」
『ああ。間違いねえ。お前らの列車の上空、およそ20メートルの地点に爆弾がある。盲点だった。スタンドは網のようなスタンドで、それで爆弾を空輸しているようだ。だからお前の仕事になった。気付かれないように、静かにヤれ。』
「……爆弾が落下の衝撃で爆発する可能性は?」
『対策は済んでいる。パッショーネとしても絶対にヘマするわけにはいかねえ事態だからな。もともと使えそうな組織のスタンド使いは念のために全員ローマに集めていた。標的の位置を割り出して、五分後に列車が通過する地点付近に対応可能な組織のスタンド使いを人海戦術で最大限派遣している。そこは抜かりねえ。安心しろ。』
「空で爆弾を爆発させてしまうわけには?」
『詳しい炸薬量は確定してないが、大きさから推定しておそらく列車が爆弾の爆破有効半径に入ってる。爆発させたらお前ら全員、ぶっ飛ぶぜ?だからそいつらをヤれ。』
「ぜ……全員か?」
『ああ。わかっているだろう?上空のスタンドは今は沈黙して輸送を行っているだけだが、どんな能力を持っているかわかったもんじゃあねえ。いつ発火するかこっちとしちゃあ、ヒヤヒヤもんだ。本体がどいつか見分けられねえし、下手な追い詰め方をしたら今度は列車ごと爆破しようとしてくる可能性は高え。気付かれないように、静かに全滅させろ。すでに車内の奴らには連絡が行っている。後片付けはそいつらが全部行う。行動は五分後だ。』
「……気絶させるだけではダメなのか?」
『ああ、ダメだ。気絶させただけじゃあ、確実性にかける。本体を拘束しただけではスタンドによっては使えるだろう?間違えて爆発したら、それがどこであろうとも損失は計り知れねえ。その列車だって、パッショーネの人間が一体何人乗ってるか、お前だってわかってんだろ?そいつらはお前の良き隣人で、お前と同じようにフットボールクラブを愛したり仕事後の一杯を何より楽しみにしている奴らだ。サーレー、大切なものを見失うな。』
サーレーの背中を冷たい汗が流れた。20人という大人数の虐殺はさすがにサーレーの精神にも負担になる。前任の暗殺チームであれば、顔色を変えずにそれを実行していただろう。サーレーはまだそこまで割り切れていない。もともとは彼は、大金に目が眩んだだけのただのチンピラだ。
しかし、彼は目を閉じて自身の精神を落ち着かせる。電話を切って、トイレの中から車内へと戻った。
サーレーと入れ替わりに、少年がトイレに入ってきた。年齢は七歳前後だろうか?恐らくは小学校に上がったくらいだろう。手にはイタリアのアニメーションのヒーローのフィギュアを持っている。
懐かしい。サーレーも子供の頃よく見たし、応援していた。テレビの中の正義の味方はカッコよかったし、サーレーも幼い頃は立派な人間に憧れていた。それを思い返したサーレーの心の中に、僅かに温かさが生まれた。
それなのになぜ、今サーレーは人を殺す決意を固めているのだろう?
サーレーは首を振った。こんな感情にとらわれるべきではない。失敗の元だ。
サーレーは多くの人々を守るために行動するのだ。
サーレーは若干の懐古とともに、僅かな清涼な感情を感じた。自分が悪を懲らしめる正義の味方だと思い込めば、行動に迷いもなくなる。
相棒のズッケェロの下に戻り、告げた。
「仕事が変わった。仕事の性質上、俺が一人でやるのがやりやすい。俺は五分後に動く。お前はここで待っていてくれ。」
「ああ。」
サーレーは集中して、瞑想を行なった。
◼️◼️◼️
五分後、正確には四分三十五秒後、サーレーは閉じていた目をゆっくりと開けた。
すでに目的の車両からは気付かれないように、関係のない人間の退避は済んでいる。
気付かれないように、怪しまれないように、そっと、ゆっくり、パッショーネの人員を避難させていた。
結果、今の当該車両には宗教団体の人員しか残されていない。処刑人の前にお膳立ては整った。
サーレーは席を立ち上がり、静かに車両の扉に手をかけた。扉を開け、車両を自然に横切っていく。
一人目、年配のご婦人だ。目を瞑っている。寝ているのだろうか?そのまま永遠に目を開けない。
二、三人目、食事をする女性とその隣の若い男性。彼らは唐突に静かに目を閉じる。
四人目、壮年の女性だ。恰幅がいい。本を読んでいる。女性は本を取り落とす。
彼らは一見しただけでは普通の人間と区別がつかない。彼らにも日常があり、彼らの生活や人生があったはずだ。日々のささやかな幸せで満足できなかったのだろうか?
彼らは何を考えて過激な宗教団体に所属したのだろう?
……つまらない感傷だ、サーレーは首を横に振った。
サーレーのクラフト・ワークが座席に座る誰かとすれ違うたびにそっと触れて、死神に触られた人間は次々と眠るように去っていく。
ほとんど時間がかからずに、車両内の宗教団体の人間たちは全滅した。
「やったぞ、ムーロロ。」
サーレーはムーロロに車両内で電話をかける。どうせもう生きている奴はいない。
サーレーの息は、若干荒い。
『……まだだ。まだブツは落ちてこねえようだ。まだ生き残りがいるはずだ。』
「バカな!全員始末した!!もうここには俺以外に生きている奴はいない!!」
『いいや、どこかにいるはずだ。探し出して確実に始末しろ!』
「いない!」
その時、車両内の今現在サーレーがいるのとは反対側の扉が音を立てて開いた。誰かが侵入してきたようだ。
サーレーは今開いた扉から入ってきて、反対側の扉の近くでムーロロと通話している。
おかしい。今現在ここの車両内には誰も入らないように、パッショーネの人間には通達がいってるはずだが?
サーレーは顔色が土気色になり、呼吸がひどく荒くなった。
無意識では、理解していた。あるいは考えないようにしていたのか。
パッショーネの人間が、テロリストがいる危険な列車内に子供を連れ込むわけがない。
『対象を見つけたようだな、ヤれ。』
携帯からムーロロの声が聞こえてくる。現実感がない。サーレーはどこか他の星の人間が喋っているように感じた。目の焦点も合わない。
どうやら扉の開いた音は、電話の向こう側にも聞こえていたようだ。ぼんやりとそんなことを考える。
「ま、待て、ムーロロ。」
『躊躇するな。お前の判断に大勢の命がかかっている。』
「子供だ……相手は……まだ……七歳くらいの……子供なんだ……。」
サーレーがトイレですれ違った少年だった。手にはフィギュアを大切そうに抱えている。
少年はまだ、車両内の惨状には気づいていない。母親のいる席の近くに戻ろうとしている。
『……お前は執行人だ。ヤれ。』
ムーロロの無慈悲な宣告に呼応して、サーレーの脳裏に自身が死にかけた記憶が鮮明に蘇る。
あんな寒くて苦しくてどうにもならない閉塞感と絶望を味わわせるのか?年端もいかない子供に?嘘だろう?
クズの俺でさえ生かしてもらってるのに、先がある、同じヒーローを応援していた少年を処刑しろと?
何度でも言おう。
サーレーはあくまでも金に目が眩んだだけのただのチンピラだ。子供に手をかけることに抵抗を覚えないほどの破綻者ではない。
「た、頼む!話を聞いてくれ!」
サーレーの苦悩は死刑執行人の
執行人は、いつか必ずと言っていいほど、囚人に同情する。感情を移入して、心を痛めることになる。
刑に服している人間は、必ずしも救いようのない人間の集まりだというわけでもない。
赦されざる者というのは、いつの時代も存在する。ゆえに執行人の起源は、遥かにさかのぼる。
歴史の中では、時に権力者に理不尽とも言える刑罰を受けさせられた人間もいるし、時には冤罪の人間だって存在した。
そうでない罪人の多くも、嘘をつき、同情を乞い、文字通り命がけで命乞いをする。
戦時の倣いでは、生かしておいては危険という理由で権力者の年端のいかない子供もしばしば殺害される。
邪悪な人間はどこまででも邪悪で、大人の凄惨な戦いに子供を利用して相手の戦意を削ごうと画策する。
「子供だ……ヒーローのフィギュアを持っていた。俺も子供の頃テレビで見ていたやつだ……俺も大好きで、毎朝楽しみにしていたッッッ!相手は、子供なんだッッ!!!!」
執行人は己を神の代行者として意識する。
周りも高い地位を与え、敬意を払い、それが意味のある行為だと本人に意識させる。
それらには、意味があるのだ。
ーーお前は神の代わりだ。立派な行いをしているし、お前は何も間違えてなどいない。
「俺も見ていたんだッッッ!!あのヒーロー、小さい頃、応援していたんだッッッ!!!」
そうしないと、健常な人間の多くは心が持たない。
いつか刑囚に同情して、心を病むことになる。場合によっては、死に魅入られる。そして自殺を考えたり、周囲に不幸を振りまく存在へと成り下がる。
だからと言って、それを人格破綻者に任せるわけには当然いかない。
チョコラータのような人間に任せてしまえば、当然惨状が待ち受けている。罪人を殺す行為に恍惚や快感を覚えて、興味本位の拷問や無許可の解剖を行うだろう。相手が罪人であっても拷問を行うような社会は、遠からず必ず破綻する。
社会の矛盾のごく一部だ。
『わかっているよ、サーレー。お前の悩みは分かっている。お前が苦しんでいるのも理解できる。だが仲間の身の安全のほうが優先だ。お前が〝執行人〟だ。お前がやらないといけねえ。ヤれッッ!!!』
サーレーの精神は追い詰められる。
少年の持ったフィギュアがやけに大きく見えて、動き出しそうな錯覚を覚えた。額から脂汗を垂れ流し、奥歯の震えが止まらず、自身の鼓動がひどく大きく聞こえる。サーレーの脳内を自身の幼少の頃が走馬灯のように過ぎった。それは場違いに楽しい記憶だった。
クラフト・ワークで自身の鼓動を止めれば、少なくともこのいやな任務はやらずに済むし、悲惨な結末だったとしても知ることはなくなる。不穏な考えがサーレーの頭の中を占め始めた。
「七歳くらいなんだッッッ!!!!自分が何に巻き込まれているのかもッッッ、何をさせられようとしているのかもッッッ、きっと理解していないッッッッッ!!!!!!!」
『サーレーッッッ、ヤれッッッッッッ!!!!!!!』
逃げ道はない。大切な相棒のズッケェロに自分のやりたくない仕事を押し付けるわけにはいかない。
やりたくない。やりたくない。やりたくない。
でもやらないとサーレーの存在する意義は組織に認められない。きっと組織は役立たずのサーレーに二度目の情けはかけないだろう。
でもやりたくない。やりたくない。やりたくない。
「ああああああああッッッッ!!!」
少年は、車両内で突然叫び出した大人の男に驚いた。顔色も悪い。土気色をしている。
車両内の大人たちは皆寝こけている。
「あの、大丈夫ですか?顔色もあまり良くないですし。」
少年は男を心配して近寄って問いかけた。
サーレーの瞳孔が散大し、もともと荒かった息がより一層荒くなる。
ーーもう他人を疑いません!貶めません!嘘もつきません!清く正しく生きます!だから……だから……神さま……。お願いです……。救いを……。奇跡を……。
都合の良い時だけ祈っても、そうでなくとも、神は何も答えない。
神は常に絶対で、神はいつだって公平だ。神は人の心の中にだけ存在する。
辛い時も苦しい時もいつだって、サーレーの前にある問題はサーレーだけのものなのだ。
「この辺にいる人はみんな寝てますけど、ほかの車両から大人の人を呼んできます!大丈夫ですから、安心して待っててください。」
「あ、ああぁ……ああ、ぁ……。」
サーレーを心配した少年は、大人を呼ぼうと列車内のほかの車両に向かおうとした。
サーレーの右腕が力なく上げられ、背中を向けて遠ざかろうとする少年に向けて伸ばされた。
その直後、上空を運ばれていた爆弾は地表に落下した。
◼️◼️◼️
「……さすがに今回はサーレーのやつに同情するぜ。後味の悪い事件だ。」
暗い図書館で、ムーロロがポツリと呟いた。
「……しかし彼以外に任せるわけにはいかない。執行人を明確に取り決めておかないと、社会のモラルの低下を招く……。」
「ああ、分かってますぜ、ジョジョ。世の中は割り切れねえな、ってだけの話だ。」
「……そうだね。」
ジョルノが答えた。
何も無いのが一番だ。サーレーが引き受けている仕事は、本来なら存在しないほうがいい。
しかし生きている以上は綺麗なことばかりでは無い。
社会の裏側に住む彼らは、しばしば表の人間の嫌がる仕事で糧を得ている。
それは時に苛烈な行為を意味し、人知れず社会の不穏因子を取り除く。
必ずしも納得できる行為とは限らないし、絶望を感じても進まなければいけない時もある。
たとえ悲しくても苦しくても、彼らだって生きているのだから。
だが、そこに全くの救いが無いわけではない。
「サーレーは減給だろ。明確な命令違反だし。推薦した俺の顔に泥を塗りやがって。」
グイード・ミスタがムーロロの近くで銃の手入れをしている。
ミスタはほんの少しだけ、笑っていた。
「それはかわいそうでしょう。これ以上給料を減らしたら、アイツら餓死しちまう。」
「そうだね。」
「しょうがねえな。」
「ところでムーロロ、君はサーレーを命令違反者として処分しないのかい?」
「勘弁してください、ジョジョ。アンタが面白そうに笑ってんのに、俺が勝手は出来るわけないでしょう」
ジョルノとミスタとムーロロは、笑った。
サーレーは明確に組織の命令に反抗したが、それは執行人には必要不可欠なものでもある。
ジョルノ・ジョバァーナはそう考える。
誰かに死を齎らす人間が、心無い何者かであるのはあまりにも酷い。それはただの天災だ。
執行人は厳格であることも必要かも知れないが、それは表で罪人に裁きを与える人間たちに任せればいい。パッショーネ専属の裏社会の処刑人は
自身の精神を守るために自身が神の使いであると錯覚することも重要かも知れないが、せめて赦されざる大罪人であっても同じ人間同士。裁かれるのであれば得体の知れない大きな何かなどではなく、ましてや神などという虚像でもない。
心ある人間に裁かれたいものだ。
ジョルノはただ、ただそう感じていた。
◼️◼️◼️
名前
アルベルト・レベーノ
スタンド
サンウェブ
概要
空間に網を張る能力。攻撃能力はないが、網の強度は極めて高い。本体は七歳前後の少年で、サーレーは組織の殺害命令に違反して気絶させた。クラフト・ワークは血流を固定する時間に加減をつけることによって、自在に対象を殺害したり気絶させたりの加減が可能。これは以前の固定の解除が精密に出来なかったクラフト・ワークに比べて、一つの成長した点である。
ちなみに彼は、イタリアのパッショーネの息がかかった孤児院に組織に緩い監視を受けながら入院した。幼いスタンド使いが変調をきたして社会に害を為さないようにという意味合いも込めて、周囲の大人で親を亡くした彼をフォローすることを取り決められた。
列車の事件に関しては、テロリストが所持していた危険な薬物が車両内に漏れたと嘘にほんのわずかな真実を混ぜて世間には公表されている。アルベルトは何をやるのか聞かされておらず、親の命令を聞いていただけに近い。
親はイタリア在住の宗教信者で、イタリア国内での爆弾の輸送を請け負っていた。
事件補足事項
今回の件に関しては、命令指揮系統の混乱が致命的な事態を誘発する可能性が存在するために、ジョルノの判断で情報部のカンノーロ・ムーロロにその全権を委譲されていた。ゆえにジョルノを筆頭として幹部連にも事態は全て事後承諾となっている。
本来であれば、指揮官に逆らったサーレーは厳罰の対象である。
全てが終わった後、車両からは泣きながら気絶した子供を抱えるサーレーが発見された。