噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
先遣調査隊は全滅、そして責任者は首の無い遺体となって外の木に逆さ吊りにされていた。
遺体には肉を啄むカラスが集り、グロテスクなそれは赤黒い外観と合わせて見る者にこの世の終わりを連想させた。
表社会がイアン・ベルモットの下に送り込んだ人員は、およそ三百名。
その三百名は悲惨な末路を辿り、表社会は憤った。なんとしても敵を打ち滅ぼさねばならない。
三百人で不足ならば、じゃあ三千人送ろう。それでも不足ならば、三万人送ろう。
そうはならない。それは受ける被害を度外視した行動であり、許されない。
それで万が一失敗したら、一体誰が責任を取るのかしら?
敵の総勢は十名以下。
それで負けたのだから、そこには何らかの理由があるはずだ。
その分析と並行して、民衆を納得させるアクションも起こさないといけない。
責任者は、胃痛の日々を送る。
フランス表社会の軍隊は空軍を動かし、敵の本拠地である軍事基地を空爆した。
もともと敵が乗っ取った建物は軍事基地として使用されており、耐爆防御に優れることは想定済みだった。
しかしそんなものとは無関係の異常事態。
攻撃のために発進した航空機は、攻撃を仕掛ける前に次々に不慮の事故により墜落し炎上し続ける。
電波は通らず、衛星は無効化され、調査に向かったものは帰還しない。
ことここに至って、表社会は理解した。この敵は、異常である。
その実態は、理解が出来ない狂人が組織の頂点に立っている。
その頂点に立つ男は、理解が出来ない攻撃を仕掛けてくる。
理解のできない防御網を敷き、理不尽な戦力差を得体の知れない手段で覆す。
なぜ負けるのかわからない。どうやって倒せばいいかわからない。
そもそもなぜ事件を起こしたのかわからないし、彼らが何を要求しているのかも、彼らが何を目的としているのかも、彼らがどこへ向かうのかも、何もかもがわからない。ただただ、被害は徒らに拡大していく。
そして、表社会の視点で見れば、仲間であるはずの裏社会の組織が非協力的だ。
敵の情報を渡さずに、ただ三日待て、と。
表社会の事件対応の責任者は裏社会のその対応に不信感を感じ、自分たちで事件を終息させようと試みた。
そしてその結果が、悲惨なものだった。
表社会は混迷を極め、この非常時にさえ責任のなすりつけ合いが始まる。
それは事件の犯人が、スタンド使いという公にできない異能者であったことにも起因する。
なぜ犯罪者集団程度に軍が遅れをとり、あまつさえ甚大な被害を出してしまったのか、と。
それが明確に説明できず、理解できない事態に民衆は恐怖に慄いた。
しかしそれは、実際に事件に対応する裏社会としては幸運だった。
言っては悪いが、裏社会にとって表社会の参入は邪魔なだけでしかなかった。
そして表社会の彼らは倒せない敵を前に、目の前の倒しやすい仲間を攻撃することを選んでしまった。
しかし結果として、表社会の混乱によりその行動が遅れて被害は矮小化した。
何はともあれあと十日ほど。
その日数が経てば、どのようなものであっても結果が出る。
その日数の間に全力を出して敵を打ち倒すことさえできれば、全ては贖われる。
失ったものは戻らない。受けた被害は戻らない。死んだ者は還らない。
全部正論だが、正論にこだわれるほどに社会に余裕がない。心の贅肉は、全部燃焼してしまった。
人心は鶏ガラのように痩せ細り、最後に残ったのは原始的な生存本能。怖い、死にたくない。あの気持ちの悪い赤黒い空を、誰か早くなんとかしてくれ。
そういったものは、社会が平和で始めて議論できるものであることを多くの人間が痛感させられたと言えるだろう。
言葉に意味はなく、説得力のあるいかにも正しそうな論理は圧倒的な暴力の前では言葉遊びの域を出ない。
生きて地獄、死して虚無、完成するのは不毛な荒野。
それが彼の創造する新世界。
敵の首謀者の名はイアン・ベルモット。
社会の裏側に隠れ潜む、最狂のスタンド使い。その行動原理は、単なる遊び心。
グイード・ミスタの率いる裏社会連合軍の、最後の戦いが始まる。
◼️◼️◼️
「だいぶ違いがわかってきたな。」
「ああ。」
「違いがわかる男、イアン・ベルモット。」
「なんだそりゃ。」
イアンとオリバーはモニターを眺めながら、談笑した。
今現在建物の周辺にいる人間には、二つのパターンが存在する。
一つは表社会から送り込まれた、無粋で道理のわかっていない(イアンたちにとってという注釈がつく)者たち。
もう一つは、裏社会のグイード・ミスタの密命を受けた、スタンド使いの調査員。
前者はどうにもロクな情報が入っていないか、もしくは入った情報を無視している。
やたらと攻撃的で、優雅さに欠け、遊びのなんたるかをイアンに言わせれば全く理解していない。
攻撃性だけが無闇に高いために、イアンが戦う前にオリバーが処理している。
そうしないと彼らは、余計に悲惨な末路をたどることがわかりきっている。
後者は攻撃性が低く、敵を見かけたら即座に逃げ出すか遠巻きに観察するに留めている。
暇つぶしに戦いを仕掛けても降伏を宣言し、みっともなく命乞いをし、どれだけ挑発しても乗ってこない。
ときおり戦いになる場合もあるが、それでもイアンの興が少しでも乗ってくるとやはり降伏をする。
何より、裏社会の密命員は表社会と違って徒党を組んで攻めてこない。
寡兵で攻めてこられれば、ルールの遵守を重んじるイアンも寡兵で対応せざるを得ない。
理不尽な攻撃が出来なくなる。結果として、裏社会の被害の方が圧倒的に小さかった。
少し消化不良な感はあるが、裏社会の密命員は質が高く、何度でも遊べると考えればイアンも見逃すのも吝かではない。
第一にこの後に、本命が待っている。イアンとしても本命の機嫌を損ね、振られるのは御免被る。
オリバーの助言もあった。無闇に殺すことに意味はない。どうせあと十日の命だ、と。
「こんなに人員を送り込んでくるなら、あの約束は失敗だったな。」
「そう言うなよ。ただでさえお前は反則なんだから。明確なルールの線引きができて丁度良かったんじゃねぇか。」
「………曖昧なところを残しておくのも嫌いじゃなかったんだが。まあそうだな。ものは考えようか。」
ミスタのダメ元の交渉は、ここに来て強力な効果を発揮していた。
イアン・ベルモットは、遊びのルールの遵守には煩い。
イアンは本来、オリバーが回復して真っ先にサーレーと雌雄を決するつもりだった。
そのための、生命を創造するのはあと一回という縛りであった。
すぐに本命と戦うのなら、他の人間を捕虜にしている時間がないと。
一人を生み出すために必要な魂は十人分。これはイアンの絶対に譲れない自分に課したルールである。
もしもそれを破れば、イアンは絶対に自分を許さない。
しかし間が空いてその間に他の敵が現れたのなら、そいつらを捕らえて新たな魂のストックにすることが出来る。
ルールに則って、新たな生命を生み出すことが出来る。
だがイアンは、交渉の席でその辺を勘案せずにミスタにうっかりあと一人しか生み出さないと宣言してしまった。
そのせいで魂をストックする意味が無く、その辺をうろついている奴らを無理に捕らえる意味が無い。
イアンが自身で決めたルールはイアン自身の選択肢を狭め、そしてイアンはサーレーと決着をつけるまでそのルールを破るつもりは無い。
ただでさえ遊戯盤を支配しているのにルールまで自分の都合のいいように歪めてしまえば、サーレーたちにとても勝ちの目は残らないからだ。
それはイアンの誇りに反する。矜持を傷付ける。
たった一度の人生、そんな恥ずかしいことをするくらいなら、死んだ方がマシだとイアンはそう考えている。
イアンにとって遊びは公平にどちらにも勝ちの目が残るから面白く、人生は過程を楽しむことがその全ての意義だからだ。
以上のことを鑑みて判断すれば、ミスタの交渉が遠巻きながら裏社会の調査員の命を邪悪なスタンド使いから守っていると言えた。
ミスタが交渉をしていなければ、今頃彼らはイアンに新たな生命を生み出すための魂のストックとみなされていただろうからだ。
上記の約定とオリバーの雑魚を無理に追いかける必要はないという忠言によって、イアンは投降した人間を無理に捕虜にしたり殺害したりしなかったのである。
「新しいのが来たな。これはなかなかに強そうだ。」
イアンが手術室のモニターを確認しながら、そうごちた。
軍服を着た体格の良い男で、しかし裏社会の人間独特の雰囲気を放っている。
表社会の人間と裏社会の人間の違いは、常在戦場の意識の有無にあるとイアンはそう考えている。
軍部に所属している人間であっても、表社会の人間は軍を極力動かさないという一見矛盾しているように思える理想のために軍を運用している。金銭的な問題もあるが、何より力で物事を解決する機会は極力少ないに越したことはない。
翻って裏社会は、いついかなる時も即座に対応するという現実主義を主軸に軍を運用している。
その意識の差は、表情に如実に表れているようにイアンには感じられるのである。
イアンはモニター越しに敵をしばらく観察したのちに、指示を出した。
「オリバー、お前はええと………。」
イアンはちらりと拘束衣に包まれて部屋の隅に放置しているベロニカに目をやった。
「おい、イアン!!!何見てんだッッッ!!!縛られている私を見て、興奮してんのかッッッ!!!この変態!!!私は既婚者だぞッッッ!!!」
視界に入れないようにしていたし、その言葉が耳に入らないようにシャットアウトしていたが、さすがに放置してはおけない。
もう死んだら生き返らせる余裕がないのである。
「………あのババアを連れて向こうに避難しておけ。リュカに手出しをさせるなよ。」
「了解。」
イアンの手術室の照明が変化し、マジックミラーになっていたガラス越しの隔離室の様子が映し出された。自然とその部屋へ繋がる扉が浮かび上がる。
そちらには以前捕らえた捕虜や、療養中のリュカがいる。オリバーが拘束衣に包まれたベロニカを拾い上げて、肩に担いだ。
「おいイアン!私をこんな目に遭わせやがってどうなるかわかってんのかッッッ!!!」
うるさい。オリバーはため息を吐いた。
「おい、お前本当はスタンドを使えば拘束衣から逃げ出せんだろ?」
「うッッッ!!!」
「怒ったフリも、威勢がいいのもほどほどにしとけ。お前は本当はイアンにビビってる。アイツがキレたら、お前は何もできずに肉塊だ。だがビビってることを知られるのは、お前のプライドが許さない。だから怒ったふりをして、必死に自分の面目を保とうとしている。まあ確かにそりゃそれくらいじゃあイアンは怒らんよ。だが煩い。」
「ビビってなんかッッッ!!!」
「………ビビって当然だよ。誰だってマジでビビる。どんな強い人間でも、どんなイカれたやろーでも、ありゃあビビる。前の戦い、お前も見たろ?あの屈強な男が、イアンが頭にクソが詰まっていると妄想しただけで、あの末路だ。お前もあんな最期は迎えたくないだろ?」
ベロニカは額に汗をかいて、急に静かになった。
「もうすぐリュカも復活するからさ、な。もう少しだけ我慢しとけ。イアンはどこに逆鱗があるかわかんねぇぞ?」
オリバーはベロニカの癇癪を簡単にいなすと、彼女を担いで隔離室へと避難した。
◼️◼️◼️
「ようこそいらっしゃい。私の私室に。君は賢いね。部下を引き連れずに、単体で乗り込んできた。それをされると私も一人で応じざるを得なくなる。」
イアンは上機嫌に、にこやかに応対した。
「他の奴らは皆、俺が守るべき対象だ。ならばそいつらを死地に送る前に、俺が出るべきだろう。」
「ずいぶんな物言いだね。君はよほど自信があると見える。」
まさかの単騎駆け。
信じられないほどの豪胆さだと、イアンは感心した。
これまで対応してきた相手は、表社会の人間は多数で徒党を組んでいたし、裏の人間もルールをある程度理解はすれど、少数の人数にて固まっていた。純粋に単騎で攻めてきたのは、目の前の男が初めてである。
「名前を聞いても?」
「俺の名はジャックだ。」
「ジャック、ジャックね。私はイアン。イアン・ベルモットだ。以後お見知り置きを。」
ミスタから部下や周囲への人間の指示。
首謀者であるイアン・ベルモットの機嫌を損ねるな。
まだ十分に敵の分析は出来ていないが、ミスタが殺したバジル・ベルモットの忠告を元に組んだ戦い方は、今のところ上手く運んでいる。
どうせ敵のことがわからない部分が多いのだから、今のところ上手く運んでいるバジル・ベルモットの忠告を最後まで鵜呑みにする。
その決断は、リスクだらけである。むしろリスクしかない。
と言うよりも、過去に例を見ない敵ゆえにどうやってもリスクから逃れられないのである。
ミスタのその決断は、一つ間違えれば致命的な事態を引き起こしかねず、忠告してきたのは敵の一味の人間である。
それでも今回の敵、イアン・ベルモットはそもそも理解出来ない相手である。
その前提で戦略、戦術を組み上げようと思った場合、敵であっても首謀者であるイアンに近しい人間の助言は非常に価値が高いと言えた。
どうせ理解出来ないのだから忠告が仮に間違っていたり嘘だったりしても、そこから新たな何かを生み出しうるのである。
既存の戦術を片っ端から試すのも、敵の忠告を試すのも、労力は同じ。
どちらもどれだけ効力を発揮するか定かではない。特に既存の戦術は、理解出来ない人間相手には分が悪いと言えた。
ならば、首謀者により近しい人間の助言を先に試すべきである。
「アンタはボスだろう?ボスが俺と直々に戦ってくれるのか?」
「ああ、もちろんだとも。私はここまでわざわざ遊びに来てくれた君に、対応を他人任せにするほど無責任にはなれないさ。」
ジャック・ショーンにとっては、それは想定外だった。
彼が過去暗殺してきた対象は、そのほとんどは地位の高い人間は背後に控え、下っ端のろくに組織運営に携わらないような奴らばかりを生贄のように前に押し出してきていた。ボスが嬉しそうに真っ先に暗殺者の前に出てきたのは、これが初めてである。
「そりゃあどうも。」
ジャックの前に女性型のスタンドが現れ、呪いの雄叫びを上げた。
◼️◼️◼️
呪いの業火が瞬時に宙に浮かび、回転して火矢を象った。
それは音速を超えて打ち出され、甲高い金切り音を置き去りにしてイアン・ベルモット向かって殺到する。
「なるほど。奇しくも君も炎使いか。」
イアン・ベルモットの前に複数の浄化の炎が浮かび、それは全て腕の形に変形した。
腕は飛来した業火の矢をつかみ、握り潰す。
「出力は申し分無し。」
次の瞬間火矢は爆ぜ、飛び散った火の粉が上空に収束し巨大な火球を生み出した。
それは横に長く伸びながら高速回転し、弾けながら幾度も熱波を飛び散らかす。
同時に女性型をしたジャックのスタンドが、イアン・ベルモットに向かって攻撃を仕掛けた。
「ふんふん。それで?」
イアンは楽しそうに笑いながら、敵に対応していく。
どこからともなくいつの間にか現れた執刀医がイアンに影のように寄り添い、スタンドの真似事をしていた。
浄化の炎が上空の火球を喰らい、目の前の暴力にイアンは白衣を翻して反撃を仕掛けた。
「………ッッッ?」
「ウフフフフ。いいね。」
イアン・ベルモットがジャックのスタンドの腕をつかみ、ジャックのスタンドはつかまれた感触に違和感を感じて振り払った。
ジャックのスタンドの口から、業火がイアンの顔に向かって吹き付けられた。
「私でなかったら眼球は炭化し、脳はミディアムを超えてベリー・ウェルダン。
しかしその炎は、イアンの眼前で青白い炎に阻まれて消滅した。
イアンは白衣のポケットからメスを取り出し、離れたところにいる本体のジャックに投げつけた。ジャックのスタンドが炎を操作し、炎に飲まれたメスは宙空で蒸発して消えた。
ジャックのスタンドの注意が本体の方へと向いた瞬間に、イアンは影にようにピッタリとジャックのスタンドの背後に寄り添った。
イアンは青白い浄化の炎を薄く刃のように形状を変化させ、ジャックのスタンドの両腕を焼き落とした。ジャックのスタンドは振り向き、イアンは退避して距離をとった。
「………?」
ジャック・ショーンは戸惑っている。
彼のスタンドは独立型で、スタンドが攻撃を受けても本体に攻撃は通らない。しかし、なぜ敵の炎によって自身のスタンドの炎が押されているのかが判然としなかった。出力で負けているとも思えない。
【おおあああああッッッ!!!】
ジャックのスタンドが炎の火力を上げて、切り落とされた両腕を再生した。
両腕はそのまま火炎放射器さながらに炎を噴出し、振りかぶった右腕の先端がジャイロ回転しながら直線距離を通ってイアンに迫った。
「いやらしい戦い方だ。いい意味でね。人間は経験則で、物事を推し量る。そこから少し外れると、それはたちまちイレギュラーとして対応が難しくなる。そう、例えばフットボールの無回転シュートのように。」
【ヨーロッパ人は、物事をフットボールで例えるのが好きだよね。】
「それは偏見だ。」
執刀医が笑った。
空気抵抗があり、摩擦と回転によって人の脳は経験則でボールの軌道を想像する。
その想像は、回転が平均から逸脱するほどに脳内修正が困難となる。結果として打者はボールを打ち損じるし、キーパーはボールを捕球し損ねるのだ。
ジャックのスタンドが噴出した炎は、意図したジャイロ回転を加えることによって目測を誤りやすくするという細工を施してある。
炎はイアンが見ている像よりも実際は近距離に存在する。
イアンは常人ならば恐怖で後ずさるところを、体勢を沈めてあえて前に出た。
炎はイアンの頭部をかすめ、ジャックのスタンドは立て続けにいくつもの炎の塊を打ち出した。
イアンは同じ数の浄化の炎を現出させてそれを相殺し、滑るように走ってジャックのスタンドに隣接する。
「………模造品の愛情、黒煙で燻した人間の燻製、苦渋に塗れた狂気、延々と続き繰り返す悲哀………。」
「何をッッッ?」
「君のスタンドの成分さ。君のスタンドは、苦しみと狂気と錯覚でできている。悲劇も嫌いではない。実に私好みだ。」
「………お前に何がわかる?」
「ウフフフフ、さあ?」
どうもおかしい。敵にジャックのスタンドの炎が通っていない。
ジャックのスタンドは火力に特化したスタンドであり、これまではどんな敵であっても効かなかったことなどない。
敵は飄々としており、相対すればするほどに捉えどころのない闇に飲まれそうな錯覚を覚える。
イアンはジャックのスタンドの真正面に立ち、右腕をジャックのスタンドの腹部へと突っ込んだ。
それを受けてジャックのスタンドは、苦悶の声を上げた。
【あああああああああッッッ!!!】
「どうなっている?」
苦悶の声を上げたジャックのスタンドは、苦しみから逃れるためのまさしく苦し紛れの行為を行う。
スタンドの前に巨大な業火球が現れ、それは爆縮して直後に拡大した。直径二メートルほどの豪炎が周囲から空間を切り取り、イアンを巻き込んで内部のものを消滅させようと暴れ喰らった。
「ウフフフフ、情熱的。君からのプレゼント、ありがたくいただいたよ。」
「………なぜ?」
青白い炎を薄く身に纏ったイアン・ベルモットは炎の中で平然としており、ジャックは敵のその無敵性に疑義を覚えた。
「なぁに、簡単なことだよ。出力の問題ではない。ただの相性だ。君の炎は人間の憎しみの感情。苦悶。罪人と呼ばれし者たちの魂。私の炎は煉獄の、魂を洗い清め天国へ向かうための浄化の炎。穢れの炎は、浄化の炎には絶対に勝てない。」
その本質は、大多数による数の暴力である。
大勢の人間を上手に誘導するために方便として生み出された宗教。
方便として生み出されたものであっても、時間が経過することによってそれは権威を持つようになるが、それはまた別の話である。
そしてその教義である煉獄は、社会において人々の行動を誘導し、安寧に満ちた社会と権力者の特権の保護を目的としている。ゆえに社会の罪人とみなされた少数の犠牲者にとって、それは天敵に等しかった。
「………俺のスタンドを罪人と呼ぶな。」
「おっと、これは失礼。まあつまり、私は君の天敵だというわけだ。」
たなびくイアンの白衣の周囲に無数の浄化の青白い炎が浮かび、それは周囲を旋回した。
それは見る者を不安にさせる光景だった。
ジャックはしばし思考した。
確かにジャックのスタンドは、人間の昏い感情を基にしたものだ。敵の炎が魂を清めるというのが事実であれば、相性が悪いというのも論理に合う。実際に炎は敵に効いておらず、それは敵に一切の人間の感情を原動力にするスタンド能力が効かない可能性が浮上したことになる。
「ほら、君はそんなに落ち着いていていいのかい?君のスタンドは苦しんでいるよ?」
イアンに腕を突っ込まれたジャックのスタンドは今なお苦しんでおり、ジャックは決断を迫られた。
「………降伏だ。投降するから命は見逃してくれ。」
「君はこの詰んだ状況で、苦難を超えて逆境を覆そうという気概はないのかい?」
いやにアッサリと降伏を宣言した敵に、イアンは敵スタンドから腕を引き抜いて残念そうにもっと足掻いてみないかとの提案をした。
「俺たちの方でも、必死にお前のスタンド能力の分析を行っている。」
「それで?」
イアンは興味深そうにジャックに話の続きを促した。
「お前のスタンド能力は、その法則が複雑過ぎて解析しきれない。しかしその一つの特性として、この赤黒い世界はお前の意思を汲んで物事を推し進めているのではないかという意見が出た。」
「ほうほう。」
【君たちの頭脳は優秀だねぇ。】
予想外に的を射た意見が出ていたことに、イアンは嬉しそうな表情をした。
執刀医もその分析に感心している。
「もしもそれが事実なら、逆境を覆す人間は主人公だ。それはきっと俺じゃあない。俺には苦難は超えられないように、この世界ではそう決定されている。」
「なるほど。」
他人から聞く自分のスタンド能力は新鮮なものだと、イアンはそれを傾聴しながら楽しんだ。
「仮に俺が逆境を覆せたと仮定しても、そこまでだ。俺にお前は超えられない。ならば俺の至上の命題は、お前の能力で判明したことを本拠に持ち帰ることだ。死ぬまで戦うことではない。」
イアン・ベルモットの操る炎が浄化の炎であり怨念の一切が無効だという情報は、一つの情報として明確に価値がある。
それを持ち帰れば、最終決戦での戦闘手段に変化が生じる可能性がある。もっとも、その行為も敵の掌の上で転がされる行為であることを否めない。それがイアン・ベルモットの恐ろしさでもある。
「君は強い。必死になって戦えば、ひょっとしたら私に勝てるかもよ?」
「いいや、絶対に勝てない。俺の負けだ。どうか見逃してくれ。」
「君には誇りはないのかい?自分の行為がみっともないとは?大量殺人鬼、不倶戴天の仇に許しを乞うなどと。」
【イアン、いやらしいことを聞くね。】
イアンは相手がどう返してくるのかが楽しみで、それだけでジャックを挑発をした。
「それが最終的に勝利につながるのなら、いくらでも許しを乞う。助けを願う。俺が誇りを捨てて守られる命が存在するのなら、それこそが俺の誇りだ。」
堂々としたジャックの態度に、イアンは感銘を受けた。
「なるほどね。それが君のルールか。素晴らしい。生きることに明確な指針があることは良いことだ。いいだろう。君が帰ることを私は許そう。」
「………お前の敵は仕上がってきているよ。それをお前は待っているのだろう?」
「ふむん?」
敵に楽しみを示唆されて、イアンはかなり上機嫌になった。
「ウフフフフ、そうか。仕上がっているか。それは本当に楽しみだ。いいよ。じゃあ君にもう用はない。ただ君は負けたのだから、一つだけルールを課させてもらおう。」
「ルール?」
「ああ。何も大したことじゃあない。君が戦うのを許すのは、私だけだ。君は強い。私の仲間では、君の相手を出来ない。君が弱点を狙う戦いをすることを、私は許さない。」
「………それを破れば?」
イアン以外の敵との戦いを禁止されれば、ジャックは実質戦力外になる。
それを極力避けたい彼は、イアンに質問した。
「試しに破ってみるといい。その時は私の機嫌が、ひどく悪くなる。本来の手段を選ばない殺し合いに帰結する、ただそれだけのことだ。私たちは本来、そうあるべき関係だろう?」
指揮官であるグイード・ミスタの判断を無視して、ジャックにそれを実行してみるつもりは無い。
ジャックにその権利自体は存在するが、実際に目の当たりにしたイアン・ベルモットという男はひどく不気味だったのである。
イアンも口ではそう言っているものの、実際は楽しみを台無しにされるそのような行為を望まない。
ただ弱みを見せれば、そこにつけ込むような輩も存在する。ゆえにそこが弱みだと悟らせるわけにはいかない。
結果こういった態度をとったのである。
そしてここに、敵味方の暗黙の合意がなされた。
「オーケー。俺は敗者だ。敵にまんまと命を見逃された俺は、無様に尻尾を巻いて逃げ帰ろう。お前の敷いたルールを破るつもりも無い。」
「そう、それでいい。不思議だね。君は私の敵なのに話せるね。どうしてだと思う?」
イアン・ベルモットはひどく機嫌が良かった。
「多様性を否定すれば、そこにあるのは生命である必要はない。ロボットで十分だ。さまざまな人間を受け容れるために幅を持たせた社会であっても、どうしてもお前のように逸脱する人間は出てくる。最大公約数の幸福が理念である社会が、お前を受け容れきれなかった。それが絶対的な事実で、ただそれだけだ。」
「なるほど。君たちはそう考えるんだね。」
ジャック・ショーンは去って行った。
◼️◼️◼️
「ふんふんふふーん。」
「どうした、鼻歌なんて。えらい機嫌いいじゃねぇか。」
オリバーはイアンにそう問いかけた。
「まあね。もうすぐ、すぐだ。」
緊張で胸が高鳴る。ドキドキする。
今まで待ちに待った日がやってくる。人生の、大一番が。
普通の人間ならば、それは結婚式だったり仕事の昇進日だったりするんだろう。
頭のイかれた彼にとって、それはひょっとしたら自分が死ぬかもしれない日だった。
「どうするんだ?」
「お前たちは出し惜しみ無しだ。好きにやれ。別に私を裏切っても構わんし、敵を皆殺しにしてもいい。今日は大盤振る舞いだ。」
この男は、こういうところは変に度量が大きかったりする。もしくは雑と言うべきか。
イアンは仮に味方に裏切られようと、それはそれとして楽しむという厄介極まりない性質を持っているのだ。
だが今さら裏切れと言われても、裏切ったところで………と言ったところだ。
「………俺が指示を出すよ。リュカ、ベロニカ、お前たちは露払いだ。ノルマは一人でいい。」
肝心なところで指揮を放り投げたイアンに、ため息をついたオリバーが言葉を発した。
復活したリュカ・マルカ・ウォルコットはパーカーのフードを深く羽織り、黒いマスクをして、その青黒い目は髑髏のような印象を受ける。
ベロニカ・ヨーグマンも拘束衣から放たれ、殺意に満ちた表情をしている。
「お前はイアンのところにいろ。」
【うーん。】
執刀医は、気の無い返事をした。
「それでは諸君、泣いても笑っても、恐らくは今日が最後になる。後悔に塗れた生で、恥を上塗りにして、死ぬまで共に踊り狂おう!」
イアン・ベルモットは両手を上げて、高らかにそう宣言した。