噛ませ犬のクラフトワーク 作:刺身798円
「あああッッ………もう終わりだ。ワシは、ワシはどうすればッッッ!!!」
「落ち着きください、先生。落ち着いて。あなたのバックには、パッショーネが付いている。」
広い敷地の中央に、木造の品格のある建物が建てられていた。
その建物の玄関前に、スーツを着た初老の男性と、その男性よりもいくらか若い男性がそこにいた。
初老の男性は慌てふためいており、もう一人の男性はそんな彼を宥めるように声をかけていた。
「あなたは長年、パッショーネのために貢献をなさってきた。我々はあなたを、絶対に見捨てない。」
「しかし、しかし!パッショーネさんがワシのために送ってくれたのは、彼一人きりだろうッッ!!!あなた方は、ワシを見捨てて争いを避ける心算ではあるまいかッッッ!!!あなた方が争いごとを嫌うマフィアであることは、誰しもに広く知られているッッッ!!!」
「我々は争いを好まないが、人はいやでも戦う必要がある時もあるということは深く理解しております。必要な時にまで戦わない組織に、存在する意味はない。大丈夫です、先生。あなたのために連れてきた彼は
初老の男性は商売で、ロシアに本拠を置くマフィアと利権がかち合って揉めた。
パッショーネとロシアのマフィアの上部組織が互いの利益の調整に奔走している最中に、下部組織の短絡的な人間が暴走して勝手に初老の男性に殺し屋を差し向けてしまった。
殺し屋は通称、人でなしのミハイルと呼ばれている。
その男はもともとロシアでは、権力者の犬として知る人ぞ知る有名な人間だった。
しかしミハイルは最近祖国で立場が悪化し、筋も道義も通さないクソみたいな木っ端マフィアの手先として立ち回らざるを得なくなった。
放置すれば、パッショーネとの戦争に発展する可能性が高い。
ロシアの上部組織は慌てて下部組織の人間を処分したものの、一度出立した殺し屋の方には連絡がつかず、パッショーネに謝罪とともに、彼らの知る限りの情報を流した。
戦争するくらいなら、独断で動いた配下を売り渡す。殺し屋を処分してほしい。
狙われた初老の男性はイタリアの元老院の議員であり、長年パッショーネと表社会との橋渡しの役割を果たしてきた。
パッショーネ側としては彼は付き合いのある相手であり、恩があり、貸しも借りもあり、つまりは長く上手くやってきた経歴がある。
長年パッショーネに携わる人間ほど彼に友情を感じており、その感情はカリスマ性を持つボスであるジョルノであっても決して無視できない。
パッショーネ内部の力を持つ人間の多くは、損得感情抜きで助けたいと思う相手であった。
人を助けない組織になど、存在する価値はない。感情とは理屈ではなく、もしも彼を見捨てればジョルノの求心力は地に落ちる。
パッショーネは彼を保護し、ロシアのマフィアが差し向けた殺し屋を迎え撃つ。
「先生、大丈夫です。あなたは何の心配もいらない。あなたは長年、パッショーネとイタリアに貢献なさってきた。だからこそ我々も、あなたに
居丈高に、ラッパの音が鳴った。
地をふみ鳴らす軍靴の足音が聞こえ、見上げる凱旋門には一人の男が腰かけていた。
「だが、相手はロシアでも名のある殺し屋だと!」
「大丈夫です。彼であれば、何度も人を殺したことがあるなどという愚かなイキリかたをした人間など、物の数ではありません。笑って適正に処分してくれることでしょう。」
初老の男性に応対する男は、パッショーネミラノ防衛支部チームのリーダーである。
彼は、凱旋門に腰掛けた人間を腕で指し示した。その男こそが、パッショーネの信頼する戦力である。
彼の名は、ドナテロ・ヴェルサス。何かの手違いでチンピラに拾われた、市中に埋もれた玉。
ジョルノ・ジョバァーナの異母弟にして、パッショーネミラノ支部防衛チームの若手エースである。
人は誰しもが、変化する。
ドナテロ・ヴェルサスの父親は強者の名を欲しいままにしてきたディオ・ブランドーであり、その導き手はジョルノ・ジョバァーナ。
彼は伸び代も、それが成長するための土壌も、十分だった。
彼がパッショーネで頭角を顕したのも、むしろ必然だったのだろう。
「アンダー・ワールド、地面の記憶だ。先生、ここでは昔、どうやら祝勝パレードがあったようですね。ラッパがとてもいい音色だ。」
「彼の名は、ドナテロ・ヴェルサス。我々ミラノ支部防衛チームの、不動のエースです。」
殺し屋に慌て怯える元老議員の男性に、ミラノ支部防衛チームのリーダーの男とドナテロ・ヴェルサスは落ち着かせるように優しげに微笑んだ。
◼️◼️◼️
「人でなしのミハイルこと、ミハイル・レヴァノフ。ロシアでも有名な殺し屋だ。」
パッショーネ情報部の現リーダー、ベルナトはヴェルサスに振り返って、入手した情報をまとめた書類を手渡した。
「奴が有名なのは、その人間性の残虐さによるものだ。奴は過去、暗殺の標的を無関係の周囲を巻き込んで殺した。ロシアの組織も、下部組織が奴を匿っていたことを知らなかったらしい。下部組織の人間を処分する際に、拷問したことによってその事実が判明した。」
ドナテロ・ヴェルサスは渡された書類を、パラパラとめくった。
そこにはカラーの写真で、ミハイルに殺された犠牲者の様子が鮮明に映し出されていた。
「ジョジョの嫌う、目的のためならば無関係な人間を巻き込むことを厭わないタイプの殺し屋だ。まず間違い無く、スタンド使い。」
「………そうでしょうね。」
死体には、共通項があった。
書類はパッショーネ情報部が情報を分析し、着眼すべき点に付箋が貼られている。
ヴェルサスは渡された書類に目を通し、自身の能力と照らし合わせた。
「………殺れるな?」
「もちろんです。」
静かにそう告げたヴェルサスの体からは、重圧が滲み出ていた。
誰が相手だろうが容易に蹂躙できるとそう錯覚させるほどに、強靭な重圧が。
ベルナトはその様を確認し、これならばまず間違いはなかろうとそう確信した。
「俺だって、かつては暗殺チームに所属していた。現情報部の責任者であるあなたならば、それをご存じでしょう。」
パッショーネの暗殺チームは、近隣諸国でも評価が著しく高いイタリアの守護者だ。
その名を汚すことなどできるはずがないと、ヴェルサスはベルナトにそう返答した。
「ああ、もちろんだ。私たちパッショーネは、君を高く評価している。全く心配していないよ。」
「組織に守られてばかりでは、組織の恩恵を受ける権利はない。組織とは苦しい時の後ろ盾であって、依存する対象ではない。己の足で人生を歩み、組織を己の意思で守ってこそ、ようやく一人前です。」
組織とは、人生が真に苦しい時に助けてくれる存在。
自身の足で人生を歩むことを知らない愚か者、ドナテロ・ヴェルサスにさえも手を引いて歩き方を教えてくれた。
ドナテロ・ヴェルサスは、そう考えている。
それは決して都合のいい時ばかり寄ってくる押し付けがましい、依存対象などではない。
だからこそパッショーネに関わる多くの人間が、己の意思で立ちパッショーネのために命をかけられる。
ドナテロ・ヴェルサスは、不敵に笑った。
彼らは作戦の細部を詰め、ロシアからの招かれざる客をもてなす準備を始める。
◼️◼️◼️
「ドナテロを?危険ですっ!!!」
サーレーの声が会議室に響き、ミスタとズッケェロはそれを涼しい顔で聞き流した。
シーラ・Eはさらなる情報の開示を待ち、様子を見ている。
「相手が殺し屋なら、同じ殺し屋である俺たちが戦うべきだっっ!!!」
パッショーネと懇意にしている元老院の議員が、ロシアンマフィアともめた。
相手はイタリアに殺し屋を送り込み、ドナテロ・ヴェルサスがその殺し屋の処分を行う。
その状況に伴い、暗殺チームである彼らには万が一の場合に備えた待機指示が出された。
もしもヴェルサスが敗北した場合は、暗殺チームが現場に出て速やかに敵の処分を行う。
ミスタはサーレーにそう説明し、説明を受けたサーレーはヴェルサスを心配してミスタに反対した。
「副長ッッッ!!!おい、ズッケェロ!!!お前もなんか言えよ!!!ドナテロ・ヴェルサスに………。」
「俺は副長に賛成だ。」
「ズッケェロ!!!」
かつて暗殺チームに所属していた、ドナテロ・ヴェルサス。
お前は後輩が心配ではないのかと、サーレーは憤慨した。
「サーレー、お前の気持ちは理解できる。」
誰だって、後輩は可愛い。
縁があった人間を死ぬ可能性のある危険地帯に送り込むのを反対するのは、理解できる。
ミスタは頷きながら、言葉を紡いだ。
「だったら………!」
「でもそれじゃあ、永遠に次の世代は育たない。」
苦痛、苦悩、危険。
死の可能性がある、戦場。
死線を乗り越えて、初めて一流の殺し屋は育つ。
国民の安寧を保障するための社会。
しかしそれを保障するためには、兵士を死の危険の側に置いて育てる期間が存在しないといけない。
ある程度までの敵ならば武装頼みでどうにでもできるのだが、その基準を超えてくるイかれた敵がいないとは言い切れないのだから。
社会は矛盾していて、社会とはそうやって成り立っている。
強い者が生き残る、自然淘汰の理論による育成方式。
ディアボロ時代の暗殺チームは、善悪や是非はさておいて、あれはあれで完成していた。
組織に武力は必要であるし、イタリアやパッショーネの利益という目的にはたしかに沿っていただろう。
ただし、周辺諸国からの醜悪な強奪というあくまでも短期的な利益に限定した話だが。
それは過度の薬物の散布という、免れない近未来の負債によって贖われる繁栄だった。
しかしジョルノたちとの抗争を経て暗殺チームは一度壊滅し、大幅な路線変更も行われた。
長期的な視点に基づいた、共存共栄の路線変更。
現状の暗殺チーム育成は、手探り状態に近い。必然、方針の違いで上司と部下の意見が衝突することもある。
上申できない関係など歪であり、いずれは破綻する。それはより良い暗殺チームの完成のためには、必要なプロセスだ。
とは言えど、もちろん上の人間に対する敬意も忘れてはいけない。
「でも………相手は、何人も殺してきたスタンドを使う殺し屋なんでしょう!」
「サーレー、お前はいくつか勘違いをしている。」
「勘違い?」
ミスタに指摘され、サーレーは何を勘違いしているのかとミスタに問いかけた。
「一つ。お前たち暗殺チームは切り札だ。切り札とは、軽々しく動かすべきものではない。」
ミスタは、人差し指を立てた。
「二つ。パッショーネの兵士は、他の組織に比較して士気や練度が高い。そんじょそこらのやつに白旗をあげるほどに、やわじゃあない。」
ミスタは、続いて中指を立てた。
「三つ。ドナテロ・ヴェルサスには才能がある。パッショーネを守護する才能が。お前に守られなければいけないほど、今のアイツは弱くない。」
ミスタは、さらに薬指を立てた。
「以上の三つの理由により、今回の事案はお前たち暗殺チームではなくミラノ支部防衛チーム、その中でもエースであるドナテロ・ヴェルサスに一任することにした。………まだなんか疑問はあるか?」
「………ドナテロは勝てるんですね?」
「相棒よぉ、百パー勝てる戦いなんてねぇだろ。俺たちは今まで、そうやって戦ってきた。」
ミスタに確認の言葉を投げかけたサーレーに、ズッケェロが横から口を出した。
「パッショーネは十分勝てる見込みがあるって判断したから、ドナテロに任せたんだろ?俺たちみてぇなバカが変に知恵を回しても、ロクな結果にならねぇぜ?」
「………いや、それぞれが各々の意見を出すのは大切なことだ。サーレー、今後もお前の意見を歓迎する。」
「副長………。」
サーレーとズッケェロは、ミスタへと視線を送った。
「いざという時に尻拭いをするのは、お前らだ。だからこそ、お前らにも納得してもらう必要がある。………サーレー、パッショーネを脆弱にしちゃあいけないんだ。お前たち暗殺チームが敗北したら打つ手がない、パッショーネはそんな弱い組織であっちゃあならねぇ。だからこそ今回の件は、ヴェルサスに一任する。」
サーレーはしばし考え込み、ミスタの言葉の意味を理解した。
「サーレー、お前は強い。だからこそ、軽々しく動かすべきではない。一人で何でもできるなんて、ただの思い上がりでしかない。」
「相棒よぉ。暗殺チームになかなか部下が増えねぇのも、上役にお前がいざって時に部下に死ねって命令できるか疑わしいと思われてるからだぜ。戦士としては超一流と認められてても、リーダーとしては疑惑を拭えない。お前は過保護なんだよ。」
空条徐倫やウェザー・リポートなどは、当時のサーレーと実力が近く最初からかなり戦える人間だった。
それに対して、ドナテロ・ヴェルサスは拾った当時はほとんど戦えない人材だった。
だからだろう。サーレーは、必要以上にヴェルサスが一人で戦うことに懸念を抱いていた。
胸にしこりはある。
しかしパッショーネは、ドナテロ・ヴェルサスを信頼している。
それは飲み込まねばならないものであると、サーレーはそう理解した。
「………理解しました、副長。」
「それでいい。」
「それでは。」
シーラ・Eが待機場所と作戦内容を記した紙を、配布した。
「情報部は、敵に誤った情報が行くようにすでに動いているわ。敵の行動を誘導して、作戦をうまく遂行させるために。アンタたちは、想定外の事態が起こった場合に備えて待機。空路を警戒して空港に詰めておいて。」
ミラノには、三つの空港がある。
今回はその中でも、ミラノ郊外にあるマルペンサ空港にサーレーたちは待機する。
敵を誘導した場所から最も近い空港であり、敵が逃走を選んだ場合に最も使用確率が高い。
もっともミスタは作戦の成功を確信しており、サーレーたちはおそらく無駄足に終わるだろう。
「パッショーネが奴の居場所をつかんだら、即座に連絡する。それでは一時解散。」
サーレーとズッケェロが去った後に、シーラ・Eはミスタへと疑問を投げかけた。
「空港ではなく、彼らも現場に置いておいたほうがいいのでは?」
「ああ。」
ミスタは頭部を指でかき、少し顔を歪めて返答した。
「安全性や万一の事態を想定すれば、本来そっちの方がいいんだな。だがサーレーのヤローは、ドナテロ・ヴェルサスが少しでもヤバくなったら勝手に動きそうなんでな。」
はっきりと言えば、今回に限って言えばサーレーは邪魔者でしかない。
少し危険になったら助けに行かれてしまえば、ドナテロ・ヴェルサスが危険を乗り越える機会が訪れない。
しかし暗殺チームに話を通さずに海外の殺し屋を処分したとなれば、それはそれで暗殺チームを軽視していると捉えられかねない。
報告・連絡・相談の不備は、人間関係の不信感を生む。
その結果の、空港待機。
おそらく、ズッケェロはミスタのその意図を理解しているだろう。サーレーは理解していない。
危険を乗り越えた経験の無い兵士は、戦力の飛躍が見込めない。その覚悟のほどが測れない。いざという時の信頼性が低い。
それが自身も危地を乗り越えることによって飛躍した経験を持つ、グイード・ミスタの見解だった。
◼️◼️◼️
「ミハイル・レヴァノフ。軍人崩れのロシアの殺し屋。奴が行なったと思しき殺人は八件。」
ドナテロ・ヴェルサスが手に持つ写真には、一人の男が写されている。
灰みがかった黒髪にグレーのコートを着用し、目つきが鋭くタバコをふかしている。
「モスクワで五件。サンクトペテルブルクで二件。その他郊外で一件。うち六件は、遠距離狙撃。」
ミハイルはロシア西部に居を置くと思しき殺し屋で、暗殺において狙撃銃を用いている。
この六件は問題ない。ここまではまだ良かった。問題は、残りの二件だ。
「ミハイルに命を狙われていることを理解した有力者は、狙撃を警戒して籠城した。しかし………。」
残りの二件は、籠城する標的を家人ごと皆殺しにした。
後に自分の特異能力の隠蔽を目論み、周囲ごと焼き払った。火事を起こしたのである。
その火事のうちの片方が周囲に大々的に延焼し、無関係な死者を多数出した。
この一事から判断するに、無駄な殺しを好む人間というわけではないが、それをためらう人間でもない。
邪魔だと判断すれば、無関係な人間が巻き込まれることを厭わない人間だとそう判断できる。
それはミハイルにとっては、ただのゴミ掃除。メインの汚物を焼却しようとしたら、周囲のどうでもいいものまで燃えてしまった、ただそれだけのことなのだろう。
この事件によりミハイルの悪名は不動のものとなり、マフィアにさえ忌み嫌われる存在となった。
国民は怒り狂い、ミハイルの依頼主も世論を恐れ、彼の存在は明るみに出ることとなる。
「火事の死者はその大部分が火災により損傷がひどく、事件の調査に恐ろしく時間をかけることとなってしまった。」
火事が起きたのは、ロシアのサンクトペテルブルク。
事件が起きた当初は秋口であり、気温は十度前後と記載されている。
「調査を行ううちに、不審な事実が浮かび上がる。焼け残った死体の一部には………特徴的な痕跡が残されていた。」
これが、ミハイルがスタンド使いであると目されている理由である。
殺人から放火までの合間はほとんど間を置かず、焼け残った遺体には状況にそぐわない痕跡が残されていたのである。
パッショーネの情報部科学班は現地のロシアの組織と連携し、ミハイルの能力分析を詳細に行なった。
暗殺対象である元老院議員は、パッショーネミラノ支部防衛チームが責任をもって警護を行なっている。
ドナテロ・ヴェルサスは別行動、パッショーネは議員の居場所の偽情報を流し、ヴェルサスは一人で議員の別宅にて敵を待ちわびる。
ヴェルサスは地面の記憶より呼び起こした教会の礼拝堂にて、敬虔な信徒のようにただ一人跪いた。
「神よ。俺が殺人を犯すことを、どうかお赦し下さい。」
祈りとは、願い。世界よ優しくあれ。
決して理想を忘れずに、理想のために禁忌を犯す。それを忘れてはならない。
ヴェルサスの目に静かに殺意の炎が灯され、教会の扉は音も無く静かに閉ざされた。
◼️◼️◼️
ミハイル・レヴァノフは、非常に不愉快だった。
彼は、国家に忠義を尽くした軍人である。少なくとも、本人はそう考えている。
彼は国家のために敵を殺し、国家のために売国奴を殺した。全ては国家の利益のために。
報酬を受け取ったのは仕事には対価があってしかるべきだし、巻き込まれた人間は必要な犠牲だった。些末事。
彼はそう考えている。そして、それが彼が人でなしたる所以である。
本質的に、彼は力を持たない人間の寄り合いである社会への適性が皆無に等しい。
社会は手段を選ばない利益を禁じ手としており、人の心を理解しようとしない彼はひたすらに安心を求める市民の気持ちを理解しようとしない。他人の感情を理解しようとせず、彼の中で総体的に見てプラスであればいい。非常に即物的で、独善的な手合いだと言える。
しかし彼の依頼主は彼を裏切り、彼の存在は明るみに出てしまうこととなる。
国家は彼の後援者を排除し、指名手配された彼はコソコソと逃げ回るはめになった。
その結果が、吹けば飛ぶゴミのようなマフィアの手先だ。ほかに彼を匿おうとする人間はいない。
なぜ国家に忠誠を捧げた自分が、こんなひどい目にあわないといけないのだ?
非常に奇妙な話だ。
国家の要職に携わる人間を支持し、国益のために利益を貪る害虫を排除しただけ。
ただそれだけであり、彼の行為はまさしくネズミ退治。
正しい行為を行い、正しい意志を持つ自身が、なぜ祖国を追われる事態に陥らねばならないのか?
理解不能な無知蒙昧の輩が、国政の中枢に蔓延っているということなのだろう。腐っている。
祖国の解放のために、戦わねばならない。そしてそのためには資金が必要だ。正義はここにある。
「………殺してやる。」
気に入らない。
彼がお尋ね者になったということは、その背景に彼の排除を目論む人間が一定数以上存在するということ。
しかも、国家の中枢に。国家は腐ってしまったのだろう。一度焦土にせねばなるまい。
ミハイルは、脳裏にて粛清の鉛玉が飛び狂う様を思い浮かべて、微笑んだ。
情報は、手に入れた。
標的は、ミラノ郊外の別宅にいる。
標的を殺すついでにロシアの国益を脅かすパッショーネの害虫どもも、少々掃除してやろうか?
神はそのために、ミハイルに力を与えたもうたのだ。
ミハイルはミラノの裏路地を歩きながら、傲慢に笑った。
トサリと音を立てて、路地裏に野良猫が倒れて転がった。野良猫には、蛆がたかっていた。
◼️◼️◼️
「さっすが、元老院の先生。いいトコに住んでるねぇ〜。これで別宅だろ?羨ましいったら、ありゃしねぇ。」
ドナテロ・ヴェルサスはファーストフードのハンバーガーを食べながら、くつろいでいる。
高価なテーブルの前の椅子に座り、空調を効かせてテレビを眺めていた。
これはパッショーネからの、課題である。ヴェルサスはそれを、理解している。
ドナテロ・ヴェルサスはミラノ防衛チームに移籍して以来、地道に実績を積み重ねてきた。
積み上げた実績を土台にして、一段高いところへと登る時がきたのだ。
敵の能力を分析し、戦術を立案し、祈りも済ませた。
いつ敵が来ても、なんら問題ない。この件を上手くこなせたら、パッショーネはなお一層ヴェルサスを信用し重用することだろう。
つまり今回の件はヴェルサスが一つ上に行くための課題であり、冷静に行動すれば問題なく超えられる壁である。
ゆえにそれを理解するヴェルサスは、リラックスしている。緊張すればミスをするかもしれない。
『愚者が網にかかった。未だに奴は、祖国に利益さえもたらせば帰還できるなどと都合の良いことを考えているらしい。』
テーブルの上に放られたスマートフォンが通信を告げ、ヴェルサスはそれを手に取った。
予定調和、パッショーネ情報部からの、敵襲来の通知である。
「つくづく愚かしい話ですね。天国は、日々の細やかな幸せの中にのみ、存在しうる。」
『ああ。救いようの無い愚者だから、奴は今現在祖国に嫌われて誰一人助ける者もいない。本人はそのことにすら気づかない。』
「到着予想時刻は?」
ミハイル・レヴァノフ。独り善がりの殺し屋。
利益よりも安寧に重きを置く、現代社会には彼が受け入れられない。
スタンドはそこそこ強力で、殺人への適性が高かったために欲望をくすぐられて権力者にいいように扱われてきた。
悲しい獣に、安寧の眠りを。死は安らぎ。
憎悪と憤激の汚泥にまみれた、国民の嫌悪をその一身に受けた人でなしに終幕を。
ミハイルは、自分が考えている以上に追い詰められている。彼がそれを冷静に把握すれば、追い詰められた獣はどんな行動に移るかわかったものではない。これ以上周囲を巻き込む前に、ここで確実に処分する。
『到着予想時刻は、およそ二時間後だ。』
「了解。」
すでに、夜中の十時を回っている。
ミハイルは裏社会で生死不問の指名手配をかけられており、追い詰められている。
その余裕の無さを鑑みれば、恐らくは今日の深夜、遅くともそう日数をかけずに襲撃してくるだろう。
ミハイルは知らない。
パッショーネが、どれだけ強い組織なのかを。
すでにイタリアのみならずヨーロッパ圏にパッショーネの手配は行き渡り、表裏大小問わずに全ての情報を扱う業者は、パッショーネの威光の下にある。奴はただの人でなし、暗殺対象だ。もしも匿うようなら、パッショーネを敵に回すと知れ!!!
ネズミを炙り出して殺せ!!!
飢えたネズミは罠にかかり、毒入りの可能性があると知りながら餌を食べねばならない状況に追い詰められている。
追い詰められた獣は恐ろしいゆえに、確実に勝てる戦略を練って確実に勝てる人材を充てるのだ。
現代の暗視装置はかなり進化しており、夜間の屋外では長距離狙撃は困難であるにしても銃撃自体は不可能ではない。
昼日中は籠城、夜間はパッショーネから貸し出された赤外線サーモグラフィーによって周囲を監視する。
サーモグラフィーに敵影がかかったら、籠城してヴェルサスが敵を嵌め殺す。
地下には、四十六億年の記憶が眠っている。
アンダー・ワールド、ジョルノ・ジョバァーナに導かれたドナテロ・ヴェルサスは、四十六億年の深い眠りから目を覚ます。
「さぁって、と。」
愚かなる者が現れたようだ。モニターに目をやり、ヴェルサスは獰猛に笑った。
夜闇に紛れ、ドナテロ・ヴェルサスは静かに戦いの場を整える。
◼️◼️◼️
ミラノで情報屋から情報を仕入れたミハイル・レヴァノフは、ケースを抱えてミラノ郊外の邸宅へと向かっていた。
ケースの中身は分解したスナイパー・ライフルであり、敵の巣穴の外で明日の昼日中まで待機する。
作戦はひとまず、ここから数日間は標的が外出するかどうかを確認する。
標的の在宅の確認と、狙撃での暗殺が可能であるかどうかの下見というわけだ。
夜間でもわかる白い壁と、芝生の庭に囲まれた漆喰壁の小洒落た邸宅。
そこそこの広さがあり、あこぎな商売で不正に蓄財した結果であろう。
ここの持ち主を殺すことは、祖国に不利益を成す害虫の駆除である。ミハイルは、そう己を正当化させる。
「………いいご身分なこった。こっちはコソコソしてるってのに。」
実にふざけた話だ。
不正に利益を貪る悪人が広い別宅を持ち、祖国に身を捧げた忠義の徒である己は日陰者。
ミハイルにとってはそれが真実であり、この間違いは血を以って正さねばならない。
ミハイルは壁に身を隠し目を細め、殺意を露わにする。
「ここはワシの家だ。君はそんなところで何をしているのかね?」
「………ッッッ!!!」
唐突に近場から声をかけられて、ミハイルは驚いた。
慌てて暗視装置を装着すると、邸宅の庭にある大きな木が視界の中に入った。
その木の下に、一人の白髪混じりの男性がたたずんでいる。
ミハイルが不審を感じたのは、今現在の時刻が日付を回ってすぐだということ。
深夜も深夜であり、まさかこんな時間に庭先に人間がいるとは露ほども考えなかった。
だから周囲をロクに確認せずに家に近寄ったのに、まさか誰かいるとは………。
しかも相手は、恐らくは暗殺の標的だ。
「アンダー・ワールド。君が真に正しい道を歩んでいるのであれば、その意思は滅びない。果たして君は、本当に正しいのか?君の意思は、滅びずにいられるのかな?君は地面の記憶から逃れられるかな?」
「何だとっ!!おい、待て!!!」
ミハイルに声をかけた初老の男性は、意味深な言葉をつぶやいて邸宅の玄関から中へと入っていった。